ドリーム小説 2

 某日。クァイスは仕事とは別に、プライベートで王都アルフィタリアを訪れていた。彼は既に目当てを買い済ませたのだが、また別に店に訪れていた。買い出しへ行く、と言うと、シドからも買い出しを頼まれたのだ。彼が言うには、現在開発中の蒸気機関に試したいものらしい。
 クァイスはメモを広げた。油まみれで見にくいが、かろうじて字は読める。どうやら頼まれたものは全て回収できたようだ。
 ポケットにメモをしまったと同時に腹の虫が鳴った。
 昼過ぎだというのにまだ何も食べていなかったな――。
クァイスは腹ごしらえのために『いつもの店』へ向かった。

 カウンター越しに彼女を呼ぶと、は口角を上げて微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
「昼飯がまだなんだ。なにか残ってないか」
 彼女はカウンター脇の棚を一瞥してから、クァイスへ視線を移した。「いまならベーグルサンドかハムサンドのみとなりますが――」
 いかがされますか、と訊かれ、クァイスはしばらく思案した結果、前者を選んだ。
「それとこいつも頼む」取り出したのは、以前購入したタンブラーだ。
「かしこまりました。ホットにされますか? それともアイスになさいますか」
「今日は氷多めのアイスで」
「広場の工事で若干暑いですものね。すぐにお作り致しますので、お待ちください」
 はすぐに作業に取り掛かった。彼女の言うとおり、時計広場はいま一部分で工事が行われている。何でも広場のシンボルである時計の針が壊れているらしい。
 クァイスは店内のカウンターテーブルで待つことにした。手持ちのアルフィタリア新聞を広げ、記事をつぶさに見る。本日の見出しは『終戦記念日まであと一か月』というものだ。まだ一月も先なのに気が早いな、とクァイスは思った。どうやら当日はリルティ族を中心に王都で盛大なセレモニーを行うようだ。戦争で命を落とした同族を悼む時間を設けるらしい。無論、セルキー族であるクァイスには関係のないことばかりである。
 続けて新聞を一枚捲った。目に入ったのは『クリスタルベアラーの脅威。市民に不安の声』という記事だ。数か月前にも似たような事件が起こったが、今回の被害者はリルティ族であり、危害を加えたベアラーはクラヴァット族である、と纏められている。
王都内の住人の二割はクラヴァットだ。比較的温厚で争いごとを好まない彼らであっても、ベアラーとなれば一気に異端者扱いになる。
 このような事件を踏まえ、王都には以前から異能抑止法が制定されている。これは常人離れした能力と頑丈な身体を持つクリスタルベアラーから市民を守るために定められたものだ。全てのベアラーが悪人というわけではないが、中にはその力を利用して悪事を働いたり、力を制御できずに暴走してしまったりと様々なケースが発生している。
 ベアラーの能力を特に危険視しているリルティによって発令されたが、その裏事情は想像以上に黒に近い。クァイスは王都で仕事を受け持つことが多いため、自然と兵士たちの噂話を小耳にはさむことも多い。過去にクリスタルベアラーだと指摘されたリルティがいたのだが、種族の立場上、リルティにベアラーがいてはならない、と上部が真相をもみ消したのだという。その代わりに第三者のセルキーに濡れ衣を着せた、という事案があった。勿論、表向きには発表されていない内部事情だ。
「お待たせいたしました」
 考え事をしていると、視界の隅からタンブラーと皿に載ったベーグルサンドが現れた。視線を上げれば、首を傾げながらも笑みを浮かべているがあった。
「随分と考え込んでおられましたね。いかがされましたか」
「いや、今日の新聞を読んでただけだ」
 彼女は見出しを覗き込んできた。「ああ、終戦記念日のセレモニーですね」
 クァイスは下唇を突き出し、頬杖をつく。「気が早いよな、リルティは。こんな前から準備をしたって結局一週間前に始めるのとなんら変わりないぜ」
「余裕を持って準備されたほうが、後に何かと融通が利くからでは?」
「じゃああんたはリルティに肩を持つのか?」
