ドリーム小説 72

 アバッキオとミスタを乗せた車は、間もなくネアポリス駅前を通過していた。男(ムーディー・ブルースが変化した姿)は、ホテルから離れた場所に駐車していた車を利用し、今も尚、アバッキオたちの前を走り続けている。
 赤信号に捕まり、車と同時にスタンドも停止させる。この大雨のなか、夜の街を歩いている者は少なく、横断歩道を渡っている歩行者もいない。律儀に待つことはなく、信号無視をしてもいいじゃあないか、とミスタが横槍を入れるが、アバッキオはそれを許すことができなかった。
「いったいやつはどこへ向かってるんだ」
「これまで身元が判明しなかった相手だ。どこか人目のつかない場所へ向かうんだろう」
「気絶させたさんを拉致して、か」
 ミスタの言葉にアバッキオは数十分前のことを思い出していた。フーゴと共に部屋を去っていったブチャラティを見送ったあと、ムーディー・ブルースで詳しい調査を進めた結果、スタンド対象を男からに変更したことで判明したことが一つだけあった。
 は男からの条件をのむ前に、腹を強打されて気絶させられてしまっていた。恐らく彼女の腹を殴り、気絶させた人物は、目の前の車を運転している男だろう。それから気絶したをトランクケースの中にしまい、男は部屋を後にした。つまり、拉致されたわけだ。
「しっかし、オレたちが追っている男はフツーじゃあなかったな。制服を食い破るなんてよォ」
「ああ見えて健啖家なんじゃあねーか」
「何事にも度合いってのがあるだろ」
「まあ、確かにな」
「ブチャラティも、かなりキレてたな」
 アバッキオは横目でミスタを見やる。
「正直、オレも殴られるんじゃあねえかと思ってひやひやしたぜ。あの人があんな風に感情をむき出しにして怒るってのも珍しいよなあ」
「どんなに強靭な性格をしているブチャラティでも、たった一人の大事な女のことになれば、冷静でいられなくなっちまうんだろうさ」
 信号が青へ変わり、アバッキオは再生を続ける。男を乗せた車は十字路で右折した。この先はサンタルチア港だ。現在は大雨の影響で波も高くなっているとラジオで情報を聴いた。追跡を続けていると、やはり敵は港へ出た。コンテナが並んでいる裏手のほうへ回り、車が停止する。助手席からなにかを抱える動きが見えた。胸の前で両腕を突き出している様子を見る限りでは、どうやらとエマを詰め込んでいるトランクケースを抱えているようだ。
 男はトランクケースを引きながら海沿いへ向かう。アバッキオとミスタはその動きを車内で観察する。アバッキオとミスタがひとつの瞬きをした瞬間、男は激しい波を立てているネアポリスの海へ向かって、引いてきたトランクケースを投げ出したのだ。
 その光景を見ていたアバッキオとミスタは、大雨にも関わらず車を飛び出した。トランクケースは荒波に浚われていくかと思ったが、そんなことはなかった。
 まるで空に風の道があるかのように、北の空へ飛んでいってしまったのだ。
「オイオイオイッ。まるでシュバシコウが赤ん坊を運ぶみてーに飛んでいっちまったぞ!」ミスタが飛んでいった方角を指差しながら言う。
「いや、いま投げ捨てられたのがトランクケースだと決まったわけじゃない。やつはいったいなにを投げた? もしではないとすれば、はいったいどこだ」
 ムーディー・ブルースは同時に複数の過去を見ることはできない。その場にたちがいるのかいないのか。それを見極めるためには、今後の男の言動が鍵となる。
 北の空へ飛んでいったトランクケースを仰ぎ見たあと、男は腕時計を確認した。
(もうこんな時間か。そろそろバンビーノが我々の行動に気づいてしまうかもしれないな)
 しかし、と男は腕時計から海のほうへ視線を移す。
(直に大雨が来る。オレの大好きな天気だ。もうしばらくここにいさせてもらうとしよう)
「アバッキオ」
 そのときだ。ミスタが携えていたピストルを構え、コンテナの陰に向かって発砲した。弾は惜しくもコンテナの角を掠ったが、その裏から人影が見えた。アバッキオは男に変化させていたムーディー・ブルースを戻し、ミスタはピストルに銃弾を補充する。
