ブチャラティは不思議に思っていた。イタリア各地で事件と騒動を起こし、ギャングチームに手を掛け、パッショーネの構成員が襲われても尚、正体を特定することのできない犯人。の情報網、そして組織の力をしても見つけ出すことができなかったのはどうしてなのだろう、と。
ホテルでムーディー・ブルースがフィオの姿を捉えたとき、もしやと思った。この世界には不思議なことに、スタンドという超能力にも似たものが存在する。そのスタンドは人と精神の数だけ存在し、その能力は様々だ。もしも敵がスタンド能力を持ち、それが他人の目を欺くような能力であれば、自身の素性を隠すことは十分に可能だ。
そんな悪事にうってつけな能力があれば――の話だが、現に予想が現実のものとなっている。
ブチャラティのスティッキィ・フィンガーズで吹き飛ばされたボルジュアが、ふらりと立ち上がる。口が切れたのか、唾を吐くように地面に血を吐いた。
ボルジュアのスタンドである『レイラ・セッションズ』は人型のスタンドだ。破壊力はこちらのほうが上だが、攻撃を繰り出すスピードは勝るとも劣らない。恐らく、ボルジュアのスタンドはスティッキィ・フィンガーズと同じ近距離パワー型だ。
「貴様、やはりスタンド使いだったのか」
やはり――ポルポからブチャラティへ直接的に下される指令には、決まって法則がある。
それは『スタンド関連である』こと。今回の指令を受けたとき、ポルポからは標的がスタンド使いという報告は受けていなかった。それは報告を受けた時点では、敵の正体が未知な状態であるから故に、今回の敵はスタンド使いである可能性を考えてのことだったのだろう。
「スタンド。そうか、これはスタンドというのか」
ボルジュアはスタンドという概念を初めて知ったような口振りで頷いている。
「この能力を持っているのは、わたしとオドーレだけだと思っていたんだが……。貴様らからも同じ力を感じる。その後ろに浮かんでいるのは、貴様のスタンドか」
「何度も言わせるな。答える義理はない」
「そりゃあそうだな」
ボルジュアは再び姿を変えた。ブチャラティが瞬きを許した一瞬で、白人の姿から今度は大型犬に変化を遂げる。鋭い爪をむき出しにしながら駆け出したかと思えば、ブチャラティの目の前で瞬時に本来の姿へ切り替わる。
なに――ブチャラティは喉から声が出る前に、レイラ・セッションズの拳を腹部に受けた。
ブチャラティの身体が吹き飛ばされているその間に、ボルジュアは再びの警官の姿へ変わる。
いつ犬から警官の姿へ変わったのかさえ分からなかった。捉えられなかった。
ブチャラティは顔だけをボルジュアのほうへ向けた。その先で自分に向かって拳銃を構え、弾丸を発砲する光景が飛び込んできた。放たれた弾丸をスティッキィ・フィンガーズで叩き、ジッパーを施して真っ二つに割る。そのままブチャラティの体は地面に滑り落ちた。
「ブチャラティッ」フーゴが駆け寄る。
「かすり傷だ、問題ない」
それよりも、とブチャラティは立ち上がる。
「フーゴ、あいつが警官に変わる瞬間を見たか?」
「いえ、見ていません。余所見をして見ていなかったわけじゃあない。見えなかったんだ。姿を変える速さが尋常じゃあない。一瞬の隙を見て変化している」
いまの一瞬でボルジュアは本来の姿から動物へ、そして警官へと流れるように変化を遂げた。もしも自分の意思にスタンドが反応して姿を変化できるのであれば、相手の考えを読み取る他に、ボルジュアが別の姿に変わる瞬間を見極める方法はない。
自分が頭に思い浮かばせただけで、自由に身体を変化できる――この上なく便利な能力だ。
「原理は分からんが、やはりあいつは特定の姿へ自在に変化することのできる能力のようだ。そしてミスタ程じゃあないが、射撃の能力にも長けている。さっきはちょいと頬をかすっただけだったが、確実に急所を狙っている」
「これじゃあ迂闊に近づけないな」
「まずは、敵がどのタイミングで変化するのかを見極めなくてはならないというわけだ」
