ドリーム小説 86

 ボスの言われたとおり、ボルジュアは自分がギャングになることに疑問を抱きながらも、ジョエルを始めとした仲間たちにギャングとしての生き方の術を学んだ。時には治安維持のために麻薬や賭博行為などが町のどこかに転がっていないかの調査にも借り出された。
 ボルジュアたちはギャングとして人殺しは行うものの、ギャングとして最も恥ずべき行為だと言われている売春や賭博、麻薬取引などには一切手をかけることがなかった。というのも、ボスがイタリア一帯に流れている麻薬の入手ルートを食い止めるために、政治家や警察などと手を組んでいる、という話が組織内で噂されていたからだ。
 ボルジュアたちが主な利益として集めている介護料に比べて、東南アジアから安値で仕入れることのできる麻薬の利益は倍以上だ。その利益に目が眩み、麻薬取引に手を染めるギャングたちが後を絶たないことを、ボルジュアは自然と知るようになった。
「だからって麻薬に関わったりしないことだね。ボスは何よりも麻薬を嫌ってるから」
 ボルジュアと同じ年のオドーレ・ジスが言った。
「ボスの前で鶏肉と麻薬の話は厳禁だ」
「鶏肉だって?」
「ボスは鶏肉が苦手なんだよ。前にクリスマスでローストチキンを出したとき、鶏の脚を見ながら泡を吹きだして気絶して、アレルギー反応を起こしたくらいだ」
「なんだそれ」
 本当にギャングの頭かよ、と思いながらボルジュアはオドーレを横目で見る。
 初めてオドーレと顔合わせをしたとき、彼女は組織唯一の女だと思ったが、実は男だったのだ。その女顔負けの容姿のお陰で、昔はよく父親に強姦されかけていたのだという。抵抗しようとしたところ、傍にあったフォークで父親を刺し殺してしまったことをきっかけに少年院へ入れられ、ボスに拾われたのだと、オドーレから聞かされた。
 同い年ということもあり、ボルジュアはオドーレとはよく談笑を交えていた。流行の話題から昔読んでいた漫画の作品まで。時にはジョエルの頭が何年後に後退するか、で盛り上がっていたときに、ジョエルから鉄のような拳を食らい、二人で大きなこぶを作ったこともあった。
 ボルジュアの世話係であったジョエルもまた、ボスに拾われた男の一人だった。ジョエルは恋人とデートをしている道で、通り魔に出くわしたのだという。ジョエルは通り魔を押さえつけようと試みたのだが、返って相手を凶器で刺し殺してしまった。
 正当防衛とも思える行為は殺人とみなされ、裁判所はジョエルに有罪を引き渡したが、それを覆したのがボスの存在であった。ジョエルは恋人と自身の安全を引き換えに、ボスへの恩義を尽くすためにギャングの世界へ身を投じた――と本人は語っている。
「しかし、なんでボスは麻薬を毛嫌いしてるんだろうな。オレは正直ちょいと興味あるぜ」
「さあ……。ボスは普段からあまり、自分のことは話さない人だからね」
「ボスにも家族とかいるのかな」
「そりゃあいるだろ。大人なんだし」オドーレは肩まで伸びた髪を結わきながら言った。
 オドーレの父親は親として最低だったが、母親は調香師として有名な人物だったという。名前を聞けば、確かにどこかで聞いたことのある名前だった。
 しかし、オドーレが父親を殺したことをきっかけに近所では悪い噂が広がり、鬱となった母親が自殺してしまったという話は、一度しか聞いたことがない。オドーレも母親のことは愛していたが、息子を置いて逝ってしまったことをどこかで恨んでいるようにも見えた。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど……」
「どうしたんだ?」
「オレたちが仕切ってるシマってそんなに大きい町でもないだろ? 介護料は小遣いに比べたらそりゃあ多いけど、それにしたってここは金がたくさん入ってくるよな」
「ボスが稼いでるからだよ」
「ボスが?」ボルジュアは首を傾げた。
 そして恨みを売り買いするギャングである自分が、何者にも攻撃を受けない理由も知る。
