ホテルに到着したのは、ネアポリスの海が夕景に染まる頃だった。
はエントランス前で振り返る。どうやら見送りはここまででいいようだ。ブチャラティはハンドバッグをの手に握らせ、最後に片腕で優しく彼女を抱き締めた。これはただの別れの挨拶なのだが、それだけの抱擁とはとても思えなかった。
も両腕でブチャラティを抱き締め、ゆっくりと離れる。
「今日はどうもありがとう。楽しかった」
「本当は夜も二人で食べようと思っていたんだが、急に仕事が入ってしまった。すまない」
「いいの。あなたの仕事柄、今は女性といっしょにいるので行けません、なんて言ったら撃たれちゃうでしょう。わたしのせいであなたが死ぬのは嫌だもの」
は笑いながら言うが、ブチャラティにとってはそのままの真実なので、思わず苦笑した。
「じゃあね、ブチャラティ。ブォーナノッテ」
小さく手を振り、はホテルの自動扉の奥へ去っていった。去り際に彼女の耳を飾る桜のピアスが、照明に反射してきらきらと輝いていた。
の姿が見えなくなり、ブチャラティはホテルの入り口を見つめてから踵を返す。
海辺からホテルへ向かうまでの時間が、やけに短く感じた。歩いている間、ブチャラティとの間の会話は極端に少なかった。特にはそうだった。昼食をとった店の前を通ったとき、パスタを食べて笑顔になっていた彼女の顔とは全く違っていた。
があそこまで表情を固めた理由は、考えなくとも解っている。思わずため息をこぼした。これから行くのはポルポの待つ刑務所だが、フーゴの様子だと、なるべく急いで向かったほうがよさそうだ。
考えながらホテルの敷地外へ出ると、目の前で見慣れた車が停まり、助手席側の扉が開く。運転席から顔を見せたのはフーゴだった。
「フーゴ? どうしたんだ」
「迎えに来たんですよ。ここから刑務所までは歩いたら三十分はかかりますからね」フーゴは淡々とした面持ちで言った。
後部席を見ると、ポルポへの差し入れと思われるワインボトルが二本。かごには色艶の良い果物が盛られている。先ほどの通話のあと、光の速さで買いに走ったのだろう。相変わらず気配りのできる部下だ。
視線を感じながらブチャラティは促された助手席へ乗り込む。フーゴはアクセルを踏み、車を走らせた。
「さんを送り届けたんですね。よかった」ハンドルをきりながらフーゴは息を吐いた。
「変に気を遣わせてしまったな」
「気を遣いたくもなりますよ。本当は代わりに僕が行こうかとも思ったんですが、組織のことを考えると、あんたに伝えるべきなんだろうな、と」フーゴは表情を曇らせた。
ブチャラティがギャングとしてパッショーネへ入団したあと、仲間として初めて招いたのはフーゴだ。他のチームメンバーと比べて組織の闇の深さを知っているフーゴは、一瞬の判断に震えたのだろう。些細な行動が自分の身に危険を及ぼすのだ、と。
ブチャラティは何も言わなかった。寧ろ、車を寄越してきてくれたことに感謝した。
「さんとは、どこへ行ったんです?」
「昼飯を食べてから海辺へ行った」
「へえ、結構王道なデートコースですね」
上機嫌でフーゴはハンドルを横へきった。
「僕がブチャラティへ電話をした後のさんは、気を損ねていませんでしたか?」
ブチャラティはこめかみに手を当てた。「寧ろオレ自身がそうさせてしまったかもしれない」
「と、いうと?」
「訊いたんだ。どうして突然、ネアポリスへ戻ってきたのか。その理由をな」
「その様子だと、話してもらえなかったようですね」
ブチャラティは再びため息をこぼし、口元を覆う。「あの時のオレは、余裕のない男に見えただろうな」
車が左折する。横断歩道を無視して車道を横切る人を見送りながら、人気の少ない道を走る。
「そもそも、ブチャラティとさんはいつまでいっしょにいたんですか? 僕がパッショーネへ入団した頃には、もういなかったはずですよね」
「オレが留置所のお前へ会う前日にから告げられたんだ。しばらくネアポリスを離れて旅をする、と」
「旅? 旅行ってことですか」
「行き先は……教えてくれなかった。自分は情報収集で稼いでいる、ということだけは聞かされていた。だから他の国の情報を集めるついでに旅をするのだと思っていたんだ。それともう一つ。はオレと会うたび、何処でどんな情報を仕入れてきたか、なぜそこへ行ったかを必ず話してくれたんだ。例え丸一日会えなくても、は必ず行き先を教えてくれた。どんなときも」
彼女の向かう先では、いつでも彼女なりの目的がある。しかし、は以前のようにそれを教えることはなかった。
だからこそ、ブチャラティはそれが知りたいと思った。誰だって、目の前で、なんでもない、と言葉を遮られれば、気になって仕方ないはずだ。
「これはあくまで僕の推測ですが……。さんはブチャラティだからこそ話せなかったのでは?」
