午前中の収録が終わり、が支度を進めていると「くん」と声を掛けられた。振り返るとダニエルが軽く手を挙げながらやって来た。
「何でしょうか」
「それがね」ダニエルはご満悦気に笑った。「ネズさんの公開放送の許可が下りたんだ」
それは朗報だ、とは思った。何故ならこれからスパイクタウンへ向かうからであった。無事に公開放送が決まったのであれば、その旨について直接本人と相談することもできそうだ。
「これをきみに渡しておこうと思って」
ダニエルから受け取ったのは新たな企画書だ。数枚に綴じられた表紙には白黒印刷されたネズの写真が載っている。歌手として活動している姿だ。元の髪色のせいか、彼の見た目ならモノクロでも大差ないと思ってしまう。
普段では文字だけだというのに、何故ここまで気合いの入れ様が違うのか。は違和感を抱えつつも特に言及することなく書類を鞄へしまった。
「その企画書、一味違うだろう」
は内心、ぎくりとした。まさか感情が表へ出ていたのだろうか。思わず顔に触れる。
「確かに……ネズさんの企画書だけ気合いが入っているように見受けられます」
「やっぱり鋭い人はそう思うよね」
ダニエルは、ばつが悪そうに首の後ろを掻いた。どうやら思い当たる節があるようだ。
「実はプロデューサーが熱狂的なネズさんのファンなんだ」
「そういうことでしたか」
合点のいく理由ではあるが、私情で企画を進めていいのだろうか。の胸中で靄が広がる。
「それってつまり私情で決めたってことですよね」
突如飛んできた苦言には思わず苦笑した。どこまでも清々しく、気持ちのいい性格だ。
考えるまでもなく、声の主はルージュだった。彼女は目が合うと「どうも」と軽く会釈した。片手にはサイコソーダを持っている。
「ルージュちゃん、きみは本当に恐ろしい子だね」
彼女の発言にダニエルも溜め息を零している。
「上層部が聞き耳を立てていたらどうするんだい」
「だって本当のことじゃないですか。指摘されて怒るようなら最初からやるなって話ですし」
これにはダニエルも二の句が継げないようで、微苦笑を浮かべたまま咳払いを零した。
「庇い立てをするようだけど、仕事でも何でも『情』がすべてを決めると、わたしは思うよ」
「情、ですか?」が訊いた。
そうだよ、とダニエルは頷く。「ダンデくんの企画然り、今回の企画然り。合議した末に新たな番組が決まるだろう。そこ在るのは意見や考えといった人間の情だ。私情を混ぜずに言葉を交わすことができるのなら、この世に存在する問題はもっと楽に解決するはずだ」
常に誠実さに満ち溢れているダニエルの目が鋭く光り、はごくりっと息を呑んだ。
「言いたいことは何となく解ります」ルージュは飲み物を口に含む。「企画をやろうという発案も私情ですし、わたしがこうしたら面白いっていう意見も私情ですね」
「伝わってくれたかな」
「軽率な発言でした。申し訳ありません」ルージュは軽く頭を下げた。「でも正直、職権乱用であることに変わりないと思いますよ」
それを言ったら話がまとまらない。考えを歪めないルージュにダニエルは白旗を掲げた。
午後の定例会議へ向かったダニエルを見送り、その場にとルージュだけが残る。
「さんはもうお帰りですか」
「うん。今日は夕方の生放送がないから」
「そうですか。お疲れさまです」
「ありがとう。また明日の収録でね」
ルージュに別れを告げ、は足早とスパイクタウンへ向かう。短針は二時を指している。アーマーガアタクシーを使えば余裕で間に合う時間だ。
町の構造上、アーマーガアタクシーだけでは現地に辿り着けない。目的地を九番道路に指定するか、ナックルシティ東部に位置するトンネルを経由せねばならない。今回は前者を選んだ。
もしかすると――スパイクタウンが寂れつつある町と呼ばれる原因には、交通の利便性が低いことも関係しているのかもしれない。
到着までの間、は書類を眺める。前回と同様、とても見やすくまとめられている。
収録地はシュートシティ駅構内。聴取者を含め、会場に収容される客数は五十人程度。図面から見ても驚くほど巨大なスタジオではないようだ。
