ドリーム小説 73

 奇妙な呼び声で、アバッキオは目を覚ました。ぼんやりとしていた視界はやがて鮮明になり、自分が横たわっていることにようやく気がついた。
「気がついたか」ミスタが言った。
「ここはいったいどこだ?」
「さあな。オレもいまさっき目が覚めたが、ここがどこなのかさっぱり分からねえ」
 アバッキオは立ち上がり、辺りを見渡す。周辺は見渡す限り、一面が真っ白な世界だった。どこまでが壁なのか。どこまでが天井なのか。いま自分たちが足をつけている場所は果たして地面なのか。自分たちはまるで、真っ白なキャンバスの上に描かれた絵のようだ。
「あいつはどこへいった」
 アバッキオは辺りを警戒するが、真っ白な空間以外は何も塗りつぶされていない。
「オレたちの体も元に戻っている。ということは、この空間はあいつのスタンド能力か?」
「その通り」
 頭上からオドーレの声がし、アバッキオとミスタは見上げながらスタンドたちを発現させる。
「お前たちがいまいる場所は、オレのスタンドの体内といったところだろうか」
 今度は背後から声が聞こえた。勢いよく振り返ると、そこにはオドーレが胡坐をかいていた。
 ミスタはすかさずセックス・ピストルズで弾丸を撃ち込んだ。しかし弾丸はオドーレを撃ち抜くことはなく、どこまでも続く壁の向こうへ飛んでいってしまった。ミスタは慌ててピストルズたちを戻した。ナンバー6が戸惑いの声をあげている。
「残念だが、ここではオレへの攻撃は当たらない。スタンドの体内といえども、スタンド同士の攻撃も通用しない。この場で通用するのは、お前たちの判断力だけだ」
「判断力?」
 オドーレは立ち上がった。「この世は二者択一。これがオレの生き方だ。これからお前たちには、自分の大切なものを賭けて、この場所からの脱出ゲームをしてもらう。ルールは簡単だ。オレがいまから、お前たちが大切だと思っているものをこの場所に呼び出す。そのなかから本物を探し当てることができれば、お前たちの勝ちだ」
「オレたちの大切なもの?」
「二人同時の場合、本来なら二つのものを見つけ出してもらうことになるんだが、お前たちは非常に気が合うようだ。大切なものが共通しているなんて素晴らしいじゃあないか」
 オドーレは指先で軽快な音を鳴らした。真っ白だった空間に光がなくなり、アバッキオとミスタは小さく声を上げる。しかし光はすぐに元に戻り、目の前に立っていたオドーレの姿は消えていた。
 どこへいった――アバッキオは後ろへ振り返ると、そこにはひとつの扉があった。
 いつの間にこんな扉が。アバッキオが考えている間に、ドアノブが向こう側から回された。鈍い音を立てながら扉がこちらに向かって開かれる。扉の向こう側から現れた人物に、アバッキオは酷く驚いた。
「アバッキオ、どうしたんだ。そんな顔をして」
 扉から現れたのはブチャラティだった。身格好も声も顔もすべていっしょだ。思わず身構えていたスタンドを消そうと思ったが、すぐに違和感を覚えた。真っ白な空間に一つだけ存在していた扉は次々に増えていき、それらの扉からは一人ひとりブチャラティが出てくる。扉から現れてくるブチャラティたちは目の前に立っているブチャラティと身格好はほぼ変わらず、自分たちが日頃から接しているブローノ・ブチャラティそのものの動きをしている。
「それだけたくさんいると、気が滅入っちまうだろう」
 オドーレの声がどこからか響く。
「お前たちの目の前には、ちょうど百人の分身がいる。その中から本物を見つけ出すんだ。制限時間はこちらの世界での一時間。時間内に本物を見つけられなかった、もしくは最終的に残った分身が偽者だった場合、お前たちは一生その空間から出られることはできない」
 オドーレが一息ついたあと、二人は体内に不思議と本来の力が戻るような感覚を覚えた。
