ドリーム小説 6

「だから」レイルは抑揚をつけて言った。「俺はここへ着いたばかりだって言ってるだろ」
「それを証明できるものはあるか?」
「セルキートレインで買った切符だ。ここに乗車時間と下車時間が印字されてある」
 レイルは取り出した切符を見せようとしたが、リルティ族の兵士はそれを制した。
「セルキー族の作った紙切れなど、証拠として認めるわけにはいかない」
「はあ?」
 兵士は鼻を鳴らした。「やつらはどんな手段を使ってでも己の罪から逃れようとする。それにくわえて貴様はクリスタルベアラー。信用できるはずがないだろう」
「言ってること無茶苦茶だぞ、お前ら」
「黙れっ」兵士は槍を構えた。「証拠がなければこのままお前を連行させてもらおう」
 レイルは彼に腕を掴まれた。咄嗟に払いのけようとしたが、そうもいかなかった。
「待ってくださいよ、先輩」そこへもう一人の兵士が間に入ったからだ。「確かにこいつはクリスタルベアラーですけど、切符くらいは受理しても良いんじゃありませんか? これからは種族融和のため、セルキー族も王都へ迎え入れるようにと国王陛下も仰ってましたし」
 気になる点がひとつだけあるが、話の分かる兵士もいたもんだ、とレイルは感心する。
 しかし先輩リルティは頭を振った。「それとこれとは話が別だ。相手が相手だからな」
 レイルは盛大なため息をついた。話が通じないとは、まさにこのことだ。
 事の始まりは数分前。レイルがシャトルを経由して王立図書館へ到着したときだった。常に静けさを保ち続けている図書館が何やら騒がしかった。入り口ではリルティ族の貴族が一人立っており、婦人を囲うように兵士が集まっている。
 この時点でレイルは、自分の身に降りかかるであろう災難を五感で感じ取った。
 しかし、それを避けるために素通りしたのがいけなかった。レイルが兵士の脇を通り過ぎようとした瞬間、怪しげな視線を感じ取った。無論、彼の右頬のクリスタルを見て、兵士が目を光らせたのだろう。あと一歩のところで捕まってしまった。
 詳しい話を聞けば、何でも貴族の財布が懐から抜き取られてしまったのだという。気付いた頃には既に無くなっており、犯人の特徴と足取りは未だ掴めていない。
 レイルは災難に遭った女を一瞥する。
 確かに――大金を持っていそうだ。身に纏う服から裕福な空気を漂わせるものがある。自分ももし金を盗るなら彼女から抜くだろうな、と思った。
 悠長なことを考えていると、目が合った。相手はこちらを凝視し、近寄ってくる。
 レイルは思わずのけ反った。「何か?」
「あなたがわたしの財布を盗んだの?」
「俺はここへ来たばかりだ、何も盗っちゃいない」レイルはジャケットを広げて見せた。
「じゃあ一体誰がわたしの財布を……」
「それを見つけるのは俺じゃない」
「勝手に話を進めおって」兵士は依然唸っている。「お前の容疑はまだ晴れてないぞ」
「だったら俺が犯人だと考える証拠を出せよ。お前らそういうの得意だろ」
 兵士は指を突き立てた。「お前がクリスタルベアラーである以上に証拠がどこにある」
「駄目だ。話にならねえ」
 この状況をどう切り抜けようか、と考えあぐねいている時だった。突然一人の老人がやって来た。彼もまたリルティ族だが、どこかで見たことのある顔だった。
「先ほどから何ですかな、騒がしい」
「こっ、これはルダン=クルス殿っ」
 先ほどまでの剣幕が嘘のように兵士の態度が変わった。右手で敬礼まで構えている。彼の様子を見る限り、ただの一般人というわけではなさそうだ。
「実はご婦人の財布が、粛然の場である図書館内で何者かに盗まれてしまったのです」
「なるほど」
「そこで怪しい人物をひっ捕らえ、ただいま事情を聴いていたところであります」
「怪しい人物?」
