休憩後に体力トレーニングを挟んでから、たちは再びバトルフィールドへ戻ってきた。
その場の光景を見て、はまず驚いた。数時間前にマクワとサイトウたちのバトルで荒れたはずのフィールドがすっかり元通りになっていたからだ。
疑問を投げてみると、専属スタッフとポケモンたちによって整備が行われた、とマクワは言った。は合点したと同時に、これだけの短時間で修復できるのはやはり人間の力だけでなく、ポケモンの協力があってこそなのだろうな、と思った。
「これからは実戦になります」マクワが言った。
「よろしくお願いします」
「時間をかけてゆっくりと言いたいところですが、そうも言っていられなくなりました」
「何かあったんですか」サイトウが訊いた。
マクワはスマホロトムを取り出した。「先ほど入った情報によれば、カブさんを討ち破ったトレーナーが出てきました。突破したのはチャンピオンの推薦者二名です。今年はやはり骨のある者たちが輩出されているようですね」
「テレビでもよく紹介されている子たちですね」
「実力に年齢も時間も関係ありません。だからこそぼくはさんたちを試したいのです」
マクワはイシヘンジンを繰り出した。愛らしい表情とは裏腹に巨岩の構えに圧倒される。
「今回はダブルバトルです。ローテーションで組み合わせを換えていきましょう」
話し合いの結果、最初はとマクワが組むことになった。サイトウは向かい側まで走り、たちも彼女と対峙する形で定位置に立つ。専属スタッフが審判員を務め、いよいよ本格的なポケモンバトルが始まるのだと身体中に緊張が駆け巡る。
バトルフィールドで微かに砂塵が吹く。はイワンコを前に出し、静かに深呼吸をした。
失敗を恐れずと言ったが、実際に場へ立ってみると不安が襲い掛かってくる。今回は個人ではなく周囲にも気を配る必要がある。マクワのイシヘンジンの技構成や特性を瞬時に見極め、イワンコに的確な指示を出せるかどうか判らない――。
「大丈夫ですよ」
隣から飛んできた優しい声には、はっとする。視線を移せば、マクワが朗笑していた。
「さんは自分たちを信じて戦えばいいんです。戦う前から不安になっていては、イワンコも本来の力を発揮できませんよ」
彼の言うとおりだ。はすかさずイワンコに謝る。彼は気にしない様子で鳴いた。
それに、と彼はサングラスの位置を直した。「隣にはぼくたちがいます。心配は無用です」
頼もしい言葉に背中を押され、の中で渦巻いていた不安の霧はすっかり晴れた。
サイトウはカイリキーとネギガナイトを繰り出した。どちらも強力な格闘タイプだ。
「マクワさん、さん。よろしくお願いします」サイトウが合掌し、頭を下げた。
互いに挨拶を交わし、審判員からルールの説明を受ける。今回はどちらかのポケモンが戦闘不能になった時点でバトルは終了。勝敗に関係なく順番通りにローテーションで組み合わせを変えていく形式となった。
審判員が旗を持った。彼の合図でポケモンバトルの火蓋が切って落とされ、場の空気が一変する。
「まずはこちらからいきます」マクワが言った。「イシヘンジン、ステルスロックだ」
イシヘンジンは敵陣に向かって尖った岩を撒き散らした。徐々に背景に溶け込んでいき、視認が困難になる。サイトウのポケモンたちも思わず足場を注視している。
もマクワたちに続く。相手の位置を確認し、武器を構えるネギガナイトを狙った。
「イワンコ、ネギガナイトに岩落とし!」
彼女の指示を受け、イワンコはネギガナイト目掛けて岩石を落とす。トレーニングのお陰か、以前と比べて攻撃を繰り出すのが速まっているように見えた。
「ネギガナイト、見切りです」
岩石の落下位置を見定め、ネギガナイトは軽やかな足取りで攻撃を避けて身を守った。イワンコはイシヘンジンの隣に立ち、様子を窺う。
