ドリーム小説 9

 思いがけない局面に出くわすと言葉を失うというが、いまが正にそうだった。息を呑むという表現も正しい。しかし不思議と足は竦んでいない。それは目の前の光景に恐怖を覚えているからではなく、あくまで動揺しているからだ。何か悪い夢を見ているのではないか、という思いも僅かながらある。
 だが、左手から伝わる温度がそうではないとレイルに呼びかけていた。横目でを見れば、先ほどまでの明るい表情とは一変して恐怖の色に満ちている。縋るようにこちらの手を握る力は、その感情の大きさに比例するようだ。
 頭上では大きな羽音を鳴らしながらこちらを見下ろす魔物たち。森の光をすべて覆い隠すほどの大群だ。
レイルの記憶が正しければ、やつらは既に絶滅したはずだ。滅んだ生物を蘇らせる術として思い浮かぶのはふたつある。
ひとつは不死鳥の尾。あとは魔法だ。
 しかしいまの世界で魔法を使えるものはいない。クリスタルベアラーと、大昔にリルティ族との戦いに敗れたユーク族を除いては――。
 レイルが間合いをとるため、一歩後ずさった時だった。それが合図になったのか、一際翼の大きい一匹が夥しく鳴きながら襲い掛かってきた。つられるように周りたちも狂ったように鳴き出し、獲物を奪い合うかの如く、レイルと目掛けて縦横無尽に突撃してきた。
「走れ!」
 こうなってしまっては下手に太刀打ちするわけにもいかず、レイルはの背中を押して走り出した。彼女は一瞬躓いたが、すぐに体勢を直して全力疾走する。
 との距離が離れた頃を見計らって右手をかざし、数匹をまとめて地面へ叩き落す。しかし半数はすぐに起き上がり、翼を揺らして再び飛び上がろうとする。一箇所に狙いを済ませていると、他の群れがの後を追いかけていった。
 レイルは彼女を襲う魔物の背後から攻撃を繰り出す。左右へ払うように退け、の頭を狙う一匹を手前へ引き寄せる。そのまま逆ドミノ式に群れへぶつけ、彼女の傍まで追いついた。
「レイルさん!」前を走るが一瞬だけ振り返った。「どうなってるんですか!」
「答えてやりたいが、俺にも分からねえっ」
 喋りながら襲い掛かってくる魔物たちを払い続ける。しかし一向に数が減らない。
「それよりも前見て走れ。すっ転ぶぞ!」
 は前を向き、こちらの指示する方向へ走る。道案内のホタルも魔物の姿に光を隠そうとする。当然の防衛だった。人間を案内する余裕などあるはずがない。
 間もなく高所へ上がろうとした時、レイルの脇から砲弾のようなものが飛んできた。それは近くの草花に当たり、ばきんっという音を鳴らしながら固まった。どうやら魔物が放った石化攻撃のようだ。次々と砲弾を吐き出しては一帯の自然を石と変えていく。
 これにはも「ひっ」と声を漏らし、木の根に躓いてしまった。
 言わないことではない――。レイルは踏みとどまって彼女の元へ駆け寄る。だが邪魔するように魔物たちが前に立ちふさがる。このままではを助けられない。
 そう思っていたが、彼女は鞄を振りかざして魔物たちを追っ払っていた。鋭い爪で髪の毛を引っ張られながらも必死に抵抗し、やがて一匹を退けた。
 目の前の魔物たちを倒したあと、の周囲を飛び回る敵を吹っ飛ばした。突然魔物がいなくなったことに対して、彼女は微塵の疑問も抱いていないようだった。それには特別な理由があるとレイルは何かを察した。
 がレイルを見て立ち上がった。しかし上手く立てずに膝から崩れ落ちてしまう。
「大丈夫。少し挫いただけです」
 レイルの予感は的中した。裾を上げて彼女の足首を見ると、赤く腫れあがっていた。
 さあ、どうする――。
「レイルさん!」
 咄嗟にの腕に引き寄せられた。同時に大きな爆発音と共に砂煙が舞う。そのまま荒野のタンブルウィードのように地面を転がり、レイルが下になった状態で止まった。目を擦る隙もなくの背後に魔物の姿を捉え、今度はレイルが彼女の腕を引っ張って近くの茂みに身を隠した。どうやら攻撃は免れたようだ。
