ドリーム小説 48

 各々ドレスコードに身を包んだフーゴたちは、パーティ会場に集まっていた。
「もうしばらくで始められそうですね」フーゴはパーティ会場の時計を見ながら言った。
「ブチャラティは?」アバッキオが訊く。
「まださんの部屋じゃあないかな。会場が落ち着いたら連絡を入れるように言われてるけど」
 そうか、とアバッキオはネクタイを締め直した。
 ブチャラティ・チーム以外にも、パーティ会場には続々と招待客が訪れてきている。今回のパーティの協力者であるピッツェリアの店主や、花屋のエマも作業服から正装に着替えており、目が合うと軽く手を振られた。彼らの他にもブチャラティと親交の深い面々がテーブルの周りを囲い始める。中にはの招待客も混じっているようだ。
「そういえばよォ。お前らさんへのプレゼントどうした?」ミスタが訊いた。
「僕はジェラートの詰め合わせ」フーゴはポケットからチケット袋を取り出す。
「オレはCDアルバムにしたぜ」ナランチャはテーブルの上に置いていた箱を手に取った。
「アバッキオは?」ミスタはアバッキオを見た。
「ワインだ。ブチャラティから水しか飲まないと聞いたんだが、これならいいと思ってな」
 なるほど、とミスタは顎を撫でながら頷いている。
「そういうミスタはなにしたんだ?」
「オレか? オレはだなあ……」ミスタはスーツの内ポケットからラッピング袋を取り出した。
 何か嫌な予感を察知したフーゴが手で制した。「いや、やっぱり言わなくていい」
「お前、聞いといてそれはねーだろ」
「どうせまたカードか写真かなんかだろ」アバッキオがテーブルに置かれた水を飲みながら言った。
「そッ、そんなわけねーだろ!」
「やっぱりそうなんじゃあないか」フーゴはこめかみに手を当て、呆れた様子で首を振った。
 以前、ピッツェリアの何年目かによる開店祝いを開いたときのことだ。ブチャラティたちが料理に役立つ道具をプレゼントするなか、グイード・ミスタは趣味のまったく合わない店主に、自分が愛してやまないスポーツ選手のブロマイドを渡した過去がある。心優しい店主はその場では笑顔で受け取っていたが、あとになってフーゴとアバッキオに「どこに飾ればいいのか。保管場所はどうすればよいのか分からない」と相談を持ち込んできたのだ。
 結局、そのブロマイドは現在、財布に挟まっているようだが、この件はミスタには内密にしており、チーム内で知らないのは本人とナランチャだけだ。
 ミスタの反応を見る限り、今回もスポーツ選手のブロマイドをへ渡すつもりだろう。今更止めることもできず、フーゴはアバッキオと共に見て見ぬふりをした。
「そういえば、ブチャラティはどうしたんだろうな」ラッピング袋をしまいながらミスタが言う。
「なんでも、僕らとは決して被らないものを準備しているらしいけど」
「オレたちとは」
「決して被らないもの?」
 ナランチャとアバッキオが疑問符を浮かべて言うと、ミスタは、まさか……、と唇を震えさせる。
「まさか、ブチャラティのやつ……」
「なんだよ。分かってるなら言えよ」ナランチャが言う。
「いや、でもさすがにそれはねーか。だってあの二人ってまだそういう関係じゃねーし……」
 いや、でもなあ。呪文のようにミスタが呟いている台詞は、二日前のフーゴと同じだった。
 へのプレゼントで悩んだとき、ブチャラティへ相談したことを思い出す。フーゴは最初からジェラトリアの商品券であることは頭に入れていたのだが、共に行動していたミスタが悩んでいたため、ブチャラティの連絡先を知っているフーゴが電話をかけたのだ。
 返ってきた言葉は想像通りだった。自分たちが彼女に渡したいと思えるものでいい。それは確かにそうなのだが、気になったのはこのあとの台詞だ。
 ――オレと被ることはない。
 ブローノ・ブチャラティは常に前向きだが、あそこまで自信たっぷりな彼も珍しかった。通話を切ったあと、フーゴはブチャラティがへなにを贈るのか考えた。しかし、出てくるのはありきたりなものばかりで、自分の考えがいかに乏しいかを思い知った。
 いったい彼は、彼女になにを贈るのだろう。まるで自分自身がブチャラティからプレゼントを受け取る立場のように、フーゴは期待に胸を膨らませた。

48-2