それはどういう意味だ、という言葉を投げるように、ブチャラティはフーゴを見つめる。
「詳しい理由は僕にも分かりませんが、それだけの信頼を寄せている彼女が突然話さなくなってしまったのは、話す内容よりも前に、訊かれた相手があんただったから、なんじゃあないかってね」
「それはつまり、はオレへ意図的に隠し事をしている。ということか?」
「まだ分かりませんよ。ただ、前に言ってたじゃあないですか。さんには秘密があるって。だったら、本人が打ち明けてくれるまで待ちましょうよ。ネアポリスでさんをずうっと待っていたんですから、それくらい我慢できますよね」
まるで子供を宥めるような言い方だった。しかし、今の状況ではフーゴのほうが正しく、大人だった。初めてフーゴと出会ったときも、自分は熱くなりやすいタイプだ、と白状したが、それは今でも変わらなのかもしれない。少なくとも、フーゴのように簡単に堪忍袋の緒が切れたりはしないが。
ブチャラティがそうだな、と呟いたところで、車は刑務所から少し離れた車道で停車した。
「僕も行きます。いいでしょう?」
「その前にそいつを寄越すんだ。刑務官のボディチェックで引っかかっても知らんぞ」
フーゴは腕に抱えているワインボトルと果物の入ったかごをブチャラティへ手渡した。スティッキィ・フィンガーズで体の中に忍び込ませ、ジッパーを閉じる。
刑務所へ入り、普段と変わらないボディチェックを受けてから監獄へ向かう。
「わざわざ表から入らなくても、あんたのスタンドで忍び込めばいいのに」フーゴが小さな声で言った。
「最近になって警備が強化されたんだ」
「なるほど」
幹部のポルポは既に体を起き上がらせていた。珍しいな、と思ったが、手に握っている身体を覆いつくすほどの巨大なピッツァを見て、ブチャラティは納得した。
「何度も呼び出してすまないねえ、ブチャラティ」
「いえ、お気になさらず」
「フーゴもいっしょなのか」
「はい。お邪魔でしたら、即刻去ります」
ポルポはかぶりを振った。「いや、いい。きみも聞いておいて損な話ではない」
もはや腹で支えているといったほうが正しいだろう。食べかけのピッツァをパスタの麺をすするように胃の中に収め、ごくりと喉を鳴らした。
「例のギャング潰しのことだが、やはりネアポリスへ向かって行動範囲を拡げているようだ」
「ギャング潰し?」フーゴが訊いた。
「前にアバッキオと話していただろう。田舎町を仕切っていたギャングチームが潰された話だ」
「ああ、あれですね」フーゴは合点した。
「我々も最低限の準備は整えているが、無意味に争うような真似はしたくない。もしかすると相手はネアポリスを通過し、別の地へ移動するだけかもしれないのだからね」
ポルポは最後に、胃に溜まった空気をこぼしてから言った。
「ブチャラティ。きみたちのチームで最初に騒動が起こった場所を調べてきてもらおう。敵を発見次第、始末してくれて構わない」
始末――つまり、殺せという意味だ。
「この任務に最も適しているスタンド使いは、きみたちだろう。報酬は弾むぞ。明日の早朝から現場へ向かってもらうよ」
「わかりました」
このネアポリスへ何者かが迫ってきている。今回の騒動については、上からの指令を受けるまでもなく個人的に調べようと考えていた。他のギャングチームが潰されようが被害に遭おうが知ったことではないが、ポルポから話を聞いてそれを実行しようという思いが更に強くなった。
ブチャラティの頭の中では、既に役割分担が始められていた。その場で何が起こったのかを明確に知ることのできるアバッキオのスタンド能力は必須だ。もう一人彼につけるとすれば誰だろうか。浮かんだのはフーゴだった。スタンド能力の勝手は悪いが、フーゴならばアバッキオともチームの中で関係が長い。それに――お互いに騒がしくなくていいだろう。
「それでは、報告を待っているよ」
「はい。失礼いたします」
ブチャラティとフーゴが刑務所を出ると、辺りは既に暗くなっていた。ポルポからの連絡がなければ、今頃この夜の景色を眺めながらと夕食を食べていたのだろうか。は気分を損ねていないだろうか。別れ際の彼女には笑みが浮かんでいたが、背中を向けたあとの彼女の心境が気になる。
――気になることばかりだけが増えていくな。
けれど、全てを一気に知ろうとは思わない。時間をかけて解き明かしていこう。そう思いながらブチャラティは、フーゴの回した車に乗り込んだ。
「列車の切符は僕が確保しておきますよ」
「ああ、そうしてくれ」
「そういえばブチャラティ」
「なんだ?」
「さんと連絡先の交換はしたんですか?」
アジトへ帰り、とのデートの結果を話したあと、フーゴを含む四人からは大きなため息を吐かれた。ミスタからはもどかしそうな声を浴び、アバッキオからは同情するかのように肩を叩かれた。
やはりオレは、もう少し積極的になるべきだろうか――。