 レイルもも息を上げていた。少しでも草木が揺れれば、警戒心はそちらへ向く。目と鼻の先ではガーゴイルが自分たちを探し回っている。
「あの――」
 言っておくが、と抑揚をつけてレイルは言った。「俺だけでも逃げろ、は聞かねえぞ」
「でも、この足じゃ見ての通り足手まといです」
「何のための護衛だよ。あんたを守るためだろ」
「確かにそうですけど……」は乱れた呼吸を整えるために深呼吸をし、息を呑んだ。「でも、どうして突然魔物が現れたんでしょう。レイルさんから聞いた話では、瘴気ストリームの出現には前触れがあると言っていたのに」
「俺たちがこの森に入ってから、既に瘴気ストリームが開かれていたか。あるいは――」
「あるいは?」
 いいや、とレイルはかぶりを振った。
「それに……あれはガーゴイルですよね」
「知ってるのか」
 はい、と頷いてからは樹の陰から顔を覗かせ、飛び回るガーゴイルを観察する。「童話ではジャック・モキートの館で門番をしているんです。部外者を魔法で石にした後に仲間にしてしまう、と描かれていました」
「まさに見たとおりだな」
「もしかして、これが森の噂なのでしょうか」
「さあな。考えても仕方ない。実際にこうして俺たちの前で飛び回ってるんだから」それより、とレイルは彼女の足を一瞥する。「いつまでもここにいたら気付かれる。一気に森を抜けて逃げ切る他にあいつらを撒く術はない」
 は「でも」と言いかけて止めた。同じことを返されると思ったからだろう。
「……何か良い方法でもあるんですか?」
「あるにはある」
「言ってください」
「俺があんたを担ぐ」
 こちらの立案には顔をしかめた。「ここまでの道のりを覚えていますか?」
「もちろんさ」
「蔦を使ったり上ったり下ったりの繰り返しだったんです。そんな場所でわたしを担ぎながら魔物から逃げるだなんて――」
「無理に決まってる?」
 レイルが余裕綽々に笑うも、は依然として真剣な眼差しをもって頷く。
「確かに無理だろうな。俺以外は」
「できるんですか?」
「おかしいな。あんたはこの間まで、俺がいれば何とかなる、なんて言ってたくせに」
 言い返す言葉が見つからなかったのか、は黙して視線を逸らした。
「心配いらない。俺に任せろ」
「レイルさん、わたし――」
「その知らん顔もそろそろ剥がしてやる」
 紅色で綺麗に縁取られた彼女の唇が結ばれた瞬間をレイルは見逃さなかった。
 次の瞬間、爆発音が響き渡った。正体はガーゴイルから放たれた真空波だ。同時に身を隠すための大樹が、ばきばき、と音を立てながら二人のほうへ倒れてくる。
 レイルはを『右手』で引っ張り上げ、宙へ浮かせた。両足が地から離れた彼女は予想通り驚き、なぜ自分が浮いているのか分からない、といった反応を残す。
 それが堪らなく、
 この上なく、
 最高に面白かった。
 レイルは浮いているを肩に担ぎ上げ、森の出口に向かって走り出した。競うようにガーゴイルたちも背後をついて回る。初めと比べて随分と減ったが、やはり群れと呼ぶに相応しい数がまだまだ残っている。
「レイルさん!」
 彼女の呼び声に視線だけで応える。
「重いので下ろしてください」
「へえ、あんたも体重とか気にするのか。それなら大丈夫だ。想像よりは重くない」
「感想を聞いてるんじゃないんですっ」の声色から微かに怒りを感じた。
 彼女の声に反応したのか、ガーゴイルが砲弾を放ってきた。は頭を引っ込ませ、間一髪のところで攻撃を避ける。
「喋ってると舌噛むぜ」
「このまま逃げ切れたとしても、ガーゴイルたちが外まで出てくるかもしれません」
「おやおや、風の音で聞こえてないのか?」
「農園の人たちを安全な場所へ避難させないと」
 レイルは鼻で笑った。「よくこんな状況で他人の心配なんかできるな。尊敬するぜ」
 間をおいてからが、回りくどい言い方をしました、と言った。「聞いてください。この先の農園ではわたしの弟が働いているんです」
