翌週の昼下がり。は菓子折りが入った袋を提げてキルクスジムを訪れた。以前と変わらず念入りにチェックが入り、ポケモンたちを連れてマクワの元へ向かう。菓子折りは休憩時に渡そうと考え、スタッフに一声かけて別室で保管してもらうことになった。
スタッフによれば、マクワは数時間前からトレーニングを始めているらしい。は持参したランニング用のスポーツウェアに着替えた。前回は正装し過ぎたため、若干動きにくかったからだ。
今日はマクワだけではなく、彼の同業者が来ることになっている。人物の詳細は聞かされなかったが、誰が来ても脳内でプロフィールと手持ちのポケモンを読み上げられるよう、昨夜は時間をかけて復習してきた。パーソナリティとして失態を犯す危険性はないだろう。
ただし、ポケモンバトルでの判断力や決断力では醜態を晒す可能性は高い。腕利きのジムリーダーと自分とでは、正に天と地の差である。
だが今回はそんな恥じらいすら糧にする態勢でやって来た。昔の誼とはいえ、仕事抜きでジムリーダーたちと時間を共有できるなど、駆け出しの自分には勿体ないくらいだ。尚のこと、掴んだ好機を易々と離すわけにはいかない。は不屈の心で扉を開いた。
その時だった。激しい砂嵐がとポケモンたちに容赦なく襲い掛かってきた。目に砂が入らないように注意深く観察してみると、天井から砂煙が出ていた。やはり先日見かけた不思議な機械は天候を自由に変えられる道具だったようだ。
「ガメノデス、シェルブレード」
「カイリキー、受け止めて!」
スタッフから聞いた通り、バトルフィールドでは既にポケモンバトルが繰り広げられていた。マクワの前にはガメノデスがいる。独特な立ち姿で指示を送り、向かいに佇むカイリキーに目掛けて、ガメノデスが鋭くシェルブレードを与える。
カイリキーは複数の腕を使って防御し、威力を半減させる。そのまま素早くガメノデスへ突っ込み、強打を食らわせた。あの挙動はリベンジだろうか。
から見て手前の人物を見やる。頭に黒いリボンを巻いた短髪の少女が立っている。
あの身格好には見覚えがある。ガラル空手の申し子であるサイトウだ。の記憶が正しければ、昨年のジムチャレンジでは彼女がラテラルタウンのジムリーダーを担っていたはずだ。今年はどんな事情なのか、ゴーストタイプ使いのオニオンがジム管理を一任している。今回の企画でもサイトウの名を聞かったため、そこはかとなく彼女のことを気にしていた。
どうやらジムリーダーたちはバトルに夢中で、たちに気付いていないようだ。双方の邪魔にならない場所まで移動し、戦いの行く末を見守る。
「イワンコ、しっかり見てようね」
イワンコは威勢よく鳴いた。
はイワンコに頭を撫で、エリキテルを見やる。彼は体をふるふると震わせていた。
エリキテルの特性は乾燥肌だ。もしかすると砂嵐が苦手なのかもしれない。
「エリキテル、ボールに戻ろう」
はモンスターボールを構える。しかしエリキテルは彼女の足元に縋りついて拒止した。
「どうしたの?」は思わず首を傾げた。「砂嵐が止んだら出してあげるよ」
エリキテルは激しくかぶりを振った。我慢しているのか。他に理由があるのか。には判らなかった。彼の主張を尊重し、モンスターボールをしまう。
やがて砂嵐が止んだ。フィールドには片膝をついているカイリキーと、彼の目下で戦闘不能になっているガメノデスがいた。どうやら勝敗は決したようだ。
サイトウは胸の前で合掌し、ありがとうございます、と言ってマクワたちに一礼した。
虚礼が微塵も感じられない。品行方正に振る舞う彼女の姿勢には感銘を受ける。マクワがトレーナーとしてサイトウを選奨した理由も頷ける。
「ガメノデス、よく頑張ってくれました」マクワはハイパーボールを取り出し、ガメノデスをしまった。「ジムを休まれているとはいえ、さすがの実力ですね」
「ありがとうございます」サイトウはお辞儀した。「マクワさんたちも更に磨きがかかったように見えました。わたしたちも負けてはいられません。……あら」
サイトウと目が合った。はその場で頭を下げ、脇道を通って彼女へ歩み寄った。
