店を出てから長らく経つが、の自宅にはまだ着かない。雨足も徐々に強さを増していき、二人の靴はあっという間に泥だらけになった。
「随分と遠いな、あんたの家」
「すみません。安いだけあって町から大分離れているんです。普段はチョコボで移動することが多いんですが、今日は荷物のこともあって歩きで来ちゃって」
荷物というのは、彼女が着ていた舞台衣装や仕事に必要な道具のことだろう。
レイルは気になっていたことを訊いてみた。「そういえば、どうしてスーツなんだ」
「どういう意味ですか?」
「あくまで俺の考えだが、女のピアニストはドレスを着てるもんだろ」
「ペダルを踏むときに裾が引っ掛かってしまうときがあるんです。何より女性が必ずしもドレスを着なくてはならない、という決まりはありません。逆もまた然りですが」
「男がドレスをねえ」想像してみたが、やはり違和感の塊でしかなかった。
「レイルさんのご期待に添えず、申し訳ありませんでした」
「いや、特に期待はしてない」
「それもそれで酷い」
緩やかな坂を上りきると、小さな屋根が見えてきた。彼女は、あれです、と指した。一人で暮らすには十分すぎる大きさだが、それでもやはり遠いな、と思った。
「先にチョコボの世話をさせてください」
家の外に面して小さな小屋がある。扉を開くと、中には一匹のチョコボがいた。は傘から抜け出してチョコボの体を撫でた。聞き馴染みのある鳴き声を発しながら、チョコボは主人の帰りに嬉々とした様子で尻尾を振っている。
は鞄からチョコボの主食とも呼べるギサールの野菜を取り出した。チョコボは更に尻尾を振るわせ、ギサールの野菜を咥えた。メスなのか丸呑みせずに、上品に少しずつ摘まんでいる。見ていて飽きない姿だ。
「今日は雨だから外に出られないな」がチョコボの体を撫でながら言った。「明日は休みだからどこか遠くへ散歩に行こうね」
言葉が通じているのか、チョコボは食べるのを止めて頷くように返事をした。その青い瞳がレイルを捉え、興味津々に近づいてくる。
「警戒されてる?」
「レイルさんの匂いに反応してるのかもしれません。この子は人懐っこいですから」
触ってみてください、と促され、レイルはチョコボの顎を撫でた。青い瞳が細くなり、半ば突進される勢いで擦り寄ってきた。黄色い羽毛が柔らかくて心地よい。
「おい、濡れるぞ」
それでもチョコボは離れようとしない。寧ろ遊んで欲しいと言わんばかりに声を出す。
「一目惚れしちゃったみたいですね」
「、主人だろ。何とかしてくれ」
「こうなってしまったら、わたしでもどうすることができません。諦めてください」
まったく、と言ってレイルはチョコボを引き離した。「チョコボに求愛されても困るぜ」
「因みにこの子は男の子ですよ」
レイルは返す言葉に困った。
ようやく家の中に案内され、服や髪についた雨粒を払った。レイルは泥まみれになった靴のままで床を踏んでいいものか、と躊躇したが、は気にせず廊下を歩いている。荷物を適当な場所へ置くと足早に奥の部屋へ消えたが、すぐにタオルを持って戻ってきた。
「使ってください」
「助かる」
「まさかこんなに本降りになるなんて思いませんでした」は髪を拭いながら呟く。「早く天気を予測できる機械か何かが出来ればいいのですが」
「シドなら――」出来るかもしれないな、と言いかけたところで、レイルは口を結んだ。
何のことだと問う顔に向かって、彼は何も言わずにかぶりを振った。
「そのままだとさすがに凍えちゃいますね」彼女は一考すると、クローゼットから白シャツとボトムスを取り出した。「レイルさん、よかったらこれを使ってください」
受け取った着替えは紳士用だった。「どうしてあんたが男物の服なんて持ってるんだ」
「女性が男物を持っていたら変ですか?」
「いや……そういうわけじゃない」
