ドリーム小説 8

 からの伝達通り、レイルはクァイスと共に駅前で彼女を待っていた。
 ポケットに入っていた紙切れを再度取り出し、紙面を眺める。の筆跡を見たことがないため、これを本人が書いたものなのかは判らない。しかし文末には彼女の名前が記されている上に、紙からは微かにコーヒーの匂いがする。文面から読み取れば、から託された手紙であることは明白だった。
はいつ来るって?」隣でクァイスが言った。
「さあな。ただ、さっき店を閉めると言ったんだ。もうしばらくしたら来るだろ」
「お前に何か怒ってるんじゃないか」
「それなら俺だけでいいだろ」
「それもそうだ」
 話し込んでいると、一人の兵士が近づいてきた。その光景を見てレイルは咄嗟に今日一日の行動を思い返した。特に目立った悪事は働いていない。ただテスト飛行を行い、絡んできた兵士たちを少し茶化したくらいだ。
 しかし予想は外れた。兵士の目的はクァイスにあった。何でもアレクシス号の記念飛行について口伝したいことがあるのだという。言葉通り、書類や手紙のように手元に残る方法ではなく、直接会って話す必要があるようだ。
「悪い、招集がかかっちまった」
「彼女には俺から伝えておく」
「ああ、頼むぜ」
 クァイスが伝令兵と共にこの場を離れると同時、人混みからの姿が見えた。彼女はこちらが待っていることに気がつくとその場で一揖し、小走りで駆け寄ってきた。
「すみません。お待たせしました」
「そこまで待ってないさ」
 は不思議そうに周囲を見渡した。
「クァイスならいないぜ。仕事で呼ばれたんだ」
「そう、なんですか」
「俺一人じゃ荷の重い相談事か?」
「いえ、そんなことは」彼女は苦笑したあと、一考する素振りを見せた。「ここだと落ち着かないので場所を変えましょうか」
「構わないぜ」
「では、わたしに着いて来てください」
 どこか別の店にでも移動するのかと考えたが、案内されたのはレイルの思考とはかけ離れた場所だった。やって来たのは以前、と荷物を運んだ倉庫前だ。日頃から人気が少なく駅からも離れているため、この辺りを利用するのは限られた者だけだと聞いたことがある。
「なあ」
「なんでしょう」
「ここはあんたの店が管理してる倉庫だろ」
「そうですね」言いながら彼女は鞄を漁る。
「まさかここで話すわけじゃないだろうな」
 レイルが気になって訊いてみると、は何かを取り出した。銀色のドアノブだ。それも魔晶石と思われる青い欠片が施されている不思議な形をしたものだ。
 何故そんなものを持ち歩いているのか――。
 考えていると、は倉庫扉のドアノブを捻って取り外した。レイルは一瞬壊れたのかと思ったが、すぐにそうではないことに気付く。彼女が魔晶石の埋め込まれているドアノブを嵌め込んだからだ。
 次の瞬間、扉が淡い光を帯びて輝き出した。閃光が消えると、鉄扉だった入り口が木目調へと変わり、厳かな装飾が印象的な扉へと様変わりした。それはまるで大昔に失われた魔法のようにレイルには見えた。
 一連の出来事に驚いていると、が扉を手前へ引いた。室内は外の明るさに反してかなり薄暗いが、微かに人の気配を感じる。
「誰かに見られるとまずいです」彼女は中へ入るように促した。
 促されるまま、レイルは足を踏み入れた。後ろではが扉の処理をしている。どんな方法を使ったかは分からないが、魔晶石のドアノブを回収している様子が確認できた。
 狭い道を真っ直ぐに進んでいると、やがて広い空間へ出た。中央には樹木が生えており、幹からは清らかな音を立てて水が流れている。噴水にも似たオブジェを囲うように丸いテーブルが多く並び、そのうちの二つが別の客で埋まっている。奥には酒瓶が陳列しているカウンターも設置されており、まるで一種のバーのように見えた。
 奥から一人の男が近づいてきた。クラヴァットの身なりをしているが、頭にはリルティ族の特徴的なシンボルである『飾り』を付けている。
「あなたは初めて見るお顔ですね」男が言った。
「俺は――」
「違うんです。ロナンさん」脇からが出てきた。「彼はわたしの連れです」
じゃないか」ロナンと呼ばれた男は彼女を見ると表情を緩ませた。「きみが同伴ならそれでいい。いまは見ての通り客が少ない。お好きな席へどうぞ」
「どうもありがとう」