 男――ルダン=クルスの視線がレイルへと移る。
 そして彼の目を見て、レイルは何かを思い出した。
「あなたは、先日の……」ルダンが呟いた。
「やっぱり、あの時のじいさんか」
「へっ?」兵士の気の抜けた声が高い天井に響く。
「覚えていますよ。庭園でわたしの大切な指輪を取り戻してくれた青年ですね」
「レイルだ」
 彼は以前出会ったリルティ族の庭師だった。ルダンは窃盗の疑いがレイルに向けられているのだと察すると、落ち着いた様子で兵士と向き合った。
「彼がご婦人の財布を盗んだと?」
「は、はい……」兵士は頷くが、頼りなさそうだ。
「荷物は調べたのかね。財布は出てきたのか」
「いえ、出てきませんでした」次に答えたのは、先ほどの若いリルティだ。「それに彼が提示した切符の下車時間と、ご婦人が図書館を訪れた時刻が一致しており、犯人ではない証拠が揃っております。いずれも記録に間違いはありません」
 これには義憤を感じていた兵士も反論できないようで、黙りこくってしまった。
「かようにも目に光を宿した青年が、他人の物を盗むわけがない。曇っているのはお前の目だ。国王陛下の言葉を胸に刻みなさい」
「はい。申し訳ありませんでした」
 ルダンはかぶりを振った。「わたしに謝ってどうする。お前が詫びる相手は彼だろう」
 兵士の兜がゆっくりとこちらを向く。相変わらず表情は見えないが、見なくとも判る。彼の身体は小刻みに震えており、言葉を口に出そうとしない。恐らく、リルティとしての誇りとプライドが彼を邪魔しているのだろう。何故クリスタルベアラーなぞに頭を下げなくはならないのだ、と。
「もういいって」レイルは首の後ろを掻いた。「疑いが晴れたんなら、俺はそれでいい」
「しかし、レイルさん」
「俺がいいって言ってるんだ。何度も言わせるな」
「貴様っ」俯いていた兵士の顔が上がる。「ルダン殿に向かってその口の聞き方は――」
「あの……お取り込み中にすみません」
 別の人物がやって来た。声のほうを見ると、そこにはがいた。正しくは一人ではなく、彼女の肩にはうな垂れている男が抱えられていた。
「どうされたのですか?」後輩リルティが言った。
「館内を歩いていたら、彼が倒れていたんです。どうやら高いところから落ちてきた本に頭をぶつけてしまったみたいで。目立った怪我はないのですが、念のため救護を」
「承知いたしました。わたくしたちが運びますので、ひとまず寝かせておきましょう」
「はい。分かりました」
「先輩、救護道具を取ってきてください」
「わ、分かった」
 後輩兵士はと協力して気絶している男を運んだ。よく見ればセルキー族だった。クァイスと同じ髪色だからすぐに判った。
 柱を支えにし、セルキー族の男を座らせる。その拍子に彼の服から何かが落ちた。
 皮製の長財布だ。触れなくとも値の張るものだと判る。そしてこれが男のものではないと、この場にいる誰もが察した。セルキー族は財布を持ち歩いたりしないからだ。
 兵士は財布を拾い上げた。「ご婦人の財布を抜いたのはこの男だったのか」
「財布を抜いた?」
 事情を知らないは首を傾げた。そんな彼女に兵士は一連の流れを説明した。
「そうだったんですか」
「危うく彼に濡れ衣を着せてしまうところでした」そう言うと兵士はレイルと向き合い、頭を下げた。「先ほどは申し訳ありませんでした。ご無礼をお許しください」
「だから、もういいって」
 頭を上げると兵士は上司の様子を気にしてから、レイルに耳打ちする。「わたしも詳しい事情は知らないのですが、先輩は過去にクリスタルベアラーと一悶着あったようなんです。それ以来ベアラーのことになると、先ほどのような態度に」
「だが、俺はそのベアラーじゃないぜ」
「はい。そのことはきっと本人が一番よく分かっていると思います。ただ……」
