ドリーム小説 20

 三月十三日、火曜日。フーゴとアバッキオはブチャラティの指示のもと、ギャングチームが襲撃に遭ったフィレンツェの田舎町へ向かう列車に乗り込んでいた。
 海の見えるネアポリスの景色が、徐々に緑の多い田園地帯へと変わっていく様をフーゴは眺めている。アバッキオは早朝からの行動ということもあり、乗車してから向かいの席で目を伏せている。
 フーゴはポケットから携帯電話を取り出し、カメラ機能を起動させた。これが搭載されている携帯電話は珍しい。最新機械が手元で使えるのは、ギャングに属している者の特権でもあった。
 紙を切るような音が鳴る。走行中の列車からでは景色が横にぶれてはいるが、それだけでも十分だった。
 帰ったらナランチャにでも見せてやろう。撮影された写真を保存し、再び窓の外に目を向ける。眺めれば眺めるほど、こんな穏やかな場所でギャングが縄を張り、銃撃戦が起こったのか甚だ疑問に思えてくる。
 ブチャラティから手渡された資料を手に取る。記されているのは町の場所と、最寄り駅からの道のりだ。
人口は少なく、ぶどうなどの畑が土地面積の半分以上を占めている。密集した住宅地で激しい戦いが起きたとあれば、ギャングチームの壊滅よりも先に、住人の被害状態に検討がついた。
 列車がスピードを落としていく。ネアポリス駅から眠っていたアバッキオは、まるで目覚ましをかけていたかのように到着する数分前に瞼を開いた。
 地図に示された町へ向かう。川沿いに歩けば一時間ほどで到着するはずだ。
 ふと、フーゴはちらりと隣を見た。視線に気付いたアバッキオと目が合う。
「なんだ」
「いや。こんな天気のいい日に、何もない場所を男二人歩くっていうのも複雑だな、と」
「気味の悪いこと考えるな。オレは別に好きこのんでお前といっしょにいるわけじゃあねえ」
「なに言ってんだ。そんなの僕もだよ」
 ブチャラティの命令だからだよ、という意思は交わさなくとも解っている。
 駅から歩いて数十分。丘の先に小さな町が見えてきた。フーゴは資料を再確認する。あの町で間違いなさそうだ。道沿いを歩き、町の入り口まで来て辺りを見渡すと、あちこちに銃撃戦の跡が残っている。ぶどうを詰めていた木箱だろうか。紫色の液体が地面に染み込んでおり、砕けた箱の破片が飛び散っている。
「あの、すみません。ちょっといいですか」
 片手にかごを提げて歩いている女を呼び止めた。どこか買い物へ向かう途中だろうか。しかし、この町に来るまでにそのような場所は一切見当たらなかった。
 立ち止まった女はフーゴの身なりを見ると目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「先日、ここで騒動があったと聞いてやって来たんです。あなたはなにかご存知でしょうか?」
「騒動? ……ああ。あの時の」
 女は困り顔で手の平を頬に当てた。
「よく覚えています。時間は夕方頃だったかしら。わたしが夫と子供たちへシチューを作っていたから、確かだと思うんです。さあ食べよう、と思ったとき、突然悲鳴が聞こえたの。慌てて窓を開けてみたら、人が倒れていて……」
「この町がギャングと関わりのある場所だということは知っていましたか?」
「知っていました。でも、とてもいい人たちでした。田園のお世話からわたしたちが暮らすための食材を町まで運んできてくれたんですもの」
 最初にこの騒動の話を切り出したとき、ブチャラティが言っていたことは事実だったようだ。比較的温厚、と言っていたが、小さな町のために尽くす集団がギャングチームと聞いても、どうもしっくり来ない話だった。共に話を聞いていたアバッキオがどこかへ向かって歩き出したが、フーゴは質問を続けた。
「もう一つ。あなたは子供たちを守るために家の中へこもっていたですよね。その時に何か変わったものが聞こえませんでしたか?」
 女はそうね、としばらく考える素振りを見せた。「エミリオさんがすぐに駆けつけてくれて……。あ、エミリオさんというのはこの町のギャングスターの名前よ。外で言葉を交わしているようだったけれど、すぐに何も聞こえなくなって……」
 そのギャングが、言葉を続けられなくなったのは考えずとも解る事だった。目の前の女が声を震えさせるほど悲しんでいるということは、エミリオというギャングはこの町で慕われていたようだ。
 女の目からついに涙が流れた。フーゴは持っていたハンカチを握らせる。彼女は謝罪をこぼしてから目尻を拭った。ギャングのために涙を流す一般人がいるのか、とフーゴは複雑な思いに包まれた。