しかしネズの人気を侮ってはいけない。彼がひとたびマイクを握れば、どんな場所でも人やポケモンが集まってくる例は稀ではない。さらに今回は座談だけでなく、彼の生歌も披露される。当日はトラブルを避けるため、ネズを支援するスポンサー会社から数人のスタッフが派遣されるとも記されていた。
現場の空気に慣れておくため、やはり事前に収録スタジオを視察する必要がありそうだ。
そんな風に考えていると、スパイクタウンの外れに位置する九番道路へ到着した。気候の影響か、どんよりとして空気もやや悪い。辺りには奇抜な格好をした集団が屯しており、壁に何やらポスターを貼り付けている。は極力刺激しないように通り過ぎた。
町の玄関口へ向かうと、固く閉ざされたシャッターが視界に飛び込んできた。これにはも戸惑いを隠せない。事前にネズから聞いた話とまるで違うからだ。
入り口を間違えたのだろうか。考えあぐねていると、後ろから「おい」と声が聞こえた。だがはそれが自分に向けられたものだとは思わなかった。
「エール団を無視するとは据わった根性だなあ」
この台詞でようやく気付いた。派手な服装に腹を出した男がに呼び掛けているのだ。
は瞬きをし、ややあって頭を下げた。
「申し訳ありません。わたしに声を掛けているとは思わなかったもので……」
謝罪している間にも、男の背後から仲間と思われる人物が集まってきた。
「おれたちの町に何か用かあ?」
「もしかしてジムチャレンジャーかあ?」
一度に複数の詰問を受け、は胸に前に両手をかざして後ずさる。派手なメイクも相まって彼らの形相がより際立って見える。少しだけ怖い。
「そんなわけあるか。大会が始まってからまだ一ヶ月しか経ってないんだぞ」仲間の一人が言った。
「まあ、確かにそうだな」
「お嬢以外はここへ来られんようにしとるし、こいつはチャレンジバンドも付けとらんから大会の参加者じゃなかよ」多分やけど、と短髪の女が呟く。
どうやら彼らの誤解と疑念を解くためには、こちらから身分を証明する必要がありそうだ。は名刺を取り出し、彼らに見えるように提示した。
「わたくしはと申します。ガラルラジオ放送局でパーソナリティを務めております」
「……」
最初に声を掛けてきた男が名刺を受け取り、何やら考え込むように視線を空で泳がせる。
「ネズ選手との今後の収録を踏まえ、スパイクタウンの見学へ参りました」
「――ああ!」
男は思い出した様子で目を見開かせ、その反動で渡した名刺をぐしゃりっと握り潰した。
「あんたのことはネズさんから聞いてるぜ」
「ありがとうございます」
良かった、とは胸を撫で下ろした。危うく門前払いを食らうところだった。
「まさか客とは思わんかった」仲間が言った。
「今日はライブの予定もないから余計にな」
「驚かせてしまって申し訳ありません」は閉ざされたシャッターを見る。「あのう……」
「シャッターは開けられねーんだ」でも、と男は草むらを指差した。「裏手から入れる。おれたちが案内するから着いてきてくれ」
「分かりました。お願いいたします」
何やら深い事情があるようだ。は男たちの言葉を聞き入れ、建物内へ入った。
を出迎えたのは深閑たる空気。暗雲が浮かぶ空よりも視界が悪く、薄暗い印象を第一に抱えた。蛍光色に光るポケモンセンターの看板が目に眩しい。周辺には数多くの段ボールが積み上げられていた。なかには社名が変わる前の箱も存在している。今にも崩れそうだ。
視線を移動させる。現在は人が住んでいないのだろうか。派手な色でライトアップされた建物には落書き――俗にいうタギングと呼ばれる絵が並んでいた。他にも色が薄れた張り紙。地面には破かれたポスターの残骸と思われる破片が散らかっている。
話し声はおろか、風の音すら聞こえない。静まり返った空間をは何も言わずに眺める。
「ここがスパイクタウン!」男が言った。「おれたちの自慢の町でパンキッシュな場所だ!」
愉快な挨拶を受けると、彼と共にやって来た短髪の女が楽器と小さな旗を取り出す。
「そして今回はエール団がガイドを務めーるぜ」
「ガイドですか?」が訊いた。
「ジムチャレンジ以外で町に来るやつは珍しいんだ。あんたはラジオ局の人間だろ。余すことなく町の魅力を教えてやるから全部覚えて帰んな!」
「わ、分かりました」
二人の勢いに圧倒されながらは頷いた。無論、今日はそのつもりで来たのだ。
