ドリーム小説 1

 クァイスはいつもより早めに起床した。ベッドから身を出すと、あまりの寒さに思わず身が震える。鉄張りの壁はやはりこの季節には向かないな、と思いながら部屋を出る。
 らせん階段を下って工房へ出ると、シドが上体だけをカウンターに載り出して眠っていた。眠り顔の周りに工具や設計図が散乱しているところを見ると、遅くまで機械いじりに没頭していたことがよく分かる。クァイスは床に落ちている布をシドの肩に掛け、欠伸をしながらガレージを出た。
 普段は治安の悪さで騒がしい街中も、いまの時間はせいぜい鳥の声しか届かない。ガレージの近くに位置する大きな扉をくぐり、監獄砂漠へ向かった。目的はその先にあるセルキーズトレインである。
 砂利道を歩けば、駅が見えてきた。クァイスが乗り込む機関車はいわゆる始発だ。しかし砂漠監獄から始発で乗り込む客など他におらず、たった一人の乗客であるクァイスを乗せて列車は発車した。行き先は『王都アルフィタリア』であった。
 始点から終点までの間、クァイスは眠っていた。しかし朝ぼらけだった空も徐々に太陽の頭が見え始め、眠りについていた彼の顔に容赦なく光を浴びせる。同時に列車内のアナウンスが流れ、間もなく王都へ到着することを告げた。
 クァイスは目を覚ました。だが正直なところ、眠気は取れ切れていない。
 彼にはもうひとつだけ眠気を覚ます方法があった。それはもうすぐ分かる。
 列車は王都アルフィタリアに到着し、クァイスは下車した。王都に着くと当たり前だが、甲冑姿のリルティをよく見かけるようになる。駅構内には数えるほどの客しかいないが、それでも警備を怠らないのは四種族――いや、三種族でもリルティくらいだろう。まずセルキーには務まらない。
 時計広場へ出たところでクァイスは正面の階段を上がった。本来の目的地へは、ここで右に行かなくてはならないのだが、彼には目的があった。
 階段を上がると、じゅわっ、と蒸気が噴き出す音が聞こえた。それはシドの工房でもよく耳にするものだが、ここでは埃臭い音楽は鳴らない。まず『匂い』が違う。
 カウンターに面して『マスカレイド』と看板が立っている。小さなカフェスペースだ。
「いらっしゃいませ。おはようございます」
 カウンター越しに聞き慣れた声が飛んできた。黒いエスプレッソマシンで顔は見えないが、声の主は端からひょっこり姿を現した。だ。
「お姉さん、階段までスチームの音が聞こえてましたよ」彼は茶化すように言った。
「えっ、本当ですか?」
「ばっちり」
「この時間はほとんどお客さまがいらっしゃらないからって油断してました」
 そう言って彼女はカウンターの陰に隠していたマグカップを手に取った。中身は湯気の立っているコーヒーで表面には雲状のスチームミルクが載っている。先ほどクァイスが階段で聞いた音の正体は、エスプレッソマシンから出たものだった。
 は客がいないことを良いことに盗み飲みをしていたようだ。しかし彼女が言うにはスタッフは勤務中であればいくらでも飲んでいいらしい。
「今朝はオレが一番乗り?」クァイスが訊いた。
「残念ですが、つい先ほどお二人の殿方がおいでになりました」
「おっさんには勝てないか……」
 は一笑する。「本日はいかがなさいますか」
「今週もまた味が変わってるのか」クァイスはカウンターに上体を載り出した。
「はい。そちらに書かれている銘柄が今週の豆になります。今回は少しスモーキーな味ですから、好みが割れるかもしれませんね。試飲されてみますか」
 クァイスは顔の前で手を振った。「今日はいつもより時間がないんだ。それを頼むよ」
「かしこまりました」
 は積み重なっているリサイクルカップからひとつを取り出した。
 カウンター越しに彼女がコーヒーを注いでいる姿が見えるのだが、クァイスはそれよりも出来上がる前の工程を眺めるのが好きだった。彼女の周りにはいくつもの機械が並んでおり、それらを自在に操る手さばきは見ていてとても気持ちが良い。
「お待たせいたしました」はカウンターの上にカップを滑らせた。クァイスが朝いちばんに飲む少し熱めのコーヒーだ。飲み口から湯気が漏れ出ている。
 クァイスはカップを手に持ち、口に含んだ。「……確かにちょっと煙たい味だな」
「スモーキーコーヒーですから。ボムが爆発したあとに残る灰を使ってるんですよ」
 クァイスは、げっ、とした顔になった。「魔物の死骸を原料にしてるのかよ」
「珍しい話でもないですよ」言いながらはエスプレッソマシンの注ぎ口を布で拭く。「先週お出ししたお味はキマイラのツノを削って出したものですからね」
 謎の豆知識を聞かされたところで、クァイスの胸に宿った靄は晴れなかった。しかし実際にこうして美味を表現できているのだから不思議な話だ。
「そういえば……今日は普段より早いですね」
「ああ。今回は長引きそうなんでね」
「そうでしたか。お疲れ様です」
 はマグカップを磨く手を止めると、そうだ、と言って胸の前で手を叩いた。
「クァイスさん、まだお時間大丈夫ですか」
「ん?」
「もし今後もお店へ足を運んでくださるのであれば、携帯用のタンブラーをお持ちになりませんか」彼女が背後の戸棚から何かを取り出した。「専用の容器があれば料金もお安くなりますし、クァイスさんのお好みの量でお出しできますよ」
 彼女が見せたのは耐熱性の容器だった。側面には王都アルフィタリアで出店している証でもあるリルティ族の紋章が施されている。セルキー族にとってはあまり持ち歩きたくないマークだが、クァイスにとっては許容の範囲内であるし、何より利便性の良さに目が留まった。
「値段は?」
「800ギルです」
「オレ、結構動き回るんだけど」
「こぼれないようにストッパーがありますよ」
「煎れたてが美味いって言ってなかったか?」
「これにはちょっとした仕掛けが施されてありますので、味の劣化はご心配なく」
 随分と自信満々だな、とクァイスは思った。
「そうだな――じゃあ500ギルでどうだ?」
 は困り顔で笑った。「クァイスさん。ここはそういうお店ではないんですよ」
「常連だろ? オレ」
「常連さまでもだめです」
「……だめ?」
 クァイスが強請るようにを見つめる。
ややあってから彼女の口から深いため息が漏れた。
「仕方ありません。もう一杯だけサービス致しますから、それで勘弁してください」
「おっ、いいのか?」
「クァイスさんだけに提供するわけではありませんよ。すべてのお客さまがご満足できること。それが本当の意味でのサービスです。特別とサービスは紙一重なんです」
「なるほど。クラヴァットらしい考え方だな」
「種族も関係ありません」は両手を腰に当てながら口を尖らせた。
 勧められるまま、クァイスはタンブラーを購入した。彼女が言った通り、サービスの一杯は買ったばかりの容器に注がれていく。
 が耳に髪を掛ける。ピアスなのかイヤリングなのかは分からないが、天井の照明に反射して耳飾りがきらりと光った。
「お待たせしました。側面が熱いのでお気をつけて」
「次からはこれを持ってきたらいいんだな」
「はい。量に応じてお値引きいたしますよ」
「そいつはありがたい。また寄らせてもらうぜ」
「お待ちしております」は微笑んだ。
 タンブラーを片手にクァイスは本来の目的地へ向かった。だがその前に言い忘れていたことを思い出し、ぐるりと店側へ踵を返す。

