ドリーム小説 13

 ポルポから忠告を受けたブチャラティは、刑務所から出てすぐに携帯電話の呼び出しを受けた。ポケットの中で震えているそれを取り出すと、相手はミスタだった。アジトへ続く道を歩きながら耳に当てる。
「どうした、ミスタ」
(ああ、ブチャラティか? 実はかくかくしかじかでよォ、その料理をもらってきたんだ)
 アジトへ運ばれてきた食事を想像するだけで、ピッツェリアの親父の泣きっ面が浮かんでくるようだ。 電話の向こうでは、ナランチャたちの騒がしい声が聞こえる。相変わらず静かに食べられない連中だな、と呆れた笑みがこぼれそうになる。
(もしかして出先で夕飯食べちまったか?)
「いいや。丁度腹が減っていたところだ。ミスタ、腹ごしらえに頼みたいことがあるんだが」
(ああ~~。ドタキャンした集団の身元ならフーゴがもう調べてるっスよ)
「話が早いな。了解した」
 通話を切る寸前、ナランチャが、食わねえならオレがもらっちゃうよ、と言う言葉が聞こえた。誰の皿から奪ったかによってこれから戻るアジトの状態が変わるが、そんなことを考えるよりも先に、ブチャラティは密かに鳴っている胃を満たすため、大股で歩いた。
 大通りを走る車のエンジン音よりもうるさい仲間の笑い声を聞きたい――そう思いながら。
 アジトへ帰ると、様々な料理が想像をはるかに超えた種類と量であらゆるテーブルの上に並んでいた。最早載せきれないのか、空いている椅子にもシーザーサラダやドルチェなどが置かれている。いやいや、ドルチェくらいは冷蔵庫で冷やしておけよ、というつっこみさえままならない状況だった。
 床に散らかっている空のワインボトルを避けながら、仲間が集まっているテーブル席へ向かう。こちらの存在に気付いたミスタが手を挙げた。先ほど途中で別れたアバッキオも着席している。
「ブチャラティ、お疲れ様です」
 フーゴが奥からやって来た。
「グラッツェ。ものすごい量だな。ドタキャンした団体はいったい何人だったんだ」
 フーゴがちらりとミスタを見た。「おいミスタ。一瞬だけ耳を塞げ」
「ああ? なんでだよ」
「死にたくないならさっさとしろ」
 疑問を抱きながらもミスタは飲み物を口に含んだあと、手のひらで両耳を覆った。声が聞こえていないかフーゴが確認を取る。ミスタは、もういいのか、と訊いたが、フーゴは首を左右に振り、手で制した。
「連中の人数は四十四名です」
 隣の椅子に腰をかけたフーゴが答えた。この数字をミスタに聞かせては面倒なのだ。
「なんでも学生だそうですよ。連絡先に電話しても音信不通。警察へ被害届を出しても、料理が余っているなら寄越せと言ってきたそうです」
「相変わらずここいらの警察は無能だな」手始めに目の前のピッツァに手を伸ばした。
 フーゴも同意の様子でうなだれる。「あそこの店主には日頃から世話になっていますからね。泣きながら電話を寄越してきたときは何事かと思いましたよ」
 それだけ大人数となれば、アジトに溢れている料理の量も納得が出来た。相手が学生ならば、大人以上の食べ盛りの頃だ。少しは羽目を外したいと思う頃だろうが、悪戯にしてはあまりにも度が過ぎている。
 名前や顔の知らない店なら他所の問題になるが、今回被害に遭ったピッツェリアの店主はブチャラティがチームを結成した頃からの長い付き合いだ。国のために働いている警察よりも、世間のチンピラに飯を寄越したのは彼なりに考えた結果だろう。
「ワインでも飲みますか。アバッキオが帰りに買ってきてくれたんですよ」
「ああ。一杯もらおう」
「ミスタ、もういいよ」
 フーゴに肩を軽く叩かれたミスタは、ようやくといった様子で両耳を開放した。
「で? どうするんだよ、ブチャラティ。オレとしてはちいっと痛い目遭わせてもいいと思うぜ」きのこの載ったピッツァにかじりついたミスタが言う。
「オレたちの仕事は街の治安を守ることだが、恨みを晴らすために動くような殺し屋じゃあねえ。しかし、税金で給料をもらっている役人たちの言葉も聞き捨てならん。寄せ場にぶちこむまではしないが、仕置きをするくらいならいいだろう」
 仕置き、という言葉にナランチャが反応を示す。「じゃあオレもいっしょに行くよ!」
 ブチャラティが即答した。「お前はだめだ。今回の件はオレとミスタの二人で行く」
