とは会場に入ってすぐに別れた。主役である彼女が不在のまま進行していた会場の隅では、ホテルの従業員に看護を受けているミスタの姿があった。どうやらひとしきり暴れた後に倒れてしまったようだ。
倒れているミスタを一見してからテーブルへ向かう途中で、アバッキオと目が合った。
「よお、ブチャラティ。と二人でこっそり会場を抜け出して、いったいなにしてたんだ」
「妙なことを考えても無駄だぜ」
「まあ、別にいいけどよ」
アバッキオは歩き出そうとした足を止めた。
「おい、ブチャラティ。あれを見ろ」
アバッキオが顎で指したほうを向けば、本屋の親父がエマに声をかけている姿が見えた。エマはオレンジジュースの入っているグラスを置き、先ほど挨拶だけを交わした親父に、軽く会釈をしている。
最初はパーティの雰囲気に呑まれて陽気だったエマだったが、親父と話を進めていくうちに、みるみる表情を変えていく。愉快な会話を楽しんでいる者とは裏腹に、彼らの周りに緊迫した空気が漂い始めているのが遠くからでも感じ取れる。
ふと、先ほどの会話を思い出す。いままで本屋のボケ親父を演じ、他人に一切興味を示さなかった彼が、エマには珍しい反応を表していた。エマの詳しい生い立ちは不詳だが、彼女が花屋の看板娘になる前、花屋の店主が彼女を引き取って働かせているという話も聞いたことがある。
もしかすると――。
今はどちらにも声をかけないほうがいいと悟り、ブチャラティはアバッキオを連れてテーブルへ戻った。そこにはフーゴとナランチャがいた。
「ああ、ブチャラティ。どこへ行っていたんですか。ミスタが暴れて大変だったですよ」
「すまない。ちょっと風に当たっていたんだ」
テーブルには済んだ料理が取り下げられ、ケーキ皿と食後のドルチェの準備が進められていた。
パーティ会場のステージには、招待客からプレゼントを受け取っているの姿がある。小さな箱から大きな箱まで。持ちきれないプレゼントは傍に立っているホテルマンに預けられ、プレゼントを受け取りながらは一人ひとりに丁寧に言葉を交わしている。
「それにしても、さんへのプレゼントがドレスだとは思いませんでした。思い切りましたね」
「プレゼント?」ブチャラティが首を傾げる。
「え? さんが今日着ているドレスは、ブチャラティが差し上げたんじゃあないんですか」
「確かにあのドレスはオレがあげたものだが、あれはオレが彼女に着てもらいたいと準備したものであって、今回の誕生日プレゼントじゃあないぜ」
ブチャラティの言葉にフーゴが驚愕の声を上げた。
「じゃあ、ブチャラティはさんにいったいなにをプレゼントするつもりなんです?」
「それは、これだ」
ブチャラティは人差し指を口に当てた。
「言っただろう。お前たちと被ることはないと。それにここで話してしまえば、を驚かせることができない」
「自信のほうはあるんですか?」
フーゴの質問に、ブチャラティは唇を舐めた。
「二年間、待ったからな」
「二年間?」
フーゴから聞き返されたが、答える前にパーティ会場に動きがあった。ステージ上で招待客からプレゼントを受け取り終えたがスタンドマイクの前に立った。
「皆様からのプレゼントを受け取らせていただきました。ありがとうございます。ささやかですが、感謝の意を込めて、わたくしから皆様へ贈り物がございます。これから順番にお渡しいたしますので、どうぞお納めください」
の言葉にパーティ会場がざわついた。ステージから下りたは、大きな箱を持ちながら順番にテーブルを周りはじめた。ホテルの従業員二人が彼女に付き添い、なにやら小さな包み紙を手渡している。大人から子供まで。背の小さな子供には身を屈ませ、目線を合わせて頭を撫でるところは出会った当初とまったく変わらない。
しばらくして、がブチャラティたちの集まっているテーブルへやって来た。
「みなさん、おひとつずつどうぞ」
ホテルの従業員が抱えている箱から取り出されたのは、さきほど見えた小さな包み紙だ。遠くからでは見えなかったが、中身は花の形をした桃色の焼き菓子だった。花びらの一枚一枚にチョコレートペンシルで縁取りが描かれ、二枚重ねになっている。
この花は何度か見たことがある。今日はの耳に飾られていないが、以前ブチャラティが彼女に贈った桜の花だ。そしてホテル・ラ・ヴィータのオブジェでもある。
