ドリーム小説 10

「ま~~たあの映画の予告特集かよ。これ見るの何回目だ? さすがに聞き飽きたぜ」
 アジトで流れているテレビ放送を眺めながら、不服そうなミスタがソファーの手すりに頬杖をついた。適当にチャンネルを回すも、これといって気に留まるような番組はない。結局リモコンを放り投げ、立ち上がって冷蔵庫へ向かった。ソファーで腕を組みながら昼寝をしていたアバッキオは、テレビ画面に誰も目を向けていないことに気がつくと、放られたリモコンを拾って電源を落とした。そして再び目を閉じる。ナランチャとフーゴはいつものように、テーブルに向かって勉強をしている。相変わらずのフーゴのスパルタ加減に、ナランチャは参っている様子だ。
 時刻が午後の二時を指した頃、ブチャラティがアジトへやって来た。一人掛けのソファーに腰を下ろし、テーブルに向かって頭を抱えているナランチャを見ておかしそうに笑った。それでも「どうした」などと声をかけるつもりはない。傍にフーゴがいるからだ。
 コーラの蓋を開けたミスタがソファーへやって来る。近くの本棚から雑誌を取り出し、テーブルの上に組んだ両足を載せてそれを開いた。
「おいおい。雑誌でも映画特集か? 勘弁してくれってモンだぜ。オレは女が見たいのによォ」
「映画?」ブチャラティが訊いた。
「知らないんすか。ここ最近、メディアで取り上げられているファンタジーアクション映画」
 ミスタは雑誌を開いてブチャラティに見せた。間もなく公開される映画の広告が載っている。子供向けに執筆されていた小説が発売されてから人気を博し、実写映画化された事はブチャラティも知っている。しかし彼は昔からファンタジー作品とは無縁だった。どちらかといえば現実で起こりうるサスペンスや、音楽を題材とした物語のほうが好みだからだ。
「配役もほとんどガキばっかりなんだろ?」ミスタが雑誌を戻し、ソファーにもたれかかる。
「ヒロイン役が可愛らしいじゃあないか。僕は結構好きだなあ」フーゴが言う。
「そういえば」
 ナランチャは何かを思い出した様子で、睨み付けていたノートから顔を上げた。
「ブチャラティ。この間、って人と会ったよ」
 糸が切れたように、アジトの中が静まり返る。
 ミスタはこれから手入れしようとしていた拳銃を床に落とした。昼寝をしていたアバッキオも違和感を覚えたのだろう、眠り眼のままブチャラティを見ている。
 ナランチャは「なんか変なこと言った?」というように、メンバーの顔を交互に見ている。
「そうか、に会ったのか」
「うん。『えすて』に行くって」
「随分と長旅だったからな。休みたいんだろう」
 がしばらくネアポリスへ留まる事は知らされていたため、驚くほどのことでもない。寧ろ、部下の皆が彼女と顔を合わせる未来は見えていた。自分の親しい友人ならば尚更だ。
 ナランチャがに会ったというのなら、フーゴもあの夕食以来の再会を果たしたのだろう。はフーゴのことを覚えていただろうか。記憶力のいい彼女ならば、この特徴的な身格好を見てすぐに気付くな、とブチャラティは思った。
「ブチャラティ、って誰ですか……?」若干だが、ミスタの声が震えている。
「ん? 日本人女性だよ」
「あんたの女か」アバッキオも上司の珍しい色恋話に、心なしか興味を持っているように見える。
「そんなんじゃあない。彼女はただの友人さ。オレがギャングの駆け出しだった頃からのな」
 素直に真実を話しているのに、ミスタたちは納得できないという顔を浮かべている。思わず苦笑をこぼし、払いのけるように手を振った。
「期待しても何も出てこないぜ。正直なところ、の素性についてはほとんど知らないんだ」
「知らない?」フーゴが訊いた。
「ああ。向こうもオレと同じだ。ギャングってこと以外は何一つ知らないはずだ」
「昔からの仲なんでしょう? さんがどんな事をしているかくらいは知っているんじゃあないですか」
「どんな事、か……」
 部下に嘘はついていない。もしそれを知っていたとして、隠す理由がないからだ。
 思い返してみれば――今まで彼女との関係を誰かに話すようなこともなければ、問われたこともない。