「オレがこの場所から離れた瞬間から、お前たちのスタンド能力を発揮できるようにした。本物以外は自らのスタンドで捌いていくんだ」
「捌くってことは、殺すってことか」ミスタが訊いた。
「そうだ。言っただろう、二者択一だと」
 アバッキオとミスタは固唾をのんだ。例え目の前にいるブチャラティたちが偽者だとしても、自分の上司を殺めるという行為は精神に響くものがある。最終的に本物を見つけ出したとき、自分たちの足元にはブチャラティの死体が転がっている。考えただけで、ぞっとする話だ。
 オドーレのスタンド能力が明らかになったところで、アバッキオとミスタは足を踏み出した。
「ひとつだけ忠告をしておこう」
「なんだよッ」ミスタが言った。
「お前たちが偽者たちをどう殺そうが勝手だが、本物は実際のブローノ・ブチャラティと繋がっている存在であることを忘れないことだ。誤って本物を撃ち抜いてみろ。それは同時にお前たちの負けとなり、彼の死となる。慎重に選ぶんだな」
 オドーレの声は次第に遠ざかっていき、再び真っ白な空間とブチャラティたちで支配された。
 アバッキオは腕時計を見た。しかし、秒針は止まっていた。どうやらこちらの世界では時間を把握することすら許されないようだ。裾を直し、ミスタと向き合う。
「どうするよ」ミスタが訊いた。
「恐らくだが、やつの言っていることは本当だ。オレたちが一回でも選択を間違えれば……」
 ブチャラティは死ぬ。自分はどんな理由で死んだのかさえ分からないまま、死んでしまう。
 これまで自分たちはブチャラティに命を預けてきた身であったが、それがまさか、こんな形で彼の命を背負うことになろうとは。
 上司である彼を死なすわけにはいかない。この思いは考えずとも当然のことだが、現在の状況を思えば、尚更彼の足を引っ張るわけにはいかない。ブチャラティは今もどこかで、大切なものを助け出すために駆けずり回っているはずだ。それはいま、自分たちにおかれている状況と変わらない。誰もが大切なもののために戦っているのだ。
「本物を見つけ出すったって、ここにいるブチャラティはみんな同じ格好じゃあねーか。こんな大勢のなかからどうやって本物を見つけ出せばいいんだ?」
 アバッキオは一考する。「見た目が同じでも、中身が全て同じとは限らないだろう」
「どういうことだ」
「ブチャラティが見境なく女に声を掛けて、たらしこむようなことをすると思うか?」
「そんなブチャラティ、見たくねえ……」
 「身格好が同じでも、この中には明らかに偽者だと思われるブチャラティがいるはずだ。まずは手分けして簡単な質問で的を絞っていこう。オレたちならきっと判る」
「ヴァ・ベーネ」
「五人まで絞ったら、またここに集まろう」
 話し合った結果、アバッキオとミスタは二手に分かれてブチャラティたちを捌くことにした。
 アバッキオはまず、数人のブチャラティを集め、本物のブチャラティなら答えられて当然だろうという質問から投げかけた。
 普段から聴いているアーティスト。自分が気に入っているリストランテの名前。
 ピッツェリアの店主の腹の大きさ。花屋で働いている娘の名前と、恋人の有無。
 好きな料理。苦手な料理。
 ナランチャがこれまでに割った皿の枚数。
 ミスタがサッカー観戦中に興奮した結果、コーラをテレビにぶちまけたときのフーゴの反応。
 五人で食事を進めているなか、フーゴから『近所で美人と噂の彼女が、ブチャラティのことを好きだと言っていましたよ』と言われたとき、ブチャラティはなんと答えたか。
「そんなことを言われたのか」
「ああいう女は嫌いなんだ。断っておいてくれ」
「彼女とは会って話がしてみたいものだな」
 四人中、三人のブチャラティは以上に述べ、残った四人目のブチャラティはこう言った。
「フーゴ、そういうものは他人が言うもんじゃあない。彼女の口から聴くべきだろう」