「気にするな」レイルは顔を背けた。「ベアラーに同情なんてするだけ無駄だ。俺たちはそういう存在なんだ。あんたが気に病む必要はない」
 そう言うと兵士は黙り込んだ。何と言葉を返したらいいか分からなくなったのだろう。
 やがて先輩兵士が担架を抱えて戻ってきた。財布は無事に貴族の手元に渡り、セルキー族の男に関しては、意識を取り戻してから身元や事情を聴くこととなった。
 運ばれていく男と兵士たちを見届けてから、レイルは二人と向き合った。
「あんたらのお陰で助かったよ」
「お礼を言われるほどではありませんよ」
「わたしこそ」が言った。「倒れている方を運んでいる最中に居合わせただけです。寧ろ変なときに声をかけてしまってすみませんでした」
 いいや、とレイルはかぶりを振る。「結果として犯人が見つかったんだ。お手柄だな」
「そんなつもりはなかったんですけど」彼女は喜んでいいのか、という顔をする。「でも、レイルさんの疑いが晴れたのなら良かったです」
 レイルはルダンへ視線を変えた。先ほどの兵士の様子を見る限り、彼がただの老いぼれた庭師ではないことは確かだった。兵士を前にしてあの毅然たる態度。いくら自分が小さな恩人だといえども、彼を取り巻く空気は並みのものではなかった。
 一体何者なのか、と問いただそうとした時だ。ルダンは顎鬚を撫でながら「どうやらわたしが平均年齢を下げてしまっているようですな」と笑った。
「レイル殿にクラヴァットのお嬢さん。わたしはこれで失礼させていただきます」
「おい、おっさん――」
「レイル殿、お嬢さんをよろしくお願いしますよ」
ルダンはにこりと笑い、図書館へと姿を消した。
 その場に残ったレイルとは目を見合わせたあと、気まずそうに逸らした。同時に何ともいえない空気が漂い、レイルは適当に言葉を探った。
「あんた、今日は休みだったのか」
「は、はい」彼女はぎこちなく頷いた。「もしかしてお店へいらっしゃったんですか?」
「いや、そういうわけじゃない」
「そうですか」
 二度目の長い沈黙が生まれる。
「レイルさんも図書館に何か用事でも?」今度はが訊いた。
「ああ。でも、調べたいことを忘れちまった」
 は一笑した。「不思議ですね。でも、あんなことがあれば無理ないですよ」
「あんたが親切にセルキーの男を運ばなかったら、今頃監獄砂漠行きだっただろうな」
「わたしには、レイルさんがそんなところへ行くような人には見えませんけど……」
「オレのことを知らないくせに?」
「そうですね」でも、と彼女は言った。「わたしの知っているレイルさんは優しい人です」
 そうだ。彼女はこういう性格だった。他人の悪いところを探るようなことはしてこない。こちらがどれだけ卑下しようとも、彼女はそれ以上に持ち上げてくる。
「……分かったよ」レイルは肩をすくめた。「どちらまでお帰りですか? お嬢さん」
「どうしたんですか、急に」
「さっきの礼さ」レイルは頬を掻く。「借りは作らない質なんだ」
「それならわたしも言ったじゃないですか。今回もたまたま――」
「オレといるのがそんなに嫌か?」
 我ながら意地悪な質問だと思った。だがこう訊けば、自ずと答えはひとつに絞れる。
 は肩を落とした。「そんなこと、誰も言ってないじゃないですか」
「それじゃあ、決まりだな」
「でも、時計広場までで結構ですよ。その後は友人と待ち合わせをしているので」
「了解」
 丁度よくシャトルが到着した。車内は普段よりも混んでいるが、多少なりとも空席はあるようだ。乗車してから壁際に立っているに座るかどうか訊ねたが、彼女はこのままでいい、と答えた。
 間もなくシャトルは発車した。
 今日は、とが言った。「空が高く見えますね。明日も晴れそう」
「話題をひねり出したな」