「あなたは……」
「お初にお目にかかります。と申します」
「わたしはサイトウです」サイトウは合掌した。「あなたがポケモン思いの素敵なトレーナーさんですね」
「えっ」は思わず頬に熱を集める。一体誰からそんな話を聞いたのだろうか。
「あなたのことはマクワさんから話を伺いました」
はマクワに目をやった。彼はサングラスの裏でにこにことした表情を浮かべている。この上なく嬉しい言葉だが、少々過賞ではないだろうか。は照れくさそうに頬を掻いた。
「本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」は頷き、名刺を差し出した。「普段はガラルラジオ放送局で勤務している者です。サイトウ選手のご活躍はいつも聴取しております」
「ご丁寧にありがとうございます」サイトウは名刺を受け取った。「申し訳ありません。不束者な故、ラジオにはあまり触れたことがないんです」
「どうかお気になさらないでください」
「わたしのリーグカードです。どうぞ」
は謝意を伝え、リーグカードを受け取った。右上にはジムリーダーの印が記されている。
「現在はポケモンバトルの鍛錬と修養のため、ジムはオニオンさんへ委任しているんです」
「そうなんですか」は合点した様子で頷く。
職業柄、どんな経緯で今回の大会を辞退したのか言及したいところだ。しかしいまこの場ではトレーナーとして身を置いている。余計な詮索は取り払った。
「彼女は現役学生なんですよ」マクワが言った。「文武両道で日々の鍛錬を怠らないストイックな方です。その辺りはさんと似るものを感じますね」
「そんな、恐れ多いです」が言った。
「今回は本格的にトレーニングを積んでいきます。サイトウさんとぼくですからね。厳しいですよ」
「覚悟はしています」
彼らほどではないが、体力には自信がある。
はイワンコを見やる。彼もやる気満々だ。昨晩からこの瞬間を待ち遠しにしていたのだ。
「さん」サイトウはエリキテルに目線を合わせた。「この子はバトルに参加しないのでしょうか」
「今のところは声援部隊といったところです」
エリキテルは小さな手を挙げて答えた。
「そうですか」サイトウは微笑した。「もしかしたらさんたちを見て、彼の中で芽生えるものがあるかも。ポケモンはふとした機縁で何かを掴みますから」
含みのある言い方をしたサイトウには瞬きする。彼女は表情を戻し、険しい顔つきになった。
「本日はトレーニングを通じて、さんたちを知っていこうと思います。改めてよろしくお願いします」
サイトウがユニフォームの結び目をきつく締めた。も見事に感化され、気合いを込めて返答した。
「ぼくはガメノデスを預けてきますね。ジム内のトレーニング器具はお好きに使ってください」
「分かりました」
「ぼくが戻ったらバトルしましょう」
マクワの後ろ姿を見届け、はサイトウと向き合う。張り詰めた空気に思わず息をのむ。
早速実戦か、と心構えをしていたに待っていたのは、肉体トレーニングだった。バトルフィールドに面して設けられている小部屋へ案内される。広い空間にはトレーニング用の器具がずらりと並んでいた。なかにはポケモン専用の機械もあるようだ。
「まずは体力強化から始めましょう。さんは運動神経に自信はありますか」サイトウが言った。
あります、とは言いかけて口をつぐんだ。
先週、マクワたちとバトルを交わした時のことだ。体力面に問題はなかったものの、気力負けして膝小僧を地面につけたことを思い出す。マクワには慣れていないから仕方ない、と宥められたが、欠点は忘れないうちに正しておくべきだと思った。
は包み隠さず心情を伝えた。サイトウは横槍を入れず、彼女が話し終わるまで黙って頷いている。
「よく分析できていますね。素晴らしいです」
「ありがとうございます」
「いまのさんならば、こちらをお薦めします」
サイトウはスマホを取り出した。画面には見慣れたアプリケーションタイトルが浮かんでいた。
ポケモンクイズ。がラジオで出題している謎掛けとは異なり、ポケモンのタイプ、技、特性、相性。それらをクイズ形式で一問一答する至ってシンプルなゲームだ。も日頃から世話になっている。