以前、通話中のネズが何度も口にしていた『仲間』とは、恐らくエール団を指しているのだろう。化粧や髪型を含め、彼らが身に纏っている服装はネズのユニフォームを彷彿とさせる。
ガイドの男に先導され、はアーケード街の道を真っ直ぐと進んでいく。
かつては活気ある商店街として賑わっていたのだろう。コンクリート造から煉瓦建築まで、様々な建物が多く並んでいる。しかし現在はどの店も看板を下ろし、扉は固く閉ざされている。入り口同様、路面には大量の積み箱が放置されている。
案内してやる、と言われたものの、ガイド役の男は歩き出してから一言も喋らない。彼らがだんまりしている理由がには分かる気がした。
彼らは何も言わないのではなく、何から話すべきが迷っているのではないか――などと勝手な憶測で物を言える立場でもなければ、状況でもない。
こういうときこそ。パーソナリティの腕の見せ所ではないだろうか。見学者として手厚い歓迎を受けたのだ。収録に必要な要素はもちろん、目に付いて気になったものはとことん追究すべきだ。
「すみません」
が控えめに声を掛けると、男は振り返った。
「どうした」
「ポケモンを連れているんですか?」
は男が提げているネストボールを視線で示す。男はボールを手に取った。
「おう、自慢のポケモンだぜ」
出てこい、と男は意気揚々とボールを投げた。姿を現したのはガラルのジグザグマだ。
「わあっ、ジグザグマですね」
「可愛いだろ」男は自慢気に笑った。「ネズさんに鍛えてもらってるからな。かなり強えぞ」
「そうなんですね」
はその場で膝を折り、手のひらを上にしてジグザグマへの接触を試みる。しかしジグザグマは怯えた様子で男の陰へ隠れてしまった。
「あれっ」
「悪いな。こいつ臆病な性格なんだ。おれ以外だったらネズさんにしか懐かないんだよ」
そういうことか、とは姿勢を直し、モンスターボールからエリキテルを出す。
「へえ、電気タイプのポケモンか」
「わたしのポケモンです。この子とだったらきっと仲良くできると思うのですが……」
視線でエリキテルに指示を送る。エリキテルはジグザグマに尻尾を向け、発電して見せる。
眩い閃光に興味をそそられたジグザグマは顔を出し、エリキテルの匂いを嗅ぎ出した。次第にジグザグマから警戒心が薄まっていき、二人は笑い合った。
「おおっ、仲良くなれるもんだな」
「ありがとうございます。可能であれば、このままポケモンを連れ歩いても構いませんか?」
「もっちろんだぜ」
どうやら場を取り巻いていた重たい空気は浄化されたようだ。互いの距離が縮まったところでは手帳を取り出し、話を切り込み始める。
「スパイクタウンは多くの建物が並んでおりますよね。どんなお店があったのでしょうか」
「そうだなあ」男は一考する。「おれが子供の頃はそれこそおもちゃ屋が大人気だったぜ。リーグカードやポケモンカードがたくさん売られてたんだ」
「なるほど、おもちゃ屋ですね」は手帳に情報を書き残す。「他には何かございますか」
「最近だとヘアサロンがあったよ」続いて答えたのは短髪の女だ。「ついこの間までダチが店を開いてたんだ。まあ、もう他へ移っちまったけどね」
「そうだったんですね」
「お前、あいつと仲良かったじゃねえか。呼び止めなかったのか?」男が訊いた。
「言っただろ。あたしは去る者を追わないんだ」
確かに――最初に電話を取った際でも似たようなことを言われた気がする。
「家族連れだったからね。故郷を離れるのは寂しいって言葉を聞けただけでも満足だよ」
女の語気は終始明るかった。しかし彼女の表情は強張っているようにには見えた。
「こんなこと聞いてどうすんのさ。まさかこれをネタにするわけじゃないだろーね」
「そんな。とんでもないことです」は慌てて釈明を図る。「現状を知るためにはまず、過去を振り返って調べることが重要だと考えています」
「どういう意味だ?」
「わたしは現状のスパイクタウンしか存じません。昔はどんなお店があったのか。どんな人が住んでいたのか。過去を知る皆さんに訊けば、過去と現在の情景を照らし合わせることができます。それも一つの楽しみ方だとわたしは思います」
エール団員は互いに顔を見合わせた。
それじゃあ、と男が言った。「どうしてスパイクタウンから人が離れていったか分かるか?」
