ホテルへ向かっている途中の信号で、ブチャラティの携帯電話が鳴った。ブチャラティはスピーカーモードに切り替え、助手席の上に置いて電話に出た。
(ブチャラティか? オレだ、ミスタだ)
「ミスタ? お前、いまどこにいるんだ」
(サンタルチア港だ。いま、敵の一人を確保して口を割らせてますよ。さんたちの居場所も分かったぜ。さんたちはいま、サンテルモ城にいる)
信号が赤の間に、ブチャラティはグローブボックスの中からネアポリスの地図を取り出した。
サンテルモ城――地図上を指でなぞりながら、同じ名前が載っている場所を捜す。
ブチャラティの人差し指は、星型のような地形の上で、ぴたりと止まった。サンテルモ城はミスタとアバッキオのいる港から、ほぼ真北の場所にある。フーゴとナランチャが待機しているホテルからでは少々遠いが、現在ブチャラティが車を走らせている場所からだと、車を飛ばせば数十分で着くだろう。
「よくやってくれた、二人とも。現場にはオレが向かう」
(ああ、頼んだぜ。リーダー)
通話を切り、すぐさまフーゴへ連絡を飛ばす。フーゴは二回目の呼び出し音で電話に出た。
(ブチャラティですか)
「いま、ミスタから連絡がついた。二人はサンタルチア港で、敵の口を割らせたそうだ」
(ならば、さんたちの居場所が分かったんですね)
「サンテルモ城だ。ミスタから聞いた話によれば、屋上の展望台に小部屋があるらしい。彼女たちはそこに監禁されている。ああ、それと……ナランチャに代わってくれ」
電話の向こうでは、フーゴがナランチャに携帯電話を渡す動作音が聞こえる。
(ブチャラティ、オレだよ)
「ナランチャ、お前に頼みがある。いますぐオレと合流するんだ。二人を見つけ出すために」
(が見つかったのかッ?)
まるで自分のことのように声を明るくさせたナランチャに、ブチャラティは口角を上げた。
「ああ、これから現地へ向かう。ナランチャも一緒に来てくれ。そうだな、場所は――」
ブチャラティはナランチャへ落ち合う場所を伝えた。地図を上手く読み取れない彼に伝わるのか不安になったが、フーゴがナランチャへ補足を加えているようだった。
再度落ち合う場所を確認し合い、ナランチャの威勢の良い声を聞いて、ブチャラティは電話をフーゴへ渡すように伝える。電話の向こうではナランチャが既に指定した場所へ向かっている様子が窺えた。
(ミスタたちと合流したあと、僕らも後を追います)
「ああ、頼んだ」
(ブチャラティ)
「ん?」
(お二人のこと、よろしくお願いします)
通話はフーゴによって素早く切られた。フーゴの言葉を胸に刻み、ブチャラティは車を走らせた。ホテルへの道を大回りし、郊外から市内へ車を走らせて数十分。ラジオの天気予報も虚しく、大雨は依然として続いており、風も強くなってきた。
今まで晴れ模様が続いていたネアポリス。普段から降水確率が低いわけではないのだが、こういった大雨が突然やってくるのは珍しいことだった。
この荒れた天気はまるで、今回の事件を取り巻いている人物たちの感情を表しているかのようだった。地面を叩きつける大雨は涙のようで。鳴り響く雷は怒りのようで。吹き抜ける風は互いを引き寄せあう引力だろうか。
この大雨が止むとき、すべての事件が解決する。そう信じるほかに、いまは希望がなかった。
間もなくナランチャと約束している場所に到着する。ワイパーを動かして合図を送ると、前方から同じように合図を送る人物が見えた。ナランチャだ。ナランチャはトラットリアの屋根の下で雨宿りをしていた。こちらに気がつくと、ナランチャは雨に濡れることに対して躊躇することなく駆け寄ってくる。自分に向かって開かれた助手席の扉をくぐり、急いで扉を閉めて席へ座った。
「ご苦労だった、ナランチャ」
「気にしないでくれよ」
雨粒を払ったナランチャであったが、助手席のシートが濡れた瞬間に、あッ、と声をあげる。
「やっべえ。の車なのに濡らしちまった……」
「ならその程度、気にしないで、と笑ってくれるさ」
「そうかなあ。……そうかも?」
「だが、彼女は怒ると中々に怖いぜ」
ナランチャはの怒った顔が想像できないのか。またそれが恐ろしいのか。肩を震わせた。
「謝りたいなら、直接会って謝らなくちゃあな」
「……うん、そうだな」
ブチャラティはハンドルを握りなおした。
「行こう、ブチャラティ。きっともエマってやつも、オレたちの助けを待ってるよ」
ブチャラティはアクセルを踏み、サンテルモ城へ向かう。ミスタから連絡をもらい、とエマがサンテルモ城にいるという情報を得たが、果たして彼女たちは、あの巨大な建物のどこにはいるのだろうか。