続いて動き出したのはカイリキーだ。駆け出したと同時にサイトウから怪力の指示を受ける。標的はイシヘンジンのようだ。複数の腕に力を込め、巨大な岩壁へ強打を食らわせる。パワーに比例してその場に突風が吹き、イワンコは踏ん張りが利かずに吹き飛ばされてしまう。
イシヘンジンは一瞬ふらついたが、巨大な両脚で持ちこたえた。しかし効果は抜群だ。
「やはりサイトウさんのカイリキーは一撃が重いですね。さすがです」マクワが言った。
「小回りが利くイワンコでかく乱を狙います」
「良いでしょう。ぼくはあの素早い動きを止めます」
顔を見合わせて頷き、作戦を決行する。
「イワンコ、カイリキーの股座から背後に回って!」
の掛け声でイワンコは駆け出した。彼女が脳内で思い描いた通りにカイリキーの背後へ周った。攻撃を仕掛けられると考えたカイリキーは振り返った。
「そのままネギガナイトへ体当たり!」
イワンコはカイリキーに背を向け、正面で盾を構えるネギガナイトへ体当たりした。
「こちらはぶん回す!」サイトウが叫んだ。
ネギガナイトは体を回転させ、長い槍をぶん回した。イワンコは寸で避け、距離をとる。
肉弾戦の背後ではイシヘンジンがカイリキーに岩石封じを浴びせていた。ごつごつとした大岩がカイリキーの動きを完全に封じ込める。皿に片腕が岩間に挟まってしまい、得意の強打が撃ちこめないようだ。
サングラスの奥で目を光らせたマクワはのしかかりを唱えた。巨体が静かに傾き、地面に大きな影を作る。逃げ場を無くしたカイリキーは巨人に押し潰され、辺りに地響きが伝わった。
イワンコは地響きの影響を避けるため、倒れ込んだイシヘンジンの背中へ乗った。その間にネギガナイトはリベンジを図っていた。無闇に闘魂を刺激させないよう、はイワンコに遠吠えの指示を送る。辺りに雄々しい鳴き声が響き渡った。
「さん」
バトルから目を逸らせないため、は耳だけをマクワに傾けた。
「そろそろカイリキーが起き上がる頃です。イワンコはそのままイシヘンジンの上へ」
正直、言葉だけでは彼の策が読めなかった。しかしいまはダブルバトル。ポケモンに限らず、隣で力を合わせる者を信頼せねばならない。は「分かりました」と頷き、リベンジを仕掛けるネギガナイトを直前まで引きつけるようにイワンコへ伝える。
イワンコは彼女を微塵も疑わなかった。堂々とした姿勢で好機を狙っている。
そんな彼の姿を見て、はトレーナーとポケモンの間に生まれる絆を感応する。
ネギガナイトのリベンジが決まる直前、イシヘンジンの下敷きになっていたカイリキーが力強い声を上げながら起き上がった。反動でイシヘンジンとイワンコは宙へ浮き、標的を逃したネギガナイトの攻撃はカイリキーの背中に命中する。
マクワが狙っていたのは味方の相討ちだった。これにはサイトウも苦渋の色を浮かべる。
受け身の姿勢がとれず、背後から強打を食らったカイリキーはその場に倒れた。審判員が周囲を見渡しながら彼女に駆け寄り、やがて旗を挙げた。
「カイリキー戦闘不能。バトル終了です」
旗がとマクワへ向き、勝利の合図が送られる。
二人で顔を見合わせた。どちらからともなく微笑みが漏れ、軽くハイタッチを交わした。
「良いバトルでした。さんも指示を送る姿が様になってましたよ」マクワが言った。
「マクワくんの策も凄かったです」陳腐ではあったが、今はこれしか言えなかった。「まさか相手の攻撃を利用するなんて。さすがはジムリーダーです」
「ありがとうございます」
中央へ集まり、互いの健闘を称え合う。サイトウに握手を求められ、は手を握った。
「さん、素晴らしい立ち回りでした。イワンコとの息もぴったりです」サイトウが言った。
「ありがとうございます。ネギガナイトも映像の何倍も素早くて驚かされました」
「マクワさんの策士っぷりには毎度驚かされます。わたしもまだまだですね」