「とにかく着替えてください。風邪をひきますよ。ああ、濡れた服は乾かしますので、奥の部屋に掛けておいてください。わたしは準備することがあるので、適当に掛けてくださいね」彼女は早口で言うと、再び別の部屋へ消えていった。
レイルはタオルを片手に廊下に立ち尽くした。借りてきたクァールというほどではないが、他人の家で世話になった経験がほとんどないため、どうすればいいか分からなかった。
しかし相手がと考えれば、少しだけ気が楽になった――気がした。
海沿いということもあり、家の中は冷える。段々と体温が奪われていく感覚を覚える。
レイルは言われたとおりに着替え、濡れた服を掛けた。廊下を抜けた先は広間になっていた。外から見るよりも大分こぢんまりとしている。壁際には暖炉が設置されており、レイルが部屋に入ったときには既に火が点いていた。
何だろうか。暖炉の火を見ていると、懐かしさが込みあげてくるこの気持ちは――。
家に足を踏み入れたときからそうだった。壁に染み付いた匂い。間取り。初めて来た場所であるはずなのに細胞がそうではないと騒いでいる。
きっと疲れているからだ。レイルは無駄な思考を払いのけ、ソファーに腰を沈めた。
辺境の地で知り合いとの再会を望んでいたわけではない。しかし、何かと不思議な縁を引きつける質がある自分のことだ。いずれはクァイスやベルなどに見つかるのではないか、と懸念していたことも確かだった。
迂闊には口に出せないが、の存在はすっかり頭から抜けていた。だからこそ、彼女の姿を見かけたときは酷く驚かされた。
が戻ってくる。彼女も動きやすい服装に着替えている。
「寒くないですか?」
「お陰さまで」
どうぞ、とマグカップを差し出される。中身はコーヒーだった。
「お店で出していた味とは程遠いですが、美味しいと思いますよ」
「それなら、これに入れてもらえばよかったかな」取り出したのはタンブラーだった。
は目を丸くさせる。「まだお持ちだったんですか?」
「なんだ。捨てたほうが良かったか?」
「いえ、そういうことでは……」
「これのお陰で何かと役に立った」
「そうなんですか?」例えばどんな風に、と彼女は間を空けてソファーへ腰を下ろした。
「……言ったら多分、あんたは怒る」
「つまり」コーヒーを含み、飲み込んでから口を開いた。「いけないことをしたんですね」
「想像に任せる」
は苦笑した。「そうやってすぐにはぐらかすところも変わらないですね」
「あんたは随分と変わったように見える」
「そう、でしょうか」彼女は頬を掻いた。
「一人で暮らしてるのか」
「はい」は部屋を見渡した。「町の方に住める家がないかと訊ねたら、ここを紹介されたんです。本当は立て壊す予定だったらしいのですが、貰い手になってくれれば家賃は安価で済ませられると応じてくれたんです」
「確かに」レイルも周囲を観察する「こんな場所に住むやつはそうそういないだろうな」
「聞いた話によれば、当初は若い女性が生まれたての赤子と暮らしていたんだそうです。でも気付いたときには母親も子供もいなくなっていて、それっきりだったとか」
「曰く付きってやつか。夜逃げでもしたのか」
「さあ」彼女は首を傾げた。「もしかしたら近くで暮らしているかもしれませんね」
「ここは街から離れててかなり不便だしな」
「もう、何度も言わないでください」
苦笑をこぼした彼女は、コーヒーを飲んだ後にとんでもないことを提案してきた。
「今日は泊まっていかれますか」
レイルは思わず吹き出した。「いま何て言った?」
「だから、泊まっていかれますか――と」
「正気か?」
「招いた来客をこんな雨の中、放り出すわけにはいきません。それに寝るスペースならちゃんと別の部屋を用意しますよ」それとも、と雨風が吹き荒れる窓の外を眺めた。「今夜は野宿の予定でもあるんですか」
正直なところ、宿を設けてもらえるのならこの上なくありがたい。しかし相手がだと安心していても、自分は男で彼女は女だ。はい・いいえの選択肢を与えられるとすれば、女であるだというのがレイルの考え方だ。