「どうでしょう」
 クァイスはコーヒーを飲んだ。中で氷同士が躍り合う音が涼しげだ。
はクリスタルベアラーと遭遇――いや、会ったことはあるか?」
「クリスタルベアラーですか?」
「ああ」
 彼女は首を横へ振った。「話にはよく耳にしますが、能力を目の当たりにしたことはありません。見ての通りわたしは王都で勤務していますから、彼らに会う機会がないだけかもしれませんが」
 つまり彼女の見解は、リルティ族にクリスタルベアラーがいるわけがない、ということだろう。
「クァイスさんはあるんですか?」
「まあ……あるっちゃある、かな」
 は、へえ、と珍しそうに言った。彼女もまさかクァイスの仕事仲間がクリスタルベアラーだとは夢にも思っていないだろう。
「そうだ。こいつを飲み終えたら熱いやつを二杯分入れてくれないか」
「二杯分ですか? 構いませんよ」
 話している間にカフェスペースに二人のクラヴァットが近づいていた。は去り際に「また後で」とだけ言うと仕事へ戻った。
 クァイスは再び紙面に目を落とす。気になるのは見出しではなく、やはりクリスタルベアラーに関する記事だ。自分の身近でベアラーといえば思い浮かぶのは『あいつ』しかいない。それもただのベアラーではない。周りから異能だと煙たがられている存在にも関わらず、彼は自分の能力を隠すようなことはしない。寧ろ、思うままに使っている。それが悪用の域に触れているのかまでは判らないが、あの男のことだ。善悪の境目までは理解しているだろう。
 恐らく、きっと。
 そんなことを考えていると、あっという間にベーグルサンドがなくなった。丁度よくタンブラーも空になり、クァイスはタイミングを見計らってに声を掛けた。
「もらっていいか」
「はい。一度洗いますのでお待ちください」
 彼女はカウンター内に設置されているシンクでタンブラーを洗い、普段通りにコーヒーを作りはじめた。今日は機械の上から豆を補充しているところから始めている。気になって聞いてみれば、店内にエスプレッソマシンは二つあり、片方の中身がなくなりそうになったとき、もう片方で豆を挽き始めるのだという。
 しばらくして二杯分が入ったタンブラーがカウンターに立った。
「どうぞ」
「助かる。飲ませたいやつらがいるもんでね」
「そうなんですね」
 クァイスはタンブラーを指差す。「今回のコーヒーにもあんたが前に言っていた美味さを保つ“企業秘密”ってやつが仕込まれてるのか?」
「もちろんです。先ほど二杯分と仰いましたから、きっとどなたかとお飲みになられるんだろうなと思って。時間が経っても味は落ちませんし、温度も保たれますよ」
「王都なんだ。魔晶石でも使ってるんだろ」クァイスは怪訝そうな目で彼女を見る。
「そんなことに使うくらいなら、他に何か役立つものに使うと思いませんか?」
 クァイスは、それもそうだな、と言って小さく笑いを零した。

 橋の街の工房では、今日も重い金属音が響き渡っていた。魔晶石を使用せずに蒸気のみで動く機関車を開発中のシドは、自らが書き記した設計図を睨み付けていた。だが、脳内で想像していたものと実際の動きが異なるため、頭を悩ませているようだ。
 その脇のテーブルではレイルが椅子に腰を掛け、足を組みながら新聞を読んでいた。彼が読んでいる記事は自分と同じ境遇が力を悪用し、監獄砂漠へ連行された、という内容だった。
「レイル、悪いがスパナを取ってくれんか。テーブルの上じゃ」
 レイルは視界から一旦新聞を退かせた。テーブルに箱が置いてある。しかし中身はスパナというスパナが何種類も並んでおり、いったいどれが希望のものなのか判らない。
「……どれだよ」
「おぉい、あったかぁ。レイル」鉄の塊の向こうでシドの呼び声が飛んでくる。
 いちいち確かめるのも面倒なので、レイルは工具箱ごと彼の元へ飛ばした。
 希望の道具が見つかったのか、箱を漁ってからシドは再び設計図とにらみ合う。その様子を横目で見ながら新聞を折りたたむと、ガレージが開いた。外からやって来たのはクァイスだった。片手で紙袋を抱えており、道具が散らかっているカウンターに載せた。