「敵は何も周囲だけではない。それは誰よりもサイトウさんが分かっているはずでは?」
「その通りです」サイトウは深く頷いた。「自分の敵はいつだって己自身ですからね」
何気なく呟かれたサイトウのその言葉は、の胸へ素直に飛び込んできた。
ポケモンたちに回復用のスプレーを吹きかけ、今度はサイトウとマクワが手を組んだ。つまりは単身でジムリーダー二人を相手にせねばならない。つい先ほどまで心強い言葉を掛けてくれたマクワが一気に遠い存在になってしまった。バトルを始めたばかりの人間にも容赦ない条件を下ろす彼の厳しさが垣間見える。
その直後、は大きな問題に気がついた。
ダブルバトルではポケモンが二匹必要。イワンコだけでは不利な上にバトルに成らない。
の視線は自然とエリキテルを向く。彼はと目が合うと頭の襞を開かせた。まるで母親に悪戯を見抜かれた子供のような顔をしている。
続いてイワンコがエリキテルの元へ駆け寄った。やがて二人は何やら話し始めた。イワンコは前足でマクワたちを指し示している。恐らくはエリキテルをバトルに誘っているのだろう。身内で自分と並んで戦えるのは彼しかいないため、当然といえば当然だった。
しかしエリキテルはあまり乗り気ではなさそうだ。頭の襞を閉ざし、かぶりを振っている。
彼が勝負を拒む理由が、には何となく解る。
エリキテルは元来、バトル好きではない。ワイルドエリアで野生のポケモンと戦えたのは、自分たちの友達を作るため。明確な目的があれば戦う意思を働かせられるが、それ以外では闘争本能を目覚めさせることはない。
良く言えば温厚な子。悪く言えば適応力に欠けた子。その辺りは自分と似るものを感じる。
だからこそは彼の意思を大切にしたかった。ポケモンも人間と同じで個性があるからだ。
「イワンコ、無理に誘ったらだめよ」
はイワンコの頭を撫でて説得を止めた。イワンコはどこか残念そうに俯く。
「わたしからも謝らなくちゃね」
ごめんね、とエリキテルの顎を擽る。彼は両手を前へ突き出しながら抱きついてきた。
人もポケモンも小さな変化を恐れる。けれど変わることが全てではない。自分が前進したことを理由に他人へ変化を求めるのは、ただの横暴でしかない。無意識だったとはいえ、結果としてエリキテルを追い込んでしまった。は言動を戒め、自責した。
「エリキテルは引き続き、応援をお願いね」
エリキテルはややあってから頷いた。
しかしこのままでは埒が明かない。何より聡明なマクワがこちらの状況を無視してダブルバトルを持ち掛けてくるとは思えない。何か策があるとは睨んだ。
あぐね考えていると、向かい側からサイトウが駆け寄ってきた。ある意味救世主に見えた。
「さん、ポケモンでお困りですよね」
「お世話かけて申し訳ありません」は頭を下げた。「どうすればよろしいでしょうか」
「是非、この子をお使いください」
サイトウからモンスターボールを差し出される。入っていたのはネギガナイトだった。
「先ほどのバトルとさんの知識を生かして、全力で掛かってきてください」
「分かりました」は力強く頷いた。
「手加減はいたしません」
ネギガナイトの技構成を聞き、サイトウは再びマクワの元へ戻った。マクワはイシヘンジンを続投し、サイトウはカポエラーを繰り出した。
味方だった者が敵側へ回り、反対に敵だった相手が今度は肩を並べる者同士となる。体力と気力を身に付けるトレーニングを含め、今回は様々なポケモンと戦うことによって、適応力を高める修行なのかもしれない。
「ネギガナイト、よろしくね」
ネギガナイトは行儀良く頭を下げた。これだけでサイトウのポケモンだということが判る。イワンコにも律儀に挨拶をし、彼の隣に立った。
ポケモンが揃ったところで審判員がフィールドの真ん中に立ち、試合開始の合図がかかる。まずは相手の出方を窺おうと、はマクワたちの指示を待った。
