を連れたブチャラティと別れたフーゴたちは、命令通りに行動を起こしていた。車はアバッキオが運転し、アジト前でフーゴとナランチャを下ろした。アバッキオとミスタはエマとジョエルを病院へ送り出すため、言葉も交わすことなく早々に車を出した。
フーゴは病院へ向かって走り出した車の後姿を見届けたあと、空を見上げた。雨上がりのせいか、星たちが綺麗に輝いている。北の空では北極星が瞬いていた。
北極星といえば、以前ナランチャと二人でネアポリスの町へ繰り出したとき、広場の公園でが勉強のためにナランチャに北極星のことを話していたことを思い出す。
は生まれたときから運命が定められ、それを知りながらも限られた時間を大事な男のために使った。その大事な男は、愛する父親を守るためにギャングになった。そして娘を助けたいと願う父親を殺め、それをいま、その娘である彼女に伝えようとしている。
北の空を見ながら、フーゴは思った。
まるでブローノ・ブチャラティとは、北の空に縛られているあの星のようだな、と。
そして星は、ひとつしか存在を許されない。
今回の任務も、そろそろ終わりが近いのだろう。その最後のとき、フーゴはブチャラティの傍にいることを心に決めた。彼を独りで戦わせるわけにはいかない。その思いはきっと、今ここにはいない彼らも同じ気持ちのはずだ。
フーゴは北極星に手を伸ばし、それを握りつぶした。
「なにやってるんだよ、フーゴ~~。寒いから早く中へ入ろうぜ」ナランチャが言った。
「ああ、そうだな」
「いつの間にか雨、止んでたな」
言われてみればそうだな、とフーゴは思った。
「明日晴れたら、美味いメシでも食べようぜ」
も誘ってさ、とナランチャは笑う。以前までなら、いま言葉を聞いた瞬間、こんな状況でなにを考えているんだ、と叱咤していたかもしれない。しかし彼と共有する時間を過ごしてきたからこそ分かったことがある。ナランチャは励ましや労わり、優しさを全て包み込んだ上で、がまだ助かると信じて疑っていない。
いつしか彼のその光に満ちた健気さは、フーゴにとって大きな存在になりつつあった。
「食事前に、まずは仕事だ」
「うん。分かってるって」
「ありがとう、ナランチャ」
「ええ?」
首を傾げたナランチャにフーゴは、なんでもないよ、と言ってパソコンを立ち上げた。
78-2
「寒くないか」
「大丈夫。気にかけてくれてありがとう」
「座っててくれ。飲み物くらいは用意できる」
ブチャラティはをリビングのソファーに座らせ、キッチンルームへ向かった。棚からマグカップを取り出し、エスプレッソマシーンでカッフェを淹れる。は苦いよりも、少々甘いほうが好きだろうな、と思い、彼女のマグカップにはミルクを添えた。が座っているソファーの前のローテーブルへマグカップを置き、持ち手を彼女のほうへ向かって回す。
「グラッツェ、ブチャラティ」
はカッフェを一口含み、はあ、と熱い息をついた。
ブチャラティはの隣へ座り、ソファーを沈める。
ちくたく、とリビングの壁にかかっている振り子時計の音だけが部屋を支配している。は何も言わない。ブチャラティもずっと窓の外を眺めている。
このままでは埒があかない。ブチャラティはマグカップを置き、のほうへ向き合った。
「、オレの質問に答えてもらおうか」
「いつものように前置きがないところをみると、あなたにも時間がないみたいね」
「そんな言い方はやめてくれ」
は、ごめんなさい、と目を伏せる。
「まず、きみがサンテルモ城へ拉致されたあと、何が起こったのか聞かせてくれないか」
「何時頃だったのかは分からないけど、わたしが目を覚ましたときには、わたしとエマちゃん、だっけ。あの女の子しかいなかった。彼女の意識が戻ってから、お互いに何があったのか状況確認をしていたの。あの子、すごく怯えていたから」
普段から穏やかな生活を送り慣れているのだ。あんな目に遭っては、無理もないだろう。
「それから一人の男性が入って……いや、あれは女性かな……」は悩ましげに額に片手を当てた。
「中性的な声だったか?」
は、そうッ、と額から手を離した。「とても中性的な声だった。どうしてそれを?」
「フィオがとある人物から訊かれたんだ。きみがあのホテルに宿泊しているのかどうか。そのとき相手は顔を隠していたのだそうだが、そんな声だったと話していた」
他には何かないか。ブチャラティは続けて問い質してみるが、は口を固く結んだ。誤魔化しているわけではない。言いたくない、という思いが顔から滲み出ていた。