 コンテナの陰から出てきたのは、先ほどまでムーディー・ブルースが姿を変えていた男だった。男はから拝借した服をきたまま、青い傘を差している。
「こんな雨の中に客人か」男が言った。
「てめえ、何者だ」
 アバッキオの問いに、男は歩み寄ってくる。
「それ以上迂闊に近づくんじゃあねーぜ。一歩進むたびに、てめえに弾をブチ込んでやる」
「やめてくれよ、タマだなんて。下品なやつだな」
 男は胸の前で手を振り、一笑する。
「それにしても、やはりこの街にもオレと同じ能力を持っている者がいたんだな。過去の記憶をそのまま再現できる能力……実に興味深い力だ」
「同じ能力だと?」
「見ていたんだ、きみの能力を。オレの過去の行動をビデオのように再生したな」
 スタンドが見えている――ということは。
「思ったとおりだ。てめえ、やはりスタンド使いかッ」ミスタはピストルを強く構えた。
「なるほど。その力は『スタンド』というのか。スタンドには匂いというものがあるのかな」
 ミスタの忠告を一向に聞かず、男は歩み寄る。ミスタは予告通りに引き金を引いた。しかし男は手に持っていた傘の柄の部分を器用に回し、銃弾を払いのけた。
「オレの名前はオドーレ。オレは人や動物、この世の全ての匂いを嗅ぐことが趣味なんだ。特に生花やいい女の匂いには滅法弱くてね。どうかお近づきの印に、お前たちの匂いを嗅がせてはくれないだろうか。なあに、減るもんじゃあない。ただ鼻をかすめる程度さ」
 を連れ去った男は、自らをオドーレと名乗った。オドーレはまるで、メジャー観戦の際に登場するチアリーディングのバトン捌きのように傘を持ち直す。ピストルを構えているミスタを見送ったあと、まずはアバッキオの体に近づき、すんすんと鼻先を動かした。
「んん~~。きみは几帳面な方だ。毎日シャワーで綺麗に体を洗い流している。それに良いシャンプーも使っているね。成人男性になってから増加傾向にある角質から出てくる脂質も少ない。アポクリン腺という言葉を聞いたことはないか? 中年が気にしている体臭というものは、このアポクリン腺が主な原因なんだ。きみは比較的、その成分が出ていないようだ。実に好ましい」
 本来ならば、こんな気色の悪い人間を見た瞬間に殴りを入れているところだ。しかしアバッキオはオドーレの変わった言動に、どんな反応を示すべきなのか当惑していた。ただ自分の匂いを嗅がれ、聞いたことのない単語で説明されても反応に困る。
 オドーレは続いてミスタのほうへ向かう。ミスタは依然としてピストルを構えたまま、警戒心を解かない。自分にピストルが向けられていることにも関わらず、オドーレはミスタの体に鼻を近づける。鼻を動かしたのと同時に、オドーレは、うぐおうあッ、と不思議な胴間声を張り上げた。両手で鼻を押さえ込み、その場で不気味なダンスを踊るようによろける。
 その隙を見て、ミスタが銃弾を撃ち込んだ。肩口を撃ち抜かれたオドーレが、その場に倒れる
「なんだ、こいつ。急に変な声をあげて……」
「……デット」
「あ?」ミスタの眉が、ぴくりと上がる
「マレデット、マレデットッ。コイツ、若いくせしてなんて忌々しい臭いなんだ! こんな臭いな男がこの世に存在していいというのかッ?」
 オドーレは悶えながらも、撃たれた肩口を押さえて立ち上がった。先ほどまでのうっとりとした笑みとは裏腹に、まるで道端で犬の糞を踏みつけた挙げ句、上から鳥の糞が落ちてきたときのような怒りの形相をしている。
「鼻がッ。鼻が、曲がりそうだ……!」
 オドーレは、うぐうおお、と雄たけびを続ける。
「貴様、許さん。許さんぞ!」
「な、なんだってんだよ。テメーはッ」
「貴様だけは絶対に許さん。オレにこんな臭いを嗅がせやがって、このド腐れ野郎がッ!」
 逆上したオドーレは自らのスタンドを発動させた。オドーレのスタンドは人型をしており、胸元にはラジカセのようなものが埋め込まれている。
