王都からなるべく離れたほうが良いと考え、西へ向かっていた。一時間ほど走らせた末にたどり着いたのは、目と鼻の先に森林地帯が広がる大きな高原だ。この辺りはセルキーズトレインの停車駅はもちろん、レンタルチョコボなどの停留所は一切ない。つまりは人気が少なく、家を構えている者も皆無というわけだ。
二人は魔晶バイクから下りた。は目の前に広がる大樹を眺めていた。
「あの樹の幹にはモーグリの街があるらしい」
「モーグリってあの郵便届けの?」
「俺たちの身近じゃそうだけど、なかには商いで金儲けしているやつもいるって聞くぜ。おまけに神出鬼没で突然どこからともなく現れるときもある」
「確かに」彼女は合点した様子で頷く。「護送列車に積まれていた箱から、クポクポ、と何か鳴いていたような気がします。もしかしてモーグリだったのかな」
「かもな」レイルはその場に腰を下ろした。
もレイルとの間に隙間を作り、脚を横へたたんで座った。
「あの、レイルさん」
レイルは横目でを見る。
「わたし、レイルさんと景色を楽しむために逃げてきたわけじゃありませんからね」
そうだ――レイルはこれまで直感だけを頼りに彼女を追いかけてきたが、囚人護送列車に乗せられていた明確な理由を知らない。恐らくは新聞の記事が関係していると踏んでいるが、が殺人を冒すような人物ではないことをレイルは知っている。
前回の出来事も含めて、彼女には訊きたいことがある。それはレイルも同じだ。
「今朝の新聞記事はご覧になりましたか」
「ああ、読んだぜ」
「それじゃあ、セルキー族の少年が監獄砂漠付近で倒れていたこともご存知なんですね」
「まあな」
そうですか、とは短い息を吐いた。
「本当にあんたがやったことなのか」
「間違いありません」彼女の返事は早かった。
「何か理由があるはずだ。いや、理由があったってあんたは人を殺すような柄じゃない」
「どうしてそう思うんですか?」
レイルは彼女を一瞥したあと、頬を掻いた。「優しいからって俺に言わせたいのか」
「えっ」
「とにかく」誤魔化すようにレイルは言った。「最初から男を殺すつもりだったのなら、あんたの力でどうにでもなる。でも無事だった。殺意はなかったわけだろ」
「……はい」
「そいつに何かされたのか」
少し間をおいてから彼女は口を開いた。「弟なんです。新聞に載っていたセルキー族」
「あんたの弟?」レイルは目を剥いた。まさか彼女の弟だったとは思わなかったからだ。
他にも気になる点はある。彼がセルキー族であれば、何故彼女はクラヴァット族なのだろうか。
「母がセルキー族、そして父はクラヴァット族なんです」
「それじゃああんたはクラヴァットとセルキー、二つの血を継いでいるってことか」
「そういうことになります」
思わずレイルはを観察する。やはりクラヴァット族にしか見えない。
「でも、あんたの弟はセルキー族そのものだ。それっておかしくないか」
は悩ましげに首を傾げてから答える。「いろいろと家族事情が複雑なんです。紙の上では姉弟でも、実際に血の繋がりはないので」
「本当の姉弟じゃないのか」
「まあ……」彼女は苦笑気味に頷いた。「わたしの家庭話はここまでにしましょう」
はこれ以上踏み込んで欲しくない、という構えをとっているように見えた。それもそうだ。他人が他所の事情に首を突っ込んでも良いことはない。何よりレイルには親心や家庭という概念に親しみがないので、尚更だ。
「あの、レイルさん」
「どうした」
彼女は空いている隙間を埋めるように詰め寄ってきた。レイルは思わずのけ反る。
「これから話すことを信じていただけますか」
「信じない理由は……見つからない」
は目を細めたあとに「ありがとうございます」と呟いた。
「わたしは弟を、マーフィを殺そうとは思っていません。彼を止めようとしたんです」
「止めようとした?」
「弟を見かけたのは昨日の夜のことです。わたしはいつものようにお店を閉めた後、自宅へ戻ろうとしました。その道中でセルキートレインに乗り込む姿を見かけたんです。行き先が監獄砂漠であることを知って、わたしは後を追うように列車に乗り込みました」
「何か変わった様子でも?」
「そうですね……」彼女は頷いた。「列車内でも常に周囲を気にしているようでした。他人と目が合うようであればすぐに逸らしたり、顔を見られないようにしたりと」
「確かに怪しいな」
「目的地に到着して、わたしは気付かれないようにマーフィの後を追いかけました。駅を降りた先では兵士が警備を張っていて、弟が彼らに捕まってしまったんです」