 の部屋では歓喜の声が続いていた。箱の中身を取り出し、はうっとりとした顔になる。
「ブチャラティ、これ……」
 が抱き締めているのは、純白のスレンダードレスだった。真っ直ぐとのびた裾には控えめにフリルが施されており、胸元にはレースがあしらわれている。
 ブチャラティはドレスをに当てて見せた。全身鏡に映るは、まるで初めての舞踏会へ向かう灰かぶりのように驚きと嬉しさに満ちた表情をしている。
「すごく素敵なドレス……」
「これを是非、着てもらえないだろうか」
 は何度も頷いて見せた。もはや言葉にならない喜びを前にして、ブチャラティも気分がいい。
「着替えてくるから、待っていてくれる?」
「もちろんだ」
 皺にならないようにドレスを抱きかかえ、小躍りしながらは部屋の向こうへ消えた。
 部屋の向こうからでも聞こえる嬉しそうな彼女の声に、ブチャラティは思わず笑いをこぼす。
 フーゴから誕生パーティの提案を受けたとき、同時にへのプレゼントをどうするべきかを考えた。彼女はお洒落に敏感であるし、欲しいと思ったものは、ある程度の金額であれば自分で手に入れる性格だ。デートでアマルフィへ向かっている最中も、最新のファッション事情について熱く語っていた。だからこそ悩みに悩まされた。
 ドレスまでに至った経緯はとても単純だった。別件でネアポリスを歩いていたとき、ショーウインドウに飾られているスレンダードレスを見て、ブチャラティは思わず足を止めた。よくウェディングドレスを見て歩みを止める女性の話は聞くが、美しいドレスを見て歩みを止めるのは女性だけではないと、その瞬間に思い知らされた。気がついたときには既に店に入っており、それを眺めている自分がいた。声をかけてきた店の者は、と似た体系の女性だった。彼女をの姿と重ね、純白のスレンダードレスを身に纏っている彼女を頭の中で思い浮かべたとき、これしかないと思った。
 これはほとんど自己満足に近いが、先ほどのドレスは間違いなくに似合う。先ほどの全身鏡であてて見ただけでも、はとても綺麗だった。あのドレスを本人が着こなしているところを想像するだけで、顔がほころぶ。
「ブチャラティ。……ブチャラティ」
 部屋の奥からの呼ぶ声が聞こえ、ブチャラティはソファーから立ち上がった。しかし振り返った先に彼女の姿はなく、ブチャラティは扉の前に向かった。
 扉が小さく開かれ、隙間からが顔だけを覗かせる。その表情は若干不安そうに見える。
「どうした?」
「あの、実は後ろのチャックに手が届かなくて……」
「ああ、そういうことか」
 不安そうな声を聞いたときに一抹の不安がよぎったが、真意を聞いて安堵の息をつく。もしかするとサイズを間違えてしまったのかと焦ってしまった。素晴らしいドレスだったといえ、入らなかったとなっては彼女の心を酷く傷つけてしまうことになる。
 ブチャラティはに後ろへ向くように言った。は扉を開き、こちらに背中を向ける。背中を露わにさせているチャックを最後まで締め、肩を撫でた。
「もういいぞ」
 がゆっくりとこちらへ振り返る。ドレスを身に纏った彼女は輝かしく、そして美しかった。ブチャラティの考えていた想像が、簡単に撃ち砕かれるほどに。
「どうかな?」
 ブチャラティは言葉が出なかった。
「……ブチャラティ?」
「あ、ああ。すまない。なんて言った?」
「もう、似合ってるかどうかを訊いてるんだけど」はおかしそうに笑いながら言った。
「似合っている、とても」ブチャラティは即答した。
 そう言うと、は顔を赤らめて俯いた。ブチャラティはの頬に手を添え、ゆっくりと顔を上げる。耳元で揺れるイヤリングが涙のように揺れた。
「本当に綺麗だ。早くみんなに見せてやりたい」
「ディ・モールトグラッツェ、ブチャラティ」は添えられた手に頬ずりをする。
「そうだ。もうひとつ渡したいものがある」
 思い出したようにブチャラティはドレスの箱を持ってきた。中には商品を傷つけないためのクッションと、その脇に包み紙が入っている。ブチャラティは紙を剥がし、出てきた白い靴をの足元へ置いた。
「まさか、この靴も?」は目を丸くさせている。
「店の者がドレスに一番合う靴を選んでくれたんだ。どうせなら合わせたほうがいいだろう?」
「だからってこんな素敵な靴まで……」
