『ジムに着いたら専属のスタッフにお渡しした名刺を見せてください。名前もお忘れなく』
マクワの指示通り、ジムに入ってからはユニフォーム姿のスタッフに声をかけた。
事前に連絡を入れ、会う約束をしていること。名刺を所持していること。身分証明。ジムバトル以外でジムリーダーと面会するための条件を提示する。くわえてマクワは独自のファンクラブを設立している。私欲の押しかけではないか厳重なチェックが入る。
「間違いありません。お待ちしておりました」
どうやら無事に確認が取れたようだ。はスタッフの案内の下、関係者専用の扉を潜る。長い廊下を抜けた先ではマクワが待っていた。彼はに気付くと軽く手を挙げた。もそっと手を振り返す。
「マクワさん、お客様をお連れしました」
「ありがとうございます」
「それではわたくしはこれで失礼します」
スタッフは会釈し、歩いてきた道を引き返した。は案内の謝意を込めて一揖した。
「ご足労いただき感謝します、さん」
「こちらこそ。貴重な時間を割いていただき、ありがとうございます」は会釈した。
「また喋り方が戻りましたね」マクワは一笑する。
「わたしは相談する側ですから」は苦笑する。
マクワの視線は自然とエリキテルとイワンコへ向けられる。彼は二人を凝視した。
「さんのポケモンですね」
「はい。エリキテルとイワンコです」
エリキテルたちは元気よく挨拶した。マクワは二人を見て、うんうん、と頷いている。
「詳しく話を伺いましょう。どうぞこちらへ」
廊下に面した部屋へ案内される。室内にはテーブルや椅子が並んでいた。が放送局内で利用するリフレッシュフロアと酷似している。壁には薄型テレビが設置されている。現在は映像が映っていないが、試合の様子が観覧できるようになっているのだろう。本棚にはポケモンバトルに関する専門書がずらりと並び、なかにはマクワが発行した写真集も飾られている。
は内心、拍子抜けした。イワンコについて追究されると思っていたからだ。ガラル地方で棲息が確認されていない以上、稀有な眼差しを受ける覚悟はしていた。他にもイワンコを捕まえた経緯を問われたときを踏まえ、何通りか言い訳を考えていた。昔のときといい今回といい、マクワの不思議な気遣いには頭が上がらない。
適当なテーブルに向かい合って座る。は今日のために用意した資料を確認した。
「早速本題に入りますが、そちらがさんの話していたイワンコですか」
「そうです」
おいでイワンコ、と言って膝上に乗せる。現在は普段通りで穏やかな様子だ。
「ぼくが極める岩タイプそのものですね。イワンコが吠え始めたのはいつからですか」
「二週間くらい前からです。最初はただ鳴いているだけかな、とも思ったのですが、ポケモンバトルの中継や映像を観るたびに興奮するようになって……」
「そのバトル映像をいまお持ちですか」
「準備してきました。お見せしますね」
「さすがですね」マクワは満面の笑みで頷いた。
はタブレットを立ち上げ、イワンコが特に反応を示した映像をリストアップした。
は正直、これから流す映像を観たあとにマクワから言及されること恐れていた。
事前に調べておいて判ったことがひとつだけある。イワンコがポケモンバトルに何かしらの反応を示していることは確かだ。ただどんな試合でも同様の興奮を表出するわけではない。言うまでもなく、とある人物とポケモンが映るときだけ――異様になる。
タブレットを操作し、動画を再生する。
その時だった。スイッチが入ったようにイワンコが目の色を変え、吠え出した。その影響で待機していたエリキテルも目を丸くさせ、頭の襞を押っ開いた。
正にこれだ、とばかりにはマクワを一見する。彼は何も言わずに映像を観ている。
次の映像を求められ、はタブレットを操作した。流れているのはジムリーダー同士がランクを競い合う公式試合。草タイプ使いのヤローと水タイプ使いのルリナによる対戦だ。今後の企画を踏まえ、ジムリーダーの試合は収録参加の有無に限らず通覧すべきだ、との考えで彼らの試合にも目を通していたのだ。
イワンコは変わらず興奮している。映像から飛んでくる指示に合わせて飛んだり跳ねたり。の膝上からテーブルへ身を乗り出している。
その後もが準備した映像を流す。全ての資料を見終えたところでマクワが口を開く。
「なるほど。状況は大体判りました」