その直後だった。身構えたイワンコとネギガナイトが不自然にダメージを負った。
何事かと考えを巡らせている間にカポエラーが高速スピンの如く逆立ち姿で向かってくる。その間、何か硬くて小さいものを弾くような音が聞こえた。
まさか――がからくりの正体に気付く頃にはカポエラーが目の前まで迫っていた。
「先手必勝です。電光石火!」
の指示が遅れ、イワンコは正面から攻撃を受けてしまった。は更に焦りを覚える。
だが彼女の状況や心境などお構いなしに、相手は矢継ぎ早に攻撃を仕掛けてくる。接近戦へ持ち込んだカポエラーに反し、イシヘンジンは遠方から岩石封じを繰り出す。味方側では頼もしい大岩に見えたが、今では脅威の対象でしかない。
「イワンコ、岩落としで迎え撃って!」
イワンコは素早さを活かし、降り注ぐ巨岩を避けた。ネギガナイトには見切りの指示を送る。両者とも何とか攻撃を逃れ、は脳内で情報を整理させる。
恐らく先ほどのダメージはステルスロックの影響だ。現在が立っているのは、前回のバトルでサイトウたちが戦っていた場所。ローテーションで入れ替わったことにより、イワンコたちの足場には未だ視認できない罠が散らばっているに違いない。
マクワは一歩先のバトルにも目を配っている。彼の峻厳な姿勢には思わず喉を鳴らす。
「さん、掛かってきてください!」
蛮声に近いサイトウの呼びかけには震えた。拙い指先を前に向け、指示を送る。
「イワンコは遠吠え。ネギガナイトは剣の舞!」
両者の攻撃力を高め、仕掛ける態勢へ入る。
「カポエラー、イワンコにトリプルキック!」
「イシヘンジンはネギガナイトに岩石封じだ」
トリプルキックは脚撃を与える度にダメージが徐々に高まる連続技だ。岩タイプのイワンコが三連撃を受ければ大ダメージが避けられない。更にサイトウのカポエラーはとても素早い。が思案している間にも強烈な一撃がイワンコの腹部を突く。
ネギガナイトには今回も見切りを送るべきか。しかし連投での防御技は失敗しやすい。
そんな風に考えていると、あっという間にネギガナイトは大岩に囲まれてしまった。イワンコは最後の蹴りを自力で避け、の前へ戻ってくる。
やはり単身でのダブルバトルは骨が折れる。ポケモンたちの動きを目で追うのがやっとだ。前回のバトルでいかに他人任せにしていたのかが分かる。
初めてだから仕方ない、と優しい言葉を掛けてくれる寛容な人物はこの場にはいない。在るのは目の前に立ち塞がるトレーナーだけだ。
「二人ともごめんね。次はちゃんとやるから」
イワンコたちの声が鼓舞に聞こえた。未熟者でもポケモンはいつだって勇気付けてくれる。
は深呼吸をし、狼狽の色を沈めた。
「イワンコ、カポエラーに体当たり!」
イワンコは勢いよく駆け出し、攻撃力を高めた状態で体当たりをくわえる。カポエラーには避けられると思ったが、彼は攻撃を敢えて受けたように見えた。
「カウンター!」サイトウが叫んだ。
攻撃を素直に受け入れた理由が返ってくる。イワンコの首根っこを掴んだカポエラーは片腕を振りかざし、身動きのとれないイワンコを容赦なく殴った。
「そのままトリプルキックです!」
「ネギガナイト、ぶん回しで岩から脱出して!」
「そうはいきません」マクワが言った。「イシヘンジン、のしかかりで動きを封じるんだ!」
ネギガナイトが大槍を使って岩を砕いている間にもイシヘンジンの影が迫ってくる。イワンコはカポエラーに捕まっているため、抵抗の術がない。
これでは手も足も出ない――。
最後の蹴りが決まるときだった。イワンコは雄叫びを上げ、カポエラーにがぶりと噛み付いた。痛みの衝撃でカポエラーは力を緩め、イワンコは脱出に成功する。そのまま踵を返し、ネギガナイトの元へ向かった。