 ミスタとアバッキオは自らのスタンドを繰り出した。スタンドを発動させたオドーレ。そのスタンド能力がこちら側にどんな影響を及ぼすのか、まだ判明はできていない。ミスタとアバッキオは無闇に攻撃を繰り出すより、敵のスタンド能力を見極めることが先決だと判断し、ひとまずオドーレから距離をおいた。コンテナの陰に隠れながら、ミスタはセックス・ピストルズに食事を与え、アバッキオは興奮気味であるオドーレの様子を窺っている。
「相当お前の臭いが癇に障ったらしいな」
「そんなこと言われても知らねーっつのッ」
 アバッキオは懐から拳銃を取り出した。ミスタが所持しているリボルバーとは異なる型だ。
「アバッキオ。お前、銃なんて持ってたのか」
「ああ。お前が持ってるピストルのように高い機動性や威力はないが、命中率はそこそこだ」
 慣れた手つきで弾倉を差し込むアバッキオに、ミスタは深いため息をこぼす。
「おいおい、勘弁してくれよ。オレは拳銃の腕を見込まれて、ブチャラティから組織に勧誘されたんだぜ。同じようなやつがいっしょだと霞んじまうだろーがッ」
「だったら上手いこと当ててくれよ、後輩」
 徐々にオドーレが大声を上げ始めた。好ましくない臭いが相当応えているようだ。アバッキオが陰からオドーレの様子を窺うと、前方から一枚のディスクが飛んできた。アバッキオは寸でのところでディスクを受け止め、銀色のディスクに映り込んだ自身の顔と目が合う。
「これは……。やつのスタンドが投げたのか? まさかこんなものが武器だっていうのか」
 アバッキオがディスクから目を離した。
(いいや、それは違うね)
「え?」
「あ?」
 ミスタとアバッキオは顔を見合わせる。
「アバッキオ、いまお前が言ったんだろ」
 アバッキオはかぶりを振る。「いや、オレは何も言っちゃあいねーぞ。雨の音だろう」
(そうだ。言ったのはオレさ、ミスタ。お前の言っていることは正しいぜ)
「なんだ?」
 アバッキオは片手で自身の口を覆った。口を開いてもいないのに、自分の声が聞こえる。飲み会の一発芸のために腹話術を練習していたわけもなく、ミスタがふざけてアバッキオを真似ているわけでもない。
(こっちだよ)
 声が聞こえたのは、アバッキオが持っているディスクからだった。もう一枚のディスクがミスタの足元に落ちてくる。ミスタはそれを拾い上げようとした。
「待て、ミスタ。そいつを拾うなッ」
 アバッキオの言葉も虚しく、ミスタは既にディスクを手に取ってしまっていた。それと同時にアバッキオとミスタの指先がビテオテープのように黒い帯となる。
「な、なんだ、これは……」
「オレたちの体が……!」
 指先から始まった変化は、徐々に体全体に回っていく。螺旋を描きながら二人の体は黒い帯へ変化を遂げ、それぞれのディスクの中へ吸い込まれてしまった。
 ディスクの中に閉じ込められた二人を、オドーレが拾い上げる。アバッキオとミスタからの視点では、まるで窓ガラス越しに相手の顔を眺めているような感覚に近かった。
「どうだ? 円盤の中に閉じ込められる気分は」オドーレは憎たらしい顔で言った。
 アバッキオはムーディー・ブルースで空間を叩くが、びくりともしない。恐らく、自分と同じようにディスクの中へ飛び込められたミスタも、セックス・ピストルズで円盤から抜け出そうと試みているだろう。ディスクの中にいるせいか。ミスタの声は聞こえず、行動が確認できない。
「最近になって気がついたんだ。自分にこんな能力があることに。しかし、オレの能力はディスクとなったお前たちをラジカセにかけ、コーヒーカップのように目を回そうなんて可愛いもんじゃあない」
 オドーレは自らのスタンドに埋め込まれているラジカセの蓋を開け、アバッキオとミスタが閉じ込められているディスクを重ねてセットした。蓋を閉じたのと同時に、電源の入ったラジカセの液晶表示部が青白く光る。
「なるほど。お前たちのお気に入りはこれか」
 自らがディスクとしてラジカセにセットされたアバッキオとミスタは、回転するディスクの眩暈にやられ、床なのかも分からない地面へ静かに倒れた。

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