「確か、さんの話では――」
「聴こえてるぞ」
フーゴの言葉を遮ったのは、警官姿のボルジュアだ。ボルジュアは拳銃に弾倉を補充し、ポケットにしまいながらブチャラティたちと距離を縮めていく。
「やはり、彼女をあの場所から解放したのは貴様たちか」
「やはり、をあの場所に閉じ込めたのはお前だったのか」ブチャラティが返した。
「真似をするんじゃあない」
ボルジュアの背後にスタンドが浮かび、警官の姿が剥がれ落ちて白人の姿へと変わる。ブチャラティは瞬きもせずにそれを凝視していたが、いまの一瞬で姿を変えるような細工をしたようには見えなかった。
「せっかく材料が手に入ったと思った矢先に、まさかこんなことになるとはな。計算外だ」
「材料? のことか」
「それ以外になにがある」
ボルジュアは立ち止まり、肘を掴むように腕を組む。
「彼女の身体に潜伏している成分は非常に貴重なものだ。これまでにあの薬を受けた者では、決して残らない痕跡がの中にはある。貴様らもそれが分かっていた上で、彼女を匿っていたんじゃあないのか。なにせ、いま『SS』を手元においているのはパッショーネだからな。大事な商売道具を横取りされるわけにはいかない」
「彼女を道具のように見るか、それとも一人の人間として見るか。その点に関しては、お前と話をしても永遠に分かり合えないだろうな」
「逆はどうかな」
「逆?」
「はお前をどんな目で見ているかな。オドーレから拉致されたあと、わたしはを殺そうと色々な手段を考えた。その間に訊いてみたんだ。お前に仲間はいるのか。花屋の娘はジョエルが助けに来てくれるだろうが、お前のことを助けに来てくれるようなやつはいるのか、と」
ボルジュアは組んでいた腕を解いた。
「はこう答えたよ。そんな人は誰もいない、と」
詰問のようにブチャラティのほうへ歩み寄るボルジュアの背後に、パープル・ヘイズの形相が見えたのをブチャラティは確認した。フーゴの掛け声でパープル・ヘイズは拳のカプセルを外し、ボルジュアの身体に打ち込もうと拳を振り上げる。彼の殺人ウイルスに巻き込まれないよう、ブチャラティはジッパーで後ろへと間合いを取る。
突然になって距離を置いたブチャラティに、ボルジュアは背後へ振り返る。敵はいま、パープル・ヘイズの眼光と目が合っただろう。己の身の危険を察知したのか、ボルジュアはスタンドに向かってなにかを叫んだ。叫んだのと同時に、ボルジュアのスタンドは体中に兵隊などが身に付けている弾丸ベルトのようなものを発現させた。その一つひとつは弾丸ではなく、医者などが使用する注射器だった。スタンドはその連なっている注射器から一つを取り出し、本体であるボルジュアの腕に釘を打ち込むように刺した。
パープル・ヘイズのカプセルにひびが入った。隙間から紫色の煙が漏れ出しとき、ボルジュアは白人からドブネズミの姿へと変化した。的を外したカプセルは地面に落ち、砕けたカプセルの中から漏れ出した殺人ウイルスの煙が辺りに充満する。
地面に着地したドブネズミとなったボルジュアはフーゴの股の下を通り抜け、飛び上がる。
「レイラ・セッションズ」
ボルジュアが再びスタンドを発動させる。先ほどと同じようにスタンドは注射器を取り出し、本体の腕に注射針を打ちつけた。瞬時にドブネズミは人間の姿へと変わり、ボルジュアはフーゴの背後からスタンドの拳を連続で叩き込む。フーゴは、ぐあッ、と鈍い声をあげた。
「フーゴッ」ブチャラティが叫んだ。
「パープル・ヘイズッ!」
拳を食らったフーゴであったが、怯むことなくボルジュアの腹に目掛けてパープル・ヘイズの拳を叩き込む。パープル・ヘイズの拳が敵の腹に入り、カプセルに亀裂が入った。カプセルから漏れ出した殺人ウイルス。辺りに充満していくウイルスは、微かにボルジュアの指先に触れる。
徐々に膨れ上がっていく自分の皮膚を見て、ボルジュアは、ぞっとした顔になった。