「え?」
「人は会話に困ったら天気の話をしたがる」
「ばれちゃいましたか」彼女は苦笑した。「実際、お客様とこうした形でお話しすることに慣れていないんです。お店では店員として振る舞えますけれど、いざ勤務外で顔を合わせると何となく気恥ずかしいというか。何を話したらいいか分からなくって」
「まあ、その気持ちは何となく分かる」
「レイルさんもですか?」
「……悪い。いまのは適当に答えた」
「なんですか、それ」は苦笑する。
 シャトルがトンネル内を潜った。その間、車内は仄かな光で照らされる。
「最初に会ったときから思ってたんだが」
「なんでしょうか」
「あんた、たまに訛るよな」
 同じ種族でも、生まれた土地や環境によって口調や語尾が異なるのはよくあることだ。の場合は喋り方に時々癖があり、レイルはそれを最初から気にしていた。
「わたし、この国の生まれじゃないんです」
「そうだったのか?」
 はい、とは頷く。「母が話すには西側で生まれたんだそうです。ですけど、自分では気をつけているつもりでも、やっぱり判る人には分かってしまうんですね」
「気に障ったのなら謝る」
 いえ、と彼女は手を横へ振った。「弊害を感じているわけではないんです、ただ、店員としてお客さまと接するときに訛ってしまうと、あまり快く思われない方もいらっしゃるんです。ちゃんとした口調で話して欲しい、と」
 聞いているだけで目が回りそうな話だと思った。「あんたも大変だな。何かと難癖をつけたいだけの男もいれば、人の喋り方に文句を言ってくる客もいるわけだ」
「あのお客さまは、ご注文の前から苛立っていましたから。きっと何か嫌なことをあって、それを誰かにぶつけたかったんでしょう。その矛先がわたしだったというだけです」
「それを文句も言わずに受け入れるあんたも、俺から見れば十分変わってるよ」
 そうですね、とは微苦笑を浮かべたあと、何気なく景色を眺めた。
「わたしが働かせていただいているのは、ただのカフェスペースではありません。王都という大きな組織で構えている顔の一部なんです。ですから、王国に泥を塗るような行為は許されませんし、国の意志に従わなくてはなりません」
 そう話す彼女の表情は、心の奥底を必死に探るように見えた。
 でも、と言ってはこちらを見たあと、最大限に声を押し殺して続ける。
「正直、あの時のお客さまにはカチンときました」
 彼女の本音にレイルは思わずにやけた。こちらの反応には焦った顔になる。
「すみません。いまのはナイショですよ」
「さあな。俺の知っているお姉さんは、お客さまの愚痴なんて言いそうにないからな」
「レイルさん」彼女は抑揚をつけて言った。
「大丈夫さ。告げ口する相手なんていない」
 は安堵したように息を吐いた。同時にシャトルがトンネル内を抜けた。
「そういえば、クァイスさんはお元気ですか?」
「クァイス? あいつなら毎日変わらず王都へ来てるはずだぜ。会ってないのか」
「はい」
 ――妙だな。やつは今朝も早くにガレージを開け、王都へ向かったと思ったのだが。
「きっと……お忙しいんでしょうね」
「あいつが来ないと、静かで退屈か?」
「素直な気持ちを申し上げますと、少し寂しいです。朝方はクァイスさんとお話しするのがわたしにとっても日課のようなものでしたから。それが突然なくなると……」
「あいつに話しておこうか。たまには顔出せって」
 はかぶりを振った。真意と行動が矛盾しており、レイルは首を傾げる。
「すみません。クァイスさんがお店に顔を出してくれるまで、待とうと思いまして」
「あいつならすぐに行くんじゃないか。タンブラーは常に持ち歩いているみたいだし」