 それはボスの存在にあった。常に冷静で理知的なボスが、政治家や警察と手を結んでいることはもとより承知だったが、ボスが暗殺者として様々な局面で雇われていることをボルジュアはオドーレの話を聞いて知った。
 ボスの暗殺としての腕は『十全十美の暗殺』といわれるほどであり、その場に一切の痕跡を残さない完璧な殺し、というものが最大の売りでもあった。依頼を受ければ、例え標的が子供であっても、仕事をこなすためにボスは見境なく殺すのだという。
 その所業について、ボスは部下であるボルジュアたちに包み隠すようなことはしなかった。今日はどこへ行ってきたんだ、と訊けば、依頼された人物を始末してきた、と返ってくる。ただ言葉を返すだけで、ボスは自らの行いを自分から話すことはない。暗殺の依頼を受ければ、ボスは単身で現場へ向かう。どんなに信頼している仲間から、連れて行ってほしい、ボスの役に立ちたい、と言われても、決して頷くことはしなかった。
 そんなボスの腕を恐れ、他のギャングチームがボルジュアたちの縄張りに入ることはなく、またボスも自分の部下に危険な仕事を任せることは一切なかった。仕事で結果を出せばその分の報酬は弾み、そのことに対して周りがボルジュアを咎めるようなことはまったくなかった。寧ろ仲間たちは、まるで自分のことのように喜び、ボルジュアを褒め称えてくれた。
 そんな仲間たちと共に過ごす毎日の中で、ボルジュアは自分がギャングであることの違和感を徐々に忘れつつあった。なぜ自分がギャングの道へ導かれたのか。なぜ自分はここにいるのか。そんなことを考える時間は、過ぎていく時間だけが唯一の解決方法であった。
 自分が選んだ道を歩いている――そう思うボルジュアの心には、かつて芽生えていた毒物への関心や人の死についての興味を失いつつあった。
 しかし、ボルジュアがギャングの道を進んでから二年半が経った春。大きな事件が起きた。
 ボスが最大の武器である両目を失ったのだ。
 その経緯は単純明快だった。組織内の一人が仕事で大きなミスを犯し、その落とし前のために仇に当たるボスの両目を頂戴する、ということだった。ボスは二言三言で相手から下された条件を飲み、生涯暗闇の世界を生きることとなった。
 その仕事で大きなミスをしたのが、ボルジュアだった。組織にとって欠陥的なミスを犯したボルジュアに対し、仲間たちは最初こそ励ましの言葉をかけてはいたが、それは表向きだけでのことで、一部の連中が裏でボルジュアの陰口を叩いていることは明白であった。
 その陰口は否が応にもボルジュアの耳へ届くようになり、ボルジュアが『自分の失態のせいで、ボスは両目を失う羽目になった。いま組織を脅かしているのは自分の責任だ』と考えるようになるまでは、時間の問題だった。
 責任を負うボルジュアに対し、ボスは、気にするな、という態度をとっていたが、ボスの慰めの一言は、周囲から浴びせられる憎悪の視線を打ち砕くことはなかった。
 ただ一人、オドーレだけはボルジュアの傍にいた。慰めの言葉をかけることもなく、ただ黙って落ち込んでいるボルジュアの背中を撫で続けていた。
 両目を失ったボスは当然のごとく、暗殺の仕事が不可能となった。それを機縁に組織の最大の利益であった政治家への援助金や、警察から送られていた賄賂なども全て抹消され、組織に金が入ることは徐々になくなっていった。
 同時にボルジュアたちは、自分たちの集めていた介護料ははした金で、全てはボスが回収していた金で支えられていたのだと痛快させられた。
 人は金がなくなれば、どうすれば金が手に入るかどうかを考え始める生き物だ。回収している介護料だけでは満足できない、と、組織内では不満が生じ始める。一部の連中はボスの目が見えないことを良いことに、その裏で麻薬取引を行うようになった。この行為は今に始まったことではなく、これまでのボスのやり方に密かに不満を抱いていた者たちの反発でもあった。