ブチャラティは以前、プライベートでサンテルモ城へ行ったことがある。ヴェロメの丘に建つサンテルモ城。遠方からの観光客はもちろん、ネアポリス市内でもあの建造物を訪れる者は多い。横からでは分からないが、空から見ると星型のような形をしている。歴史ある建造物としてはもちろんだが、展望台から眺めるネアポリスの景色は、とても綺麗なものだ。ネアポリスの街並みから海の向こうまでを眺めることのできる場所は、サンテルモ城と同じ景色を見ることのできるあの店だけだろう。
とあの店へ行く約束も、まだ果たせていない――。
ブチャラティは焦りつつある自身を落ち着かせた。
「ナランチャ、電話で話したものはあるか?」
「ああ、もちろんだぜ」
ナランチャが取り出したのは、これから向かうサンテルモ城内の地図だった。
「パソコンを使ったらバッチリ見つかったぜ。構造がややこしいから、線で区切っておいたよ」
「フーゴに入れ知恵されたか」
「うん。こうしたほうが、きっとブチャラティが読み取りやすいだろうからって言われた」
さすがはフーゴだ。昔から抜け目がない。
「人間を隠せるような場所はあるか?」
隣でナランチャの唸り声がする。「道はそこまで複雑じゃあない。かといって広くないわけでもない。展望台へは徒歩の他にもエレベーターがありますよ」
ナランチャの言うとおり、ブチャラティが以前訪れたときにも、展望台までは迷わずに行けた。高い城壁ということもあり、エレベーターがあったことも覚えている。
「ただ、ひとつ気になるところがあるんだ」
「気になる?」横目でナランチャを見る。
「開場時間が今日は一時間遅いんだよ。なんでも城内点検ってやつみたいでさ。いまはこんな時間だから開いてないだろうけど、朝なら一時間遅く開場する予定だったんだ」
城内点検、という言葉に引っ掛かった。
「ただの休憩部屋なんだけど、そこが今日一日だけ閉鎖されてる。それ以外は通常通りだよ」
ミスタは言っていた。城内の屋上に目印がある、と。
これは単なる偶然だろうか。それとも敵は予め、サンテルモ城で城内点検が行われることを事前に知っていたのだろうか。ミスタとアバッキオが交戦した敵の一人はスタンド使い。それならば、他の仲間たちもスタンド使いである可能性は大きい。なにより、ホテル内で隔離されていたフィオの姿に成りすましている人物がいた。能力は恐らく、対象の人物に化けられる能力だろう。
他にも気になることがある。ミスタから連絡をもらったあと、アバッキオから聞いた話だ。
敵の人数は、海で始末した者を含めて四人。一人は二年前に既に死亡しており、もう一人はいまどこでなにをしているのかさえ分からない。残るもう一人はブチャラティの考えが正しければ、先ほど挙げた『化けられる能力を持っている者』だろう。
そして敵は言った。本来ならば、二年前にを捕まえることができたはずだ、と。二年前といえば、ブチャラティがと行動を共にしていた時期だ。彼女とは四六時中いっしょにいたわけではないが、から身の危険を感じさせるような相談は受けたことはなかったし、行動を共にしているときも、彼女が襲われるような場面には遭遇したことがなかった。
この話をアバッキオから聞いたとき、ブチャラティは嫌な気分を覚えた。それがただの杞憂なのか、それとも憶測なのか。それは先に進めば分かるだろうと思った。
程なくしてブチャラティとナランチャを乗せた車は、サンテルモ城前で停車した。入り口まで歩き、入場券を購入するための小さな建物が見えた。現在は入場時間前ということもあり、周辺は客はおろか、警備員の姿も見られない。閉鎖されている扉をスティッキィ・フィンガーズで叩き、辺りを見渡してから、行こう、とブチャラティは呟く。ナランチャは既にエアロスミスを出していた。
城内を回り、発見したエレベーターのボタンを押してみるが、動く気配はない。どうやら起動していないようだ。二人は表の坂道から展望台へ上がることにした。
「滑るから気をつけろよ」
「うん」
展望台へと続く道は屋根がなく、ほとんど濡れて歩くしか手段はなかった。
たどり着いた展望台は、以前来たときと景色は変わっていない。ただ違うのは、空の色だけだ。今日は生憎の大雨でネアポリスは灰色に淀んでいた。こんな天気では、夜が明けてからの来訪者も少ないだろう。
「ナランチャ、反応はどうだ」
「展望台にはいくつか部屋があるみたいですが、いまのところは感知しないっす。せいぜい雨を浴びにきたカエルやネズミくらいだ」
「敵にはめられた、なんてことはないだろうな」
自分たちを欺くために、敵がわざと違う場所を口にしたのだろうか。しかし、無理やり口を割らせられているという状況で、咄嗟にこんな嘘を思いつけるだろうか。相手に口を割らせたのは、ミスタとアバッキオ。あの二人の拷問を受けて口を割らない人間は相当タフな性格だ。
もしくはどんな手段を使えども、絶対的な意思をもって口を割らなかったかのどちらかだ。その使命感には、ギャングであるブチャラティにも似たようなものを感じる。
似たようなものを感じる――?