いや――考えれてみれば、どうしてこんなに自分ばかりが焦らなくてはならないのか。
レイルは前髪に指を突っ込み、ぽりぽりと頭を掻いた。どう答えるべきか迷っている。
「それじゃあ、こうしましょうか」彼女はマグカップをサイドテーブルへ置いた。「久しぶりにお客さんを招いたので、わたしに構わせてください。それと贈り物でもらった葡萄酒が溜まっているので、いっしょに開けてもらえませんか」
はっ、と情けないほどの声が漏れた。やはり彼女は数年で変わった気がする。
やや間を空けてから、分かった、と答えた。「それじゃあ今夜だけあんたの世話になる」
「ありがとうございます」
「いや、礼を言うのは俺のほうだ」
「いえ、わたしが無理に引っ張ってきたんです。気にしないでください」そうと決まれば、と彼女はキッチンスペースへ向かった。戸棚から出てきたのは先ほど話していた葡萄酒の瓶だった。二人で飲むには丁度いいサイズだ。「早速飲み始めませんか」
「あんたは酒、強いのか」
「人並みには。記憶が飛ぶまで飲んだことがないので、自分の許容範囲がまだ分からなくて。レイルさんは弱めのお酒を飲んでましたよね」
「あれは勝手に運ばれてきたんだ。注文したわけじゃない」軽く子供扱いを受けたよう気がして、自分でもむきになって答えてしまったな、と思った。
「それじゃあきっと大丈夫ですね」
「飲み比べといこうか」
「負けません」彼女は楽しそうに笑った。
まさかこの些細な意地っ張りが、この先の展開を大きく変えるとは思わなかった。
葡萄酒が音を立ててグラスへ注がれ、再会を祝した乾杯が交わされる。
レイルは話題を見つけるのに時間がかかると思ったが、それは最初だけだった。
三十分も経たないうちに一本目が空になった。今はが二本目を開けている。
「それじゃあ、しばらくクァイスさんとは会ってないんですか。それは寂しいですね」
「あいつがどう思ってるかは別だけど」
「わたしは女だから男性のことは解りませんが、やっぱり言いにくいものなんですか」
「何が?」
「お前と会えなくて寂しかった、とか」
レイルは思わず顔をしかめた。クァイスがそんなことを言う姿が想像できなかったからだ。もしも言われたとしても、やつの場合は嫌味も含まれているはずだ。
それに――バイガリの死を受け止めきれない同胞たちを放って、自分だけがのうのうと王都に居座るわけがない。恐らくセルキーズギルドへ戻り、纏め役としての任に就いているに違いない。相棒のようで悪友にも似た関係だったからこそ、解る。
「はどうなんだ」
「何がですか」
「店にいた頃、やけにクァイスを気にかけてただろ。何か特別な思いでもあったのか」
彼女は、ぽかん、とした表情になった。何か不味いことでも訊いてしまっただろうか。
「殿方は女性から優しくされたら、自分に好意を向けられていると思うんですか?」
今度はレイルが唖然する。同時に女の底知れない本性が垣間見え、内心ぞっとした。
「クァイスさんのことはもちろん好きです。ですがレイルさんが考えている感情とは少し差異があるかもしれません。男性としてではなく、人格に惹かれていましたから」
「それ、あいつが聞いたら多分喜ぶぜ」
「会いたいですね。クァイスさんにも……」
しかし、いまは互いにアルフィタリアを離れ、遠い異国の地で酒を酌み交わしている。それには何か特別な理由が含まれているはずだ。
突然生まれた沈黙を破るように、が二本目の最後をグラスへ注いだ。
「レイルさん、さっきわたしに訊きましたよね。どうしてこんなところにいるのか、と」
「ああ」
「魔晶シャトル内で話したこと、覚えてますか?」
レイルはグラスを傾けながら記憶を巡らせる。やがて回想のなかで答えを導き出した。
「もしかして、ここはあんたの生まれた土地?」
