アルフィタリア空軍施設では、相変わらず独特の匂いが漂っていた。魔晶石の活用先が兵器や飛空挺に回り始めてからは改善されたと聞くが、それでも鼻につく臭いだけは未だ消えない、と現場のリルティ族は語る。
完成間近まで迫ってきた新造飛空客船アレクシス号。リルティ族が魔晶石を用いた技術の結晶とも呼べる巨大な飛空挺だ。甲板では娯楽施設であるプールやテラス、船内では食事が楽しめるレストランスペースも完備されている。
一方、小型飛空挺であるアクートの小尾では、動力源である魔晶石を装着している作業が進められていた。何でも、数週間後に行われる終戦記念日の式典に使用されるのだという。
レイルやクァイスのような他種族には無縁の催しだが、そうも言っていられない。
というのも――レイルとクァイスは現在、小型飛空挺のテスト飛行を任されていた。しかも自分たちが搭乗しているアクートには魔晶石が組み込まれていない。動力はレイルのクリスタルであり、あくまで正常に作動するかの確認だった。
「しかし、テスト飛行にまで魔晶石を使わないとは。リルティ族もさすがの倹約家だな」クァイスが操縦席で飛空挺を操りながら言った。
「運良く墜落しちまえばいいとでも思ってるんじゃないか」レイルは見張り台にいた。伝声管を通じて届いたクァイスの呟きに答える。「そうすれば事故死として処理ができる上に、わざわざ自分たちの手を汚さなくても済む」
「オレはお前より嫌われてないぜ。たぶん」
「さあ、どうだろうな」レイルは欠伸をこぼした。
「おい、レイル」クァイスが抑揚をつけて言った。「気ぃ抜くんじゃねえぞ。この飛空挺はマジでお前だけが動力源なんだからな」
「大丈夫さ。この程度の飛空挺なら眠りながらでも動かせる」
「さすがはクリスタルベアラーだな」クァイスは舵を切り、王都へ進路を変えた。「それなら、アレクシス号の記念飛行もいざってときはお前の力を当てにしてるぜ」
「アレクシス号の記念飛行だって?」
「言ってなかったか? 抽選で選ばれた一般客と貴族たちを乗せたアレクシス号の記念飛行さ。本当はオレが護衛する予定だったんだが、人手が足りないらしくてな。良い人材がいると上に話したら、お前にも仕事を与えてやるとさ」
「俺がクリスタルベアラーだと言ったのか」
「いいや」
「まあ、だろうな」レイルは悠然とタンブラーに入っているコーヒーを飲んだ。
「お前っ、いつの間にオレのぶんどった?」
「馬鹿言え。ちゃんと自分の分だよ」
「なんだ。お前も買ったのか」
まあな、とレイルはタンブラーを見る。「あのお姉さんから言われたんだ。今後も店に来てくれる機会があるのなら、これを持ち歩かないかってな」
「オレのときと全く同じ商売文句だ」クァイスは笑いながら言った。「思えば彼女、お前がクリスタルベアラーでも全く動じないよな。オレもセルキーだが、断られた例がない」
「彼女にとって、俺やお前はただの客に過ぎないんじゃないか」
「まあ、そのお陰で助かってるけどな」
コーヒーを啜りながらレイルは今朝のことを思い返していた。いつものようにセルキートレインを経由して王都へ向かい、朝の一杯にとカフェスペースへ行く流れだった。しかしクァイスには急ぎの用事があったようで、彼からタンブラーを託されてレイルだけがの元へ向かったのだ。
は変わらずカウンターに立っていた。先客の相手をしている彼女は自分と接しているときとまるで隔たりがない。誰かを特別に扱おうとするわけでもなく、特定の人物を邪険に扱うわけでもない態度だった。それが彼女の良さなのだろうな、とレイルも徐々に理解しつつある。
客がいなくなったところを見計らって近づくと、もこちらに気がついた。いつもならここで笑みを浮べるのだが、今日は少しだけ違った。
まず、開口一番に「クァイスさんといっしょではないのですか?」と訊いてきたのだ。