ブチャラティはフーゴの背中にジッパーを施し、引っ張るように引き手を持ち上げる。
「グラッツェ」フーゴは咳き込みながら言った。
「カプセルは当たったか」
「手ごたえはありました」
「まだ殺すなよ。こいつには訊き出したことが山のようにあるんだからな」
数メートル先では、ボルジュア溶け出している指先を見て動揺している姿が見える。自身の身体が徐々に蝕まれていくのを察したのか、ボルジュアはスタンドから新たな注射器を取り出すように命ずる。
しかし、ブチャラティがそれを制する。スティッキィ・フィンガーズの手の甲が相手のスタンドに当たり、取り出そうとした注射器を弾き落とす。
ブチャラティの攻撃にボルジュアも臆することなく、別の注射器を取り出して針を打った。瞬時に蛙へと姿を変え、弾き落とされた注射器を伸ばした舌でキャッチする。
「姿を戻せ、レイラ・セッションズ」
人間の姿へ戻ったボルジュアではあったが、舌で掴んだ注射器を打ち込んだ。今度はブチャラティが一度も目にしたことのない動物へ変わった。イタチのような見た目をしており、表面は固い毛で覆われている。背中から尾まで伸びた白い毛は、まるで甲羅のようだ。
恐ろしい動物には見えないが、いったいこの動物にはどんな長所があるのだろうか。ブチャラティが考えていると、あれは、とフーゴが言った。
「あれはまさか、ラーテルか?」
「ラーテル?」
「熱帯地域に生息している動物です。体には鉄のように固い毛皮を覆っていて、凶暴な肉食動物が噛み付いても、簡単に傷をつけることはできない」
そして、とフーゴは鼻の上に皺を作る。
「毒にとても耐性がある。効かないわけじゃあないが、どんな生物でも噛まれたら即死の毒蛇に噛まれても、ラーテルは死なない。少しの間、動けなくなる程度だ」
フーゴの説明通り、パープル・ヘイズのウイルスを食らっても尚、ボルジュアの身体は腐ることなく、指先が少し傷ついている程度で止まっている。
「若い身なりのわりに随分と博識だな」ラーテルの姿のまま、ボルジュアが言った。
「知識は荷物にはならないんでね」
「なるほど」
「そして、僕らにも分かったことがある」
フーゴはボルジュアに向かって指を突き立てた。
「お前のスタンド能力は決して完璧じゃあない。姿を変える瞬間、スタンドが装備している注射器――そいつを打ち込むことによって、姿を変えることができる。それだけじゃあない。その生物の特長さえも取り込むことができるんだ」
ラーテル姿のボルジュアの口元が弧を描いた。「答えを導き出した者は褒美をやらなくてはな」
ボルジュアは元の白人の姿へと戻った。四つん這いから二足歩行の体勢になる。
「そうだ。わたしの能力は生物の血液成分を摂取することで特定の姿へ変わることができる。こいつの体に巻きつけているのは、血液の入った注射器だ。一定の血量さえ摂取できれば、遺伝子レベルまで変化することができる」
こんな風にな、とボルジュアは取り出した注射器を腕に打ち込み、犬へ変化する。しかしその犬は初めに変化した犬と、二度目に変化した犬とは種類が異なる。ただ単に犬種が違うだけか、とブチャラティは思ったが、これまで変化を遂げてきた動物を見て、感づいたことがある。
「人間は何度でも変化できるが、動物に関しては一回が限度のようだな」ブチャラティが言った。
「さあ、そいつはどうかな」ボルジュアは人へ戻る。
「スタンドは万能じゃあないんだ」
「しかしスピードとパワーでは、わたしのスタンドのほうが貴様よりも上なのは確実だ」
ボルジュアがスタンドを繰り出し、フーゴに向かって素早く拳を振り上げる。
「下がれ、フーゴッ。オレのスタンドで――」
相手をする、というブチャラティの言葉は、ボルジュアと対峙するフーゴによって遮られた。
「当たろうが構わない。僕は確実にパープル・ヘイズのカプセルをお前に当てるまでだ」
82-2