「さんはポケモンの生態や特性に精通していると伺いました。しかし実戦で知識が発揮できなければ意味がありません。実戦の前にまずは集中力を重点的に高めていきましょう。一定のスピードを保ちながらランニングを行い、同時に口頭でクイズに答えてください。聞く分には簡単そうですが、なかなか難しいですよ」
「分かりました。やってみます」
「イワンコも体力強化のため、同様の機器でトレーニングに励んでいただきます。よろしいですか」
イワンコは威勢よく鳴いた。エリキテルは小さな椅子の上へ移動し、彼女たちの様子を見守る。
はサイトウの指示の下、ワイヤレスイヤホンを装着した。自身のスマホでアプリを起動し、ランダム形式で出題するように設定を変える。
やがて足場のベルト部分が動き出した。はエリキテルの声援を受けながら走り始める。
運動のなかでもランニングは得意なほうだ。放送局に入社して以来、体調管理と体力強化のために早朝のタイミングを見計らって海沿いをよく走っている。
いつものペースで走っていると問題が飛んできた。は呼吸を整えながら答える。走りながらでは画面を確認できないため、正解であればエリキテルが頭の襞を広げる。不正解ならば閉じる、という方法をとった。エリキテルも助力できて嬉しいのか、心なしか楽しそうだ。
しかしそんな風に周囲を気にかけたり、笑っていられたりできる余裕は徐々になくなっていく。
走り出して三十分が経過した頃、は息が上がってきた。次第に集中力が散漫になり、回答までに五秒以上かかる。尚且つ間違える回数も徐々に増えてくる。
サイトウの言葉通り、座学とはまるで違う。体と頭を同時に使うだけで一気に体力が奪われていく。実戦をまるでせず、紙面だけで満足していたいまの自分に合っているトレーニングなのだと痛感する。
はフォームを正しながら、鏡越しにイワンコを見た。彼も必死にかじりついている。ポケモンはトレーナーとは異なり、常にダッシュだ。の何倍も疲労が溜まりやすい。何より彼は頑張り屋なところがある。無理をして怪我をしなければよいが。
心配になって眺めていると、イワンコの足が縺れた。そのままベルトに流され、床へ突っ伏す。
はエリキテルにマシンを止めるように指示した。彼女も走るのを止め、イワンコに駆け寄った。
「イワンコ、だいじょうぶ?」
イワンコはへろへろになっていた。このままでは腹と背がくっついてマッギョになってしまう。は持参した水筒を取り出し、ゆっくりと水を含ませた。イワンコは半ば流し込むように水を飲み干し、ぶるるっと体を震わせると復活した様子で鳴いた。
「だめ。イワンコはもう少し休んでなさい」
イワンコは不服そうにかぶりを振った。
「休憩も立派なトレーニングよ。何よりさっきみたいに転んで怪我をしたら危ないから」
エリキテルを呼び、イワンコを休ませるように頼む。エリキテルに促され、イワンコはベンチへ座った。
余力を残しているは再度走りこんだ。完走まで残り五キロ弱。鎖骨へ流れた汗をタオルで拭い、高難易度なクイズに答えていく。
トレーナーとして手本になる姿を見せたい。イワンコが新たな世界へ踏み出す一歩を与えてくれたように、自分も彼らに何かをあげたい。
時々イワンコを気にしてみると、彼は悔しそうに俯いている。エリキテルが宥めてもそっぽ向き、顔をあげたかと思えば、サイトウたちを静かに見つめていた。
サイトウたちは何段階も上のトレーニングを行っているようだ。カイリキーは四本の腕を駆使してサンドバッグに強打を繰り返している。隣ではサイトウが拳立て伏せをしている。総身の筋肉はどれほど鍛錬を重ねれば身につくのだろうか。には想像もつかなかった。
それは当然のことだ。自分たちは始めたばかり。動き出して間もないチャレンジャーなのだから。
走り込んで一時間が経過した頃、はゆっくりと足を止めた。上がる息を整えて水を飲み、汗を拭う。イワンコたちが待つベンチへ向かい、隣へ腰を下ろした。
最後まで走り切れなかったことが相当堪えたのか。イワンコは未だに不貞腐れている様子だった。