は好機を逃さなかった。使うなら今しかない。
「イワンコ、イシヘンジンにとっておき!」
ノーマルタイプの技はイシヘンジンに効果は今ひとつだが、この場合は攻撃が目的ではない。
イワンコは不思議な力を溜め、眩しい光と共にイシヘンジンに突撃した。既にのしかかりの姿勢に入っているイシヘンジンは隙だらけだ。ネギガナイトとは反対側へ巨体を押し倒し、今度は相手の動きを塞いだ。
イワンコとネギガナイトがの前へ戻ってくる。
「イワンコ、さっきの技は……」
「どうやらイワンコは噛み付くを覚えたようですね」向かい側からマクワの声が飛んできた。「まさかバトルの最中に新技を生み出すとは」
「凄まじい成長速度です」サイトウが言った。
やはり見間違いではなかった。過去に見たことのない挙動だったため、は一瞬言うことを利かなくなったのでは、と不安を抱いたが、成長の兆しであった。
「だからこそ、倒し甲斐があります」
マクワの台詞には思わず、ぞくっとした。
「カポエラー、電光石火!」サイトウが叫んだ。
素早い身のこなしでカポエラーが突っ込んでくる。イシヘンジンは依然うつ伏せのままだ。
カポエラーとネギガナイトの速さはほぼ互角。イワンコだけでは太刀打ちできずとも、二人の能力を組み合わせればあの敏捷と渡り合えるかもしれない。
今回のダブルバトルを通して、の頭の中ではとある人物が浮かんでいた。
ナックルシティのジムリーダー、キバナだ。
今後の収録に向けて、過去のポケモンバトルの映像を観ていたときのことだ。トーナメント戦を含め、ジムチャレンジでは主にシングルバトルで戦うことが多い。しかしキバナの試合では殆どがダブルバトルだった。解説者の言葉によれば、あらゆる状況でも対応し切れるかどうか見定めているのだという。正にいまが置かれている状況がそうだ。
キバナは天候を操ることで有名だが、それ以外にもポケモンの特性を活かす戦い方をする。特にダブルバトルではポケモンの能力を最大限に発揮し、彼の戦略に苦戦を強いられた挑戦者たちを何度も見てきた。
仕事の延長線ではあるものの、もただ適当に映像を眺めていたわけではない。体に備わっている器官全てで情報を取り入れ、身に付ける術を知っている。
彼のように上手くできるかどうか分からない。けれど挑戦しなければ何もできないことは、この場に立つまでの間に何度も痛感したことだ。
「二人とも」
の呼びかけにイワンコとネギガナイトは顔だけを動かし、視線を合わせる。
「少し荒っぽい戦い方になるけど、あなたたちの力を試したい。わたしを信じて」
二人は黙って頷き、再び前を見据えた。目前までカポエラーが迫ってきている。
「ネギガナイト」は人差し指を前へ突きつけた。「あなたの自慢の槍をぶん回して!」
自慢の槍、という言い方が気に入ったのか。ネギガナイトは目を光らせ、武器をぶん回した。その場に砂埃が巻き上がり、標的を失ったカポエラーは思わず立ち止まる。
「イワンコ、ネギガナイトに噛み付く!」
の指示にサイトウとマクワは目を剥いた。
イワンコは躊躇うことなくネギガナイトの首根っこに噛み付いた。
ネギガナイトの顔が悲痛に歪む。だが次の瞬間、彼に変化が起こった。悪タイプの技を受け、更にひるんだネギガナイトの不屈の心が燃え上がったのだ。
「そういうことですか」マクワはサングラスの位置を直した。「面白いことをしますね」
ネギガナイトの素早さが向上し、彼はイワンコを背負ったままカポエラーの背後へ回った。先ほどとは比べ物にならないほど敏速な動きだ。
「カポエラー、トリプルキック!」
「ネギガナイト、リベンジ!」
相手の攻撃を敢えて受け、倍にして返す戦法はサイトウから学んだばかりだ。特にトリプルキックは連続蹴りに等しい。当たれば当たるほど、ネギガナイトの威力は倍になる。更にイワンコから噛み付かれたままの彼は素早さが上がり続けている。
