の誕生パーティは、純白のスレンダードレスを着たと、彼女の隣を歩くブローノ・ブチャラティの登場で始まった。二人の登場と共に煌びやかな演奏が会場内に流れ、辺りから拍手が起こる。ブチャラティはステージの上までに連れ添い、彼女の手を離した。
「さん、誕生日おめでとうッ」
がステージに上がったところで、他の四人によって大砲のように大きなクラッカーが鳴らされた。クラッカーの紙ふぶきを浴びたは驚き戸惑いながらも笑い、ステージへ上がってきたフーゴとミスタによって花束が渡された。ブチャラティはその姿をナランチャとアバッキオの傍で眺めていた。
用意されたスタンドマイクでは会場に訪れた招待客に向き合い、感謝の言葉を述べる。中にはという人物を知らない者も混じっているが、ブチャラティたちの友人ということもあり、皆穏やかな笑みを浮かべながら彼女を見上げ、話を聴いていた。
がステージから下り、会場の演奏が歓談に似合う落ち着きのある音楽へと変わった。暗くなっていた照明もほのかに灯り、テーブルへたくさんの料理が運ばれてくる。
ステージに視線を集めていた招待客も各々テーブルへ戻りだしたところで、ブチャラティはの元へ向かおうとした。しかし、彼女の周りには既に人が集まっていた。ほとんどがの知り合いのようだったが、ここぞばかりに彼女に色目を使おうとしている者もいるようだ。
ブチャラティは深く考えないうちに、フーゴたちが集まっているテーブルへ向かった。案の定、彼らはテーブルの料理へ既に手をつけていた。
「お前ら、あんなドでかいクラッカー、どこで手に入れたんだ」ブチャラティが訊いた。
「注文したんスよ。アメリカでパーティグッズを製造している会社に」ミスタが答える。
アメリカか、とブチャラティも納得させられる。
「が驚いて腰を抜かしてたぞ」
「そりゃあそうさ。驚かせるために会場までナイショで持ち込んだんだ。あれくらいのリアクションは欲しいよな」ピッツァにかじりつきながらミスタが笑った。
ブチャラティも空腹を満たすため、テーブルに置かれている料理を口へ運ぶ。料理の手配をしてくれたのはピッツェリアの店主と、フーゴが初めてと顔を合わせたトラットリアのシェフだ。これまでに何度も口にしてきた味だが、食べる場所が違うだけで、料理の味も変わるものだ。
ホテルのウエイターによって注がれたワイングラスを持ち、ブチャラティはの姿を探す。は遠くのテーブルで男女たちと談笑している。仕事関係の者だろうか。それとも自分以外の親しい友人だろうか。
笑っているに夢中になっていると、四方から視線を感じた。にやけ顔のフーゴたちがこちらを見ている。
「なんだ、お前ら。人の顔をジロジロ見て」
「いいや。ただよォ、ブチャラティ。あんたでもヤキモチ妬くのか?」ミスタが横肘を突いた。
「……そんなんじゃない」
「それにしてもさんが着ているドレス、とても素敵ですね」フーゴがに視線を送る。
フーゴの言うとおりだ。今回の主役ということもあってか、今日は一段と輝いて見える。それは身に着けているドレスの効果もあるが、彼女の姿にブチャラティは思わず何度も見惚れてしまいそうになる。
招待客一人ひとりに会釈と握手を交わすが、ブチャラティたちのテーブルへやって来る。彼女の腕にはたくさん花束と手紙が抱えられており、手元には何枚かの名刺が握られている。間違いなく先ほどの男たちに渡されたものだろう。
花束をどうしようかあぐねているに、ブチャラティは巡回していたホテルマンを呼んだ。
「彼女の花束を頼む」
「かしこまりました。一度お預かりいたします」ホテルマンはから花束を受け取った。
「あの、よかったらこれもいっしょに」
