クリスタルベアラーは異質な能力と並外れた身体を持つが故に、周囲から忌み嫌われている存在だ。
この世にはクリスタルという世界の始まりや生命にも似た輝きが存在している。だがレイルはその光を美しいと感じたことはあまりない。どちらかといえば眩しさのあまり、目を背けたくなる思いがはるかに強い。恐らくクリスタルに対してこのような後ろめいた感情を抱けるのは、クリスタルベアラーとして生まれてきた者だけだろう。
レイル自身も物心ついた頃には右頬に輝きを宿していた。その理由を探った時期もあったが、それも今では昔の話だ。あの頃、やみくもだった自分に教えてやりたいと、今でも思うときがたまにある。
恐らくこの先、自分がクリスタルベアラーとして生きていく理由を欲することはしないだろう。しかし世界の目を気にせずに欲心を唱えても良いのであれば、挙げられるものは二つある。
ひとつは記憶だ。人の集まる場へ出れば、周りは必ず右頬の結晶を見て後ろ指を立てる。そしてベアラーとしての能力を使えば、その指が今度は言葉となって自分の背中を突き刺す。
今ではすっかり慣れたことだ。だが、感情を上手くコントロールすることを知らない幼かった頃の自分は、いかにしてあの眼差しを乗り越えてきたのだろうか。
レイルはそれを、思い出せない。子供の頃の記憶がぽっかりと空いた穴のように抜けているのだ。思い出なんて綺麗なものに興味はないが、それだけはどうしても捨てきれなかった。
「レイル、今日の仕事でも羽目外すんじゃねえぞ」通路を跨いだ向かい側の座席からクァイスの声が飛んできた。「お前は能力抜きにしても目立ちやすいからな」
アルフィタリアへ向かうセルキートレイン車内。王都へ向かうだけあって、車内にはリルティとクラヴァットしか乗車していない。ただし、たった今釘を打ってきたセルキーの男だけは除く。
クリスタルベアラーの能力は極力使わないように気をつける、などと適当な答えを返して彼を宥めさせてから、レイルは車窓からの景色を眺めた。列車のスピードに合わせて次々と絵が変わっていく様を見ていると、こんな風に自分の記憶も忘れてしまっているのだろうか、と思う。
列車がトンネルへ入ったときだった。車両内にクラヴァットの親子が入ってきた。母親は子供がはぐれないように手を繋いでいたようだったが、少年は一人で通路をまっすぐに走り出した。そしてレイルが座っている座席前で立ち止まり、後からやって来る母親のことを待っている。
母親がやって来た。同時に列車がトンネルを抜け、日の光が車内を明るく照らす。
その瞬間、彼女の目が光った。レイルはこのあとの出来事が容易に想像できた。
子供と目が合った。彼は物珍しそうに目を丸くさせながらレイルを――頬の輝きを見つめている。
「行きましょう」母親が子供の肩を掴んだ。
「どうして? ここ空いてるよ」
「お母さん、向こうの席がいいな」
「でも、僕はここがいい。お外が見える席がいい」少年は母親の裾を掴んでこの場に留まろうとする。
レイルは何も言わずに席を立った。ジャケットのポケットに両手を突っ込み、その場を離れる。去り際に少年の好奇心が背中を強く叩いたが、応えることはしなかった。クァイスの横を通り過ぎたとき、一瞬だけやつの視線を感じたような気がした。
車両を出た。誰もいなく、積まれた貨物が揺れに合わせてバランスをとっていた。
レイルは壁に背を預け、眠るわけもなく目を閉じた。
アルフィタリアに到着してからは時間の経過は早かった。クァイスがもらい受けた仕事をこなし、時間に余裕ができれば追加報酬を条件に新しい依頼を請け負った。いなくなったチョコボを探したり、使わなくなった魔晶機関を分解したり。内容は様々だ。
しかし、やはりここでも小さな問題が起きた。
それは機械を分解し、利用先の飛空挺ドッグまで部品を運搬する際に起こった。クァイスは運搬用の魔晶機関を使って運ぶつもりだったのだが、約束の時間までに届けるには量が多すぎたのだ。数回に分けて運べば済む話なのだが、時間に律儀なリルティ族は一分の遅れも許さない。遅れた分だけ報酬は引かれるだろう、とクァイスが困り顔で言うと、レイルは迷わず自身の能力を使った。それが問題の火種になった。
