ドリーム小説 13

「つまり、こういうことだ」向かいのソファーに座りながらクァイスが言った。「お前は自分がどうしてその場にいたのか覚えてないってことか」
「そういうことになる」
「……寝てた可能性は?」
「あんな場所で昼寝なんかするかよ」
「だよなあ」クァイスは頬杖をついて苦笑する。
 二人はシドの工房にいた。レイルは先ほどまで森林地帯付近にいたのだが、不思議なことに今朝からの記憶をまったく覚えていない。昨日の夕方から寝る直前まで、スチームエンジンの開発に付き合っていたことまでは覚えている。だが、気付いたときには見慣れない高原に立っており、傍には廃車紛いの魔晶バイクが一台停まっていた。恐らくは自分が乗ってきたものなのだろうが、その理由と経緯がどうしても思い出せない。
 クァイスに話を聞いたが、自分は別件で王都にいたから分からない、と答える。もしもその場に第三者がいたとしても、お前がただっ広い高原へ人を連れて行く理由が見つからない、という意見も加えられた。確かにその通りだと思った。
 クァイスがソファーに隙間を作る。シドがやって来たからだ。
「少し前から聞こえていたが、ワシもお前さんのように記憶が飛んだことがあったぞ」
「そうなのか」クァイスが先に反応を示した。
「例えば?」今度はレイルが訊いた。
「深酒をしたときじゃろう。あとは組み立てが失敗して爆発したときもあったな。他には――」
 シドは太い指を折りたたみながら話す。だが、二つ目の経験談を聞いた瞬間からレイルの興味は完全に失せた。それはクァイスも同じだったようで、逃げるようにこの場から離れた。
「その話はとりあえずいい」レイルは手刀を切った。「今朝は何があった」
「そうじゃな」シドは顎に手を添えて、一考する素振りを見せた。「工房の爆発音でお前が起きて、その後のことは覚えておらんな。すぐにガレージを出てしまったからの」
「俺は何か言ってたか」
「お前さんがワシらに何か言い残すときがあるか? 大概は黙って出て行くじゃろうが」
 それもそうだな、とレイルは思った。
 とにかく、とシドは言った。「兵士に追いかけ回されていないということは、お前さんが何か悪事を働いていたわけではない、ということじゃ。ただ忘れているだけで、思い出せないだけかもしれんぞ。歳を重ねるとよーく解る」
「歳はとりたくないもんだな」
「誰が年寄りじゃとっ」シドは拳を固めてテーブルを叩いた。「ワシはまだまだ現役じゃ」
「おいおい、自分で言ったんじゃねえか」
 面倒に巻き込まれる前にレイルも退散した。中心にそびえ立つ巨大な機械の奥へ回りこむと、クァイスが椅子に座りながら数枚の書類を眺めていた。
「アレクシス記念飛行の護衛任務についてまとめられた小難しい書類さ」こちらに気付いた彼が紙面を見ながら言った。「今回はさすがに条件が細かい。飛空客船とは一定の距離を保ちながら飛行且つ、十五分に一度の状況報告。おまけに乗客の人数や顔ぶれも覚えておかなくちゃならねえ。これはリルティたちの仕事だろ」
「貴族も乗船するって話さ」レイルは書類の一枚を抜き取った。言ったとおり、一覧には身分の高いリルティ族の名が並んでいる。「どんな状況でも対処できるように、式典に参加する人間には把握しておいてもらいたいんだろ」
「どんな状況でも、ね」
 クァイスが意味ありげな視線を送ってきたが、レイルは特に何も言わなかった。
 書類の中に契約書を見つけ、無くす前にクァイスに戻す。「これはお前に預けておく」
「妥当な判断だな」
 式典でまた何かやらかすんだろう、と思っているに違いない。
そんな風に考えながらジャケットのポケットに手を突っ込んだ時だった。何か冷たいものが入っている。取り出してみると魔晶石が埋め込まれているドアノブが出てきた。
 これは、確か――。
「そういえば、城内で小耳に挟んだんだが……」
「どうした」
が働いてるカフェスペースあるだろ」
「ああ」
「無くなるらしい」
「無くなる?」レイルは咄嗟にドアノブをポケットへしまった。「移転するってことか」
 いや、とクァイスはかぶりを振った。「カフェ自体が無くなっちまうんだ。今度はアイテムとアクセサリを扱う店に変わるって聞いたぜ」
「随分と急だな」
「オレも思った。もしも閉店するのなら、が言わないはずがない」
 彼女の名前を聞いたとき、何故かレイルは妙な懐かしさを覚えた。