 綺麗にブチャラティに反対され、ナランチャは拗ねた様子で手に掴んでいた骨付き肉へかぶりついた。向かいの椅子に座っているミスタも今の話を聞いていたようで、目が合うと右手でオーケーサインを作っていた。フーゴによって注がれたワインを飲み、いくら食べても減らない食事に手をつける。
 四十四人前か。冷凍保存してもいいが、そんなまどろっこしいことを約三名が許すだろうか。それ以前にこのアジトにそんな大きな冷凍庫は設置されていない。いったいどうしたものか。
 悩んでいると、ブチャラティ、とアバッキオが呼んだ。アバッキオはポケットの中を漁ると、赤い手帳のようなものを差し出してきた。
「なんだこれは。パスポートか?」訊きながら差し出されたパスポートを受け取る。
「あんたの身内のモンじゃあねえか」
「オレの身内?」
「中身を見れば分かる。オレの記憶が間違っていねえといいんだがな」
 不思議に思い、パスポートを開く。最初に目に入ったのは顔写真で、まさしくだった。思わずパスポートの中身とアバッキオを交互に見てしまう。アバッキオはふん、と鼻で笑った。
「落ちてたのさ。オレが訪ねた本屋の前でな」
「あの本屋の前で? あんな場所でなぜ大事なパスポートを落とすんだ」
「さあな。本屋までの詳しい経緯は知らんが、オレのスタンドで過去の出来事を見た。カツアゲに遭っていたようだ」
 が被害に遭った、というアバッキオの発言に心臓が大きく跳ねた。あの本屋の通りは道も古く、根の腐ったごろつきが集まりやすい場所だ。が本屋へ立ち寄った理由よりも、その先で襲われた経緯を知りたいと思った。
「それで? 彼女はどうしたんだ」
「かなりの腕っ節じゃあねえか。男に一発パンチを喰らわせたあと、持っていたバッグでもう一撃。その時パスポートがすっ飛んだのをムーディー・ブルースで確認している。もちろん、の顔と声もな」
 ブチャラティから長いため息がこぼれた。それは安堵の息なのか、呆れの息なのか。どちらでもあった。
 先日の件も含め、という人間は、少々向こう見ずなところがある。自分が女という性別の枠に嵌められることを嫌っているわけではないが、甘く見られるのは好きではない性格だ。
 薄ら笑いすらこみ上げてきた。そうか、と額に手を当て、首を左右に振った。
「とにかくだ。オレがそいつを持っていても仕方ねえ。ブチャラティ、あんたに預けるぜ」
 半ば押し付けられたパスポートを見つめる。もう一度確認のために中身を開くと、の名前と、見慣れた彼女の笑みと目が合う。最近撮影した写真だろうか。昔と比べて髪が長い。
さんに届けに行くんですか?」少々浮ついた口調でフーゴが訊ねた。
「ああ。パスポートとなると、本人も失くしたことに慌てているだろうからな。明日届けよう」ひらひらと手帳を揺らし、内ポケットの中へしまいこんだ。
「失くしたと思ってるんなら、電話してあげたほうがいいんじゃねえの?」ナランチャが言う。
「それもそうですね」
「オレたちのことはお構いなく~~」ミスタがテーブルに頬杖をつきながらにやけ顔で言った。
 こいつら、オレをおちょくってるのか――と口を突いて出そうな言葉を必死に呑み込んだ。
「そいつは残念だったな。の連絡先は知らない」
「はァ?」ミスタが奇声を上げた。
「いやいや。さすがに嘘でしょう?」フーゴは心底信じられないという表情と声色で問うた。
 ブチャラティは携帯電話を取り出し、すべての連絡先が並んでいるアドレス帳を開いた。見られて困るものは何もない。フーゴとミスタの前に画面を提示し、の名前がないことを確認してもらう。
 フーゴとミスタは携帯電話を握りしめた手を震えさせ、盛大なため息を吐いた。
「連絡先を知らないって……。あんたたちそれでも本当に旧友なんですかッ?」
「オレも連絡を取りやすいように何度か聞いたことがあるんだ。だが『ごめんね』と断られた」
「あっ……」ミスタが片手で顔を覆った。
「エッ。それってつまり、フラれ――」
 ナランチャが言葉を言い終える前に、ミスタがその顔を勢いよく皿に沈める。
「はァ? 納得できないな。連絡先を教えたくない理由でもあったんでしょうか」
「……オレに聞くな」
 理由が分かっていればお前らに話しているし、納得もしている。そう心の中で呟いた。フーゴから携帯電話を返してもらい、ポケットの中へしまった。