捨て身の覚悟でフーゴはパープル・ヘイズの拳をボルジュアに向かって突き出した。ボルジュアはフーゴの顔面に拳を当てるかと思ったが、そうではなかった。フーゴからの攻撃を避けるどころか、自らパープル・ヘイズの手を掴んだのだ。パープル・ヘイズのカプセルの正体にまだ気がついていないのか、それとも知った上でなにか他に策があるというのか。ボルジュアの意外な行動にフーゴは一瞬迷いを見せたが、好都合だとそのまま拳を叩きつける。
カプセルの一個が割れ、ボルジュアに向かってウイルスの煙が充満した。フーゴは煙が当たらない場所まで距離をおきつつ、パープル・ヘイズに攻撃を仕掛け続ける。しかしパープル・ヘイズのスピードでは、レイラ・セッションズの速さには勝らず、片手だけでこちら側の攻撃を全て塞がれてしまう。
それでもよかった。フーゴは最初からスピード勝負で相手に勝とうとは思っていなかった。パープル・ヘイズの特長は他でもない殺人ウイルスだ。どんなにこちらが攻撃を受けても、ボルジュアにウイルスの煙を浴びせればいい。それだけでいいのだ。
しかし、フーゴの予想を遥かに上回る事態が起きた。ボルジュアは辺りに充満するウイルスを払うことなく、侵され続けている自らの腕を、じっと見つめていた。それはまるで観察しているかのように静かな目だった。
それだけならまだよかった。二の腕まで感染が滞ったときだ。注射器を打たれたボルジュアは、特徴的な模様を持つジャガーへと姿を変えた。
何をするのか――とフーゴが考えるのもつかの間。ボルジュアは、うおおおああッ、とまさに獣の咆哮のように声を荒らげながら、自らの腕を食いちぎったのだ。切断部分から大量の血が流れ、ボルジュアの足元には血の海ができる。しかしボルジュアはふらつくこともせず、食いちぎった腕を咥え、それを道に設置されているごみ箱に向かって投げ捨てた。
「なんてやつだ。ウイルスの感染を止めるためとはいえ、自分の腕を食いちぎるなんて……」
「腕の一本くらい、わたしの能力を駆使すればどうとでもなる」
そんなことより、とボルジュアは足元に転がっている空になったカプセルを見やった。
「貴様のその能力……ウイルスか。それもかなり即効性のある強力なウイルスだ。わたしは今まで様々な毒薬に触れてきたが、これほどまでに強力なものは初めて見た。だからぜひ、自分の身を持って効力を確かめたかった。実に興味深いと感じたよ」
ボルジュアは興味深そうにフーゴを眺めている。その目は相手を敵としてではなく、まるで新しい玩具を見つけた子供のようだ。しかし、それは決して子供のような純粋な眼差しではない。邪悪を含んだ深い眼をしている。その気味の悪い目と、獲物を定めたようなジャガーの目に見つめられ、フーゴは思わず、ぞっとする。
「フーゴといったか。貴様のことはのことを終わらせてからゆっくり調べることにしよう。まずはだ。貴様たちの相手をしている間に時間は刻々と――」
ここでボルジュアの言葉は止まった。鼻の先を小刻みに動かし、何かを感じ取っている。
隙ができたか――フーゴはパープル・ヘイズで攻撃を繰り出そうとしたが、威嚇をするようにゆらりとジャガーの尻尾が揺れた。目の前にいるのは動物の姿になったボルジュアのはずなのだが、こうして肉食動物と対峙しているだけで、まるで金縛りにあったようだ。少しでも動けば、自慢の前足で踏み倒され、頭から食われてしまいそうな恐怖に襲われる。
「このにおい、間違いない」
「におい?」
「そこにいるんだろう。バンビーノ」ボルジュアが路地裏へと続く道を見ながら言った。
フーゴとブチャラティはボルジュアと同じ方向を見る。路地裏の陰には、確かに人影があった。それは小さくうごめいており、顔を出すのを躊躇っているようだった。
ボルジュアが喉を鳴らした。それを合図にしたように、路地裏から一人の少年が現れる。
その少年を見て、フーゴとブチャラティは驚愕した。
バンビーノ、と呼ばれて出てきた少年は、数週間前、この通りで男に襲われていたあの少年だった。