そのときだ。足元でなにかが割れる音がした。何かと思って下を見てみたが、何もない。
「おいおい、誰だよ。こんなところに眼鏡置いてるのは」
ナランチャの足元にはレンズが既に割れ、フレームが外れている眼鏡があった。割れた音はナランチャが誤って踏みつけてしまったその眼鏡だったようだ。
「誰かの忘れ物かな。それとも落し物?」
でも、とナランチャが首を捻る。
「落し物なら警備員が拾ってるはずだよな。こういう建物は閉まったあとに見回りするだろ?」
「誰かが夜中に忍び込んだのかもしれん」
「あッ。じゃあこれは犯人の手がかりか?」
ナランチャが、ぐるぐると眼鏡を回して観察する。閉鎖時間の城内には明かりもなく、暗がりでよく見えなかったが、一瞬だけ眼鏡の形が見えた。
その眼鏡を見て、ブチャラティは先ほど感じ取った杞憂が、杞憂ではないことに気がついた。
――その眼鏡は、何度も目にしたことがある。
「ナランチャ、反対側に回るぞ」
「あッ、うん」
間違いない。たちはここにいるはずだ。この城内のどこかに必ずいる。
ナランチャが捜している場所とは反対方面へブチャラティは向かう。そこは雨宿りのできる小部屋が並んでおり、中へ入ると椅子が設置されている休憩室のような場所になっていた。この部屋から人間の気配は感じられない。ブチャラティは踵を返した。
他にも小さな部屋がいくつか並んでいるが、いずれもたちの姿はない。別の部屋を探していたナランチャと合流するが、彼はかぶりを振った。
――、いったいどこにいるんだ。
「あれ?」神妙な面持ちでナランチャが呟く。
「どうした、ナランチャ」
「この反応はネズミ、いや違うな。ネズミにして呼吸が不規則だ。でもこの点だけ動いてない」
ナランチャはレーダーを凝視している。
「一ヶ所に反応が二つ、いや……三つか? 一つは反応が小さくて人間なのか判らない……」
「どこからだ」
エアロスミスが遠くへ飛んでいく。
「ここから真っ直ぐ行った先。さっき話した一日だけ閉鎖されている部屋がある方角だッ」
ブチャラティとナランチャは駆け出した。
その時だ。一発の銃声が辺りに響き渡った。その銃声に二人は思わず立ち止まった。頭のなかで必死に思考を巡らせている間に、二つ目の銃声が続いて鳴った。
消えた、とナランチャがか細い声で言った。
なにが、とブチャラティは訊かなかった。
「三つのうち一つの反応が、いま……消えた」
ナランチャが言い終えたのと同時に、ブチャラティは銃声が聞こえたほうへ向かった。考えている余裕も、立ち止まっている暇も今は微塵にもなかった。
銃声の聞こえた場所は、閉鎖されている小さな部屋からだった。扉の前には『立入禁止』の札が立てられ、ドアノブを握らずとも鍵が掛かっていることは分かった。ブチャラティは息を殺しながらスティッキィ・フィンガーズで扉にジッパーを縫い付けた。部屋の中は真っ暗で、隙間からは何も見えない。
部屋の中に足を踏み入れると、何かを踏んだ。ジッパーで施された隙間、そして雨雲の隙間から僅かだが月の光が差し込んだ。ブチャラティの足元には、頭から血を流して倒れている老齢の男が一人。部屋の隅には両手足を縄で縛られたまま、気を失っているエマの姿。
そして目の前には、拳銃を片手に持ったまま、死体となった男を見つめているがいた。
ブチャラティは声が出なかった。
はブチャラティと目が合うと、まるで細い糸が切れたようにその場に倒れた。
ブチャラティの背後で、エアロスミスの反応がまた一つ、消えたような気がした。