「そうなんです」彼女は力強く頷いた。「母がわたしに言い残してくれていたんです。遠い大陸にわたしが生まれ育った小さな町があると」
「ちょっと待て」レイルは胸の前で手を立てた。「言い残したってどういう意味だ」
は酒を飲む動作を止め、深い息を吐いてから答えた。「先ほども教えたとおり、わたしが王都で働いていたのは人前に慣れることが理由でもあります。でも本当は王都の内部事情を探るため――いいえ、わたしのせいで冤罪を被ってしまった実母の行方を探るためだったんです」
「あんたの母親?」
「はい。クリスタルベアラーとして生まれてきたわたしを世間の目から守るため、数年前に王都の判断によって連れて行かれたんです。未だに行方不明のままです」
初耳だった。いや、正確にはの口から母親の存在は仄めかされていた。過去の彼女の口振りからして、母親とは共に暮らしているものだと思っていた。
やっぱり、と彼女は言った。「レイルさんには包み隠さず話したほうがよさそうですね」
「それじゃあ、俺の記憶はあんたが?」
「わたしの口から説明するのもなんですが、勝手にあなたの記憶をいじった責任もあります。少し長くなりますが、どうか聴いてください」
「話してくれ」
は慎重且つ、言葉を選ぶように、ひとつひとつ掻い摘んで話した。あの日に何が起こったのか。そして何を語ったのか。
レイルは記憶を失っているため、話を聞いても懐かしさは感じられない。しかし心のどこかで抱いていた違和感や身体に残っている匂いや感覚が蘇ってくるようだった。
彼女は王都へ連行されたあと、自らの罪を包み隠さず告白した。しかし表向きにはクリスタルベアラーによる犯行とはせず、セルキー族による自作行為として片付けられた。
その理由を追究すれば、当時の参謀長であるジュグランによる判断だと返された。彼は種族緩和を唱える国王を忌み嫌っており、そのなかでもクリスタルベアラーとセルキー族に対しては強い嫌悪感を抱いていたという。
それならば、事件の一件をセルキー族だけではなく、クリスタルベアラーの風当たりをも悪くするためにいくらでも捏造できたはずだ。
しかし今となっては考えても仕方のないことだ。
レイルの元に逮捕令状が届かなかったのは、が護送に関与していた兵士たちの記憶を操作していたことも分かった。あくまで自身の罪は消さず、レイルが自分を助け出す前まで記憶を戻した、と話した。
「監獄砂漠で王都のために働くか。国からの永久追放か。二択を迫られました。わたしは悩んだ末に後者を選び、王都で母の行方を探ることを断念せざるを得ませんでした。しかも、与えられた条件はどれも厳しいものばかりで」
「条件?」
「まずは身内への報告を禁じること。レイルさんのような知人にも行き先や行方を告げることを許されませんでした。二つ目はカフェスペースの閉鎖。王都としては秩序を乱す存在であるベアラーの起用は好ましくなかったようです。まあ、これは今に始まったことじゃありませんけど……」
最後は、と呟いて彼女は顔を俯かせた。
「最後は実母の行方を探る行為を禁じること。ジュグラン参謀長は、まるでわたしに母の行方を探られたくない、と訴えかけているようにも見えました。理由を問おうとしたのですが、わたしのように身分の低い人間には答えてもらえず……」
でも、と彼女は言った。
「ひとつだけ、質問に答えてくれました」
「何を」
「母は今でも生きているのか、と訊いたときです」
「あいつは」
「え?」
「そのジュグランは何て答えたんだ」
は深呼吸をした。「あれを生きていると呼べるならば、と」
レイルは鉛を飲み込んだような気分になった。彼女の話を聞き進めている上で、口には漏らさなかったが一抹の不安が過ぎったことは確かだった。
王都が生活のエネルギー源として活用していた魔晶石の本来の姿。そしてジュグランの正体を全て知り得た今なら、彼女が聞いた答えの意味を如実に理解することができる。