フーゴから順番に焼き菓子の入った包み紙を受け取る。菓子好きのナランチャにはたまらないだろう。アバッキオまで手渡されたところで、はきょろきょろと辺りを見渡した。どうやらミスタを探しているようだ。
「ミスタを探してるのか?」アバッキオが訊いた。
「はい」
「ミスタの分なら、オレが預かっておくぜ」
「そうですか? それでは、お願いします」
アバッキオは自分が受け取った分と、ミスタの分をスーツのポケットへしまった。
「これは焼き菓子でしょうか?」フーゴが訊いた。
「そうなの。でも、わたしが作って焼いたものだから、少しだけ甘さが強めかもしれない」
が焼いて作った、という台詞にブチャラティたちは受け取った焼き菓子を見つめた。
「へえ、が作ったのか。すげーなあ」ナランチャが目を輝かせながら言う。
「グラッツェ、ナランチャくん」
はブチャラティに向き合った。
「ブチャラティには後で渡すね。あなたにはこれとは別に渡したいものがあるから」
「ああ、分かった」
「えッ。なになに? 渡したいものって」
ナランチャの問いに、は人差し指を口に当てた。いまは言えない、という意味だろう。
は手を振って次のテーブルへ向かった。を見送ったあと、フーゴが横肘を突いてくる。
「あれもあなたの影響ですか」
「あれ?」
「これですよ、これ」フーゴはブチャラティとがとったポーズを真似て見せた。
「あれは……たまたまだろう」
「でも、正直どきっとしたんでしょう?」
「フーゴ、お前はそんなことを訊くやつだったか?」
「さあね。二年も経てば接し方も変わりますよ。さて、僕はミスタの様子でも見てこようかな」
それじゃあ、とフーゴは離れていった。
ブチャラティはフーゴの背を見つめた。これまで行動を共にしておきながら、今になって気がついたことがある。留置所で初めて出会った頃よりもフーゴの背は頭一個分伸びていた。
程なくして、が全ての招待客にプレゼントを渡し終えた。再びステージへ戻り、ホテルの専属カメラマンが記念写真を撮っている。単体を撮り終えると、今度は集合写真を撮ろうとブチャラティたちにマイクを通して呼びかけた。呼びかけに応じて招待客が順々に並んでいく。当然のことながら、主役のが枠の真ん中に立っている。その周りには既に人が集まっており、ブチャラティたちが入るスペースはほとんどなかった。
復活したミスタを連れてフーゴがやって来る。ブチャラティたちはから遠く離れた場所に立ち並び、ナランチャとミスタを前にしてカメラに視線を向けた。
51-1
午後十時三十分過ぎ。ホテルの従業員の案内によって、の誕生パーティは散会した。はウエイターたちと出入り口付近で招待客を見送っている。
ブチャラティはが落ち着くまで会場に残り、飾られた花を眺めていた。花束はどれもへの祝いの花ばかりだが、そのなかに『ブローノ・ブチャラティ様へ』と書かれているメッセージカード付きの花束があった。送り主はエマからだ。気になってメッセージカードを開いてみると、中には祝辞の言葉が書かれていた。
どうやら、彼女には釈明の施しようがないようだ。ブチャラティは思わず苦情を浮かべた。
招待客がいなくなり、パーティ会場はブチャラティたちと、ホテルの従業員のみとなった。先ほどまでの熱気に包まれた空気とは一変し、静けさと穏やかさが増した。
全ての招待客を見送ったが一息つき、小走りでブチャラティの元までやって来る。
「お待たせ、ブチャラティ」
「ちょっと待ってくれ。他のやつらを呼んでくる」
ブチャラティは会場に残っているフーゴたちを呼び集めた。の元へ集まってきた彼らは、もう間もなくで終わりを告げる彼女の誕生日に改めて祝辞を伝える。それに対しては再び深々と頭を下げた。
「今日はありがとうございます。二十歳を迎える誕生日として申し分ないパーティでした」
「オレたちも久しぶりにこういった場所で騒げて楽しかったぜ」ミスタが言う。
「お前の場合は違う意味で騒がしかったけどな」
フーゴの突っ込みにミスタ以外が笑いをこぼす。そこへ一人のホテルマンがやって来た。
「お取り込み中、申し訳ありません。よろしければ、皆様で記念撮影をされていかれませんか?」
「記念撮影?」
「フロントクラークの者から、今回の主催はブチャラティ様方だとお聞きしましたので」
そういうことか、とブチャラティは合点する。
「そういうことなら、お願いしようか」