レイルは一瞬違和感を覚えたが、まずは問われたことに答えたほうがいいと考えた。
「あいつは先に用事を片付けに行ったんだ」
「そう、だったんですか」
「クァイスに何か用事でもあったのか?」
「ああ、いえ」彼女は耳に髪をかけた。「最近、お顔をあまり見かけないので……」
いつものでよろしいですか、と訊かれたので、レイルは頷いてタンブラーを渡した。何度かカウンターの傍でコーヒーを淹れている姿を見ているので、彼女の手元が空いたタイミングでレイルは話の続きを持ちかけた。
「最近、よくあいつのことを気にかけてるな」
「クァイスさんはお店のお得意さまですから」それに、とはエスプレッソマシンのレバーを引いた。同時に白い蒸気が舞い上がる。「クァイスさんが、明日も行く、と言って来なかったことは今まで一度もありませんでした。だから何かあったのではないかと心配で……」
「まるで、あいつの身に何かが起こるんじゃないかと怯えてるみたいだな」
レイルはを一瞥した。しかし生憎、彼女は背中を向けて作業を進めていた。
表情こそ判らないが、が普段の様子と違うことは確かだった。数日前に一人で店を訪れたときも、彼女はすぐにレイルの周りを気にし始めた。最初は他に客がいないか確認しているだけだと思ったが、今回の発言で確信が持てた。
あの動きはクァイスを捜していたのだと。
カフェスペースを訪れる回数は王都へ足を運ぶ頻度とほぼ比例している。先にこの店を見つけたクァイスのほうが彼女からの認知度は圧倒的に高い。それに踏まえてやつはが淹れるコーヒーを深く気に入っている。店側としても覚えやすく、気にかける条件としては十分だ。
しかし――恐らくは、別の感情でクァイスを案じている。それが判れば、レイルが以前から抱いている『違和感』と『疑惑』が完全に結びつく。
そう。レイルはコーヒーを飲むためだけに、彼女の元を訪れるわけではなかった。
「お待たせいたしました」
タンブラーの蓋を閉め、こちらへ振り返ったには普段通りの笑みがあった。
「誤解を招く言い方をしてしまってすみません」彼女は二人分のタンブラーを置いた。「クァイスさんが元気ならそれでいいんです。お忙しいのは以前お聞きしましたから」
「忙しいのは確かに――当たってるな」
「やっぱり、そうでしたか」
「あんたが心配していたって聞けば、きっといつもの調子で顔を出すと思うぜ」
クァイスの姿を想像したのか、は一考する顔をしたあとに笑いをこぼした。
「お客様のプライベートに首を突っ込むなんて、はしたない行為でした」
「あんたは真面目すぎる」レイルはタンブラーを受け取った。「こっちが肩凝りそうだ」
は微苦笑を浮べるだけだった。
「それじゃあ、俺はこれで」
歩き出したレイルだったが、それともうひとつ、と言って振り返った。
「また後で来るぜ、お姉さん」
そう言って別れたのが今朝の出来事だった。レイルはカフェスペースに顔を見せないと案じているについてクァイスに話した。するとやつはどこか気恥ずかしそうに笑った。
「誰かに心配されるなんて、いつ以来だろうな」
「会いに行ってやれよ。この後はどうせ暇だろ」
そうだな、とクァイスは頷いた。
間もなく飛空挺は王都へ到着した。クァイスは整備員に内部の異常は確認されなかった旨を報告している。レイルは右頬の輝きを消し、コンテナに背を預けてやつを待った。
数分後、クァイスが報酬の入った袋を提げて駆け寄ってきた。
「もらってきたぜ、今日の分」
「危険手当は入っているんだろうな」
「あのまま堕ちてりゃあ、少しはもらえたかもな。しかし仕事に似合った額だったぜ」
「最近やけに羽振りが良いな。まさかとは思うが、軍へ入るわけじゃないだろうな」
クァイスは手で答えを制した。「その先はあくまでオレの問題だ。答える義理はない。でもまあ安心しろよ。お前に迷惑はかけねえから」