実際、時間内に全ての部品を届けることはできた。報酬も弾み、依頼者も満足した様子だった。しかしレイルがクリスタルベアラーの能力を発揮したことによって、国が始まった頃から佇んでいると云われている石像の顔に傷がついてしまったのだ。
それが貴族の目に留まり、レイルは異能抑止法に則って兵士たちから詰問を受けていた。目の前には数人のリルティ族が立っており、レイルを睨む者もいれば、彼を恐れて距離を置いている者もいる。
「クリスタルベアラー、聞いているのかっ」兵士が威嚇するようにテーブルを強く叩く。
「はいはい、聞いてるよ」
「お前がやったことは重罪ものだぞ」
「たった少しの傷じゃねえか」レイルは嘲笑して言った。「国が作られた頃からあるんだろ? だったらあのおっさんは今頃何百という歳を重ねていることになる。皺がひとつ増えたくらいで大袈裟な」
「修繕にどれだけの時間と費用がかかると思っているんだっ」もう一人が怒気を発する。
「今の魔晶機関の技術なら造作もない。それとも大国ともあろうものが、あんな塊ひとつも直せないっていうのか? 腕の良い技師を紹介してやろうか。紹介料は弾むぜ」
「口の利き方すら知らぬとは……」
「王都内でベアラーの能力を使うなんて、とんだ罰当たりなやつだ。信じられん」
好きなだけ言っていればいい。罵倒を浴びたところでかすり傷にもなりはしない。
とにかく、と兵士が咳払いをする。「今回の一件は上層部に報告させてもらう。今後も王都内で同じようなことを繰り返せば、即刻監獄送りだ。肝に銘じておけ、クリスタルベアラー」
「りょーかい」
「本当に分かっているのか、お前はっ」
「よせよ」一人が仲間を制した。「お前が怒ったところで体力を無駄に消耗するだけだ。放っておけ」
宥められた兵士は表情こそ見えないが、厚い兜の裏で舌打ちを鳴らしているのだろう。今にもレイルに飛びかかりそうだった腕を引っ込めた。
「それじゃあ、俺はこれで」
レイルは詰問室を後にし、クァイスから告げられた落ち合い場所へ向かった。恐らくやつは兵士に散々揉まれた自分の様子を見て、にやけ顔でこう言うだろう。
「レイル、王都内ではお利口にしてなきゃダメだって前にも言っただろ」
「お前、その言い方やめろ」
「だったらお堅いリルティのように怒鳴られたいか? お前そういう気あった?」
「それより、報酬」レイルは抑揚をつけて言った。
「ほら」クァイスは金の入った袋を投げた。「ちょうど半分ずつ入ってる」
レイルは中身を確認せずに、報酬をしまった。触った感じでは十分な量だった。
「それじゃあ、一息つきに行くか」
「どこへ?」
レイルは自分で訊いてからすぐに理解した。
「――お前が前に話してた店か」
そうそう、とクァイスは頷く。「いまの時間なら客も少ない。そのほうが都合いいだろ」
「さあ、どうかな」レイルは肩をすくめた。
「とにかく行こうぜ。腹も減ったろ」
それに関しては否定できず、レイルはクァイスの後を追う形で歩き出した。カフェスペースまでは然程遠くなく、数分ほどで着いた。というのも時計広場の階段を上ったところで嫌でもコーヒーの匂いが漂い、先に存在を感じたといったほうが正しかった。
レイルも王都には何度も訪れているが、カフェスペースがあるとは知らなかった。
店の前には一人の女がいた。恐らく店員だろう。彼女は足音に気付いて振り返った。その顔には笑みがあった。
「クァイスさんでしたか」
「オレじゃなにかまずいのか?」
「そんなことありませんよ。ただ、この時間にお客さまは珍しいな、と思って」彼女の視線は自然とクァイスの隣へ向く。「もしかして、こちらの方が以前お話ししていた?」
「ああ。オレの仕事仲間」
はじめまして、と彼女は一揖する。「です。見ての通り、当店の店員です」
「レイルだ」
「あなたがレイルさんですね。クァイスさんからおはなしは伺っておりました」
彼女の発言にレイルはクァイスの横腹を肘で突いた。「お前、余計なこと言うなよ」
「お前がクリスタルベアラーだってことは言ってねえって」彼は小声で言った。
男二人で小言を重ねていると、が不思議そうな面持ちでこちらを見ている。
クァイスは咳払いをした。「オレたち、腹減ってるんだ。何かあるか」
「ございますよ。以前お出ししたベーグルサンド。他にはサンドウイッチなんかも」