「そうですね。さっきは僕たち、端のほうでしたから」
満場一致で二度目の記念撮影が進められる。例のごとくは中央に立ち、ブチャラティは他の四人が整列するまで並ばずに待っていたが、彼らは予め計画をしていたかのように綺麗にの隣を避けた。
「ブチャラティはこちらへどうぞ」
フーゴとミスタに手を引かれ、ブチャラティはの隣に立った。と目が合うと、彼女は照れくさそうに微笑んだ。それが引き金になったのかは分からないが、ブチャラティはのほうへもう一歩踏み出し、肩が触れ合う距離まで近づいた。
「きみと写真を撮るのは二度目だな」ブチャラティが耳打ちするように小さな声で言った。
「そうね。でも、こんな風に大人数で写真を撮るのは初めてだから、なんだかどきどきする」
「ああ。オレもだ」
「へえ。ブチャラティも緊張したりするんだ」
「と考えていることとは意味が違うけどな」
「え?」
「ほら、カメラを見ないと変な顔になるぞ」
カメラへ注意を向けると、は表情を柔らかくしてカメラと向き合った。その隣では既にナランチャがブイサインを作っており、その様子を穏やかな顔つきでフーゴが見守っている。アバッキオは写真なんて、と愚痴をこぼしていると思ったが、ここにいる誰よりも嬉しそうに見える。
「ブチャラティ、肩組もうぜ」ミスタが言った。
「好きにしろ」
遠慮なく、と言わんばかりにブチャラティはミスタに肩組みをされ、思わず微苦笑をした。
全員のポーズが決まり、ホテルマンの合図でシャッターが切られた。皆の表情は見えないが、写真に写っている者たちは笑顔に包まれているのだろう。そう考えたのと同時に、二回目のシャッターが切られた。
「撮影したお写真は、後日お渡しいたしますね」フィルムを取り出しながらホテルマンが言う。
「なあなあ。そのカメラ、もう使わないならオレに譲ってくれないか?」ナランチャが言った。
「フイルムが入っておりませんが、それでも宜しいのであればお譲りいたしますよ」
「ほんとッ? それじゃあもらおうかな」
ナランチャはホテルマンからカメラを受け取った。
「それでは、わたくしはこれで失礼いたします」
ホテルマンは一礼したあと、その場を去った。パーティ会場も既に片づけが進められている。
「さて、僕たちはこれから二次会でもするか」
「おッ。いいな、二次会ッ」
フーゴの提案にミスタが華麗に指を鳴らした。
「さんもよかったらどうだ? アジトはちょいと散らかってるが、居れば慣れてくるぜ」
「えッ?」
「、カードゲームとかする? ミスタはいっつもズルするから相手にならなくってさァ」
「カードゲームは嫌いじゃあないけど、わたしがみんなのアジトにお邪魔してもいいのかな」
ミスタからの誘いには一考するが、それを制したのはアバッキオだった。に詰め寄るミスタとナランチャの首根っこを掴み、距離を置かせる。
「二次会ならオレたちだけでやりゃあいい」
「ええ~~、なんでだよォ。オレはまだまだ遊び足りねーのに」ナランチャが地団太を踏む。
「ブチャラティ」
うな垂れるナランチャを無視し、アバッキオはブチャラティとのほうを向いた。
「オレたちは先においとまさせてもらうぜ」
ブチャラティが言葉を返す前に、アバッキオは他の三人を連れてその場を後にした。ミスタとナランチャはまだ納得していない様子だったが、ミスタをアバッキオが。ナランチャをフーゴが宥めている様子が、ブチャラティのほうからも確認できた。
その場に残されたブチャラティとは顔を見合わせ、やがて苦笑を浮かべる。
「行こうか」
ブチャラティはの手を引き、パーティ会場の出口へ向かう。の部屋へと続く廊下を歩きながら、は外の景色を眺めているようだった。足元までのびているガラス窓を覗くと、ホテルのエントランスには、先ほど去っていったアバッキオたちの姿が見えた。駐車場に停めている車の前でなにやら口論しているようだ。どうやら誰が車を運転するかでもめているらしい。その様子を見つけたがおかしそうに笑っている。
「なんだか楽しそう」
「ああ。いっしょにいて飽きない連中ばかりだ」
「ブチャラティはよかったの? このままアジトへ戻ってみんなと二次会に参加しなくて」
「オレに行ってほしいのか?」
「愚問だったかな」は申し訳なさそうに笑った。
ブチャラティは腕時計を確認する。「きみの誕生日はあと一時間ある。残りはオレにくれないか?」
「喜んで」