はイワンコの体を撫で、そっと語り掛ける。
「イワンコ、上手昔より上手ならずって知ってる?」
イワンコは首を傾げた。
「何事も始めから上手な人もポケモンもいない。苦労と努力を重ねて結果を出していくって意味よ」
青い瞳が一瞬、煌めいたように見えた。
は依然、汗を散らすサイトウたちを見る。「これはわたしの勝手な見解だけど、サイトウさんたちやマクワくんたちも最初から何でもできたわけじゃない。たくさん失敗したり試合に負けたり、これからわたしたちが体験することを何度も味わってきたと思うんだ」
だからね、とはイワンコの手を取った。
「失敗しても恥ずかしく思わないで。困ったときには助け合おう。わたしもいっしょに頑張るから」
ね? と宥めるように頭を撫でる。
イワンコはむくりと立ち上がると、の胸元に飛びついた。肌に食い込む求愛を受け、勢いのまま押し倒される。床に後頭部を強打し、はぐえっと情けない声を漏らした。こちらの状況などお構いなしにイワンコから頬を舐められ、は声をあげて笑ってしまう。
遊んでいるように見えたのか。エリキテルもの胸へ飛び込んできた。さすがに重くて苦しい。
「わあっ、ちょっと二人ともっ」
「どういう状況ですか、これは」
ポケモンセンターから戻ってきたのか。仰向け状態のの視界にマクワの困り顔が入ってきた。はポケモンたちを支えながら起き上がり、大丈夫です、と答えた。
騒ぎを聞きつけてサイトウたちもやって来る。彼女たちの顔にもやや疲労の色が見える。額に浮かんだ汗が部屋の照明に反射して不覚にも綺麗だ、と思った。
「さん、完走したんですね」サイトウが言った。
「はい」は立ち上がった。「サイトウさんの言葉通り、普段以上に気力と体力を使いました。ですが、いまの自分に合うトレーニングになりました。今後も継続していこうと思います」
「お役に立てたのなら良かったです」
サイトウは肩に掛けているタオルで汗を拭った。
「少し疲れましたね。休憩しましょうか」
「あっ、それなら良いものがあります」
はジムスタッフに預けていた菓子折りを持ってきた。中身はシュガークッキーだ。シュートシティで一号店を開いてから瞬く間に全国展開した有名な菓子店のものだ。ポケモンにはポフレを用意している。味に種類があるため、選べるように全種類を購入してきた。
そしての情報網によれば――偶然にもこの場に居合わせたサイトウは甘いものに目がないはずだ。
内偵するようにサイトウを見ると、彼女は頬を紅潮させながら眼下に広がる菓子を眺めていた。
「いただいて、いいんでしょうか」サイトウが控えめに言った。
「もちろんです。召し上がってください」
「ありがとうございます。いただきます」
サイトウはクッキーをひとつ頬張った。次の瞬間、大きな目を輝かせて笑みをこぼした。カイリキーも同様にポフレを食べている。よく見ればパートナーは女の子だ。纏っている空気も似ている気がする。年相応の反応が垣間見え、は少し嬉しかった。
「美味しいです、とても」
ふふっとは微笑む。「良かったです」
「実は以前から気になっていたお菓子なんです。まさかここで食べられるなんて思いませんでした」
「お会いする機会があれば、いくらでもお持ちします。職場から近いところにあるので」
「そうなんですね」
クッキーをつまんでいると、頭上から気まずそうな声が降ってきた。マクワのものだった。
「ぼくはここにいたら変ですかね」
「まさか」は苦笑した。「マクワくんも食べてください。わたしたちからのささやかなお礼です」
「それではお言葉に甘えて」マクワは朗笑した。
ひと時の休息を共にし、自然と閑談を広げていく。
まずはがマクワの元へ訪れた経緯から始まり、現在ガラルラジオ放送局にてジムリーダーを主体とした企画が現在進行形で行われていることを話す。席をオニオンに任せているサイトウはやはり収録の旨をまったく聞いていなかったようだ。耳を傾けながら、そんなことがあったんですね、と頷いていた。
今後参加予定のジムリーダーを訊かれ、残りの二名を挙げるとサイトウたちは合点した様子になった。