「弟?」訊きながらレイルはクリスタルベアラーの力でガーゴイルを払いのける。
「弟に怪我をさせたくないんです。もちろん、農園を訪れている人たちも」
「そういうことか」
 葡萄農園に着いたとき、が周囲を見渡していた理由がようやく解った。あれは弟の姿を探していたのか。
 かくいうレイルも農園に集まっている者たちのことは頭に入れていた。戦い慣れていない彼らがガーゴイルの大群を見れば、恐怖のあまり混乱する状況は目に見えている。道幅の狭い環境で空を戦場とする魔物たちと戦うには、こちら側があまりにも不利だ。
ガーゴイルたちを退治する自信はある。しかし助けを求める者たちがどんな動きをするかまでは想像できない。
 なにより怪我人のを担ぐと、どうしても片手が自由に動かせなくなる。レイルは口にこそ出さなかったが、足手まといだ、と主張する彼女の意見を否定しなかった。実際、が自分の足で走れるのであれば、思う存分両手が使えるのだから。
 しかし、今はないものねだりをしている場合ではない。そしてを責める気もない。限られた条件で危機を乗り越える。それがレイルにとって最高の楽しみ方だ。
「分かった。魔物は俺が食い止める。あんたは倉庫にたどり着いたら、この楽しい状況を外のやつらに説明するんだ。そういうのは得意だろ」
「分かりました」
 間もなく森の出口が見えてきた。レイルは力を込め、倉庫扉をこじ開ける。
「レイルさん、後ろ!」
 体を半回転させ、食い付いてきたガーゴイルを横へ吹っ飛ばして体勢を元に戻した。
「悪いが、この先は自分で歩いてくれよ。俺はこいつらと思いっきり遊びたいんでね」
「それでしたら、出口に近づいた時点でわたしを後ろへ投げ飛ばしてください」
「怪我人から出る発想とは思えないな」
「そんなこと言って」は自身を抱えているレイルの手を見た。先ほどまでは帯びていなかった青白い光が宿っている。「レイルさんも同じことを考えているんじゃないんですか」
「おかしいな。俺は感情をあまり表に出さないタイプだと思ってたんだが」
「癖は習慣からとも言います」
 レイルはの体を掴み、扉の奥へ投げ飛ばす素振りを見せた。
「ちょっ、ちょっと怖いかも」
「おいおい。あんたが提案したんだろ」
「なるべく優しく投げてください」彼女は着地の心構えをしているように見えた。
「そりゃ聴けない頼みだな。俺はこの生涯、他人から優しくされた覚えなんてない」
「きっと与える側の問題ですね」
「だったら、お姉さんが俺に教えてくれ」
 言いながらレイルはを投げた。そのまま背を向ける形で魔物と対峙する。彼女が上手く着地できたかどうかは判らない。しかし本人から頼まれたとおり、最大限の労わりを込めて投げたつもりだ。
 両手が解放され、レイルは自由意志にクリスタルベアラーの能力を発揮させる。飛び掛ってきたガーゴイルを引き寄せ、既に翼の役割をなくしている仲間と相打ちにさせたり、何度もかわしてきた砲弾も今度は弾き返したりと、戦い方が次々と浮かんでくる。
やはり一人で戦うことに慣れ過ぎた。
 数で勝っていたガーゴイルたちも徐々に躊躇うようになり、引き返す姿が見えてきた。
 ふと、レイルは森の奥へ注意を向ける。宙に黒い靄のようなものが渦巻いている。ここまで走ってきた道中では一度も見かけなかったものだ。瘴気ストリームと似ているようだが、こういうときに自分の勘は正しいと経験が叫んでいる。
 あの渦の中に何かがある、と――。
 躊躇わず飛び込もうとした時、倉庫の向こう側から人間の叫び声が聞こえた。それも一人ではなく、子供や大人の声が混ざった大勢のものだ。
 ――嫌な予感がした。
 レイルは森に残っているガーゴイルを倒し、葡萄農園まで駆け足で向かった。
 広場へ出ると、子供がひとり横たわっていた。目立った外傷はないようだが、気絶している。少年の傍では母親と思われる女が四つん這いの状態で震えていた。彼女に話を聞かなくとも、ここで何を見て何が起こったのかが理解できる。