 アバッキオは、最初の三人をムーディー・ブルースの拳で殴って気絶させた。その場に倒れた分身に、残ったブチャラティは見向きもしていない。
 絞り込む過程で気づいたことがある。これまでに捌いてきたブチャラティたちは、どうやら自分たちの目にしか見えていないようだ。今のように目の前で分身を気絶させても、残ったブチャラティはまるで見えていないという素振りをとっている。恐らくだが、百人のブチャラティは自身こそが本物だという念を強く抱いているため、他の姿が見えていないのだろう。
 アバッキオは残ったブチャラティに端へ避けてもらうように頼み、次の輪へ向かった。
 間もなく四十五分が経とうという頃、ついにアバッキオは五人まで絞り込むことに成功した。ミスタと合流する前に再度確認を行い、五人のブチャラティを連れて元の場所へ向かう。そこには既に五人のブチャラティを連れて待っているミスタの姿があった。
「終わったのか」アバッキオが訊いた。
「ああ、意外と楽だったぜ」
「こっちもそうだ」
 アバッキオとミスタは互いに口角を上げた。
「これで十人だ。ここから更に絞っていくことになる。ミスタ、お前はどうやって絞った?」
「簡単な質問に答えてもらった。あとはスタンドが出せるか出せないか。ここにいる五人は全員スタンドが出せるし、同じ質問に同じ答えを出したブチャラティだ」
「だったら、まだオレたちが訊いていない質問に答えてもらうしかないな」
 とは言ったものの。これまでに訊いた質問で、ほとんど使い果たしてしまった。アバッキオはブチャラティと共に過ごしてきた時間のなかで、印象に残っている出来事を忘れたことはない。どんなに些細なことでも覚えているつもりだが、それらを全て訊いた上での五人だ。
 ミスタはどうだ。チームでは新入りだが、ブチャラティだと判別できる方法を思いつくだろうか。
 アバッキオが悩んでいるときだ。ミスタが拳で手のひらを叩いた。
 何か思いついたのだろうか。ミスタは並んでいるブチャラティたちの前に立ち、こう訊ねた。
「なあ、ブチャラティ」
「なんだ、ミスタ」
「チームのなかで一番女にモテるのは誰だと思う?」
 この質問は、最近どこかで聞いた。そうだ。の登場パーティの際に、ミスタの発言を発端に起こった争いごとだ。最終的にブチャラティを除いた四人で決めてもらうことになったのだが、の曖昧な結果でおざなりになってしまったことを思い出す。
 ミスタからの問いに、右から順番に答えていく。なかには悩んで答えが出ない者もいる。明らかにブチャラティとは思えない回答をした者をミスタのピストルで始末し、他のブチャラティは悩むどころか、黙り込んでいる、という様子だ。
「右側の四人が黙るっていうことは、どういう解釈がとれると思う?」アバッキオが訊いた。
「え? そりゃあ言えないから黙ってるんだろ」
「言えない? それは違うぜ。ブチャラティは言わなくてもいいことは言わない男だ。黙ってるのは、言えないからじゃあない。言わなくてもいいから黙ってるんだ」
「言わなくてもいいこと? ……まさか」
 ミスタが口にする前に、アバッキオが制した。十人から六人まで絞り込み、質問を続ける。
 いまのミスタの行動で、手段の枠が増えた。なにもこれまでの記憶を辿ったことを質問すればいいだけではない。ブチャラティならこうする・こう答えるだろうといった、自分たちが今まで見てきたブチャラティと重ね合わせていけばいいのだ。
 この場所に召喚されたブチャラティたちは、現時点でのブチャラティの姿のはずだ。それならば、今のブチャラティが持っているはずのものを持っていなければ、それは偽者ということになる。
「ブチャラティ、桜のピアスは持っているか?」
「桜のピアス? なんのことだ」
 アバッキオの質問に、六人のうち、三人が首を傾げた。ミスタがその三人を撃ち殺す。