 は店内を見渡したあと、あそこに座りましょうか、と言って奥の席を指す。椅子へ座ってからレイルはに幾つか問おうと考えていた。しかし口を開いたところで先ほどの男が水の入ったグラスをテーブルに置きにやって来た。
、仕事はどうしたんだい。いつもなら夜中に来るじゃないか」
「今日はもう終わりなんです。色々あって」
「なるほど」男の視線がレイルへと変わる。「初めまして、お客さま。ロナンです」
「レイルだ」
「レイル――とても素敵な名前だ。それに、そこらへんの男より綺麗な顔をしてる」
「それは皮肉で言ってるのか?」
「本心ですよ。紛れもなくね」
 同性から容姿を褒められ、レイルは変な予感を覚えた。話題を逸らすために咄嗟に口から出たのは好奇心だった。「あんた、クラヴァットとリルティの混合血か?」
「ええ、そうですよ。やはり初対面の方は決まって同じことを訊いてきますね」
「気に障ったか」
「いいえ、お構いなく。最近じゃ混合血は稀ですからね。レイルさんがそう考えることも聞きたくなってしまう好奇心も正しい」でも、とロナンは彼を凝視する。「それはここへ案内されたあなたも同じことが言えると僕は考えます」
「どういう意味だ?」
 こちらの問いにロナンは一瞬目を丸くしたが、弧を描いた唇に指を添えた。
「秘密ですよ」
 それだけ言い残して彼は去った。レイルの目が自然とへと移る。彼女は運ばれてきた水を口に含んでいる。どうやらここでのやり取りや空気には自分と慣れているようだ。
「普通の店じゃないな」レイルは腕を組んだ。
「そうですね」はどこか気まずそうに答えた。「でも安心してください。決して危険な場所ではありませんし、お代はわたしが出しますから」
「いや、それは別にいい。それよりもあんたがさっき使ったドアノブは何なんだ」
「それは――レイルさんがわたしの相談事を聞いていただければお答えします」
「そうか。じゃあ聞こう」
「……聞く気あります?」が苦笑する。
「もちろんさ。態度で示そうか?」
「結構です」彼女は手で制し、一息吐いてから再び口を開いた。「まずはいくつかお聞きしたいことがあります。レイルさんは報酬次第では仕事を引き受けてくれる何でも屋と聞いたのですが、事実ですか?」
「時と場合によるな。いまこの瞬間はそういう職業だってことにしてくれて構わない」
「そうですか。では魔物と遭遇したり、対峙したりしたことはありますか」
「初中終ある」
「初中終? どうしてですか」
「危ないことが好きだから」
 は目を瞬かせたあとに「いまのは聞かなかったことにします」と答えた。一口分の水を飲み、ハンカチで口を拭ってから続ける。「それでは、レイルさんは魔物への対抗手段をお持ちだと捉えてもよろしいでしょうか」
「少なくともあんたよりは」
「分かりました。ここからは本題です」は軽く身を乗り出してきた。「わたしはいまとあるものを探しているんです。でもそれは魔物が棲みついている深い森のなかにあって、丸腰でたどり着くのは非常に難しくて……」
「俺を護衛役として雇いたいわけか」
「そういうことです。危険な依頼だと分かってはいるのですが、お願いできる方がわたしの知り合いではレイルさんかクァイスさんしか浮かばなくて」
「なるほど」レイルは組んでいた腕を解いた。「用件は分かった。あとは報酬次第だ」
「そうですね――」は自身の耳に触れ、小さな輝きを取り外してテーブルへ置いた。それはレイルも以前から目にしたことのある彼女の耳飾りだった。「これではどうでしょうか」
「俺は女物のアクセサリに興味はない」
「では、これもお付けします」言いながら耳飾りの傍に一枚の紙切れをすべらせた。
「鑑定証明書?」
 はい、とは頷いた。「王都内でも有名な鑑定士からいただいだものです」
 レイルは彼女を一瞥してから鑑定証明書を手に取った。確かに署名にはそれらしき名前が記されており、王都公認の証である印も押されている。に限って偽装工作は考えられないが、どうやら本物のようだ。
 肝心の金額だが、目玉が飛び出るような数値ではない。しかしありふれた耳飾りでは決してつくことのない値段がつけられている。クァイスと共に王都内で仕事を請け負ってきたが、これほどの報酬をもらったことはない。
「確かに申し分ないが、あんたはいいのか」
「はい。もうひとつあれば十分ですから」は髪を耳にかけ、片方を見せた。