「もしもっと詳しい話を訊きたいのであれば、この先にある酒場に行くといいわ。わたしはもう心を落ち着かせているけれど、家族を亡くした人もいるの。だから無闇に声を掛けないであげてちょうだいね」
 フーゴは深く頷いた。「わかりました。お話を聞かせてくださってありがとうございます」
「あッ。このハンカチ……」
「あなたに差し上げます。それでは」
 差し出されたハンカチを手で制し、フーゴはアバッキオを探しながら酒場へ向かった。
 彼はすぐに見つかった。というのも、彼の周りに少年少女が群がっていたからだ。アバッキオの見た目に怯える子供たちの姿は幾度となく見てきたが、あのように腕を伸ばして遊んでほしそうにしているのは久しぶりに見る。本人も生意気な子供以外は多少相手にする人間なので、何やら会話を交わしている。
「随分人気者じゃあないか、アバッキオ」
 アバッキオはあからさまに嫌な顔をした。「大人に聞いても逃げられるんでな。一人の餓鬼に話を振っていたら、勝手にわらわら集まってきただけだ」
「それで? 何か掴めたのか」
 アバッキオはかぶりを振った。「親と家の中にいたから、外で何が起こっていたかは分からない、と。詳しい話は酒屋の女に訊けとよ」
「そのようだな。僕もさっきの女性に酒場へ行くよう言われたんだ。町で情報収集するときは酒場から、とよく言うが……」
 群がる子供に別れを告げてから、二人は言われた通りに酒場へ向かった。この町の規模であるから、ネアポリスのように賑やかで大きな店を期待してはいなかった。
 訪れたのは、人ひとりが住めるような小さな建物だ。フーゴとアバッキオが店内へ入ると、カウンターの脇から初老の女が顔を見せた。
「……だれ?」女は身構えた。
「驚かせてしまってすみません。僕たちはあなたに話を訊きたいと思ってやってきました。僕はフーゴといいます。あなたのお名前は?」
 女はややあってから口を開いた。「ルイーゼ」
「ルイーゼさん。先日この町で起きた騒動についてお聞きしたいことがあります。お時間は?」
「構わないけど、一応ここは酒場なの。なにか飲み物を注文してくれないと困るんだけど」
 ごもっともだ、とフーゴはポケットから財布を取り出した。カウンター越しにメニューをもらい、適当に飲み物を頼んだ。アバッキオは白ワインと言った。
 注文を受けたルイーゼは椅子に座るよう指示すると、奥のテーブルに並んでいるグラスに氷を入れた。
厚意に応え、フーゴたちは席に着く。注文した飲み物がグラスの中で色を変え、カウンターに並べられる。
「グラッツェ。いただきます」フーゴはグラスを持った。
「それで? 聞きたいことってなんなの」
「僕たちはこの町で銃撃戦があったと聞いて、いろいろと情報を集めているんです。どんなに些細なことでも構いません。知っていることがあれば教えてください」
 ルイーゼは水の入ったグラスを傾けると、カウンターに頬杖をついた。
「詳しい事はわたしも知らないけど、襲ってきたやつらは何かを探しているようだったよ。わたしの家に入りこんできたときは、ああ、わたしはここで死ぬんだ。って思ったもの。でもすぐに出ていった。理由はもちろん分かりっこないけど」
「相手の姿は見ましたか?」
「姿は見えなかった。でも声は聞こえたよ。あれは男女だった」
 フーゴは軽く身を乗り出す。「男女ということは、入ってきたのは二人組だったんですね」
「わたしが聞いた限りではね。そいつらが家を出て、窓から覗いてみたら人影が見えたの。この酒場の奥の家へ向かっているように見えたんだ」記憶を巡らせるように、ルイーゼは人差し指でもみあげを叩いた。
「奥の家?」アバッキオが口を開いた。
 ルイーゼは突然口を開いたアバッキオに驚いてから頷いた。「そうだよ。ずっと空き家だけどね。わたしはこの町に住んで十年だけど、最近はあの家を人が出入りするところは見てないな」
 フーゴとアバッキオは顔を見合わせる。次に行く場所は決まった。椅子から立ち上がり、カウンターに飲み物の代金とチップを置く。アバッキオはさっさと店を出たが、フーゴは扉を閉める前に振り返り、ルイーゼへ感謝の言葉を述べた。
 先に空き家のほうへ向かったアバッキオを追いかける。傾斜のある道をひた歩くと、小さな家が見えた。風が吹けば今にも屋根が落ちてしまいそうなほど古い家だ。アバッキオは窓から家の中を観察している。
「何かあるのか?」フーゴが小声で訊いた。
「いいや。中に人がいるんじゃあねえかと思ったんだが、本当に空き家だ。家具もほとんど見あたらねえ」