気になって言及すると、二人は口を揃えて答えた。
――彼らに到達する前に強いジムリーダーがたくさんいるから、二人は時間に余裕がある。
感銘率直なルージュと比べて大分畏まった言い方だったが、やはりマクワを含め、彼らが今回の企画に参加できた理由はそこにあるそうだ。同業者の言葉は説得力と重みが違う。
聞いた話によれば、ジムチャレンジを回る順番はジムリーダーの実力順になっている。つまりは今後が座談する二人はサイトウたちから見ても自他共に認める実力者ということになる。
特にキバナに関しては、サイトウもマクワも一勝をあげたことがないというのだから驚きだ。彼の強さについて語る二人の生声を聞き、はパーソナリティとしての血が目を覚ます。本人たちに許可を取り、仕事用のスマホを取り出しては二人の言葉を打ち込む。サイトウに関しては会える機会がこれで最後かもしれない。聞けるだけのことは聞いておきたかった。
「そういえば」
がスマホをしまった直後、マクワが口を開いた。
「やはりさんとイワンコの最終目標はチャンピオンとリザードンということになるのでしょうか」
はクッキーに伸ばした手を思わず止めた。懸念していたことが現実になった。キバナの話題になってから未来予知は既に発動していたはずだ。
助けを求めるようにイワンコを見やる。ポフレを頬張っていた彼はチャンピオンの名前に反応したのか、それともの視線を感じたのか。彼女の元へ駆け寄ってくる。そのまま膝の上に座り、丸い尻尾を振りながらを見上げた。
「チャンピオンが目標というのは?」サイトウが訊いた。
「さんのイワンコはダンデさんたちの試合を見て、ポケモンバトルに興味を持ち始めたんですよ」
「そういうことでしたか」
勝手に話が進む前にが先手を打つ。「イワンコはリザードンと戦いたいようです」
肯定とばかりにイワンコは鳴いた。
「彼らと戦うためにはジムチャレンジに参加するほかありませんね。来年の大会までトレーニングを重ね続ければ難しい話ではないと思います」マクワが言った。
「そうなれば、来年はさんたちと公式試合を交える可能性があるということですね」サイトウが言った。「実力あるトレーナーが輩出される以上に嬉しいことはありません。今大会でもチャンピオンの推薦者を含め、有望なトレーナーが数多く参加しているそうですから」
徐にサイトウは視線を動かした。彼女につられても目を追う。トレーニングルームの壁にはチャンピオンカップのポスターが貼られていた。街を歩けば必ず目にするものだ。無論、紙面には目立つように王者ダンデとリザードンが載っている。
「さんだけでなく、わたしたちにとってもチャンピオンは超えるべき人物の一人です」
「その為に日々鍛錬です」マクワはクッキーをかじった。「もちろん、敵は彼だけではありませんけどね」
「もちろんです」
はこっそりと眉間に皺を作り、指先でこめかみを掻いた。やはり厄介な道に来てしまったと思った。ポケモンの思いに応えたいと思って決断したことだったが、どこへ向かっても行く先々にはチャンピオンが常に待ち構えている。
収録を終えて間もなくひと月が経とうとしている。だがチャンピオンの存在は一向に聞こえない。先週もマクワたちと対峙したとき、蜃気楼に紛れてチャンピオンの姿を空目したときは終焉を味わった。ついに幻覚にまであの男は現れてくるのかと。何か悪いものでも憑いているか、とも考えたが、ゴーストタイプの悪戯以外に非科学的なものは信じない質だ。
この世に生きている限り、は王者ダンデのいる世界から決して逃げることはできない。
「……あの」
はそっと口を開いた。サイトウとマクワの視線が彼女へ向けられ、室内にクッキーをかじる音が響く。
「特に深い意味はないのですが」
「なんでしょうか」
マクワの柔らかな声が異様に胸に刺さる。膝上で固めた拳からジムリーダーたちへ視線を移した。
「お二人から見て、チャンピオンはどんな人物ですか」
サイトウとマクワは顔を見合わせた。一考する素振りをとることなく、彼らはただ一言だけ答える。
「規格外な人です」