しかし、人間というものは愚かなほど分かりやすい生き物で、心情は何も口や顔のみから出るものでない。は口を結んではいるが、彼女の手は先ほどホテルで手当てしてもらった傷痕を触れていた。その指先は震えており、顔は青ざめはじめている。
その様子を見て、ブチャラティは嫌でも解った。震えるの指に触れ、それを優しく握る。
「すまない。嫌なことを思い出させてしまって」
「いいの、気にしないで」
同じ場所にいたとエマで傷の大きさと量に比があった理由も、これで解った。
「目の前にいた彼は、確実にわたしを殺そうとしていた。わたしを狙った理由も、全て彼から訊かせてもらった。わたしの身体の中に流れ込んでいる薬の成分を摂取し、遺体解剖を行うこと。そうすることによって、横流しされた薬と同じものを作り出せることができると」
「横流し?」
「SSという薬は、わたしの父親が開発した殺人道具。それが既に彼らの手に渡っていれば、彼らがわたしを狙う理由もないし、早い段階で裏社会の取引として出回っていてもおかしくない。恐らくわたしの父親は彼らの手元へ渡る前に、どこかへ逃げたんだと思う。その記録はあなたが読んだ日記にも残されていたでしょう?」
「ああ、そうだった」
「そして父親は逃亡を繰り返しながら、その都度何者かと連絡を取り合っていた。それも一度だけじゃあなく、何度も。父親と連絡を取り合っていた『ラディーチェ』という人物は何故なのか、わたしのことを知っているようだったし、わたしを助けるために解毒剤を作っている父親に力を貸しているようだった。二人にどんな繋がりがあるかは分からないけど、わたしが調べたなかでは、父親に関する情報は全くなかった。それどころか父親の存在を知っている者は今のところ、薬を強要させた犯人しか知らない。そんな父親と連絡を取り合っていた人物はいったい誰なのか。そして横流しされた薬はどこへ渡ったのか。ブチャラティは分かる?」
の質問に、ブチャラティは心当たりがあった。それはまだぼやけていて、はっきりとした答えではないが、答えにたどり着くまでの鍵を心の中に隠している。
ついに――言うべきときが来たか。
一考したブチャラティは重たい口を開けようとしたが、が、そういえば、と言った。
「どうしたんだ」
「そのときに見えていた幻覚が、急に見えなくなったのはどうしてだろうと思って」
「幻覚?」
「薬の症状よ。発熱のほかに眩暈や幻覚を引き起こす場合があるって書いてあったから。わたしを殺そうとした彼の背後に見えたの。まるで幽霊のようなものを」
の台詞に、ブチャラティは息を呑んだ。
「彼だけじゃあない。わたしの部屋にやってきたハウスキーパーを装った男もそうだった。彼らの後ろに人体模型のようなものが浮いていて……」
「」
ブチャラティはの言葉を遮った。は不思議そうにブチャラティを見つめている。
が持ち出した日記を読んだとき、幻覚というのはよくある薬の一種の症状だと思っていた。例えにするのも心苦しいが、麻薬などにも同じものが見える場合がある。
しかし、が言っている幻覚はそうであって、世間一般的な幻覚とは違う。持つべき者が生まれながらに秘めている力。ブチャラティはそれをポルポから与えられ、いまもこの身に分身のように宿している。
ブチャラティはの視線を自分の指先に集中させる。そのまま腕を軽く殴りつけ、ジッパーを施した。同時に背後にはスティッキィ・フィンガーズが浮かび上がる。
「、きみはこれが見えるのか」
へ訊くと、彼女はブチャラティの腕に縫い付けられているジッパーを見たあと、背後へ視線が移された。驚きで声が出ないのか、は無言で頷いた。
やはり間違いない。はスタンドが見えている。そしてそれは同時に、彼女自身にもスタンド能力の才能があるということになる。にいったいどんなスタンド能力があるのか。それは彼女自身が目覚めつつある能力に気づいていない限り、知る術はない。
「ブチャラティ。こ、これはいったい……」
「、きみはいつから『こいつ』が見えていた?」
「は……はっきりと見えたのは一昨日の夜から。でも実は今年に入ってから、あなたの後ろに浮かんでいるような人形や不思議な現象がぼんやりと見えていたの」
「一昨日というと、誕生日のときか」
はややあってから、そうね、と頷いた。
ブチャラティは考えた。これは以前、ポルポから聞いた話になるのだが、スタンド能力に目覚める者は、誰しも最初から自身のスタンドを自在に操れるわけではないのだという。残された記録によれば、スタンドを操るために必要な精神力が欠けている場合、制御が思うように利かずに暴走するケースも挙がっている。そしてその暴走はやがて本体を食らい、死に至らせる場合もある。