「いや、そういう意味じゃない」
「え?」
 何でもない、とレイルはかぶりを振った。「分かった。引き受けてやる」
「ありがとうございます、レイルさん」
「それで、そのとあるものとやらは一体どこにあるんだ。まさか雪山じゃないだろうな」
「葡萄農園の先にある森をご存知ですか」
「ああ……人が消えるだとか、一度入ったら出られないだとかで有名な迷いの森か」
「そうです。探しものはそこにあります」
 ロナンがやって来た。頼んでもいない料理が運ばれてきてレイルは思わず彼を見る。
「いかがされましたか」ロナンが訊いてきた。それはこっちの台詞だ、と思った。
「俺、何も注文してないぜ」
「大変失礼致しました。ですが、レイルさんのお口に合うと思いますよ」
 確かに。テーブルに並べられた料理は、どれもレイルが好んで選ぶものばかりだ。しかし自分は彼に一言も好物など伝えた例がない。ロナンに会ったのは今日が初めてだ。それならば彼は何故、こちらの考えを読み解くことができたのだろうか。
 考えても答えは出てこなかった。正直なことを言ってしまえば、腹を空かせていたので昼食としては有り難かった。レイルは食欲のままに料理に手をつけた。向かいではが魚のムニエルを食べている。ナイフの使い方が綺麗だ。
「そういう料理がお好みなんですね」
「悪いかよ」
「誰も悪いなんて言ってないじゃないですか」彼女は苦笑を浮かべた。「レイルさんは普段からクァイスさんの手料理を食べているんでしたっけ」
 語弊のある訊き方にレイルはむせ込んだ。「別に。あいつが勝手に作ってるだけさ」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
「なるほど」
 何が、なるほど、なのだろうか。先ほどからこの場の者たちに突っ込んでばかりだ。
 その時だった。突然店内の空気が動いた。外部から風が流れ込んでくるものだった。それと同時に子供の泣き声が聞こえてきた。徐々に声量は増していき、やがてレイルの視界に一人の少女が現れた。声の正体は彼女によるものだった。
 今度は目の前でが動き出した。食事を止めて立ち上がると、両目から涙を流している少女の元へ駆け寄った。
「ニーナ、どうしたの」

「話を聞かせて」
「また大人たちに追い掛け回された」ニーナと呼ばれた少女は涙交じりに答えた。
 騒ぎを嗅ぎつけてウェイターのロナンだけでなく、他のテーブルで談笑していた者たちも子供の周りに集まってくる。レイルは依然として遠くから観察していた。
「オ・ニールはいる?」が言った。
「ここにいるぜ」手を挙げたのはセルキー族の男だ。「ニーナは僕にまかせてくれ」
「ありがとう。詳しく話を聞き終えたら、またいつものように連絡を寄越して」
「了解」
 これで三度目だ、とロナンが言った。「そろそろ人物を特定してもいいんじゃないか」
「それは駄目だ」次にやって来たのは大柄のクラヴァット族の男だ。筋肉を蓄えた両腕には複数の傷が残されており、片手にはフライパンが握られている。「話はあとだ。まずは飯を食わせてやろう。ニーナも腹を空かせているはずだからな」
「分かったよ」ロナンは浮かない声で答えた。
「ニーナ、おいで」
 セルキー族の男は少女の手を取った。そのままレイルが座っているテーブル席の脇を通る。すれ違い際に男と目が合うと、彼は和やかに口角を上げて微笑んできた。
 やがてが戻ってくる。
「お騒がせしました」
「なにか問題でも?」
「内部事情です」彼女は腕時計に目を落とした。「そろそろ行きましょうか」
「急いでるのか?」
「少しだけ」
 分かった、とレイルも席を立った。どうやらあくまで事情を話すつもりはないようだ。
 王都アルフィタリアから葡萄農園への道のりは長い。レト高原を抜け、次に水道を抜ける。道中で瘴気ストリームが気まぐれに開けば、たちまち辺りは魔物の遊び場と化してしまう。戦闘や旅に慣れていないであろうには確かに酷だ。
 レイルはこれまで彼女の前でクリスタルベアラーの能力を見せることはなかった。しかし魔物が相手となれば、今回は躊躇なく力を発揮することになるだろう。は自身を丸腰だと称していたが、レイルも同じだ。ベアラーの力がなければ非力同然だからだ。総合的な戦闘能力としてはクァイスが勝っている。