 ボルジュアはボスの教えに従って麻薬や賭博などには手をかけようとはしなかったが、頭の中で常に考えていることがひとつだけあった。
 ボスの代わりに、どうにかして暗殺の仕事を引き継ぐことができないだろうか――。
 ボルジュアは二年半でギャングとして必要最低限の生き方は学んではきたが、戦いに慣れているわけでもなく、ボスのような唯一無二の目利きを持っているわけではない。
 しかし、考えが全くないわけではなかった。
 ボスの殺し屋としての最大の売りは『十全十美の暗殺。その場に一切の痕跡を残すことのない完璧な殺し』。その言葉を聞いて、ボルジュアは過去に起きたとある事柄を思い返していた。
 毒薬だ。ボルジュアが幼い頃に知らず知らずに利用していた、ギャングが隠し持っていた暗殺用の毒薬は、ボスが売りにしている殺しの特徴と一致している。
 どうにかしてこの毒薬を手に入れることができないだろうか、と、過去にギャングが所持していた毒薬の入手ルートを探ってみたが、該当するものは見当たらなかった。試しに刑務所内で培った知識で同じ毒薬を作り出そうとも試みたが、そう簡単にはできなかった。
 ギャングが機密情報として扱うほどの毒薬だ。そう易々と作り出すことができなければ、簡単に手に入る代物ではないことは承知の上だった。
 こうなれば、誰か優秀な研究者に頼むしかない。
 脅してでも、作ってもらうしかない。
 そう思ったボルジュアは、オドーレと共に国内に存在する優秀な研究者を探すことになった。情報屋に頼みを入れたところ、とある人物が挙がった。
 日本の国立大学を卒業し、イタリアへ半年前にやって来た日本人男性の医学者だった。

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 医学者の男は、日本から連れてきた妻と二人でフィレンツェの田舎町に暮らしていた。どういった経緯で日本からイタリアへ移住してきたかは分からないが、彼が優秀な医学者というだけでボルジュアとオドーレは十分だった。
 ボルジュアたちは彼らの家に押しかけるように訪れ、淡々と以下のことを相手に要求した。
「痕跡の残らない、完璧な暗殺薬を作ってほしい」
 ボルジュアたちの要求に対し、男は当たり前のように反対の意を唱えた。しかしボルジュアたちは短い期間とはいえ、ボスの下でギャングとして育ってきた身だ。このようにこちら側へ反抗する者には、どうすればよいかの手段を幾つも知っている。
 玄関で話す夫を、奥の部屋から様子を窺っている妻の姿を見て、ボルジュアは一考する。
「もしかして奥さん、身ごもっています?」
 男は分かりやすいまでに動揺した。
「わたしたちはギャングだ。正当な方法なんて考えちゃあいませんよ。生まれてくるお子さんを助けたいのなら、引き受けてくれますよね?」ボルジュアは今度こそ脅すつもりで、男の腹に拳銃を突き当てた。
 子供を人質にとられた男は、ボルジュアたちの要求にややあってから頷いた。薬が出来上がるまでは最低でも一年はかかる、と言われ、ボルジュアはそれに同意した。
 ボスがこういった類の取引を忌み嫌っていることは知っている。だが今回の問題に関しては、そんなことを考えている余裕は微塵にもなかった。ただ夢中だった。
 麻薬や賭博は確かに重罪だ。しかしギャングという身においている限り、犯罪とは常に二人三脚なのだ。今さら表の社会でのルールに縛られていることもない。
 この状況を変えることが最善なのだ。方法は違えども、以前のように皆が笑っていられる場所を作ることは、正しい選択だと信じて疑わなかった。
 ボルジュアとオドーレは更なる完成を期待し、男が暗殺薬を作り上げることを待っていた。
 しかしその数ヵ月後、決定的な問題が起こった。
「お前らはもうおれの下で働くことはない。どこにでも好きな場所へ行くといい。金は渡す。無駄に使わなければ、お前たちならまたやり直せる」