今回のは、その話と似ている箇所がある。の体内に潜伏していたウイルスが、スタンド能力の覚醒と何かしらの繋がりがあると決まったわけではない。しかしウイルスが陽動し始めた時点で、はっきりとスタンドの姿が見えていたということは、は生まれながらにスタンド能力を持っており、その覚醒を薬が抑え込んでいた、という説も十分考えられる。
ブチャラティはに、幻覚の正体――スタンドについて詳しく話した。こちらの話を聞きながらは何度も頷いており、情報を整理している。
「オレのスタンド能力は、こうしてジッパーを色々な場所に作り出すことができるんだ」
「それじゃあ、ずっと前に高い場所から下へ滑り落ちたときも、その力を使ったの?」
「ああ。このジッパーを使っていたんだ」
そういうことだったんだ、とが合点する。
「そしてもスタンドが見えているということは、きみ自身にもスタンド能力が存在しているということになる。なにか身に覚えはないか?」
はしばらく考える素振りをとった。しかし思い当たらなかったのか、頭を左右へ振った。
「スタンドは本体、つまりの感情に反応して発現することが多い。きみが何かを望めば、スタンドはそれに瞬時に応えてくれる。こんな風にな」
「本当に魔法みたい……」
ブチャラティは改めてジッパーを見せたあと、考え込むように手のひらを顔の前で合わせた。
「しかしまさか、がスタンド使いだったとはな」
「わたしもいまの話を聞いて驚いてる。まさか自分にそんな不思議な力があったなんて……」
ブチャラティのその……、とはブチャラティの背後に浮かんでいるスタンドを見ている。
「ああ、こいつの名前か? こいつはスティッキィ・フィンガーズっていうんだ」
はスティッキィ・フィンガーズのほうへ手を伸ばした。しかし、彼女の手は空気を掴む。
「スタンドは基本的にスタンド同士でしか触れないんだ。なかには例外もあるがな」
「そうなんだ」
ちょっと残念、とは肩を落とす。
「わたしの『すたんど』の名前は分かるの?」
「自分で考えてみたらどうだ」
「そんな子供に名前をつけるみたいに……」
「のスタンド能力か。興味深いな」
この話をフーゴたちが知れば、全員が目を丸くさせながら驚くだろう。それもそのはずだ。ブチャラティを含めた五人は、全員ポルポの入団試験で矢を射抜かれてから、スタンド能力に目覚めたのだから。生まれた瞬間からスタンド能力をその身に宿していたという話を聞けば、驚くのも無理はない。しかもその相手がとなれば、尚更だ。
は様々な手段でスタンドを発現させようとしているが、しっくりこないのか首を傾げている。どうやらそのときになるまで、スタンドは出てこないようだ。
「難しいか」
「すぐにお見せできなくてごめんなさい」
「いいんだ。スタンドを使わないことに越したことはない。この街にも最近になってスタンド使いが増えてきているという噂がある。目をつけられては危険だ」
「そのことなんだけど、もしかすると今回の犯人もそのスタンド使いである可能性が高いと思うの」
「ああ、オレも同じことを考えていた」
そう。スタンドは何も矢に射抜かれることだけが覚醒の方法ではない。のように、生まれ持った才能でスタンド能力が開花されることだってあるのだ。とエマを拉致したハウスキーパーを装った男は、無論スタンド使いであった。それならば、先ほどブチャラティが考えように、残りの仲間も同類である可能性は十分に考えられる。
「はなにか見たのか?」
「恐らくだけど、きっと彼は自由自在に姿を変えられる能力を持ってると思う。わたしの目の前ではなさんの姿になったり、知らない人の姿になったりしていたから……」
やはりそうか、とブチャラティは合点した。
スタンド能力は十人十色だが、決して万能というわけではない。が目の前で変化を遂げた人物が、仮に自由自在に姿を変えられる能力を持っていたとしても、それには必ず『そうすることのできる理由』が存在する。考えられる手段としては、記憶した人物を対象に姿を変える、名前を知っている人物に姿を変える、などだろう。
敵のスタンド能力の情報はもちろんだが、その他にも知り得ておきたいことが一つだけある。
「、きみは覚えているか?」
「え?」
「オレがあの部屋に入ったとき、どんな状況だったか」
の目が一瞬見開かれた。
「聞かせてくれないか。ああなったわけを」