 それよりも――ベアラーの能力を目の当たりにしたの反応が見物だった。
 そんな風に考えながらレト水道までやって来た。しかし運が良いのか、何かの前触れなのか。瘴気ストリームとは一度も遭遇せず、比較的平和な道のりを歩んでいる。端から見れば一組の男女がただ散歩をしているように見えても不思議ではない。
「意外と魔物は出てこないんですね」が周囲を見渡しながら言った。
「あんたは運が良い」
「でも、遭遇しないに越したことはありません。その分レイルさんが楽できますから」
「これ、本当に報酬に似合った仕事なのか?」
「もちろんです」
 その時だった。草陰から何か黒い影が飛び出してきた。レイルは一瞬身構えたが、川沿いには魔物が棲息していないことを思い出し、すぐに警戒心を解いた。実際、目の前に現れたのは黒い肌が特徴的な野良猫だった。
 が好きそうだな、と思った。しかしその思考はすぐに遮断された。彼女がレイルの二の腕を掴んでいたからだ。
 目が合うとは自身の行動に気付き、ぱっと両手を解放した。
「ご、ごめんなさい」
「いや、別に」
「痛くなかったですか?」
「平気だよ」
「そうですか……」
 妙な沈黙が生まれ、レイルは頬を掻いた。
「そういえば、あんたが探しているものって何なんだ。道すがら話すって言ってたよな」
「あ、ああ――そうでしたね」
 自分でもよく話題を搾り出したな、と思った。足を進めれば、が隣を歩く。
「月下美人という珍しい花なのですが、レイルさんは見たことがありますか?」
「花には詳しくないから何とも」
「夜にしか咲かない花と呼ばれていて、有名どころだと『マギーがすべて』という絵本に登場しているんです。読んだことありませんか?」
 タイトルと題材だけは聞いたことがある。絵本というだけあって童話に近い物語だ。
 館を構えるジャック・モキートは魔物のなかでも強靭な体の持ち主であり、彼の下部たちは主人に逆らうことはできなかった。しかしそんなジャック・モキートにも怖いものがあった。妻であるミセス・モキートだ。彼は彼女からの願いはどんな手段を使ってでも守り、貫き通すほどに愛していたという。
 中盤では機嫌を損ねてしまったミセス・モキートとの回復を図るべく、夜にしか咲かない花を探す旅へ出る。敵無しだと思ってきたジャック・モキートであったが、深い森の夜で初めて本当の意味での孤独を味わい、ひとり涙を流す。そんな彼を慰めるように月下美人が月の光に輝きながら花開き、ジャック・モキートは自分の帰るべき場所と愛する妻を思い出すのだ。
 だが、館へたどり着く前に月下美人は日の光を浴びて閉じてしまう。面目がつかなくなったジャック・モキートであったが、家に戻ると自分を案じていた下部たちやミセス・モキートの姿があった。最後には館中の家族を集めた晩餐会を開いて幕を閉じる。
 しかしレイルには読んだ記憶がない。いや、読んだことがあったとしても、子供の頃の記憶をなくしているため、思い出せないといったほうが正しい。
「さあな、さすがに覚えてない」
「ご主人様が奥さんのためにお庭を花でいっぱいにする挿絵が印象的なんです。王立図書館にいけばあるかもしれません。いまでも時々見かけます」
「この歳になって絵本はきついだろ」
「そんなことないですよ」でも、と言っては小さく吹き出した。「レイルさんが絵本を読んでいるところはちょっと興味あります」
「笑いながら言われても嬉しくないな」
「ごめんなさい」
「それで? どうしてその花が必要なんだ。アルフィタリアの花屋にはなかったからか」
「それもありますが、贈り物なんです。どうしても咲いた姿を見せたい人がいて」
 話している間に葡萄農園に到着した。ワイン蔵の管理人に話をつけ、倉庫の扉を開く。巨大な樽が陳列している室内は微かに葡萄の香りがする。酒に弱い者なら匂いだけで酔ってしまいそうだが、は平気な顔をしていた。寧ろ何かを探すように視線を泳がせている。
「花以外に何か探しているのか」
「ああ、いえ。何でもなんです」彼女は首を振った。「それにしても不思議ですね」
「何が?」
「倉庫の奥に森があることがです。やっぱり神隠しや人攫いの噂があるからでしょうか」
「あんたはそういう話を信じるタイプなんだな」
「信じるというか、もしもそうだったら、と考えたら怖いと感じるだけです。実際、これから向かう森はユーク族発祥の地ですから。魔法に長けている彼らであれば、そういうことも可能なんじゃないかなって」