「はい?」彼女はカウンター下の棚を整理しており、しゃがみ込んでいた。
「今日はオレ一人だけど、この次は仕事仲間もいっしょなんだ」
「クァイスさんがいつも話されている方ですか?」
 そうそう、と彼は頷く。「そいつもあんたと同じクラヴァットなんだが、まあ、色々面倒な性格でふかーい事情があるやつでさ。今度連れてくるからその時はよろしくな」
「分かりました。お待ちしてます」
「そんじゃ」クァイスはひらひらと手を振った。
 この日、クァイスは王都から王国周辺の調査を請け負っていた。魔晶石の調査である。
 最早生活に欠かせない存在となった結晶にも似た不思議な魔石。しかし人口が増えるたびに機械兵器への利用が急増し、市民への普及速度は年々低下している。今では足りなくなりつつあることが王都全体の問題となっている。
 魔晶石が最初に発見されたのは、今から数百年も昔の話だ。リルティ族とユーク族の間で起きた長い戦いの後、一人の調査員によって発掘されたことが始まりである。
 今朝、作業台の上で眠っていたシドは、その魔晶石を用いて魔晶機関を開発した第一人者だ。しかしどんな理由があったのかは分からないが、現在はあの寂びたガレージで新たな蒸気機関――スチームエンジンの開発を進めている。魔晶機関が当たり前な存在となっている今、彼のプロジェクトが陽の目を浴びるときはいつやってくるのか。住処を提供してもらっている立場としては、彼のことを応援したいと考えている。
 休憩になり、クァイスは調査範囲の地図を見ていた。朝が早かったこともあり、時々眠気が襲う。
 こんなときこそ。彼は傍らからタンブラーを取り出した。今朝受け取ったときよりも側面の温度は下がってはいるが、ほのかに温かい。さすが耐熱性を施していることだけはある。
 しかし肝心なのは味だ。時間の経ったコーヒーは飲めたものというわけではないが、味に少しだけうるさいクァイスにとっては注目したい点だった。
 コーヒーを飲んだ。手で触れるよりも中身は高温を保っていた。丁度いい温度だ。
 しかし、それだけではなかった。味が想像していたものとまるで違っていたからだ。例えるならば今朝飲んだ煎れたてのコーヒーだ。酸化など微塵もしていない。
「本当に美味いな」
 クァイスは思わず感情を言葉に漏らしていた。彼にとってあの店は眠気覚まし程度の店であったが、これを機に以前よりも頻繁に通うようになった。何より変わったのは店への感心だ。以前から良い空間だと思っていたが、習慣になるまでの存在となった。
 後日、に味が落ちない秘密について聞きだそうとした。だが彼女は「企業秘密です」としか答えてくれなかった。そりゃあそうだろうな、とクァイスは変に納得してしまった。
 得な情報は誰かと共有したほうが良い、と以前シドから言われたことがある。クァイスがそう考える人物といえば、やはりあの『色々面倒な性格でふかーい事情があるクリスタルベアラー』だけだった。


PREV | BACK | NEXT