 アバッキオに場所を代わってもらい覗き込んでみるが、言葉の通りだった。家を一周し、玄関まで戻る。家の中に入ろうと思ったが、扉には何故かドアノブが付いていなかった。ブチャラティのスティッキィ・フィンガーズであれば容易いことだが、フーゴとアバッキオのスタンドでは不向きだ。
「この世界にはドアノブのない扉があるんだな」フーゴが悩ましげに首を傾げた。
「ぶっ壊して中に入るか?」アバッキオは扉を蹴った。
「よしておけ。ルイーゼさんの話していたことが本当であれば、町を襲った犯人はここへやって来たはずだ。外壁を見まわしてみたが、無理やりこじあけたような形跡はない。僕らと同じように、扉が開かないと分かって引き返したんだろうか」
「無理やり人の家に入ってくるようなやつらが、律儀にそんなことするとは思えねえけどな」
 確かに、とフーゴは思った。
「それにこの扉、変なもんがついてやがる」
 アバッキオが握っているのは鉄か何かで出来た金具だった。それは扉の脇についており、酷く錆び付いている。手を離すと、アバッキオの手が錆の取れた赤色で染まった。
 どうしたものか、と考えあぐねていると、近付いてくる足音が聞こえた。二人が振り返ると、その先にいたのは小さな少年だった。こちらの様子を窺うように、そして怯えるように上目遣いで見つめてくる。
 フーゴは歩み寄り、中腰になった。「どうしたんだい」
 少年は胸の前で手を組んだ。「あの、お兄ちゃんたち。そこの家になにか用があるの?」
「用があるわけじゃあないけど、ここが随分と空き家だって聞いたから見に来ただけだよ」
「あの、あの……。僕、見たよ。この家の中にオンナノヒトが入っていくところ」
「本当か?」反応を示したアバッキオが少年と目線を合わせるようにしゃがみ込む。
 少年は頷いた。「あの、あの。僕はこの坂を上ってから下るのが好きで、よく一人で遊んでいるんだ。お母さんは危ないからやめなさいって言うけど……。そのときに見たんだよ。この家に、オンナノヒトが入っていくのを」
「特徴は?」フーゴが訊いた。
「あの、あの。なにか紙はなあい? 僕、絵が得意なんだ。だから、描いて見せるよ」
 フーゴは服を軽く叩いて探した。ブチャラティから預かった資料の裏側でいいだろう。その内の一枚を取り出して小さく千切り、破片を少年に渡す。彼はいつ取り出したのか、既にペンを持っていた。
 数十秒後。少年はできた、と言って顔を上げた。描いた絵を見せてもらうと、これがまた驚いた。子供とは思えないほどの精巧な絵で、誰がどう見ても経験を積んだ画家が描いたとしか思えない出来だった。
 更に驚くべきは、描かれている『女』だ。少年が見た光景をそのまま絵に描き起こしたのだろう、家の中から出てくる姿が描かれている。
 光沢のあるライダースーツに、艶のある髪。警戒するように周辺を見張る鋭い目。腕にはなにか丸みを帯びているものを抱えている。
 どこかで――見たことのある姿だと思った。
「あの、あの。そのオンナノヒト、何度もこの家に入っているみたいなんだ」
「なんだって?」フーゴが声をあげた。
「あの、でも、家に入っていくところを見ただけだから、住んでるかどうかまでは分からないや」
「お前が最初にこの女を見たのはいつだ?」
「あの、あの。二週間前だよ」
 この町が襲われたのも、二週間前だ。フーゴは記憶を巡らせ、その時起きた出来事を思い返してみる。ミスタがブチャラティにコーラをぶちまけて怒らせた。ナランチャが算数の教科書にオレンジジュースをこぼした。くだらないことしか浮かばない。……ただ、ひとつを除けば。
 二週間前、いや正しくは十日前。少年の絵の女と完全に合致する者と出会った。
 ――だ。
「よかったらこの絵、記念にもらってもいいかな」
「あの、あの。いいよ」少年は照れくさそうに言った。
「話を聞かせてくれてありがとう。そろそろお昼ご飯の時間だろう。さあ、家へ帰るんだ」
 少年の背中をそっと押すと、少年は握っていたペンをポケットへしまって走り去った。傾斜のある坂道を転ばずに下れたのは、日頃の遊びの賜物だろうか。
 辺りに人がいないことを確認し、フーゴはアバッキオへ歩み寄る。
「アバッキオ、確かめたい事があるんだ。二週間前にいったい誰が訪れたのか調べてほしい」
「もうやってるぜ」
 ムーディー・ブルースの額に浮かんでいる数字が高速で過去の時刻へ巻き戻っている。
「二週間前ならすぐに出るが、場所を特定するまでにはちょいと時間がかかるな」
「列車の中でもらったパンでも食べながら待とう。ほら、アバッキオの」
「ん」
 取り出したパンをかじりながら、フーゴは胸騒ぎが抑え切れずにいた。

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