非常に興味深い質問だ。こちらからでは問いにくい問題を投げてくるとは思わなかった。
は考える素振りをとる。事前にネットや誌面で調査した結果、スパイクタウンでの過疎化が進行する原因は大きく分けて二つある。
まずはダイマックスに必要なパワースポットから現地から遠く離れていること。もう一つは他方面に比べてバトルスタジアムが狭く、観客席が設けられていないこと。これらは現在開催中のジムチャレンジにも大きな影響を及ぼしている。
ガラル地方ではダイマックスを導入したポケモンバトルが既に主流となり、一種の花形として取り上げられている。ダイマックスができないスパイクタウンは盛り上がりに欠け、客足が遠退く致命的な欠点として以前から厳しい指摘を受け続けているのだ。
は浮かんだ私見をエール団に伝えていいのか迷った。町が寂れていく様子を日々眺めている彼らに追い討ちをかける火種にならないだろうか。
「あんたさあ」
黙考していると短髪の女が口を開いた。は姿勢を正し、何でしょうか、と問う。
「もしかして、いつもそうなわけ?」
「え?」
「まあ、あんたの立場を考えればしょんなかね」
問われた質問に加え、言葉の意味を理解することができず、は更に疑問符を増やす。
「スパイクタウンはダイマックスが使えないし、客もそこまで動員できない。だからジムチャレンジ以外で観光客が来ることは少ないんだ」
やはりそうか、とは心の中で頷いた。
「だけど、原因はそれだけじゃない。観光客が来なくなる理由にはなるけど、町から人気が減る理由には繋がらないと思わないか?」
「確かに……そうですね」
「あんた、町を見て何か気付かないか」
は周辺を見渡す。アーケード街を進んで気付いたことをいえば、やはり人気が少なく、建物には人が住んでいる気配が感じられないこと。他に目についた点を挙げるならば、建物や地面に走る小さな亀裂。修繕工事が行われず、放置されている様子が見て取れる。も一人暮らしを始めた際に家賃に似合った古い物件で暮らしていたが、ここまで酷くはなかった。
「建築物の老朽化、でしょうか」
が回答すると、男は取り出した楽器を天に向かって吹き出した。ものすごい騒音だ。
「ほとんど正解!」男が言った。
「あっ、ありがとうございます……」
耳の奥でまだ音が鳴っている。は震える脳みそと戦いながらエール団に耳を傾ける。
「正しくは工事による地盤の影響を受けたんだ」
「地盤の影響?」
「あんたは今日、どこから来たんだっけ」
九番道路からです、とは答えた。
「じゃあ、ルートナイントンネルは知ってるか?」
「存じております。ジムチャレンジに際し、挑戦者がスパイクタウンから他方面へ移動しやすいように、とローズ委員長の計画で作られた――」ここまで言っては動きを止めた。
男は何も言わずに視線を横へ移した。閉ざされたシャッターにポスターが貼られている。色飛びして目視しにくいが、若かりし頃のローズ委員長のようだ。両手には彼の功績を称えるトロフィーが掲げられている。
「ローズ委員長は数年前、スパイクタウンを丸ごと他の土地へ移す提案を持ちかけてきた。ダイマックスが使用可能なパワースポットのある場所にな」男が言った。「でもネズさんは断った。そんなことをする必要もなければ、される義理もないって。断られた後もローズ委員長は町の移動計画を何度も薦めてきたんだ」
しかし、いまでもスパイクタウンはこうして現状を保っている。ガラル地方の繁栄と文化の存続を謳うローズ委員長を以ってしても、故郷を守りたいと願うネズの至情には敵わなかったのだろう。今の話を聞いただけで、ネズという人物がスパイクタウンに対して他ならぬ思いを抱いていることが分かる。
「そこで次に挙がったのがナックルシティとスパイクタウンを繋ぐ橋とトンネルの開発の話さ」続いて女が口を開く。「開発の経緯はあんたがさっき話したとおり。ネズさんも町へ手を加えないならと良しと考えたんだろうね。その話だけは呑んだんだ」
「ナックルシティから七番道路へ架かっている橋。そこからトンネルを繋ぐ橋は見た目も造りも違うんだ。あんたも帰り道に見てみるといいぜ」
「分かりました」は頷いた。
「それらの開発工事の影響でスパイクタウンの地盤は歪んじまって、建物はガッタガタ」
女は閉ざされているドアの前に立った。