 レイルなりにの気持ちを案じての投げかけだったが、それを聞くと彼女は嬉しそうにするかと思いきや、神妙な面持ちになった。普段はカウンター越しに眺めているからか、それとも今は店員としてではなく、プライベートの顔を持っているからなのか。常に笑顔一色の表情がみるみる曇っていく。
 どうしたんだ、と声をかけようとした時だった。突然、視界が大きく揺れた。シャトルが急ブレーキをかけて停止したからだ。
 衝撃で正面に立っていたが飛び込んできて、レイルは咄嗟に手すりに掴まり、片手で彼女の体を支えた。胸の辺りから彼女の小さな声が聞こえた。
 レイルは窓の外を覗いた。魔晶機関の故障であれば、落下する可能性がある。
魔晶機関は動いている。だがシャトルは先ほどから、びくりとも動かない。
 レイルはシャトル内の乗客を観察する。自分と同じように柱や壁を支えにしている者もいれば、揺れに耐え切れずその場で尻餅をついてしまっている者もいる。やがて子供が不安で泣き出し、大人が恐怖で喚き始める。魔晶石だけで稼動している無人の車内はパニックに陥り始めた。
「れ、れいふさん」
 シャトル内の空気とは裏腹に、気の抜けるのこもった声が聞こえた。レイルは彼女の顔を自身の胸に押さえつけていることにようやく気付いた。
「あ、ああ。悪い」レイルは手の力を緩めた。
「い、いえ」が離れた。「こちらこそ助かりました。ありがとうございます」
「シャトルが止まった。いったいどうなってんだ」
「しゃ、シャトルが?」
「魔晶機関は動いてる。なのに動かねえ。こんな芸当ができるのはこの世に一人だけだ」
 クリスタルベアラー以外に有り得ない。しかし自身を除いて、シャトル内にそれらしき人物は見当たらない。
他に考えられるのは外部からの攻撃だ。しかしこの閉鎖的空間からクリスタルベアラーの正体を暴きだすのは、雲を掴むことよりも難しい。
 幸いなのは魔晶機関が壊れていないことだ。あれが稼動している限り、シャトルが落ちる心配はない。
「シャトルは無人運転なんですよね」も動揺しているが、周囲と比べて冷静さは残っているように見えた。
「ああ。恐らく管理室がシャトルの異常に気がつくはずだ。それまで状況を確認する」
「わたしも手伝います」
「大丈夫なのか」
「はい」彼女の声は頼もしかった。
「それじゃあ」レイルは周囲を見渡す。目に留まったのは他の乗客たちだ。「あんたは他の乗客たちを頼む。特に大人のあやし方には詳しいだろ」
「分かりました。レイルさんも怖くなったら言ってください。頭ぐらい撫でますよ」
「それだけ言える余裕があるなら平気か」
 役割を分担した後、は慎重な足取りで子供たちの元へ向かった。
 レイルは車両前方にある手動運転室へ入り、ハンドルに触れてみた。しかしシャトルは反応せず、握っているハンドルだけが上下に動くだけだった。他にも色んな機器や部品を確認してみるが、どれもエンジンには関係のないものばかりだった。
 こうなると――最終手段を使うしかない。
 もしもこれがクリスタルベアラーによる故障であれば、相対するものは同士だけだ。
 レイルは背後に注意を向けた。先ほどまで泣き喚いていた子供たちも落ち着きを取り戻している。いまは必死に大人たちを説得しているの姿が見える。時に場合によって、大人は子供よりも扱いが難しい生き物だが、普段から彼らの相手をしている彼女なら任せられる、と判断した。
 両手に力を込めた。シャトルのような大きな機械を動かしたことは過去にないが、いまは出来ることしか頭になかった。今までもずっとそうやって生きてきた。
 その時だ。運転室に連絡が入った。相手はレイルの予想通り、管理室からだった。
(シャトル三号車、シャトル三号車。こちら管理室です。状況を報告してください)
「魔晶機関が正常に稼動しているのに、何故かシャトルだけが止まってる」
(了解。乗客に怪我人は?)