「それじゃあ、オレは前と同じやつで」
「ベーグルサンドですね」は商品を包んだ。「レイルさんはどうされますか」
「俺も同じやつで」
「かしこまりました」
彼女はカウンターの裏側で作業に取り掛かった。その間、レイルとクァイスは店内のカウンターテーブルで待つことにした。
「お前、ほんとこだわりないな」
「別にどれも同じだろ。迷ってる時間が無駄だ」
「まあ、お前らしいっちゃらしいか」
それで、とクァイスは身を乗り出してきた。
「どう思う?」
「どうって?」
「だよ」
「ああ、その話か」
そういえばそういう話だったな、とレイルは頬杖をつきながら彼女を眺めた。人の容姿にどうこう言うつもりもないし、彼女について深く詮索したいとも思わない。
ただ判っているのはが自分と同じクラヴァット族で、その雰囲気は先ほどの表情や気配りから滲み出ていた。あれが種族による血によるものなのか、それとも彼女の性分なのかまでは判らないが、恐らく後者だろうとレイルは考えた。
――そう考えたのには、ひとつの理由があった。
「さあな。もっと近くで見てみない限りは」
「見た限り、怪しいところはなさそうだけどな」クァイスも同じように眺める。
「止めとけ。男ならまだしも、女の身体をじろじろ眺めてたら怪しまれるぞ」
「捕まったお前には言われたくない台詞だな」
レイルは何か言い返そうとしたが、口を閉じた。がやって来たからだ。彼女の手にはトレイがあり、先ほど注文した品が載っている。彼女はそれらを丁寧に並べていき、他にも注文した覚えのないコーヒーが静かに添えられた。
「これは?」レイルが訊いた。
「いまの時間はコーヒーがサービスなんです。お食事をされるお客さま限定ですが」
「なるほど」
クァイスさんもどうぞ、は一方のマグカップを向かい側に置いた。
「それではごゆっくり」
彼女がその場を離れようとしたとき、レイルは「なあ」と引き止めた。は何も言わずに振り向いた。自然と視線が絡み合い、不思議な沈黙が流れる。
「いかがされました?」が言った。
「いや」レイルは顔を背けた。「コーヒー、ありがたく受け取っておくぜ。お姉さん」
彼女の表情は見えなかったが、視界の隅で微笑んだような気がした。そのあとは律儀に頭を下げてからカウンターへ戻った。
レイルはコーヒーを飲み、ベーグルサンドを頬張った。一角のカフェにしては美味い。
「ここなら人目につかないだろ」
「別に人の目なんて気にしてねえよ」
「お前のクリスタルがそこじゃなくて、どこか隠せる場所だったら話は変わるんだろうな」言いながらクァイスはレイルの右頬を指差す。
「どこに埋まっていようが、クリスタルベアラーの力は隠し切れない。抑制すればするほど力は勝手にあふれ出すもんだ。だから好き勝手使ったほうが制御も利きやすい」
「お前が言うと妙に説得力があるな」クァイスは苦笑しながらコーヒーを啜った。
レイルは彼を一瞥した。どうやら様子を見る限り、やつは自分が抱いた違和感には気付いていないようだ。言いたいことははっきり言うタイプなのですぐに判る。
レイルは視線をへ移す。もう一度言うが、彼女はただのクラヴァット族だ。クリスタルベアラーである可能性があるなしに関わらず、王都内で働くただの従業員に過ぎない。
しかし、他と比べて違う点がひとつだけあった。
それは『目』だ。彼女はレイルを見ても一瞬の動揺すら見せなかった。自分と顔を見合わせれば、人は否が応でも右頬のクリスタルの存在に気がつく。そしてクリスタルベアラーだ、と恐れをなして距離を置いて離れていく者もいる。
だが彼女はそれらのどれにも反応を残さなかった。
最初は気付いていないのか、と思った。しかしを呼び止めたとき、彼女はこちらをはっきりと正視していた。彼女の目には確実に右頬のクリスタルが映っていたはずだ。
――クラヴァット族だからか? いや、そんなはずはない。今朝、列車内で起きた出来事がレイルの思案を一瞬で打ち消す。
他の理由を挙げたとき、レイルは答えにたどり着くよりも前に口を開いていた。
「クァイス」
「どうした、レイル」ベーグルサンドを食べながらクァイスがこちらを見た。
しばらく間をおいてから、彼女は、と言った。「恐らくクリスタルベアラーじゃない」
「どこ辺りが?」
「……勘かな」