「どうだか」レイルは鼻で笑った。
そんな風に話しているときだった。背後から鋭いもので背中を突かれる感覚を覚えた。振り返った先には警備用の槍を携えた巡回兵士が立っていた。
「物騒だな。丸腰相手に」レイルが言った。
「何を言うか、クリスタルベアラーめ。用が済んだのならば即刻に立ち去れ。以前のように能力を乱用してアレクシス号に傷でもつけられたら堪ったものじゃない」
「さすがは謹厳なリルティ族。全員の兵士がオレを見張ってるってわけか」
「忘れたとは言わせんぞっ」もう一人の兵士が頭を突っ込んできた。「貴様、我々に詰問されたことをもう忘れているな。反省の色がないと見える」
ああ、とレイルは思い出したように言った。「あのときの兵士か。ご苦労なこった」
「なんだ、レイル。知り合いか?」クァイスが言った。
「いいや。どこかで顔を見たことがあるかないか」
「でもこいつら、顔見えねーぞ」
「確かにそうだ。じゃあ人違いだな」
「きっ、貴様ら~~」兵士は拳を震わせている。
以前のように襲い掛かってくる前にレイルはその場を後にした。後ろからはリルティたちの喚き声が聞こえているが、やはり今回も甲冑のせいで何を言っているのか分からなかった。
「悪い、用事を思い出した」時計広場に到着したところでクァイスが立ち止まった。
「用事?」
「ああ。すぐに済むから先に行っててくれ」
それだけ言うとクァイスは来た道を駆け足で戻っていった。特に呼び止めて詮索するつもりもなかったので、レイルはカフェスペースへ向かった。
しかしの姿はなかった。彼女の代わりにカウンターに立っていたのは見知らぬクラヴァットの女だった。女はレイルに気がつくと、いらっしゃいませ、と唇に弧を描いた。ここまではと変わらない。
しかし突然、店員の様子が変わった。彼女はレイルの顔を見るや否や、表情を強張らせた。理由は明白だった。恐らく右頬のクリスタルを見て、目の前の男はただの客ではなく、クリスタルベアラーだと認識を変えたからだろう。
――そうだ。これが当然の反応だ。自分でも知らないうちに、の振舞いに慣れ過ぎていたらしい。レイルは心の中で自分を嘲笑った。
「お客さま。ご、ご注文はいかがなさいますか」彼女は途端に歯切れが悪くなった。
「いつもの」と言いかけて、レイルは言葉を呑み込んだ。「淹れやすいコーヒーを頼む」
「わたくしの淹れやすいコーヒー、ですか」
「難しい注文だったのなら謝るぜ」
女は、いえっ、と激しく頭を振った。「すぐにご用意させていただきます」
早口で注文を受け取ると、店員はまるでレイルと目を合わせないように背中を向けた。手元でコーヒーを淹れる動きも機敏さに欠け、震えている手が何とも頼りない。
見ていられなくなったレイルもカウンターから離れ、なるべく彼女の視界に入らない場所で待つことにした。何だか悪いことをしてしまった気分だ。
「レイルさん?」
その時だ。聞き慣れた声が飛んできた。声のほうを向くとがいた。カウンターに立っている店員と同じ制服を着ているので、勤務中であることが分かる。違うところといえば、彼女の腕には古い蓄音機が抱えられている。
「どうされたんですか、こんなところで。椅子が空いてますよ」彼女は空席を見やる。
「どうやらあの店員さんをビビらせちまったみたいでね。ここで待ってるんだ」
「レイルさん、彼女に何かしたんですか」
あんたまでそんなことを言うのか、と喉まで出ていた言葉を抑え込んだ。
「そういうあんたは何だ。妙なもん抱えて」
「これですか?」は蓄音機を抱え直す。「お店の前に飾るんです。終戦記念日に向けて、当時の雰囲気を感じてもらうために昔の道具や機械を置くように命じられたんです」
「命じられた? 誰に」
「国王さまです。きっと他のお店も配給されたものを飾っているんじゃないでしょうか」
「なるほどね」
「前、失礼します」