「何かやったのか」
「いえ、何も。恐らくはセルキー族というだけで捕らえられてしまったんだと思います」
「……なるほど」
「弟の無実を晴らしたくて、わたしは兵士たちを説得させて彼を助けました。ですがそれが気に食わなかったのか、マーフィが怒り出したんです。どうしていつも余計なことばかりをするんだ。お前のせいで自分はこんな目に遭っているんだ、と。落ち着かせて事情を問いただしたら、弟はこう答えたんです。友人にそそのかされて、監獄砂漠の魔晶石を盗ってくるように頼まれたんだ、と」
わざと捕まりに行くようなもんだな、とレイルは思った。「どうしてまたそんなことを?」
「分かりません。それでもマーフィは魔晶石を盗りに行こうとするものですから、わたしも必死で彼を止めました。でも胸を掴んだ瞬間、勢い余ってベアラーの力が溢れてしまって……」
「意図せず『止めてしまった』ってことか」
「はい」は小さく頷いた。
「だが、どうして兵士たちは現場の当事者があんただと突き止めることができたんだ」
「写真を撮られてしまったんです。事情聴取の際に見せてもらったのですが、弟の動きを止めているわたしの姿がはっきりと映っていました」
王都に情報を提供し、金銭を要求――考えられるのはセルキー族による所業だ。
「心臓を止めることと、行動自体を止めることの大きな違いは?」
「手に触れる部分が近いほど、力は影響しやすいんです。命に関わる部分を止めてしまえば、場合によっては死んでしまいます。だから使うときは細心の注意を払わなければなりません。農園であれだけの人数を一斉に止めることができたのは、レイルさんがいたからです。あなたがいなければ、冷静に対処することなんてできなかった」
「十分冷静だったぜ。あの時のあんたは」
そうでしょうか、とは苦笑する。
「レイルさんはわたしのように気持ちが高ぶったり動揺したりすると、クリスタルベアラーの力が溢れ出すことってありますか?」
「テンションが上がると調子も良くなる」
「やっぱりそういうものなんですね」
「魔晶シャトルを止めたのも無意識だったのか」
こちらの問いに彼女は何を言っているのか分からない、といった面持ちになった。だがすぐに合点した様子で、そうか、と言った。「レイルさんは最初からわたしがクリスタルベアラーだと気付いていたんですもんね」
「まあな」
「それなら何故、あの時わたしを問い出さなかったんですか? お前がやったのか、と」
「前にも話しただろ。ベアラーだと判ってはいても、能力までは知らなかったって」
ああ、と彼女は頷いた。
「俺が考えたのは、意図的にシャトルを止めたのなら理由は何か、ってことだけだ。乗客に恨みのある者がいるのか。それとも俺をどうにかしたかったのか、とか。だがまともな答えは出てこなかった。無理もないさ。あんたからはそんな気を全く感じなかったんだから」
「信じて、くれたんですか」
まあ、とレイルは頬を掻いた。「最初に会ったときは気味が悪かった。俺がベアラーでも何とも言わなかったし、そういう扱いに慣れてなかったから」
「レイルさんはわたしが考えているよりもずっと前から、心無いことを言われてきたんですね」
「もう慣れたさ。今は言われるほうが楽だ。どんな風に思われているか、一瞬で判る」
「悩みの数だけ考え方がある、か……」途端に彼女の声が暗くなる。「無意識だったとはいえ、弟に対して少なからず積怨を抱いていたのは確かなんです」
当然の感情だと思った。寧ろ、あれだけのことを言われて平気な人間はまずいない。他人の感情や言葉を真に受けやすいなら尚更だ。彼女の本音を聞いて、レイルは心のどこかで安堵していた。人間らしい感情が垣間見えたからだろうか。
は少し間を置いてから、再び口を開いた。「レイルさんはクリスタルベアラーの存在をどんな風に考えていますか」
さあな、とレイルは片膝を立てた。「けど、それだけで罪ってわけじゃない。持っている能力が少し特殊なだけで、考えていることは周りと然程と変わらない」
彼女は隣で何も言わずに聞いている。
「俺たちは世間から解放されてようやく自分らしさを得ることができる。誰だって自分以外にはなれない。ベアラーだろうかクラヴァットだろうが、みんな同じだ」
普段の自分らしからぬことを言っているな、と思った。を横目で見ると、彼女はこちらの考えを反芻するかのように視線を宙に彷徨わせていた。
相槌でもなんでもいいから、少しでも反応を見せて欲しい。一方的に喋るのは苦手だ。