 だからこそ、今の状況で改めて気付かされた。自分はをよく知っているようで、実は未知に近いのだ、と。二人の間の記憶に残っているものは限られているが、確かな事はある。
は……常に秘密を持っている」
「秘密?」フーゴは首を傾げた。
「昔から、どこからか噂話や詳しい事情を仕入れてくるのが上手かったんだ。情報屋ってやつさ」
「情報屋、ねえ」ナランチャが呟く。
「とある約束を交わしたあと、はオレにその情報を流してくれるようになった。金稼ぎに利用できた事もあったし、交友関係にも繋がった。その延長線上でお前たちを見つけた……と言えば大げさになるが、彼女も多少は関わっているということだ」
 ナランチャ以外は心当たりがあるだろう。フーゴやミスタは神妙な面持ちになっている。
「普通なら仕入れることの出来ない情報を常に手元に携えているんだ。ただの一般人でないのは確かだが、もう一つだけお前たちに伝えておきたい」
 四人の視線がブチャラティに集まる。
は完全に白だ。オレたちに危害を加えるようなことは決してない。オレが保証しよう」
「そう言える根拠はあるのか?」
 訊いてきたのはアバッキオだった。彼はチームの中でも人一倍警戒心の強い男だ。アバッキオはブチャラティを疑っているのではない。あくまでもという人物を疑っている。
 そう思うのも無理はない。先日、フィレンツェの田舎町で銃撃戦が起こり、縄を張っていたギャングが襲われたという話をしたばかりだ。その時にアバッキオはこうも言っていた。
 『情報収集に長けているヤツがいた』と。
 同じ特徴を持つ人物の説明をされた今、アバッキオが引っかかりを覚えるのも当然だった。
「オレは彼女を信頼している。だからこそ潔白だと言い切れる。それだけだ」
 ブチャラティが断言すると、アバッキオは何も言わなくなった。ブチャラティにとって、その沈黙はとても頼もしい自信にもなった。の疑念が晴れた事はもとより、仲間が自分へ信頼を寄せているという証を感じることができたからだ。
「僕も彼女は悪い人ではないと思います。まだ会って間もない人ですが、優しい方でしたよ」
「お前も会ったのか?」アバッキオが訊く。
「ああ。実はブチャラティと三人――いや、あの時は四人だったな。みんなで夕食を食べたのが最初で、ナランチャと歩いているときに会ったのが二回目だな」
「夕食って……。もしかしてオレたちが三人でアジトにいたときか? もう一人って誰だよ」
 ナランチャの質問にフーゴは即答した。「子供だよ。公道で暴れていた男に襲われていたのをさんとブチャラティが助けたんだ」
 夕食の時間を共に過ごし、のバイクで送られた少年。翌日は母親の誕生日と話していたが、家族と愉しい時間を過ごすことができたのだろうか。
 そしては――何をしているのだろうか。ネアポリスに戻ってきたのはもちろん喜ばしいが、それによって世間の何かが大きく変わることは決してない。
 ブチャラティの心境以外は。
 彼はのことを一心に考え、昔を思い出していた。場所はネアポリスの海辺が見えるブラッスリーのテーブル席――と、風景が思い浮かんだ時だ。どこからか「白か。白か……」と呪文のような声が聞こえてくる。
「白か。ああ、白かァ……」
「おい、どうしたミスタ」
 声の主はミスタだった。今思えばの話題になってから口数が少ないと思っていた。
 ミスタは呼吸を整えていた。深い息をついてから「そうか」と一人納得している。
「思わず取り乱しちまったぜ。まさか今時、白を好む女がいるとは思わなくてな」
「……お前はいったい何の話をしてるんだ」
「それでよォ、ブチャラティ。そのって人はシルク派だったのか? それともサテン派か?」
 傍でミスタの話を聞いていたフーゴが氷よろしく固まる。微妙な面持ちで静かに立ち上がり、教科書を開いたままのテーブルへ戻っていった。
 アバッキオは徐にヘッドフォンを装着している。今の話を聞いていたのかそうでないかは定かではないが、ブチャラティとしては自分もそのヘッドフォンを貸してもらいたい気持ちだった。
「ブチャラティ。そこんとこどうなんだ?」
 とりあえずミスタを黙らせるため、ブチャラティはスティッキィ・フィンガーズで彼の口に封を閉じた。

戻る