「敵がもう既にこの街に潜んでるだってッ?」
ミスタの声がアジトに響き渡り、ミスタは咄嗟に大口を両手で塞いだ。
フーゴが険しい顔つきで口を動かす。ミスタのように声には出さなかったが口の動きで馬鹿、と言っているのがブチャラティから見て分かった。
ブチャラティは、酒の酔いから醒めたフーゴ、ナランチャ、ミスタと向き合っている。アバッキオには既に事情を伝えているため、彼は離れた場所で片耳だけにヘッドフォンを当てながら、こちらの会話を聞いているようだった。
「一時間前に、ポルポから連絡が入ったんだ」ブチャラティは冷静に言った。
「相手の身元は分かっているんですか?」フーゴが頬に汗を流しながら訊いた。
「それはまだ分かっていない。一部の目撃証言では男女の二人組と聞いているが、それが正確な情報とも限らん。先入観は捨てたほうがいい」
「でもよォ。相手の正体がわからねーってのに、どうしてこの街に潜んでるって気がついたんだ?」ミスタが腕を組みながら首を傾げる。
「最後にローマが襲われてから数週間。短期間でイタリア北部から南下してきた相手が、忽然と動きを止めている。一時はネアポリスに狙いがなかったという考えも挙がっていたそうだが、それを逆手に捉えたんだろう。相手の狙いがここにあるからこそ、その時を待っているのだと」
これまでの相手の行動を考えれば、敵の目的は特定の場所に保管されている情報を盗み取ることだ。その行動と現在の潜伏にどんな繋がりがあるのかさえ分かれば、ブチャラティたちも次の行動に移せるのだが、こういうときに明確な情報が見つからないものだ。
ここまで身元を隠し通している相手は果たして何者なのか。スタンド使いなのか。それとも既に自分たちと接触している人物なのだろうか。答えを急いではならないが、こうして目に見えぬ場所で相手が既にどこかで行動を起こしているかもしれない。そう思うと、緊張が走る。それはこの場にいる全員が肌で感じていることだ。
ブチャラティが膝の上で組んでいる手を解いたときだ。ソファーに寝転んでいたアバッキオが勢いよく立ち上がった。その衝撃でヘッドフォンが床に転がる。
「どうしたんだ、アバッキオ」フーゴが言った。
「あの女、ようやく本性見せやがった」
「え?」
「ブチャラティ。あんたはここを動くな」
突然おかしなことを言い出したアバッキオに対し、ブチャラティはもちろんのこと、その場にいる他の三人も不審な眼差しを彼へ送っている。
しかし、アバッキオは注がれている視線を気にする素振りを見せず、かといって何かを言うわけでもなく。床に転がったヘッドフォンを掛け直す。繋いでいる音楽プレイヤーのボタンを操作してから、彼は最後まで何も言わずにアジトから姿を消した。ブチャラティは何か声をかけようと思ったが、どうしてなのか。それができなかった。
不思議な空気に包まれたアジト。ブチャラティが、話は以上だ、と伝えると、フーゴたちは昨夜まで浮かれていた表情に気を引き締めて解散する。ミスタは拳銃の整備を。ナランチャはフーゴと協力し、ネアポリスに潜伏していると思われる場所を考えている。
ブチャラティは携帯電話を取り出した。メールを新規作成し、送信相手にを選ぶ。
『土曜日までは無闇に出歩かないでくれ。もしどうしても用事があるのなら、連絡してほしい』
慣れないメール文章を打ち込み、送信する。いまの行動での安全が保障されたわけではないが、少なくともこれから起こりえる危険から身を守ることはできるはずだ。
それに彼女も柔な女ではない。いざというときは自分の身を守れるほどの力は備わっている。
できることならば――彼女のことを守ってやりたい。他の誰かに任せられるはずもない。
守るものが増えすぎた。それはブチャラティにとって糧であり、大きな弱点でもあった。