 おやじさんっ、と若い声が飛んできた。声のほうを向くと、一匹のガーゴイルが老爺を両脚で地面に押さえつけている光景が見えた。
 レイルは力を込めて腕を伸ばした。しかし遠すぎるのか、魔物を引き剥がせない。距離を稼ぐために走り出す。ガーゴイルの口内が黒く光り出すのが見え、咄嗟に老爺を引き寄せた。
彼を抱えたまま魔物を注視する。やつが次に狙いを定めたのは若いセルキー族の男だ。
「逃げろ!」レイルが男に向かって叫んだ。しかし彼は足がすくんでしまっているのか、金縛りにあったかのように動かない。
 ガーゴイルが再び力を蓄え始めた。レイルを舌を鳴らし、老体を置いて駆け出す。
 次の瞬間、ガーゴイルの動きが止まった。反射的にレイルもその場で立ち止まる。攻撃の準備が整っていなかったのか、それとも戦意を失ったのか、微動だもしない。くわえて空を飛んでいるのにも関わらず翼が動いていない。
 異様な光景だった。ガーゴイルは砲弾を吐き出そうと大きく口を開けたまま固まってしまっている。それはまるで博物館に展示されている剥製のようにも見えた。
 異変はそれだけではない。レイルは周囲の光景を見て、自分の目を疑った。
 ガーゴイルの標的であった若い男が後ずさっているのだが、両足が宙に浮いたままなのだ。子供の傍で蹲っていた女も同じようにこの場から逃げようとしているが、走り出した姿がそのまま静止している。まるで時が止まっているかのように。
「レイルさん」
 背後から囁かれた言葉にレイルは一瞬、寒気を覚えた。振り返らずとも、主は判る。
「今のうちにガーゴイルを」
 レイルは何も言わず、無防備状態のガーゴイルを地面へ突き落とした。無論、衝撃を与えても叫びすらあげない。やがて靄となって消え去る様子を黙って見守った。
 後ろから姿を現したに対し、レイルは依然として無言を貫く。
 彼女は損傷した広場を見渡している。右手は淡い光に包まれており、髪の隙間から耳が僅かに輝いているのが見えた。
 適当な場所で立ち止まると、は左手を胸の前へ突き出した。すると宙に時計盤が浮かび上がり、長針を指先で反対へ回した。同時に広場の様子が変わり始める。崩れた外壁は小さな破片同士でくっつき、ひとつの煉瓦へ戻っていく。穴の開いた地面は水が満ちていくように修復され、レイルの傍で気絶している老爺の服が縫われていく。
 やがて広場は本来の姿を取り戻し、最後ににじいろ葡萄が七色に輝いた。
 レイルはゆっくりとへ歩み寄った。彼女もこちらに気付き、目が合う。
 やっぱり、とレイルが言った。「あんたはクリスタルベアラーだったんだな」
 一瞬だったが、の目が見開いた。
「時間を操るベアラーか?」
「正確には止めたり、戻したりする能力です」
 なるほど、とレイルは合点する。
「いつからですか」
「何が」
「いつから気付いていたんですか?」
「最初に会った時から」
「そうだったんですね」は目を逸らし、時計盤から指先を離した。「でも、それならどうしてわたしの我が儘に付き合ってくれたんですか?」
「どんな能力までかは判らなかった。戦う術のないベアラーだっているだろ」
「そういうことですか」
「あんたはどうなんだ」
 何が、というように彼女が視線を向けてくる。
「俺がクリスタルベアラーだって知ってたんだろ」
「勿論です」は頷いた。「あなたほど判りやすい方は見たことがありません」
 やっぱりな、とレイルは息を吐いた。「最初から気付いてたんなら、何故訊かなかった」
「訊いてどうなるんですか?」
「どういう意味だ?」
 は少し間を置いてから答える。「レイルさんは他人から自分がクリスタルベアラーであるといちいち確認されたいんですか」
 レイルは言葉の意味が解らなかった。そんなことを訊かれた例は一度もなかった。
「そんなことを訊いても何の徳も得られませんし、あなたはレイル以外の誰でもない」