はレイルの前を横切ると、カウンターの空いているスペースに蓄音機を置いた。すると店員の女がコーヒーを作る手を止めての二の腕を掴んだ。彼女の表情に驚きと戸惑いの色が染まる。
そのまま二人は店の裏へ姿を消し、店内には作りかけのコーヒーの湯気だけが残った。
女が何のためにを裏へ連れ去ったのか、安易に想像がつく。恐らくクリスタルベアラーの相手なんてできないから代わってくれ、とでも頼んでいるのだろう。
さて――は何と答えるのだろうか。レイルがクリスタルベアラーであることは先ほどの反応を見れば一目瞭然だ。店員は必ず客の顔を見るものだ。だからこそ、右頬の存在に気付かないはずがない。
彼女はこれまで、レイルのことをクリスタルベアラーだと認識していないかのように接してきた。他の客とも隔たりなく振る舞っている。
そんな彼女の態度がとてつもなく奇妙で、同時に異質なものだと納得している自分もいた。周囲から拒絶される存在であると理解していながらも、ただ一人の人間として受け入れてもらえると、途端に違和感を覚える。
皮肉なものだと思う。自分はクリスタルベアラーであると同時に、他の者とは違うと自ら線引きをしていることに気付いたのだから。
そして久しぶりだった。自分が他人からどのように見られているのか考えたのは。そんな感情はとうの昔に置いてきたはずだったのに。
考えているうちにが姿を現し、小走りでこちらへ歩み寄ってきた。
「すみません、レイルさん。彼女、体調が優れないようだったので帰らせました」
どうやらあくまで事情は伏せるつもりらしい。
「新しくコーヒーを淹れ直しますので、ご注文をお伺いしてもよろしいでしょうか。代金は結構ですので、好きなものをお申しつけください」
「いいのか」
「はい」は頷いた。
「それじゃあ――いつもの」
「かしこまりました」は椅子を引いた。「どうぞこちらでお待ちください」
促されるままレイルは椅子に腰掛けた。
は蓄音機にレコードをセットし、ぜんまいを巻く前にこちらを見た。
「あの、音楽を流してもよろしいですか?」
「国から命じられたんだろ。俺に聞くなよ」
「そうですけど、一応のご確認を」
「好きにしろよ」
「ありがとうございます」
言いながら彼女は針を置いた。レイルも蓄音機の存在は知っていたが、実際に目にしたのは初めてのことだった。自分が物心ついた頃には魔晶石が既に生活の一部であったし、音楽という概念を最初に耳にしたのは魔晶石を用いたラジカセだった。
現在は携帯用の音楽機器も出回っているが、稼動にはやはり魔晶石が欠かせない。
そう考えると魔晶石を使わずとも音楽が聴ける蓄音機こそ、科学の結晶と呼ぶべき存在なのかもしれない。それらの恩恵を受けてきたからこそ、ここまで文明が発達し続けてきたともいえる。
間もなくホーンから音楽が聴こえてきた。ラッパがそこまで大きくないため、音は小さいがカフェスペースで流す分には丁度いい音量だった。
最初はあまり気にして聴いていなかったが、とあるメロディーが流れた途端、頭のなかでアルバムが開いた。それはレイルが昔からよく耳にしていた音楽だったからだ。
「良いですよね、この曲」が言った。「蓄音機は国から配給されたものなんですが、レコードだけはわたしが持ってきたものなんです」
「あんたが?」
「昔から音楽の文化に興味があるんです。いまはほとんどが魔晶機器ですけど、わたしは蓄音機の独特な音が好きで。レコードは何とか中古屋で買えるんですけど、蓄音機だけは中々手の出せる値段ではありませんから」彼女は仕方なく笑った。
「随分前の曲だろ、これ」
の目が丸くなった。「そうですっ。もしかしてお好きなんですか?」
「あんたほどじゃないが、たまに聴いてる」
「そうなんですね」は未だ嬉々とした表情を崩さない。「わたし、この曲を知っている方と初めてお会いしました。随分昔の音楽家ですし、世間から見ても当時はそこまで認知度が高くなかったようですから」