 レイルはを一見する。彼女も連絡を聞いていたようで、首を横へ振った。
「怪我人はいない。だが子供がいる。長い間、閉鎖空間に閉じ込めてはおけない」
(現在、シャトル内の安全確認を行っております。もうしばらくお待ちください)
「もうしばらくも待てないと言ったら?」
(停止の原因を突き止めました)即答で返ってきた。(線路上のギアが止まっているようです。間もなく通常運転へ切り替わりますので、安全のため座ってお待ちください)
「了解」
 どうやら思ったよりも早く動き出しそうだ。さすがはアルフィタリア大国。伊達に数々の魔晶機関を管理しているわけではない。
 運転室から客室へ移動し、や他の乗客と合流する。状況をかいつまんで説明すると、みな戸惑いながらも座席に集まった。なるべく子供と老人が座れるように工夫をし、レイルとを含めた若い大人は手すりに掴まって待機することとなった。
 やがてシャトルが動き出した。同時に車内が安堵の空気に包まれる。シャトルは緩やかに速度を上げながら、到着の時計広場まで進んでいく。
「もう大丈夫みたいですね」が言った。
「ああ、そうだな」
「レイルさんが冷静に対処してくれたお陰ですね」
「別に――」
「礼を言われるほどのことじゃない?」
 言おうとした台詞を先に言われてしまい、レイルは思わず微苦笑してしまう。
「あんたも随分冷静だったじゃないか。やっぱり国を代表する店員さまは違うな」
「そんなことありませんよ。実際はすごく強がってました。脚だって震えてましたし」
 でも、と彼女がこちらを見た。
「レイルさんがいるから、きっと大丈夫だって思ったんです。何となくですけど」
「……随分と信頼が厚いんだな、俺」
「気に障ったのならごめんなさい」
 別に、とレイルは逸らすように外を見る。「だが、あんたがいなきゃ困ってたのも事実だ。さすがの俺でも、ここにいる乗客を一人で落ち着かせることはできなかった」
「お役に立てたのならよかったです」
 その後、時計広場行きのシャトルは約三十分の遅れで到着した。ホームには騒ぎを聞きつけて集まってきた者のほかに、専属の整備士や救護係も集まっていた。
 順々に乗客が降り、最後にとレイルが下車したところで、シャトルは点検のために車庫へ運ばれていった。その後を見届けてから、彼女を時計広場まで送った。
「とんだ災難だったな」
「でも、怪我人がでなくて本当によかったです」
「シャトルの故障はたまに起こるが、今回のようなトラブルは初めてだった」
「誰かが線路に悪戯でもしたんでしょうか」は悩ましげに首を傾げた。
「さあな」
 ここで考えても明確な答えは出てこないので、この件は一旦保留にすることにした。
「では、わたしはこれで失礼します」
「誰かと待ち合わせしてるんじゃないのか」
 は腕時計へ目を落とした。「シャトルが止まったお陰で遅刻しちゃいましたから。釈明も兼ねて直接友人の元へ訪ねるつもりです」
「なるほど」
「レイルさんも道中お気をつけて」
 それでは、と彼女は一揖してからその場を後にした。その様子を見て、やはりプライベートでも店員の癖は抜けないのだろうな、と思った。
 レイルも橋の街へ帰るため、セルキートレイン乗り場へ向かおうと歩き出した。
「ママ、この時計また壊れてるよ」
 ふと、リルティ族の子供の声が飛んできた。少女の隣には母親が立っている。
「あら、ほんとね。修理したばかりじゃなかったのかしら。時間が分からないと困るわ」
 レイルは時計台を見上げた。それはリルティ族にしか時刻が分からず、他の情報もまた他種族には理解できないものばかりなのだが、ひとつだけ分かることがある。
 時計の動力である魔晶機関が稼動しているのにも関わらず、あらゆる機能が停止していることだった。これは先ほど乗ってきたシャトルの故障と全く同じ現象だ。
 レイルは周囲を見渡す。しかしどれだけ疑いの目を凝らしても、怪しい人物――クリスタルベアラーらしき人間は見当たらない。
「……まさかな」


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