「でも、いまはもうユーク族はいない」
 は少し間を置いてから、そうですね、と言って森へ続く扉を開いた。葡萄農園の景色とは一変し、巨大な木々で空が隠れてしまうほどの深い森が姿を現す。
 どうやらは初めて見る光景のようで、しばらく言葉を失っている。惹かれるように森へ踏み出そうとする彼女をレイルは、待った、と言って肩を掴んで止めた。
「どうしたんですか?」
「耳飾りは外したほうがいい」
 は片方の耳に触れる。
「ここには金目のものに目がないサルがいる。光物を見つけたら耳ごと盗られちまうぞ」
「そうなんですね」は耳飾りを外し、提げている鞄へしまった。「レイルさんもアクセサリをつけてますけど、それは大丈夫なんですか?」
「俺は自分の身を自分で守れるから」
「なるほど」
「ここまでは運良く来られたが、この先は何が起こるか分からない。用心しろよ」
「はい。分かりました」
 低所へ降り、まずは魔物の気配を探る。敵の姿はなく、瘴気ストリームも見当たらない。どうやらこの辺りは野生の小動物しかいないようだ。
安全確認を終えたレイルは背後を着いてくるを見やる。彼女は蔦を利用して地面へ着地しているところだった。
「大丈夫か」
「とろくてすみません」
「いや、思ってたわりに身軽で驚いてる」
「そうですか? 良かった」
「この先も高低差が激しいから疲れたら言えよ。俺は他人に気を遣えないから」
「足を引っ張らないように心がけます」
 それじゃあ、とレイルは振り返った。「お目当ての花を探すか。何か特徴はあるのか」
「先ほどもお話しましたが、月下美人は夜にしか花を開きません。それも毎晩は咲かず、条件が揃ったときにしか顔を出さないんです。ですので開花状態を見つけるのは難しいでしょう」
「他に特徴は」
 は一枚の紙切れを取り出し、広げて見せた。本の切り抜きだった。
「月下美人の蕾です。茎が釣り針のように曲がっているので、これを目印に探します。まだ真昼なのでないとは思いますが、咲いている場合は周囲に強い香りを放ちますので、何かに気付いたら教えてください――って、レイルさんもいっしょに探してくれるんですか?」
「人数は多いに越したことないだろ」
「ありがとうございます。助かります」彼女は明るい声で答えた。「では、わたしはこの辺りを探すので、レイルさんは向こうをお願いしてもよろしいでしょうか」
「了解」
「切り抜きはレイルさんが持っていてください。わたしは見たらすぐに判るので」
 から紙切れを受け取り、レイルは彼女とは反対側の茂みへ足を踏み入れた。幸いにも森の中は緑に溢れており、目的の花を発見しやすい環境のようだ。しかし写真と目利きを頼りにして周囲を見渡すも、そう易々とは見つからない。
 これまで受けてきた依頼のなかでも随一を誇る平和な仕事だな、と思う。花を探すなんてまるで子供同士の遊びのようだ。クリスタルベアラーにこんなことを頼める人物は、今のところと元王宮庭師のルダンくらいだろう。
 そんなことを考えながら捜索を続けていたが、月下美人の蕾は見当たらなかった。先ほどと別れた場所へ一度戻ると、彼女も同じタイミングで歩み寄ってきた。
どうやら成果は同じなようだ。会議の結果、森のさらに深くへと向かうことになった。
「やっぱりそう簡単には見つかりませんね」が汗を拭いながら言った。
「そもそも、ここに咲いてるもんなのか」
「はい。事前に図鑑で調べました」
「それなら間違いないか」
「迷惑を承知で、もう少しだけお付き合いください」彼女は苦笑を浮かべた。
 たどり着いた先で再び花を探し始める。レイルは月下美人だと思われる蕾を見つけたが、は首を横へ振った。その後も度々似たようなものを見つけては報告するが、彼女の返事は変わらない。徐々に訊きに向かうのが面倒になってきたレイルは、結局の傍で探すことに切り替えた。魔物が出てきた際、そのほうが対処しやすいとも考えたからだ。
 間もなく月下美人を探してから四時間が経つ。数分前は白い光に包まれていた森だったが、徐々に夕暮れ色に染まりつつあった。あれから歩みを進めて最深部までやって来たが、花は未だに見つからない。横目でを見れば、彼女の表情にも疲労と諦めの色が見え始めている。それでも探す手は止めず、懸命に目を凝らしている。