「まあ、試しに履いてみてくれ」
 ブチャラティに促されるまま、はドレスの裾を軽く持ち上げて靴に足を伸ばした。それはまるでのために作られたように、すんなりと彼女の足を受け入れた。
「すごい。とっても履きやすい……」
「ああ、やっぱり似合うな」
「サイズもぴったり。どうしてここまで分かったの?」はブチャラティの顔を見つめた。
「どうしてって……」
 ブチャラティはを、じっと見つめ返した。
「オレが、きみばかり見ているからだろうな」
 は目を瞬かせた。それからすぐに顔を俯かせ、空いている片手で自身の顔を覆い隠した。
 ブチャラティが顔を覗き込もうとしたときだ。が顔を上げ、ブチャラティの手を引いた。
?」
「わたしもあなたに渡したいものがあるの」
 手を引かれた先にあったのは黒い箱だ。は繋いでいた手を離し、その箱をブチャラティに差し出した。開けてほしい、と促されていることに気がついたブチャラティは、それに従う。
 中に入っていたのはスーツだった。
 思わずとスーツを交互に見る。こちらの反応を想像していたようで、相手は笑っている。が箱からスーツを取り出し、折りたたまれた線に合わせて広げて見せる。触り心地の良い上品な生地が使用され、襟元や袖には細やかな刺繍が縫われている。
「まさか、同じものを用意してるとは思わなかった」
もオレのために選んでくれたのか?」
 うん、とは頷く。「いま着てるスーツももちろん素敵だけど、ウインドウショッピングをしているときにこのスーツと目が合っちゃって。ブチャラティに似合いそうだなって、勢いで買っちゃった」
 見れば、箱に刻印されているロゴは、イタリアでも三本の指に入る高級ブランドだ。
「衝動買いにも程があるぞ」
「でも、あなたって昔からこういうの好きでしょ?」
 に言われるまでもなく、箱からスーツが出てきた瞬間から、オレの好みだ、と頭が叫んでいた。
「着替えさせてもらってもいいか?」
「もちろん。わたしは向こうの部屋に行ってるから、着替え終わったら出てきて」
 履いたばかりの靴を控えめに鳴らしながら、は部屋を出て行った。
 ブチャラティは着ているスーツを脱ぎ、から受け取ったワイシャツに袖を通した。箱の中を漁ると、スーツの他にもネクタイやネクタイピンなどが出てきた。前回のデートでも思い知らされたが、彼女はどこまでも抜け目がないと思う。
 全ての装飾品を身につけ、スーツを羽織る。見た目以上にスーツは軽く、身動きが取りやすい。さすが高級ブランドというべきなのか。さすがの目利きというべきなのか。
 部屋に設置されている鏡で細かいところを直してから、ブチャラティは部屋を出た。出た先でと目が合うと、彼女は口元の前で手のひらを合わせて目を輝かせた。
「きみの想像通りか?」
 は何度も頷いた。「とっても似合ってる」
「それならよかった。スーツ以外にも小物や装飾品まで揃えてくれるあたり、さすがだな」
「どういたしまして。サイズはどう?」
「丁度いい。よく分かったな」
「だってそれは……。わたしも二年前までは、あなたの一番近くにいたんだから」
 分かるものよ、とは照れくさそうに微笑む。
 微笑むの手を取ろうとしたときだ。ブチャラティのポケットで携帯電話が震えた。から一旦離れ、携帯電話を耳に当てる。電話の主はフーゴだった。
(ブチャラティ、招待客が全員揃いました。いつでも始めていいですよ)
「分かった。オレたちもこれから会場へ向かう」
 通話が聞こえたのか、はパーティ会場へ向かうために部屋の戸締りをしに向かった。
さんもそこにいらっしゃるんですよね?)
「それがどうかしたか?」
(……もしかして、また邪魔しちゃいました?)
 電話越しに乾いた笑いをこぼしたフーゴに、ブチャラティはため息を叩いた。
「……用が済んだのなら切るぞ」
 通話を切り、携帯電話をしまう。いつの間にか部屋の照明はすべて消えていた。窓から差し込む月の光だけが部屋の中を照らし、の髪飾りが小さく輝いている。
 ブチャラティはに手を差し出した。「行こうか」
 伸ばした手にの手が、そっと載せられ、ブチャラティは彼女の手を取って歩き出した。

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