そういえば、とレイルは言った。「まだ聞いてなかったよな。あの不思議な扉のこと」
「不思議な扉?」
「魔晶石が組み込まれてたドアノブだよ」
は鞄を探ると、想像していたものを取り出した。「これのことですか」
「そいつはいったい何なんだ」
「実は……」彼女はばつが悪そうに頬を掻く。「わたしにも正体が判らないんです」
「はあ?」よくもそんな得体の知れない物を持ち歩いているな、とレイルは思った。
「魔晶石であることは間違いないのですが、ドアノブを扉にはめ込むと別の空間に移動できる仕組みになっているんです。母から譲り受けたものなので、手に入れた経緯も謎で……」
「それじゃあ、あの店にいたクリスタルベアラーたちは、全員ドアノブを持ってるのか?」
「もちろんです」頷いた後に彼女は苦笑した。「彼らのこともお気付きだったんですね」
「いや、寧ろ合点がいく」
「どういう意味ですか?」
「あの場にいた連中はみんな、最初に会ったときのあんたと同じ目をしていた。俺がベアラーでも何も訊いてこなかったし、詮索も入れてこなかったからな」
今思えば、やはり彼らも自分がクリスタルベアラーだと最初から気付いていたのだろう。冷静に考えてみれば分かることだ。ベアラーに対して理解の念を抱くとすれば、違いを認め合う心を持つ者か、同じ境遇を持つ者かのどちらかだ。
「わたしたちは集うように出会ったんです。ドアノブの入手経路はばらばらで、わたしのように身内から預かった者もいれば、目を覚ましたときには手の中にあったと話す者もいました」
「不思議な話もあるもんだ」
「わたしも最初は不気味に思いました。でも同じ境遇を持つ者同士で集まると、誰にも話せなかった悩みを打ち明けることができて嬉しかった。心に余裕が生まれたんです」
「ベアラー同士の傷を舐め合う場所ってわけだ」
「レイルさんにはそう見えるかもしれませんね。そう思われても仕方ありません」
「俺をあの店へ連れて行ったのは、あんたらと同じクリスタルベアラーだったからか」
「それもひとつの理由です」は顔の前で人差し指を立てた。「もしもレイルさんが悩みを抱えているのなら、と考えた上でのことでした。けれど同じベアラーでも考え方や求めているものが違う。先ほどのレイルさんの言葉を聞いて、深く反省しました。わたしの意見を押し付けてしまったんだな、と」
「そこまで気を遣われていたとはね」
「気を悪くさせたのならお詫びします。ですが、他にも理由はあったんです」
問いかけるようにレイルは視線を送る。
「あなたがクリスタルベアラーとして危険な存在ではない、と解ってもらうためです」
「誰に?」
「お店にいたみんなに」彼女は立てていた両膝を前へ広げた。「レイルさんは知らなかったかもしれませんが、わたしたちの間であなたは有名人でした。人目も気にせずにクリスタルベアラーの力を使っている男がいる。もしかしたら今後、各地で危険な行為を繰り返す恐れのある男かもしれない、と」
面白い話だと思った。自分の行動が同胞にどんな影響を与えているのか。答えは解りきっていることだが、彼女の口から言われるのを静かに待った。
「わたしも最初は耳を疑いました。そんなクリスタルベアラーがいるわけがない、と。でもクァイスさんから話を聞いて、もしかしたら、と思ったんです。あの方はレイルさんの正体を明かすようなことは言いませんでしたが、口振りからして、恐らくレイルという男がクリスタルベアラーだろうって」
ああ、そうか。だからあの時――レイルは過去の出来事を思い出していた。
「それで、ご感想は?」
「少しずつですが、直接会って判りました。危険どころか、誰よりも自由な人です」
考えてもなかった答えに、レイルはどきまぎした。
「確かに少々目に余る場面はありましたが、それはあくまで個人の見方次第です。他人を故意に危険へ晒すようなことはしていませんし、寧ろ誰かを助けることばかりをしている。農園のときだってわたしがベアラーだと気付いていながら、何かしろ、とは言わなかった。わたしの経験上で言えば、あなたはとても優しい人です」
彼女の言葉は無垢すぎて、聞いていると恥ずかしくなってくる。だが悪い気はしなかった。
「……勿体ないお言葉なことで」
「本当に危険な存在であれば、わたしとしても見過ごすわけにはいきませんでしたけど」
「何をするつもりだったんだ?」
「店に引き入れて、能力の使い方を学ばせます」
「えらく横暴なことを考えるな」
「わたしたちの立場を守るためです」