 この世の中で携帯電話を持ち歩いていない大人を見つけるほうが難しいほうだ。それには情報屋。最新の通信機器を持っていなくては、仕事に支障が出るはずだ。故に彼女が携帯電話を所持していないという線はゼロに近い。
 とチームの面々が接触してから、ブチャラティは毎度思い知らされている。
 旧友と呼んでいた彼女のことを、ほんとうに何も、なにも知らないのだと。
「ならホテルに直接向かうべきですね。さんの宿泊しているところを調べてみます」
 フーゴは椅子を立ち、ネアポリス内のホテルの情報が記載されているファイルを取りに向かった。組織からの要望であれば、いかなる理由があっても店側は客の情報を提供しなくてはならない。少々荒っぽく見えるが、これが自分たちの仕事なのだ。
 数分後、ホテル側と取引を終えたフーゴが携帯電話をしまいながらテーブルへ戻ってくる。
「分かりましたよ。ブチャラティ」
 フーゴは手元のファイルから書類を取り出した。
「名前は『ホテル・ラ・ヴィータ』。ここからだと歩いて二十分ってところでしょうか」
 ブチャラティは書類を受け取り、道のりが記された地図を確認した。
「明日行くのなら、ドタキャン野郎たちの始末は僕とミスタでしておきますよ」
「軽く締める程度でいい。それに、今回の件はオレとミスタのほうが向いている。お前がなにかの拍子でスタンドを発動させたらそれこそ後始末が大変だ」
「それもそうですね」フーゴは肩を落とした。
 腕時計を確認すると、二十二時に差し掛かるところだった。向かいの席で満腹状態のミスタが膨らんだ腹をさすっている様子をうかがう。
「ミスタ。十五分後に出るぞ」
「ん、了解~~」歯の間に挟まったものを爪の先で取り除きながらミスタが頷いた。
「この大量の料理はどうするんです」困った様子でフーゴがもみあげを掻いた。
「さすがにオレたちじゃあ食べ切れんな。かといって処分するのは、それこそ店主を裏切る形になる。捨てるくらいなら誰かに食べさせたほうがマシだ。まだ作られて間もないんだろう」
「そうですね。あてなら幾つかあります。僕たちで手分けして配ってきますよ」
「ああ、苦労をかける。オレたちのほうもそこまで時間はとらない。夜明け前には帰る」
「いいや、ブチャラティ。そこは朝飯前だろ」
 腰に両手を当てながらミスタが立ち上がる。そのまま身体を左右に捻り、間接を鳴らした。
「どうしてだ、ミスタ」ブチャラティも席を立つ。
「そりゃあ。ブチャラティ、あんた……ッ!」
 ミスタは身振り手振りで言葉を搾り出した。
って女へ会いにホテルに行くんだろッ? だったら朝飯前にホテルに行ってよォ~~。そのまま二人で飯食ってデートするしかねえだろうがよォ~~!」
 立ち上がった席の隣でアバッキオとフーゴが「おッ」と小さく声を揃えた。
「デート!?」ナランチャは子供のように顔を緩ませ、にやける口元を両手で覆い隠している。
 こいつら。完全にオレの賑やかしと化している。
 ミスタが言い出すと事が大袈裟になるが、決して悪い話ではないな、と素直に感じた。あの時再会して以来一度もと顔を合わせていない。同じネアポリスにいると知っていても、なかなか姿を見ることはできずにいた。こういうときに連絡先を知っていれば便利なんだろうな。そう思えるのは、もしかしたら今夜で最後になるかもしれない。
 ブチャラティは小さく咳払いをしてから「わかった。誘ってみよう」と頷く。
 その場にいた四人がテーブルの真ん中で拳をぶつけ合った。アバッキオ、お前まで何をしているんだ。
「よしよしよしッ! そうと決まれば、ぱぱっと終わらせてって女のところへ行こうぜッ!」ミスタが手招きをしながら扉の前まで走った。
「分かったから騒ぐな。子供かお前は」
「おい、ブチャラティよ。コンドーム持って行くかい」アバッキオが徐に懐を漁りだした。
「ピルのほうがいいんじゃあないか」フーゴが言う。
「てめえらそれ以上言ったらブン殴るぞ」
 スティッキィ・フィンガーズが背後で拳を固めているところを見せても、彼らは「ふふん」と何も怖くないような顔を浮かべていた。
 相手を続けていても自分が疲れるだけだと判断し、車のキーを取り出してミスタと共にアジトを出た。
 四十四人がどうした。そんなものとのデートプランを考えることに比べれば朝飯前だ。

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