がホテルマンに渡したのは名刺だ。ホテルマンは花束を抱え、両手でそれらを受け取る。
手元が軽くなったにブチャラティがワイングラスを渡す。は笑顔で受け取り、持ち上げたグラスでお互いのグラスを、かちんと鳴らした。
49-2
「改めて、誕生日おめでとう。」
「グラッツェ、ブチャラティ」
各々持っているグラスをテーブルに置き、はフーゴたちに向かって深々と頭を下げる。
「みなさんも今日はわたしの為に色々と準備してくださって、ありがとうございます」
冥利に尽きる言葉に四人とも満更でもない様子だ。
が頭を上げたところで、ブチャラティは彼女の背中を支え、自分たちの輪へ入れた。
「お誕生日おめでとうございます、さん」
「グラッツェ、フーゴくん。久しぶりね」
「ええ、あの公園以来ですね。今日のドレスもとても似合っています。お綺麗ですよ」
は嬉しそうに笑った。「実はこれ、ブチャラティがプレゼントしてくれたの」
「えッ?」
フーゴをはじめ、ブチャラティと以外の四人の驚愕した声がテーブル内でこだました。本人は何食わぬ顔でワイングラスを傾け、飲み干したあとはホテルの従業員に新しいボトルを用意するように伝えていた。隣で共にワインを飲んでいるもブチャラティと言葉を交わし続ける。
ミスタはそそくさとフーゴと肩を組み、話を聞かれないように二人に背を向けて密談する。
「ドレスは反則じゃあねーか?」
「てっきり僕は指輪かなにかかと……」フーゴが呟く。
「指輪はいくらなんでも段取りってもんがあるだろ」
「それはそうだけど……」
「フーゴくん」
背後からに声をかけられ、振り返ったフーゴとミスタは頬に汗を垂らしてのけ反る。
「あの、そちらにいらっしゃるのは?」の視線はミスタへ向かれていた。
体勢を立て直したフーゴが咳払いをする。「彼はミスタといいます。僕たちの仲間ですよ」
ミスタと向き合ったが握手を求めた。ミスタは口角を横へ広げて笑顔で応える。
「はじめまして、・です」
「オレはミスタ。グイード・ミスタだ。さんのことはブチャラティからよーく聞いてる」
「そうなんですか。ミスタさんは――」
「あ~~。さん付けなんていいっスよ。歳もそんな変わらないし」ミスタは手のひらを振った。
「それじゃあ、ミスタくんでいいかな?」
の提案にミスタは頷いた。
「初めて話すのに、ミスタくんは人と打ち解けるのが上手ね。女の子からモテるでしょう?」
「大当たりだ。チームのなかでは一番モテるぜ」
「なんだって?」
ミスタの台詞に、他の四人が同時に口を揃えた。
「お前がチームで一番モテるだって? どういう調査をしたらそうなるんだ」フーゴが言った。
「調査もなにも、事実じゃあねえか」
アバッキオがかぶりを振る。「お前の場合は言い寄られてるんじゃあなく、自分から言い寄ってるんだろ。女にモテるっていうのは、そういう意味じゃあねえぞ」
二人からの異議にミスタが食いつく。「お前らまさか、自分が一番モテると思ってんのか?」
「それはこっちの台詞だってのッ」
ナランチャがテーブルに身を乗り出す。
「お前が一番なわけねーだろ! ブチャラティの次にオレで、オレの次は……誰でもいい!」
「ブチャラティ、どう思う?」アバッキオが訊いた。
「とんだ自惚れ野郎だな」
ブチャラティが言えば、ナランチャが吹き出した。
「それによォ、ミスタ。お前この間、パブの女にフラれてただろうが」アバッキオが鼻で笑った。
「なんでお前がそれを知ってんだよッ」ミスタは今にもアバッキオに殴りかかる勢いがあった。
まあまあ、と二人の間にフーゴが入る。
「この際だ。誰がチームの中で一番人気があるか、ここで決めてもらえばいいじゃあないか」
男五人の視線は一点に集中する。彼らの視線の先にはがいた。今まで完全に蚊帳の外だったは、これから熱々のピッツァを頬張ろうとしているところだった。