 残るは三人。これまで幾多の質問を訊いてきたが、どれも本物と思えるほどよくできている。
 他に何か本物だと判る手段はないか。アバッキオが思考を巡らせているとき、再びミスタが訊いた。
「そういや、ブチャラティ。そのブローチどうした?」
「ブローチ?」
「ほら、スーツの襟元につけてるだろ」
 ミスタが指差したのは、ブチャラティの襟元に着けられているハートのブローチだった。
「ああ、これか」
 一人のブチャラティが言った。
「これはからもらったんだ」
「へえ、さんからねえ。随分綺麗なブローチじゃあねえか。気がつかなかったぜ」
「お前にはまだ言っていなかったからな」
 アバッキオは、はっとした。
「おいミスタ。そいつは偽者だ」
「偽者? おいおい、マジなのかよ」
「ああ。オレを信じろ」
「ヴァ・ベーネ」
 ミスタはピストルでブチャラティを撃った。
「で? どうして偽者だって判ったんだ」
「それはオレの口からは言えない」
「はあ? なんだよそれッ」
「ここを出てから、ブチャラティ本人に訊けばいいさ」
 ブチャラティが身に付けているハートのブローチは、間違いなくからもらったものだ。先ほどの偽者が言っていることに誤りはない。
 しかし本物のブチャラティであれば、そう簡単には教えないはずだ。本人が言っていたのだ。このことはミスタたちには伏せておいてくれないか、と。そのことを知っているのは、あの場で聞いていたアバッキオ一人だけだった。
 残るは二人。まさに二者択一。この二人のうちどちらかが本物で偽者である。これまでどんな質問にもほぼ同じ回答を並べてきた二人に、最後に訊けるものはなんだ。確実に本物だと判別できる方法はいったいなにか。
「アバッキオ、なにか思いついたか?」
「そういうお前はどうなんだよ」
「質問を質問で返すなよ」
「その様子だと、なにも思いついてねえな」
「その言葉、そのままそっくり返すぜ。先輩」
 アバッキオは頭を掻きむしった。
 もう時間がない――そう思ったときだ。アバッキオのなかで大きな変化が訪れた。それは言葉で言い表すには少し難しい衝撃だった。
 どうしてオレたちはこれを訊かなかったのだろう。誰もが気になっていることじゃあないか。
「これが最後の質問だ」
「アバッキオ?」
「ブチャラティ。あんたはをどう思ってる?」
 二人のブチャラティは一瞬だけ目を見開いたあと、視線を横へ逸らした。ここまで残った二人なのだ。同じような反応をとるだろうということには予想がついていた。
 しばらくの沈黙が続く。残りの時間がないと解っていながらも、アバッキオとミスタは答えを急かすようなことは一切しなかった。ただ二人の答えを静かに待った。
 期待でもない、不安でもない。ブチャラティが何と答えようが、偽者だと思ったブチャラティを消す。そのことだけがアバッキオの思考を支配していた。
「オレは……」
 一人目のブチャラティが先に口を開いた。
のことが好きだ。友人としても、女としても。これからも傍にいたいと思える人なんだ」
 アバッキオとミスタは二人目のほうへ視線をやる。
「好きだ。この世界の誰よりも」
 二人の言葉を聞き、アバッキオとミスタは胸に溜まった息を吐いた。アバッキオはスタンドをしまい、携えていた拳銃を構えた。ミスタは帽子の隙間から弾丸を補充してから、アバッキオと並ぶようにピストルを構える。
「ミスタ。お前、判ってるな」
「確かにお前と比べたら、オレはあの人との時間は短いかも知れねーが、これは判る」
「ならいい。オレたちの答えは決まった」
 セーフティーバーを外し、引き金に指を掛ける。
「偽者はお前だ」
 アバッキオの合図で、二人は同時に引き金を引いた。

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