「しばらく彼女には会えないだろうな。カフェで働いていること以外は何も知らねえし」
「そうだな」
「彼女、お前のこと好きそうだったのに」
「どうしてそういう思考になるんだよ」
「お前には特別優しかっただろ?」
「あのお姉さんは誰にだって特別扱いするんだよ。端から見れば、お前だって同じさ」
「それもそうか」でも、とクァイスは言う。「お前がを見る目はどうだった?」
「回りくどい言い方は嫌いだ」レイルは彼に背を向けた。「訊くならはっきり言えよ」
「彼女のこと、ずっと気にしてただろ」
「お前が考えるようなことじゃない」
 しかしクァイスが言っていることは正しかった。レイルが彼女を黙視にも似た姿勢で注視していたのは、本人がクリスタルベアラーであると判っていたからだ。それだけではない。自分が同じベアラーであるのにも関わらず、全く干渉してこなかったことが大きな理由に含まれている。がクリスタルベアラーではない、と認識しているクァイスの目線からでは、異性の繋がりを辿ってしまうのも無理はないと思った。
 レイルはそのまま自室へ戻った。ソファーに腰を下ろす前に、テーブルに置かれている一枚の紙切れが目に留まった。手に取ってみると、書面には先ほどクァイスが目を通していた『護衛任務』についてまとめられていた。恐らく真正面から渡してもろくに読まずに捨ててしまうと考え、やつが部屋に置いたのだろう。
 ソファーに体を沈ませ、適当に書類に目を通してから天井を見上げる。くるくる、と時計回りに回転するシーリングファンと目が合い、ふとレイルは違和感を抱き始める。
 最後にと会ったのはいつだ?
 レイルはポケットからドアノブを取り出した。やはり間違いない。これは彼女が以前、仕事の倉庫扉を開いた代物だ。それもありふれたものではない。扉の向こう側には不思議な空間が広がっており、店にも似た部屋にはクラヴァット族を中心とした変わった連中が集まっていた。
 記憶が正しければ、レイルは彼女と食事をし、そのあと葡萄農園で何かを探した。
 花だ――月下美人を求めて、彼女は自分を護衛役として雇った。その後、魔物の軍勢に襲われ、彼女は隠していたクリスタルベアラーの力を晒したのだ。
 それだけだ。からドアノブを渡された覚えなどない。あの日以来は王都へ向かう理由もなかったため、必然的に彼女と顔も合わせていない。何かの拍子でドアノブがポケットに潜り込んだとしても、護衛の依頼を受けた日から既に七日も経っている。気付くはずだ。
 ここまで考えても答えが出てこないのであれば、直接本人に訊くべきか。
 いや、無理だ。クァイスから聞いた話が真実であれば、彼女が働いているカフェスペースは既に姿を変えている頃だ。店を拠点にしてと会っていたレイルが、彼女の行方を捜す術は他にひとつしか残されていない。
 レイルは立ち上がり、部屋の扉の前に立った。半分外れかかっているドアノブを外し、魔晶石が埋め込まれているドアノブをはめ込む。あの時は光を帯びながら木目調の扉へ変わったのだが、今回は場所が悪いのか、それとも条件が揃っていないのか。扉を開けた先に繋がっていたのは店ではなく、見慣れた工房の景色だった。
 持ち主でなくては効果がないのか? 考えても原因は判らないため、レイルは諦めた。
 寧ろ、こんな魔法じみたことを素直に信じてしまった自分を嘲笑したくなった。

 三日後。王都アルフィタリアでは終戦記念日のセレモニーが執り行われ、リルティ族を始めとした住民たちによって盛大に祝われていた。
 草原の駅にセルキートレインが到着する。王都の祝い事に参加しよう、と各方面から集まってきたクラヴァット族とリルティ族が車内から降りてくる。
 その中にレイルとクァイスの姿もあった。彼は生あくびを零し、隣ではクァイスが普段と変わらぬ様子で歩いている。これから二人はアレクシス飛行客船の護衛のために空軍施設のドックへ向かうところであった。
「まさかこんな朝っぱらからとは」レイルは眠り眼を擦りながら言った。「聞いてないぞ」
「昔からリルティ族の朝は早いんだよ」それに、とクァイスはホームの時計を見た。「言うほど早朝ってわけでもないぞ。お前いつも何時に起きてんだ」
「起きたいときに起きてる」
「だろうな」
 時計広場に差し掛かったところで、二人は歩き慣れた道を進む。普段ならば階段を上る辺りからコーヒー豆の香りが漂ってくるのだが、今日は何も感じない。その理由は明白だった。