圧力という名の視線を浴びせられているは、ぱくりとピッツァをかじってから首を傾げた。
「あの、さん」
「は、はい」は口元を拭った。
フーゴがに詰め寄る。「さんはこのなかで誰が一番、女性にモテると思いますか?」
「えッ、ええ?」
男はどんなものでも争いが勃発すると、結果が出るまで口論し合うものだ。フーゴの言葉に他の四人も異論はないようで、の答えを待っている。
引いても無駄だと悟ったは、そうね、と考える素振りを見せる。彼女の目が五人の顔を見ながら順に動き始めるが、の視線がブチャラティに向けられたまま止まっていることに気がついたのは、他でもないミスタだった。
「待った待ったッ。オレたちにとって、ブチャラティはハンデが多すぎるからダメだ!」
「ハンデ?」ブチャラティが訊く。
「言われてみれば、確かにそうだな」フーゴが頷いた。
「えッ、なんで?」ナランチャは首を傾げる。
「考えるまでもないだろ。僕たちのなかでさんといっしょにいた時間が一番多いのはブチャラティなんだ。これだけで十分有利な立場にあるってことだよ」
「だ~~か~~ら」
ミスタはブチャラティをのほうへ追いやった。
「この四人のなかで選んでくれよ、さん」
「そんな」先ほどとは状況が一変し、の表情は更に悩ましげになった。
ブチャラティを除いた四人を、は改めてじっくりと眺める。ミスタはまるで神に祈りを捧げるように顔の前で合掌し、フーゴは至って冷静に佇んでいる。ナランチャはブチャラティとを交互に見ながら、はらはらとした様子で待っている。
の目がアバッキオに向けられ、アバッキオは他の三人と比べて長い間、凝視されていることに気がつく。アバッキオが見つめ返せば、は小さく首を傾げた。
「オレの顔になにかついてるのか」
はかぶりを振った。「あ、いえ。あなたとは前にどこかで会ったような気がして……」
「あんたとは前にネアポリス駅で会ったな」
「ネアポリス駅? ああ……」
確かにそうだった、とが合点する。
「でも、それ以前にどこかでお会いしませんでしたか?」
「なるほど。そういった誘い方を女からされるのも悪くないな」アバッキオが口角を上げる。
「いや、あの。わたしは決してそういう意味で言ったわけじゃあなくて」
慌てて釈明するは、小さく頭を抱えた。
「みんながみんな素敵だから、簡単には選べない。それぞれに魅力があるんだもの」
お決まりの台詞にアバッキオとブチャラティを除いた三人がため息をつき、肩を落とした。
「結果として、一番モテるのはやっぱりブチャラティってことなのかな」フーゴが言った。
「なんか腑に落ちないけどな」ミスタが答えた。
気を取り直そうと、一同は料理に手をつける。オレンジジュースを飲み干したナランチャは、グラスを置いたときにCDアルバムの入ったラッピング袋と目が合った。
「そうだ、。これやるよ」ナランチャはの傍まで回り、ラッピング袋を見せた。
「もしかして、誕生日プレゼント?」
ナランチャは、うんうん、と頷く。
は笑みを浮かべてラッピング袋を受け取った。「どうもありがとう、ナランチャくん」
真正面から礼を言われたナランチャは、照れくさそうに鼻の下を指で擦った。ナランチャの行動にフーゴたちも各々準備していたプレゼントをに差し出す。
「僕からはこれを。どうぞ」
「ディ・モールトグラッツェ、フーゴくん」
「オレからはこれだ。きっとさん、開けたらビックリするぜ」ミスタは親指を立てた。
は小さく笑った。「そうなの? それじゃあ、ミスタくんのものは最後に開けようかな」
「ブチャラティから水しか飲まないと聞いたんだが、このワインなら飲めるだろう」