「今日は出直すか?」
「お願いします。もう少しだけ……」
「了解。でもあんまり無理するなよ」
「ありがとうございます。レイルさんはどうか木陰で休んでいてください」
「俺は平気さ。それよりも――」レイルは指の腹で彼女の頬についている土を拭った。「隣でお姉さんが頑張ってるのに、俺だけ休んでいられねえからな」
「……レイルさんもついてますよ」
「嘘だな」
 は一笑した。「ばれちゃいましたか」
 どうやら笑える元気は残っているようだ。安堵を覚えたまま、深い茂みを掻き分けた時だ。レイルの視界に見たことのない植物が飛び込んできた。明らかにこれまで観察してきた野花や草木とは違う。すっかりポケットへ丸め込んでしまった切り抜きを取り出す。写真と特徴は似ているが、どうやら既に事切れているようだ。白い花びらが草臥れてしまっている。
「ちょっといいか」念のため、彼女を呼んだ。
「はい。なんでしょう」
「これはどうだ。特徴は似てると思うんだが」
 またぬか喜びにならなきゃいいが――そう考えているとが目を剥かせた。
「レイルさん、これっ」彼女の興奮は止まらない。「これが月下美人ですよっ」
「そうなのか?」レイルは内心驚いていた。「写真と随分様子が違うが、枯れてんじゃねえか」
「いえ、ただ萎んでいるだけで、時間が経てばまた芽吹くと思います。状態を見る限り、恐らく昨夜に開花したんでしょうね。微かですが、辺りにまだ香りが残ってる」は鼻を動かしながら早口で答えた。「この子は咲いたばかりですが、他はまだ生長段階のようです。一番若いのを挿し穂にして持ち帰りましょう」
 は鞄から園芸用のはさみを取り出し、一本の茎を切り落とした。手のひらで掬い上げるように包み込み、切断面に正体不明の液体を塗っている。恐らく花が長生きするための薬なのだろう。何も分からないレイルはその様子をただ見守ることしかできなかった。
「これでオッケーです」
「見つかるもんだな」
「そうですね。わたしも半ば諦めかけてましたが、何事もなく見つかってよかった」
「あんたを護衛する意味はあったのか?」
「勿論ですよ。わたし一人だったらここにも来られませんでしたし、見つけ出すまでもっと時間がかかっていたと思います」それに、と言っては微笑んだ。「レイルさんが見つけてくれたじゃないですか」
「まあ、あんたが満足してるならいいか」
「レイルさんにも咲いた状態を見せたかったのですが、時期的に難しいかもしれません」
「どれくらいで育つんだ」
「早くても二年。ですがこの状態だと花が開くまで三年ほどかかるかもしれません」
「その日まで毎日世話をするわけだ」想像しただけでレイルは気が滅入った。「だがいいのか。その花は渡すものなんだろ。いつ咲くかも分からないものなら尚更だ」
「いいんです」は服の裾についた土を叩いた。「わたしもその人と会えるまで、どれだけの時間が必要なのか分かりませんから」
 含みのある言い方をするな、と思った。
「それじゃあ王都へ戻りましょうか」
「戻り道、判るのか?」
「え、えっと……」は複雑な分かれ道を見てから、救いを求めるようにこちらへ視線を変えた。「ごめんなさい。どの道から来たのか忘れてしまいました」
 レイルは一笑した。「だと思ったよ。帰りは虫の光を頼りに戻るんだ。着いてきな」
 無意識に彼女の手を取って歩き出した時だった。辺りに地震にも似た音が響き渡り、木々に止まっていた鳥たちが一斉に逃げ出した。
 その様子にが驚いたように声を上げ、レイルはその場に立ち止まった。反射的に掴んでいた手を離し、右手にクリスタルベアラーの力を込める。
とうとう瘴気ストリームが開かれたかと空を見上げたが、穴はどこにも見当たらない。魔物も姿を現さない。
「なんでしょう、いまの音」
「さあ、めでたい花火ってわけじゃなさそうだ」
 まだは右手の存在に気付いていない。そんな風に考えていると、突然辺りが闇に包まれた。木々の隙間から注がれていた陽の光が何かによって遮られたのだ。
 見上げた先を見て、レイルは思わず唇を舐めた。頭上には見たことのない魔物の群れが、赤い目を光らせながらこちらを見下ろしていた。


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