「今日は戻るのが早いな」レイルが言った。
「買い出しだけだったからな――って、お前も今日の新聞見たのか。どうせ配達モーグリに王都から届けてもらったんだろ。せっかくオレが持ってきてやったのに」言いながら彼はポケットから畳まれた新聞を取り出し、ゆらゆらと揺らした。
「情報は午前中に集めておきたいんだ。午後になればまた新しいニュースが飛んでくる」
「違いないな」
 そう言うとクァイスはシドの元へ向かった。どうやら頼んだものがちゃんとあるのか確認しに行ったのだろう。そういうところは妙にセルキーらしくないな、と思う。
 ふと、テーブルに置かれた容器に目がいく。記憶が正しければ、これは最近クァイスが携帯しているタンブラーだ。手に取ってみると側面がほのかに温かい。持ち上げたときに中から波打つ音が聞こえた。
「ああ、レイル」タンブラーを観察してると、遠くからクァイスの声が飛んできた。「そいつはお前とシドへの土産だ。ぴったり二杯分あるから飲めよ」
「中身は?」
「王都内で売ってるコーヒー」
 コーヒーと聞いてレイルは正直、土産にするならもっと他にあるだろ、と思った。それにクァイスが王都から戻ってきたとなると、移動時間中に中身が冷めてもおかしくない。しかし先ほど容器を触った限りでは温度は保たれているようだった。
 正直なところ一息つきたい頃だったので、とりあえず冷める前に飲むことにした。
「シド、あんたも飲むか」レイルがタンブラーを片手に揺らしながら訊いた。
「コーヒーか? そういう洒落たもんはあまり口に合わんのだが、せっかくだし貰おう」
「了解」
 レイルは自分とシドの分のカップを用意し、タンブラーから中身を移し替える。注ぎ入れたのと同時に温かい湯気が彼の顔をやんわりと包み込む。普段からコーヒーはあまり飲まないが、作業を続けたあとに摂取したくなる気持ちは少しだけ解る。
「何でいきなりこんなもん買ってきたんだよ」言いながらレイルは一方をシドに渡す。
 シドはかけていた眼鏡のレンズを外し、マグカップを受け取った。しかしひと口啜ったところで飲むのを止めた。彼は隠しているつもりなのだろうが、猫舌であることを思い出したからだろう。その様子を見てレイルは、そんなに熱いのか、と思わず自分の分に視線を落とす。
「まあ飲んでみろよ。美味いから」
「王都から持ち帰ってきたやつだろ。舌の肥えたじいさんだって味の違いがわかるはずだぜ」
「レイル、それはわしのことか」シドが睨みつけてきたが、知らんを顔した。
 クァイスに促されるまま、レイルはコーヒーをひと口含んだ。そして啜った瞬間に分かった。これはまるで時間の経過を知らない。注文した手のコーヒーを飲んでいるかのようだった。
 熱さだけではない。味にも同じことが言える。煎れたまま放置したコーヒーを一度だけ飲んだことがあるが、舌にまとわりつく酸味は酷いものだった。しかしたった今口にしたものは本来の渋みがきちんと残されている。これは確かに美味い。
 だからこそレイルは疑った。「クァイス、本当に王都で買ったのか?」
「容器にリルティの紋章があっただろ」クァイスはタンブラーを指差しながら言った。「店員が言うには、温度と味を保つためにとある秘密が仕掛けてあるって言ってたぜ」
「何だそれ」
「魔晶機関のコーヒーメーカーか?」興味の眼差しを込めてシドが言った。
「国がそんなもんに魔晶石を使うかよ。ただのカフェスペースだろ」レイルが横槍を投げる。
「それなら、お前さんと同じクリスタルベアラーかもしれんぞ」
 レイルは思わず吹き出した。「コーヒーを美味く煎れられるベアラーだって? 冗談よせよ。そんな平和なやつがいるなら俺もぜひ会ってみたいね」
「それなら今度アルフィタリアへ行くときに会ってみるか? もしも彼女が本当にクリスタルベアラーなら、お前は異変に気付くはずだろ」
 依然冷めることを知らないコーヒーを含んでから、レイルは気怠げに言った。
「暇つぶし程度なら付き合ってやる」


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