無茶苦茶な戦い方は百も承知。良心で貸してくれたとはいえ、他人のポケモンを意図的に傷つけた非礼は終わった後にきちんと詫びるつもりだ。
今はとにかく、自分たちを信じて戦いたい。
そう思った矢先、地面に大きな影ができた。カポエラーは側転をしながら距離をとった。
「さん」マクワが言った。「目の前の敵に夢中になりすぎて、一人見逃してはいませんか」
はっとして辺りを見渡す。イシヘンジンがいない。
何処へ消えたのか、という疑問は地面に映し出された大きな影が証明してくれた。天井を見上げればイシヘンジンの巨体が浮かび上がっていた。は思わず小さな奇声を上げる。
「イシヘンジン、のしかかりだ!」
ネギガナイトの素早さが上がっているとはいえ、あの巨体の前では逃げ場がない。
の指示が声となって出る前、ネギガナイトとイワンコは大きな地響きと共に押し潰された。周辺に砂煙が舞い上がり、視界が晴れたときには既にイワンコとネギガナイトが目を回して倒れていた。
「イワンコ、ネギガナイト戦闘不能」
審判員が旗を振り上げた。
「これにてバトル終了です」
はエリキテルと共にイワンコとネギガナイトの元へ駆け寄った。携帯していた元気の欠片を服用させ、回復の薬を吹きかける。彼らは目を覚ますとたちを見て微笑んだ。エリキテルは嬉々として両手を挙げる。
「二人とも、わたしの無茶な作戦に付き合ってくれてありがとう」はネギガナイトを見た。「特性を活かした戦法だったけど、あなたの体力を見誤っちゃった。信じると言っても、過信は駄目ね。本当にごめんなさい」
ネギガナイトはかぶりを振った。寧ろ真っ直ぐとした目でを見つめている。どうやら彼に咎める気はないようだ。はほっと胸を撫で下ろす。
「イワンコもすごかったよ」
イワンコは不思議そうに首を傾げる。彼の反応に思わずは、ふふっと笑みを零す。
「新しい技を覚えたじゃない」
そういえばそうだった、とイワンコは思い出した様子で垂れた耳を立ち上げた。
向かい側からマクワたちが歩み寄ってくる。二人ともどこか晴れやかな表情を浮かべている。
「さん、最後まで諦めずに戦えましたね」
マクワの言葉には頷くか迷ったが、眼下のポケモンたちを見てかぶりは振れなかった。
「ありがとうございます」ですが、とは声色を落とした。「戦術とはいえ、ネギガナイトに乱暴なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「問題ありません。あの程度ではわたしたちのポケモンはへこたれませんから」
どうやら愚問だったようだ。それでも故意に傷つけた非礼を詫び切れず、は再度謝った。
そのままバトルを続ける予定だったが、イワンコが万全な状態ではないため、マクワの提案で負傷した者たちを回復させることになった。最寄りのポケモンセンターへ向かうと、全員の体力が回復するのは七時過ぎになるとジョーイは言った。
は腕時計に目を落とした。時刻は午後五時を少し過ぎた頃。自己トレーニングも含め、ポケモンバトルに熱中し過ぎていたせいか時間の経過をまったく気にしていなかった。
そんな風に考えていると、の腹が鳴った。恥ずかしさのあまり、頬に熱が集まる。
しかしどうやら空腹を訴えかけているのはだけではないようだ。サイトウからも同様の音が鳴り、彼女はと顔を見合わせて苦笑を零した。
「お腹、空きましたよね」
「同感です」
思えば休憩時に小さなクッキーをつまんだだけで、他は何も食べていなかった。助けを求めるようにマクワを見やると、彼はにこにこと笑っていた。
「ポケモンも休んでいますし、ぼくたちもここでちゃんとした食事を入れましょうか」
彼が見上げた視線の先では『ホテル・イオニア』の看板が手ぐすね引いて待っていた。