「これは鍵が掛かってるんじゃなくて、地面が歪んじまって開かなくなってるんだよ」
試しにはドアを引いてみた。確かに施錠はされていない。だが、びくりとも動かない。
「ローズ委員長は地盤や周辺の環境について事前に相談することはなかったのでしょうか」
「何にも」女は肩をすくめた。「あたしたちもトンネルができるなら行き来が楽になるし、ネズさんが許したのならそれでいいって納得しちまったからね。ローズ委員長が意図的にやったとしたら許し難いけど、何度抗議しても取り持ってくれない。返ってくるのは土地移動の話だけ。ネズさんが折れるわけないってのに」
「ネズさんは昔からダイマックス以上にローズ委員長があんまり好きやないもんな……」
男の口から呟かされた事実に、はいけないことを聞いてしまった気持ちに駆られた。
「ここで営業していた店も無くなったわけじゃなくて、少なくとも移転したところもあるんだ」
「そうなんですか?」は目を丸めた。
「買収されたのさ、ローズ委員長に」溜め息交じりに女が言った。「観光客が減少して、店が潰れるのも時間の問題だった。そこへローズ委員長とあの秘書がやって来た。支援金を条件に計画都市で改めて店を出すことをあちこちで提案し始めたんだ。最初は断る人も多かったけど、徐々に人はいなくなっていった」
彼女はかつてヘアサロンがあった場所を見つめた。恐らくその店も買収されたのだろう。
経営者のことを考えれば、客足が安定した土地で営業できるに越したことはない。何より収益に頭を悩ませている者にとって、支援金は正に天佑と呼ぶべき存在だ。当事者からすれば、ローズ委員長は救いの神のように見えたに違いない。
しかし、それは同時にスパイクタウンの活気がシュートシティに奪取されることを意味する。
まさか。この町が衰退の危機に晒された裏にそんな経緯が隠れていたとは。
は言葉に詰まった。この状況で相応しいのは同調か慰めか。はたまた沈黙か。
「ダメだダメだ!」突如、男が頭を掻きむしった。「暗くなるなんてらしくないぜ、エール団!」
は彼らの様子をただ見守るだけだ。
「過ぎたことを考えてもしょうがねえ! おれたちはあの人を応援してやんねーと!」
「ああ、その通りだね」女が力強く頷いた。「お嬢がチャンピオンになれば、活気も取り戻せるさ」
先ほどから気になっていたが、お嬢とはいったい誰のことを指しているのだろうか。
スパイクタウン。お嬢。ネズの推薦者。の脳内で複数のパズルが合わさっていく。
「悪かったな、姉ちゃん。わざわざ町へ遊びに来てくれたのに、暗い話ばかり聞かせちまって」
「謝らないでください」はかぶりを振った。「こちらこそ仕事のためとはいえ、踏み込んだ話を訊いてしまいました。申し訳ありません」
「あんたがラジオの人間だからかな。他人の話を聞くのが上手いから、つい話しちまった」
最近はゲストを招き、何かと聞き手役に徹する機会が多いせいか。自分でも無意識だった。
だからかな、と言って女はを見つめた。
「なお更、収録嫌いのネズさんが今回の仕事を受けた理由が何となく分かる気がする」
「それは――」
どういう意味ですか、と問おうとしたときだ。第三者と思われる足音が聞こえた。
正体を探る前に「ネズさん」と男が言った。名前を聞いた直後、辺りに香水の香りが漂う。嗜む程度に香水を集めているから分かる。これは女物だ。
「随分と親しげに話してますね」
目の前にやって来たネズは翡翠の瞳をエール団員へ向けた。
「ネズさんに言われたとおり、スパイクタウンを余すことなく案内してやりました!」
「そうですか。感謝しますよ」
不意にネズの視線がに結ばれる。は会釈し、自身の名刺を差し出した。
「お初にお目にかかります。ガラルラジオ放送局のと申します」
「ネズです」ネズは名刺を受け取った。「おれのリーグカードを渡してやりたいところですが、生憎切らしていましてね。また次の機会にでも」
「お気遣い感謝いたします」
「早速ですが、おれたちの町はいかがでしたか」
どうやら閑談を交わす気はないようだ。前置きもなしに核心を突いてきた。
は少し考え込んだ後、歩いてきたアーケード街の路面を一瞥し、ネズを見つめ返す。