 数日前までは立派なカフェスペースとして立てられていた看板が綺麗に無くなっている。現在は旅に必要なアイテムやアクセサリを扱っている店へと一新している。初めて王都を訪れた者に「ここにはコーヒーを売っている店があった」と話しても信じてもらえないほどの変わり様だった。
 店の前にひとつずつ置かれていたテーブルと椅子も撤去されている。カフェスペースの名残を感じさせるものは唯一、カウンターだけだ。しかしカウンター越しに立っている人物は見慣れた彼女の姿ではなく、また別のクラヴァット族の若い女だった。
「マジで無くなってる」クァイスが言った。
「みたいだな」レイルが店の様子を観察する。「コーヒーの機械は残ってるみたいだ」
「そうか。それじゃあ――」クァイスは持っていた自前のタンブラーを取り出した。「こいつは持ち腐れしなくて済むってことだな」
「お前、わざわざ持ってきたのか? 店が無くなってるって言ったのは自分だろ」
「人のこと言える義理じゃないだろ」
 レイルは肩をすくめた。指摘された通り、自分もタンブラーを持ってきているからだ。
「王都に行くとなると、つい癖でな」
「少し前にタンブラーを忘れて行ったら、無くしたんですか、とか散々追究されたぜ」
「それは俺も言われた」
 二度と彼女に会えないわけではないが、僅かな時間を共有したことを懐かしく思う。
 思えばクァイスの言うとおりだ。自分たちはのことを知っているようで、彼女のことを何も知らない。
 クリスタルベアラーである彼女は何故、人と接する機会の多いカフェスペースで働こうと思ったのか。いや、ベアラーだからといって人目につく場所で働くことが決して悪いわけではない。
 レイルが疑問を抱く理由は、彼女が異能である証であるクリスタルを耳飾りで隠していたからだ。人前に出ることに慣れたかったのか。それとも王都で働くことに理由があったのか。今では本人と出会う機縁が見つからないため、答えを訊くのは難しいだろう。
 それでも、心の奥ではその答えを知っているような気がしてならない。何故だろうか。
 せっかくなので、二人は新しくオープンした店でコーヒーを飲むことにした。
新しい店員はと比べて口調が明るく、気さくな性格だった。タンブラーに入れるように頼めば「お兄さんたち、お洒落なもん持ってるね」と片目を瞑られた。
 タンブラーを受け取り、店から少し離れた場所で仕事前の一杯を含んだ。朝の目覚めには丁度良く、素朴で飲みやすい味だな、と思う。
 だが、やはり以前から飲んでいたコーヒーの味とは明らかに何かが違う。それはレイルよりも先にカフェスペースに通っていたクァイスも同じ意見のようだ。
「何か違わないか」クァイスが言った。「いや、別に美味しくないわけじゃないんだが」
「言いたいことは分かる」
「使ってる豆が違うのか。それとも使ってる機械とは別のものを使ってるのか……」
 言われてみれば――がガシャドクロの如く活用していたエスプレッソマシンと比べて、先ほどの店員が操作していた機械は非常に質素な作りだった。ボタンをひとつ押せば、タンクに溜まっているコーヒーが出てくる仕組みだ。
 もしかして、とレイルが言った。「挽いてから時間が経ってるんじゃないか、これ」
 レイルは自分で言った後、頭の中でサンダーが落ちてきたかのような衝撃が走った。彼女が口癖のように言っていた『とある仕掛け』に気がついた。
 ああ、そういうことだったのか――。
「こうなると、の淹れたコーヒーが恋しくなってくるな」クァイスが言った。
「またいずれ何処かで会えるさ。彼女だってアルフィタリアを離れたわけじゃない」
「それもクリスタルベアラーの勘か?」
 そうかもな、と言ってレイルは広場のシンボルである時計台を見上げた。時刻表記や座標などを示すあらゆる機能が完全に停止している。こんなことができる人物はレイルの知る限りでは、たった一人だけだ。
「やっべえ、そろそろ時間だ」
「そんじゃ、行くとしますか」
「今回もよろしく頼むぜ、クリスタルベアラー」
 肩を鳴らすように腕を回し、レイルはクァイスと魔晶シャトル乗り場へ向かった。
 今回もきっとつまらない仕事だろう――そんな風に考えられたのは今だけだ。
 そして彼は自分がこれから巻き込まれていく激動のなかで、ひとつだけを得て、何かを失うことになる。


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