ドリーム小説 【二冊目(が持っていた)の日記】

『日付:××月○○日
 部屋の奥から使っていないノートを発見した。久しぶりになるが、日記を残すこととする。
 妻と暮らしていた家を飛び出し、彼から設けられた場所に住み着いてからは、まるで自分が透明人間になったように人と話さなくなった。最後に会話を交わしたのはいつなのか、相手が誰であったか。それすら思い出せない。
 これも彼の計らいなのか。真意は分からないが、いまのわたしには一人が似合う……』

『日付:××月○○日
 あの恐ろしい依頼を受けてから何年が経っただろう。母国を離れ、イタリアで最愛の妻と幸せな家庭を築くはずが、まさかこんなことになるとは微塵にも思わなかった。
 すべてはヤツらと、弱い心を持ったわたしのせいだ。ヤツらはいったい、なんのためにこんなものをわたしに作らせようと思ったのだろうか。いや、こんなものを作っているわたしも大概頭の可笑しい人間なのだろう。
 一週間前から数字を見続けたせいか、いま自分がなにを書いているのかさえ分からない。
 今日はもう寝よう。外はもうすぐ夕方だ』

『SS-01について:
 白鳥の細胞を利用した恐ろしき殺人道具だ。主な症状は発熱、嘔吐、眩暈、幻覚である。
 短くて一日、長くて三日に渡って以上の症状に襲われ、死に至らせる。遺体解剖をしても、現在の医療技術では死因を特定することは不可能となっている。
 用途としては飲み水の中に入れたり、料理の中に忍ばせたりすることもできる。
 わたしの妻はSS-01を投与され、生まれたばかりの娘を連れて家を逃げ出した。
 続く』

『SS-02について:
 胎内感染によって産まれてきた胎児のみに発症する。オリジナルとは異なり、体内にウイルスが潜伏してもすぐに発症はしない。体内の免疫力によって異なるが、発熱や眩暈などが襲うときもあるが、命に別状はない。
 しかし調査の結果、以下のことが判明した。
 胎児は生まれてからちょうど二十年を境に、体内に潜伏していたウイルスが陽動し、そこで最初の発作が起こる。最初の発作はすぐに止むが、徐々にウイルスが進行しはじめ、短時間で死に至る場合がある。
 わたしの知る限りでの感染者は、わたしの娘になる。
 現在の医療技術では、オリジナルと同様、死因を特定することは不可能。
 だが、治せないことはない。解毒剤があれは……。
 誕生日:一九八一年、三月二十一日』

『日付:××月○○日
 最近になって不気味な事件を耳にするようになった。死因不明の遺体がイタリア各地で発見されているのだという。わたしの考えが正しければ、原因はあの薬だろう。
 誰が使っているのか。誰が売っているのか。それを他言することは今回の契約に反する。
 わたしはただ、身を潜めていればいい。誰にも気づかれず、誰とも会話を交わすこともなく。
 わたしは妻と約束をしたのだ。必ず娘を助けると。そのためにわたしはここにいるのだから』

『日付:××月○○日
 しばらく彼と会っていない。連絡も取っていないが、彼は果たしてどこにいるのだろうか。
 会っていないといえば、わたしもここに住み着いてから我が家に帰っていない。あまり気は進まないが、久しぶりに戻ってみるのもいいかもしれない。もしかすると、ご近所さんたちが困っているかもしれない。
 けれど、決して姿を晒すようなことはしてはいけない。彼との約束を裏切ることになる』

『日付:××月○○日
 先日、久しぶりに我が家に戻ったが、家の中は既に荒らされている形跡があった。思い出の詰まった家具は全て売り払われてしまったのだろうか。何も残っていなかった。
 犯人はヤツらなのか。それとも空き巣か。できれば後者のほうがわたしは助かる』

『日付:××月○○日
 あれから随分と時間が経過したが、妻は娘を無事に連れ出すことができただろうか。
 妻は『当てがある』と言っていたが、彼女の当てといえばやはり故郷にいるのだろう。しかしあの身体のまま飛行機に乗ることはできないはずだ。
 立派な名前もつけてあげられずに、こんなことに巻き込んでしまったわたしたちを、娘はどう思うだろうか。自分の身に迫っている危機にも気づかず、一人で生きていることを思うと胸が苦しい。もしも生き延びていれば、酒が飲める歳になっているのか……』

『日付:××月○○日
 時間がかかったが、ようやく解毒剤が完成した。これであとは娘の発見を待つだけだ。
 彼――ラディーチェは娘を見つけ出せるのだろうか。
 そういえば、彼にも娘がいるらしい。詳しいことは知らないが、きっと可愛らしいのだろう。
 わたしの娘も立派に育っていれば、妻に似て綺麗な顔立ちのはずだ。父親がこんなことを言うのはおかしいが、できることならば、わたしには似ないでほしい。わたしは鼻が少し丸いからな……』

『日付:××月○○日
 娘が生きている、という連絡が届いた。詳しい素性は聞かされなかったが、現在ではという名前で暮らしているのだそうだ。
 といえば、妻の妹の名前と同じだ。その妹は数年前に海外旅行へ行ったまま音信不通と聞いたが、現在はどこでなにをしているのだろうか。妻が酷く心配していた。
 そして妻の遺体はどこへ運ばれたのだろうか。わたしには知らないことばかりだ……。
 一刻も早く解毒剤を届けたい。ウイルスが陽動し始めてからでは、解毒剤の効き目はなくなってしまう。娘を妻の二の舞にするわけにはいかない』

『日付:××月○○日
 完成した解毒剤を渡すために、ネアポリスで落ち合うことになった。あとから届いた手紙で詳しい場所を教えてもらった。地図で住所を見る限り、現在は使われていない古い倉庫のようだ。相変わらず用心深いな、と思った。
 時間は午前三時。朝は苦手だが、解毒剤を渡すためだ。これくらいどうということではない。
 妻から子供ができた、という知らせを聞いた頃の気持ちに戻りたくて、数年前に吸っていた煙草を吸ってみた。なつかしい味と共に、妻と過ごした日々が蘇り、思わず涙がこぼれた』

『これまでの日記はすべて自宅へ残しておくことにした。これからネアポリスへ向かう。
 ネアポリスか……。ネアポリスといえば、こんなことわざがあるらしい。
 “ネアポリスを見てから死ね”……まさかな』

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