恐らく――いや間違いない。の母親はジュグランの手によって既に殺害されている。クァイスを守ったバイガリや、自分に全てを託したアミダテリオンのように。
乾いた喉を潤そうと瓶を持った。だが中身が空であることに気付き、を見やる。
「次のはかなり強めですよ」
「構わない。寧ろ今は強い酒が飲みたい」
「分かりました」
は腰を持ち上げ、キッチンスペースへ向かった。やがて黒い瓶を片手に戻ってくる。見るからにきつそうな酒だ。
「本当に大丈夫ですか?」
「ああ、入れてくれ」
「これで最後にしておきましょうか。日付が変わってから随分と経ちましたし」
「もあんまり飲みすぎるなよ」レイルはグラスを傾けた。「俺があんたを介抱することになったら、今は何するか分からない」
「その時は自分なりに対処します」
「そうしてもらえると助かる」
窓から外の景色を見た。いつの間にか雨は上がっており、満月が顔を出していた。
隣から視線を感じる。を見ると、やはり彼女がこちらを見つめていた。
「どうした」
「やっぱり」
彼女は身を乗り出すと、レイルの頬に手を添えた。酒を含んでいるからか、それとも他に理由があるのか。彼女の手はほのかに熱を帯びていた。
「おいおい、酔ってんのか?」
「レイルさんにはクリスタルがまだ残ってる」
「え?」
は耳に髪を掛けた。先ほどまでつけていた耳飾りだけではなく、クリスタルベアラーの証である輝きが失われている。正確には無くなっているのだ。
「――どういうことだ」
「わたしは自然と消えたんです」理由は分かりませんけど、彼女は首を捻った。「でも、どうしてレイルさんには残っているんですか?」
まさか、とレイルが小さく呟いた。「ユーク族の復活と何か関係しているのか?」
「ユーク族の復活?」
レイルは過去の出来事を反芻させる。王都アルフィタリアが発展を遂げた礎とも呼べる魔晶石は、かつてリルティ族との戦いに敗れたユーク族のクリスタルそのものだった。アミダテリオンは自身たちの光を取り返すため、表の世界へやってきた。
そして恐らく――が母親から託されたドアノブは、ユーク族が表の世界に残した種族固有の道具か何かだろう。魔晶石が元々彼らのクリスタルであれば、ベアラーの能力と共鳴して空間を移動することもできたはずだ。これらはどれもあくまでレイルの考察に過ぎないが。
しかし、これは魔晶石に限った話であって、クリスタルベアラーの消滅に直接的な関係があると証明されたわけではない。
だが、現にベアラーだった彼女がクリスタルを失っている。
自分と彼女の違いは何だ。
呪いなのか。それともクリスタルを継ぐ者として選ばれた唯一の存在なのか。
分からない。俺は一体、何者なんだ――。
「レイルさん、レイルさん」
はっとして顔を上げる。そこには労わるように顔を覗きこんでいるがいた。
「大丈夫ですか?」
「……あ、ああ」
「顔色が悪いです。やっぱり少しお酒が強かったのかもしれませんね」
お水を取ってきます、と立ち上がったの手を咄嗟に掴んだ。自分でも無意識だった。見上げれば彼女が不思議な面差しでこちらを見ている。
「悪い」レイルは手を離した「何でもない」
ここにきて酒の酔いが回ってきたのか、正しい判断を下せなくなってしまっている。
「今夜はもう寝ましょう。レイルさんも雨の中遠くまで歩いてお疲れでしょうから」
「いや、まだ寝たくない」本当に、子供みたいだ。
「……部屋を片付けてきます」
「いいって」
「でも、レイルさん――」
「はい、あんたの負け」
この場を離れようとしたが振り返る。視界が霞んで表情までは見えない。
「家に着くまでだって言ったぜ」
「それ、まだ続いてたんですか」
「当たり前だろ」
「それじゃあ」彼女が言った。「どうするんですか。わたしにして欲しいことでも……?」
――してほしいこと?
レイルは何か考えがあったような気がしたが、何も言わずに時分の隣を叩いた。
こちらの真意を読み取ったのか、彼女は隣へ腰を沈めた。