「無理もない。歴代で最も有能だと謳われていた国王が死に、その後すぐに流行り病で国が滅びかけていた激動の最中だったんだからな」
「でも、わたしはそういうところが好きです。世間から流されずに自由に生きる姿が」
「相当なファンだな」
「興奮してすみません」は苦笑する。
コーヒーが運ばれてきた。レイルはカップを持ち上げた。だが飲む前に訊いた。
「なあ、ひとついいか」
「はい。何でしょうか」
しかし、言葉が出てこない。胸の奥で静かに留まっているのを感じる。
まただ。言いたいことがはっきりと言えない。本音で語ろうとすると、何かが邪魔をする。
「レイルさん?」
が不思議そうにこちらを見ている。
それだ。普段から何も見えていないようで、どこか見透かされているような目が苦手だ。なにを考えているか分からないから気持ちが悪い。それならいっそのこと、先ほどの女のように常に逸らしてくれたほうが気楽でいられる。
そんな時だった。遠くから「いやあ、待たせた待たせた」と気の抜けた声が飛んできた。そこには青いバンダナが特徴的なやつがいた。
「クァイスさん」先にがやつを呼んだ。その呼び声は明るかった。
「よう、。久しぶりだな」クァイスは軽く片手を挙げた。「一週間ぶりか。なかなか顔を出せずにいて悪かったな。最近忙しくってよ」
「いえ、そんな。お元気そうで何よりです」
「いつもの、もらえるか」
「はい。お待ちください」
その後、何故か彼女は周辺に視線を走らせたあと、小走りでカウンターへ向かった。クァイスは気付いていないようだったが、レイルにはそれが不思議に見えた。
「邪魔したか?」クァイスが言った。
「何が」
「と何か話し込んでただろ」
「別に。他愛のない話さ」レイルはようやくコーヒーを飲んだ。まだ温かかった。
「アレクシス号の記念飛行の護衛、正式に請け負ってきたぜ。報酬はこれまでで一番でかい。しばらくは贅沢して暮らせるほどの金額だ」
「そりゃあ良かった」
「アレクシス号の完成が終戦記念日当日に間に合えば、その日に飛ばすらしいぜ」
「なるほど。この日なら王都内でどれだけ暴れても多目に見てもらえそうだな」
「そういう考え方が災いを呼ぶんだぜ、クリスタルベアラー」クァイスは鼻の上に皺を作る。「頼むから余計なことするんじゃねーぞ」
「頼んでおいて説教かよ」
クァイスのコーヒーが運ばれてきた。喉が渇いていたのか、やつはすぐに口へ含んだ。レイルも浮かんでいるクリームを崩しながら一杯を飲み干した。
「あの、お話中にすみません」
が遠慮気味に話しかけてきた。その面差しはあまり良いとはいえなかった。
「突然で申し訳ないのですが、本日はもうお店を閉めさせていただくことになりました」
「早いな。まだこんな時間だぜ」クァイスが言う。
「すみません」彼女は頭を下げた。「そちらをお飲みになってからで構いませんので」
レイルはクァイスと顔を見合わせた。考えるまでもなく、椅子から腰を上げた。
「店の事情なら仕方ない。また来るぜ」
「ありがとうございます、クァイスさん。レイルさんもまた来てくださいね」
それでは失礼します、と言っては看板を抱えて奥へ消えた。
彼女の後ろ姿を見届けていると、クァイスが横肘を突いてきた。
「レイル。お前、また何かやったんだろ」
「やった覚えはないんだけどな」
「お前は無意識でも何かやらかすやつだ」
「言いたいだけ言ってろ」
レイルはひとつため息を吐き、セルキートレインへの通りを歩き出す。ふとジャケットのポケットへ両手を突っ込むと、何かが引っ掛かった。違和感を取り出すと、二つ折りにされた紙が出てきた。
レイルは立ち止まり、それを開いた。
『お二人にお願いしたいことがあります。
クァイスさんとごいっしょに王都・草原駅前でお待ちください。より』