「ありがとうございます。えっと……」名前を知らないがアバッキオを覗きこむ。
「アバッキオだ」
「ありがとうございます。アバッキオさん」
四人からプレゼントを受け取り、は嬉しそうに腕の中のプレゼントを眺めた。
「汚しちゃあいけないので、置いてきますね」
はプレゼントを置きに、会場の隅へ走っていった。
49-3
フーゴたちから受け取ったプレゼントを置きに行ったであったが、テーブルへ戻る途中で他の招待客に捕まったようで、別のテーブルへ連れて行かれてしまった。今日は彼女が主役なのだ。主催者であるブチャラティ・チームの傍にずっと置いておくわけにもいかない。ブチャラティはから目を背けた。
背けた先で見慣れた姿が見えた。いや、正しくは初めて見る格好なのだが、人物には見覚えがある。
ブチャラティはテーブルを離れ、演奏者の前で音楽に聴き入っている人物の肩を叩いた。ブチャラティのほうへ振り返ったのは、本屋の親父だった。
「なんだ、お前か」親父は深くため息をついた。
「来てくれたんだな」
「暇つぶしだよ」
親父はグラスを一気に空にし、巡回していたウエイターにシャンパンを注いでもらう。
「お前さんの友人、なかなか綺麗じゃあねーか」
「ああ。オレもそう思う」
「おれの娘も成長していれば、あれくらいだろうな」
「娘さんは彼女と同じくらいの年齢なのか?」
「いや、娘はもう少し下だ」
遠くのを見つめる親父の目は、哀愁が含まれているようにブチャラティには見えた。ワイングラスを親父に向かって持ち上げる。彼は何も言わずにグラスを鳴らした。
そういえば、娘さんの名前は――そう言いかけたとき、ブチャラティの肩を誰かが叩いた。振り返った先にいたのはエマだった。普段の仕事着とは雰囲気が一変し、桃色のドレスがとてもよく似合っている。彼女のグラスにはオレンジジュースが入っており、ブチャラティに乾杯をせがんでくる。ブチャラティは快くワイングラスを鳴らした。
「ブチャラティ。あなたの恋人さん、綺麗な人ね」
「恋人じゃあなく、友人だ」抑揚をつけて言った。
「またまた、照れちゃって」
茶々を入れるエマは、ブチャラティの隣に立っている本屋の親父に軽く頭を下げた。
「会場のお花、一生懸命考えたのよ」
「ああ。やはり花に関しては、きみに頼むのが一番良いのだと改めて思った。感謝するよ」
「こちらこそ。あのブチャラティから推薦をいただけるなんて、これ以上にない喜びよ」
パーティ会場の明かりが暗くなった。天井からライトが照らされ、光が一ヶ所に注がれる。以前、少年のためにケーキを焼いたシェフが銀色のワゴンを引いて会場へ入ってくる。遠くからでは小さくて見えないが、ブチャラティはワゴンの上に載っているものがなにかは知っている。
談話していたが、アバッキオとナランチャに連れられてワゴンの前まで移動する。同時に演奏者たちが誕生日を祝うのに相応しい音楽を奏でる。
曲に気がついたエマも、これから何が出てくるのかを察し、近くで見ようと小走りでそちらへ向かった。
「なあ、ブチャラティ」親父が耳打ちをする。
「どうした?」
「いまの女の子は誰だ?」
ブチャラティは先ほど走り去ったエマの背中を見やったあと、親父のほうを見た。
「ネアポリスの花屋で働いているエマという少女だが」
「そ、そうか」
親父はケーキのほうへは向かわず、ネアポリスの景色が一望できる窓際へ向かった。その後ろ姿を見ながら、ブチャラティは思った。
今まで他人に興味を示さなかった彼が、なぜ初対面のエマのことを気になったのか。その答えは考えなくとも想像はついていたが、真実はこれだけではなかった。
そしてその真実を知ることができない事も、このときのブチャラティは考えもしなかった。