 随分と長い間掃除されていない空間に、ボスの台詞が静かに響いた。ボスは持っているトランクケースの中から大量の札束を取り出し、それをテーブルの上にどん、と置いた。数えなくとも数百万はまとめられている厚さだ。
「受け取ったらここから出て行け。いいな」
 ボスはそれだけを言うと、ポケットからライターを取り出して煙草を口に咥えた。決まって座っているソファーへ腰を下ろし、一服している。視界が塞がれている状況で、ここまでの動作ができるようになったのも、過ぎていく時間が解決したことだ。
 目の前に現れた大金と、ボスの台詞に動揺が生まれる。それはボルジュアも同じだった。
「ボス、いったいどういうことだ?」
「どういうこともなにも、そのままの意味だ」
「ちゃんと説明してもらわないと納得がいきません」オドーレもボルジュアに加勢する。
「もうお前たちを匿ってやれる余裕がないんだ。それにおれにはやるべきことがある」
「やるべきことってなんだよッ」
「お前には関係のないことだ」
 その後のことは考えるだけで暗くなる。ボルジュアは半ば無理やりボスから荷物と札束を与えられ、帰るべき場所として決めていた家を放り出された。ボルジュアと同様にボスから見放された他の連中は、ボスの言いつけ通りに金を握り締めて姿をくらました。
 可愛いと思われた人間に飼われ、世話が面倒になって捨てられた犬のような気分だった。
 理由も言わずにボスから見放されたボルジュアは悲しむよりも先に、怒りと憎悪を覚えた。
 ボルジュアは感情のまま、追い出されたばかりの部屋の扉を蹴るように開けた。ボスは何やら荷造りをしながら、通信機で誰かと連絡を取り合っているようだった。しかし、ボルジュアが戻ってきたことに対して、彼は咎めの言葉を投げることもしなければ、驚いた顔を浮かべているわけでもなかった。
 それがまたボルジュアの癇に障り、隠し持っていたナイフを握り締め、それをボスに向かって勢いよく突き立てた。ボスは一切の声を上げなかった。それがギャングとして長年培ってきた訓練の賜物なのかは分からない。ただ抵抗もせず、まるでボルジュアからの怒りを受け入れているようにも見えた。
 ボルジュアはナイフをゆっくりと抜いた。それと同時に傷口からは大量の血が溢れ、ボスの口からも同じものが流れる。ボスは地面に倒れ、やがて動かなくなった。通信機からは彼の名を呼ぶ声が聞こえるが、ボルジュアは通信を遮断させ、回線をナイフで断ち切った。
 ボルジュアがここでの出来事で覚えているのは、自らがボスに突き立てたナイフと、地面に広がる彼の大量の血液。物音を聞きつけてやって来たオドーレとジョエルの姿だけだ。
 信じていた者からの裏切りが、かつてのボルジュアの奥底に眠っていた奸悪な感情を目覚めさせてしまった。周りは口を揃えてそう囁いた。
 しかし違った。ボルジュアは元からこういう人物だった。ボルジュアはボスからの裏切りを境に変わってしまった、と自分では思ってはいたが、実はそうではなかった。
 後日、試作品として完成した暗殺薬の一報を受けたボルジュアは、医学者の元へ向かった。男は動物実験で効果を立証させてはいたが、虫の居所が悪いボルジュアはそれだけでは満足がいかなかった。
「一度、試してもいいだろうか」
 ボルジュアは試作品を手にし、ベッドに横たわっている妊婦にゆっくりと歩み寄った。薬と投与された妊婦は悶え苦しみ、男が言うとおりの反応を示した。
 罪悪感はなかった。むしろ懐かしさを覚えた。それはボルジュアが幼い頃、毒薬を飲ませて死んだ野良猫や、目を覚ましながら悪夢を見た兄の記憶だった。
 死体を見たいわけではない。悶え苦しむ人間の姿を見たいわけでもない。
 ただ、毒薬の効力に対して魅力を感じていた。人を狂わせる一滴に狂おしいほど惹かれた。
 これらはボルジュアに残る、ほんの一部の記憶だ。
 ボスの真意を知る術など、そのときのボルジュアたちには知ることすらできなかった。

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