「現地の方々から話を伺うことにより、先入観を持たずに考えを巡らせることができました。スパイクタウンの現状を知る機縁にもなりましたし、ネット記事や観光誌ではなく、やはり自身の目で視ることが重要だと感じました。エール団の皆さまから話をお聞きし、ネズさんがいかに町を大切にしているのか。貴慮を読み取れたような気がします」
「そうですか」
ネズはチョーカーの装飾に指を突っ込み、一考する様子を見せてから目に力を込めた。
「それで? あなたはどう感じたんですか」
「え?」
問われた内容が理解できず、思わず訊き返した。
それとも他意が含まれているのか。考えている間にネズの口から溜め息が叩かれた。
「いえ、結構です。あなたの考えは判りました」
を制するネズの声色は柔らかかった。彼は派手な髪を揺らしてよそ見する。
気のせいだろうか。穏和の中に諦めと呆れという文字が浮かんでいるように見えたのは。
不意に視線を落とすと、ジグザグマと戯れているエリキテルが走り出した。
慌てて追いかけた先ではフェンスに囲まれたステージ会場が待っていた。ネオンサインに描かれたポケモンが怪しい点滅を繰り返している。
暗がりで見えにくいが、ステージ前にはバトルフィールドが設置されている。当然といえば当然だ。廃れつつある町でもここは立派なリーグ公認ジム。あと数週間もすれば、キルクスタウンのマクワを討ち破った挑戦者がここでポケモンバトルを繰り広げるのだ。
エリキテルはフィールド上へ寝転んだ。冷たいコンクリート層の地面が肌に合うのだろうか。仰向けになって心地良さそうに体を伸ばしている。
どこまでも自由な性格をしていると思う。は片手で自身の顔を覆い隠した。
その時だ。隣でネズが笑った。
「ポケモンのほうがよっほど素直じゃないですか」
だが、が見たときには既に笑みは消えていた。
「申し訳ありません。バトルでもないのに勝手にフィールドへ入ってしまって」
「構いませんよ」
彼を真似るようにジグザグマが同様に体勢をとった。その様子をエール団は撮影している。
「公開放送の件ですが、ご承諾いただき誠にありがとうございます」は一揖した。「ジムリーダーだけでなく、歌手としてもご活躍なされるネズさんを始め、スパイクタウンの魅力を伝えるために当日は全力を注ぎます。よろしくお願いいたします」
「ライブに関してはおれも感謝しています。ジムチャレンジが開催している間は、どのスタジアムも借りられませんからね。丁度よかったです」
「他にもご不明な点があればお気軽にお申し付けください。可能な限りお応えします」
「今のところ問題はないですね」
「承知いたしました」
ネズとの会話は淡々と進む。電話で受けた印象通り、初対面の人間にも丁寧に接してくれる。口調は常に崩さず、自身の立場を鼻にかける態度も感じられない。彼と言葉を交わすたびに思い知らされる。他人を見た目で判断してはならないと。
何より声が綺麗だ。落ち着いた彼の口調によく合っている。やはり同業者として羨ましい。
そんな風に考えていると、ネズと目が合った。
「なんですか。人の顔をじっと見て」
「いえ」ただ、とは言い淀んでから答える。「ネズさんの声、とても綺麗ですよね」
ネズは不意打ちを食らったような顔になった。目を瞬かせ、気だるそうに肩に手を置く。
「どうやらいまのは本音のようですね」
「気に障ってしまいましたか」
「いや、嬉しいですよ」
言葉に反して語気が薄く、感情が読み取れない。は思わずふふっと笑みを零した。
「今度はなんですか」ネズは渋面を浮かべる。
「失礼いたしました。どうかお気になさらず」
はあっとネズが溜め息をもらす。「そういうあなたも人のこと言えないですけどね」
「と、仰いますと?」
「は?」一瞬にしてネズの仏頂面が崩れた。「わざわざ言葉に出せって言うんですか」
大儀そうなネズの表情に深みが増していく。鼻の上に皺を作り、首の後ろを掻いた。
「さっきから聞いていれば。どこぞのチャンピオンのような言い草をしますね、あなたは」
ネズの指摘にはあんぐりと口が開きそうになるのを堪えた。直後、心の中で扉が叩かれる。それは動揺する心臓の音でもあり、同類だと言われたことに対して嬉々するダンデの訴えにも聞こえた。
はそれを抑え込むのに必死で、ネズに釈明する余裕はしばらく訪れなかった。