「個人の考えを他人に押し付けるべきじゃない。そう言ったのはあんただ」
「言い訳はしません。ですが、誰かに教わらなくては力の制御できない人もいるんです」
ニーナという子を覚えていますか、と訊かれ、レイルは頷いた。泣いていた少女だ。
「あの子は少し特別な力を持ったベアラーで、それが理由で常に狙われているんです」
「特別な力って何なんだ」
「言えません」彼女はかぶりを振った。「他人の能力は口外しないと決めているんです」
「なるほどね」
「子供は大人よりも視野が広いけど、見るものが多すぎて迷ってしまう。だからわたしたちは彼女を引き入れて、ひとり立ちするまで傍で見守っているんです」
「親代わりってことか」
彼女は複雑な表情で首を捻った。「十分とは言えませんが、努力しているつもりです」
「まあ、あんたには母親がいるしな」
レイルはの横顔を見た。一瞬だった。彼女は虚を衝かれたように動揺した。
「?」
「わたし、そろそろ行きます」立ち上がって尻についた雑草を払う。「そろそろ兵士たちがわたしを見つけ出す頃だと思いますので」
「まさか――王都へ行くのか」
「わたしはクリスタルベアラーとしても人間としても、やってはいけないことをしてしまった。自分の言動に責任を持つ。当然のことです」彼女は歩き出した。
「釈明すればいい」レイルは立ち上がって追いかける。「あんたは俺と違って前科なんかない。例えベアラーだとしても、黙秘権は与えられるはずだ」
「いまの王都じゃとても無理です。クリスタルベアラーに権利なんてありません。こんなことを言いたくはありませんが、それはレイルさんもご存知のはずです」
さもありなん、とばかりにレイルは黙った。
それに、と言って彼女は立ち止まった。「例え法廷まで持ち込んだとしても、わたしを弁護する人はいません。なるべく罪を重ねないように自分から赴くんです」
そのことも否定できなかった。クリスタルベアラーを弁護した事例など聞いたことがない。異能抑止法が定められているいまの王都で、ベアラーは他の誰よりも無力だ。
「クリスタルベアラーだから力が抑えられなかった、というのは、セルキー族だから盗みを働くことを抑えられなかった、と言い訳するようなものです。わたしは境遇や種族を後ろ盾するような真似はしたくない。自分を救うことはできでも、飛び火を受けるのは身内です」
「同胞のためだっていうのか」
「それもありますが、わたしにとっては彼らに捕まるほうが寧ろ好都合なんです」
「意味が分からない」
「分かっていただけなくても構いません」冷淡ともいえる口調で彼女は言った。「これはわたし個人の問題でもあるのですから」
その時だった。背後から殺意にも似た大勢の敵意を感じた。振り返った先には、護送列車で警備についていた兵士たちが銃口を突きつけていた。
「護送中に逃亡した女のクリスタルベアラーに告ぐ」兵士が言った。「大人しく投降しなさい」
「隣にいる男も同じだ。貴様も逮捕する」
無論、レイルのことだ。護送中の囚人を逃がしたのだから、当然といえば当然だ。
「大人しく従います」けれど、とは一歩前へ出た。「彼は関係ありません。わたしを護送列車から連れ出すように仕向けたのは自分です」
「おい、何言って――」
「黙ってて」彼女は小声で制した。「時間をください。彼とまだ話すことがあるんです」
一人の兵士が右手を下げると、向けられている銃口が下を向いた。
「これを」から渡されたのは、魔晶石が埋め込まれたドアノブだ。「彼らに押収されると色々と面倒です。レイルさんには恐らく不必要なものかもしれませんが、どうかこれを持っていてください。そして必要になれば使ってください」
「受け取れない。これはあんたのだ。それにあいつらにはどう説明する。仲間なんだろ」
「わたしは弟を傷つけてしまった。故意でなかったとしても、その事実だけが残ります。いまのわたしには彼らを仲間と呼べる資格がありません」
「人は誰だって無意識に他人を傷つける。能力や力だけじゃない。言葉だってそうだ」
同感だ、とばかりに彼女は瞼を伏せる。
レイルは彼女の手を掴んだ。「なあ、お前、俺にまだ何か隠してるだろ」
「この手を退けてください」
「そういうわけにはいかない」
「お願いします」
「駄目だ」
「なら――こうするしかありません」
嫌な予感がしてレイルは咄嗟に手を離し、自らの力で抵抗を図った。
しかし一瞬遅かった。
彼が最後に見た光景は、視界の隅で青白く光るの右手と彼女の横顔だった。