 彼女は右手で撫でるように宙を切った。同時に止まっていた時間が動き出し、周囲の人々も順々に起き上がっていく。しかし一連の出来事を覚えていないのか、どうして自分がここで地面に這い蹲っているのか。そして走っているのか分からない、といった言葉を漏らしている。
「対象の時間を戻すと、記憶も当時になるんです」が小声で言った。「だからここで起こった出来事はわたしとレイルさんしか知りません」
「随分と都合が良さそうだな」
「だからこそ、極力使いたくないんです。癖になってしまったら抜け出せなくなる」
 真面目で彼女らしい考え方だな、と思った。自分にとって都合の悪いことが起きれば、トラブルを回避するために時間を巻き戻したい、と誰しもが思うはずだ。
そしてこれは単なるレイルの想像だが、恐らくはそんなもののために力を利用したことはないのだろう。
 そんな風に考えている時だった。「もしかして」と誰かの声が聞こえた。時間が止まる前、ガーゴイルに狙われていた若いセルキー族の男のものだった。
 は男を見た。その瞳に宿る色を見て、レイルは彼が彼女の弟だと察した。
「どうしてこんなところにいるんだよ」しかし弟の声は鉛のように重くなった。「あんたといるところは誰にも見られたくないって言っただろ!」
 興奮した様子で言い放つ弟に対し、は何故か何も答えない。
「また誰かに見られたらどうしてくれるんだ」
「マーフィ、聞いて――」
「言い訳なんか聞きたくない」マーフィと呼ばれた男の視線がレイルを捉える。表情が一変して青ざめた。「そいつもクリスタルベアラーじゃないか」
「だったらどうする?」レイルは飄々と答えた。
「……変わり者は同類でくっつくんだな」
 男と女がいっしょにいるだけでそんな風に見えるだなんて子供だな、と思った。
「身内がベアラーだと知られたら、どんなに仲の良い友人も簡単に離れていく。おれにとってそいつは姉でも家族でもなんでもない。ただの足枷だよ」
「足枷?」
「邪魔ってことさ」
 レイルは頬が強張るのを感じた。は自身に危機が迫るなかでも、彼を案じていた。その様子を見ていたからこそ、いまの発言は軽く流せない。
「レイルさん」が腕を掴んできた。「あの子に構わないでください」
「弟なんだろ。だったら一発でも何か言い返せ」
「あなたは兄弟がいるんですか?」
「いない」
「だったら尚更、あなたには分かりません」
 踏みとどまっていると、マーフィはこちらを睨みつけてから農園の奥へ消えていった。その後ろ姿は先ほどの態度よりも冷たく、憎しみに満ちているように見えた。しかしレイルにとっては言い逃げをされたような印象が残り、非常に後味が悪かった。
 ふと、複数の視線を感じる。辺りにはまだ魔物に襲われていた者たちが残っていた。いまの話を聞いていたのか、目が合うと彼らのレイルを見る色が変わり、すぐに逸らされる。自分だけではない。にも同等の感情が注がれている。
 一人の女が駆け寄ってきた。ガーゴイルに襲われていた際、四つん這いになって頭を抱えていたクラヴァット族だ。「いまのセルキー族はあなたたちの知り合い?」
 レイルとは顔を見合わせた。
「彼の言葉を真に受けちゃ駄目よ。あなたたちとは見えている世界が狭すぎるの」
「お気遣いありがとうございます」
「あなたたちは危険な存在じゃない。最も危惧すべきなのは、違いを認め合わない心よ」
 女は余所見をした。子供が無邪気な足取りで倉庫内へ入っていく姿が見える。
「ああっ、あの子ったらまた勝手に」彼女は駆け足で子供の元へ向かった。
「レイルさん」
 に促され、レイルは彼女と共に葡萄農園を静かに去った。王都までの帰路も行きと同様、瘴気ストリームが開くことはなかった。
 自分たちの間も会話は生まれず、レイルはの耳が強く光り輝くのを見ていた。その光はまるで悲しみに燃える青い炎のようだった。


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