「やはりイワンコはポケモンバトルに興味を持ち始めているのでしょうか」
そうですね、とマクワは頷いた。「闘争本能とみて、まず間違いないでしょう」
は合点した様子でイワンコを一瞥する。
「岩タイプは自らの硬質な体を削り、磨くことで強さを高める傾向にあります。さんのイワンコも岩飾りが通常と比べて鋭くなっていますね」
「そうなんですか?」
は比較するため、スマホで撮影した写真を取り出した。マクワの発言通り、確かに以前と比べて岩飾りに磨きが掛かっている。ゲットした当初はやや丸みを帯びているが、現在は針のように鋭く、光沢さも見られる。
そういえば――最近、イワンコに頬擦りされると以前より痛みを伴うようになった。
「何より気になるのは、チャンピオンの試合にだけ異様な反応を示していたことです。これはあくまでぼくの推理ですが、ダンデさんのバトル――いや、彼とリザードンのバトルに本能を刺激された可能性は高いです。彼らの試合はジムリーダーから見ても、他人を惹きつける不思議な力がありますから」
「チャンピオンとリザードンに感化、ですか」
マクワは起立し、イワンコの前に立った。
「答えをより明確にするために、ぼくのポケモンとバトルしてみてもいいでしょうか」
「バトルですか?」は思わず目を剥いた。
「安心してください。試合のような激しいバトルはしませんし、イワンコに負荷がかからないように調節しますので。バトルに自信がなければさんは見ているだけで構いません」
バトル――チャンピオンとワイルドエリアを訪れた以来のポケモンバトル。当時はポケモンを捕獲するためにエリキテルと抗戦したが、今回は違う。野生ではなく腕利きのトレーナーが育てたポケモンとの勝負だ。イワンコにとって貴重な初陣の場でもある。
「イワンコ、どうする?」
イワンコは威勢よく鳴いた。声色からは恐怖など微塵も感じず、逆に活気ついていた。言葉を交わさずとも判る。イワンコは早く戦いたくてうずうずしている。
「やる気みたいです」
「決まりですね。それではトレーニング用のバトルフィールドへご案内します」
マクワはよそ見した。視線の先ではエリキテルが室内をうろうろとしている。まるでこちらの会話や事情には興味がないという様子だった。
はエリキテルを呼びつける。彼は前屈みになりながら駆け寄ってきた。
「すみません」は頬に熱を集める。「普段からものすごくマイペースな子なんです」
「そのようですね」マクワは一笑した。
マクワの案内の下、ポケモンたちを連れて廊下の奥を目指す。足音だけが空間を支配する。
突然バトルへ持ち込まれ、は内心不安だった。
ワイルドエリアでの一件を想起させる。野生のポケモンに襲われたとき、自分の実力不足でリザードンを危険に晒してしまった。あの時はチャンピオンが駆けつけたお陰で大怪我は免れたものの、彼が来ていなければ間違いなく致命傷を負わせていた。
ポケモンを故意に傷つけたり、自分の不注意で怪我をさせたりすることは避けたい。甘い考えであることは解っていても、簡単には払拭できないことがある。
は前を歩く雄志ある小さな体を見つめた。
知らぬ間にイワンコは成長している。自分の歩むべき道を見定めている。ジムリーダーの目利きといえども、毎日ブラッシングをし、対話を欠かさなかったにも関わらず岩飾りの変化に気付くことができなかった。己の甘さに歯がゆさが募っていく。
イワンコがこれだけ意欲的なのに、自分はただ傍で見ているだけでいいのか――。
考えあぐねている間に重厚な扉が現れた。マクワが端末に触れると、音を立てて開く。
視界へ飛び込んできたのは広大なバトルフィールド。テレビや誌面で見かける会場とは異なり、観客席がない。頭上に見えるのは天候を変える道具だろうか。悠々とキョダイマックスができる高い天井には謎の機械が搭載されていた。他にもベンチスペース。岩タイプジムならではのトレーニング道具が数多く並んでいる。体験したことのない空気を感じ、は思わず圧倒されてしまう。
はしゃぐイワンコとエリキテルを追いかけ、もフィールドへ足を踏み入れる。モンスターボールを模した場所まで歩き、改めてマクワと向き合う。
「それでは早速始めましょう」
「よろしくお願いします」は頭を下げた。
「まずはイワンコが覚えている技を視ます」
マクワはスマホロトムを取り出した。イワンコの周りをぐるりと回り、スキャンする。
「体当たり、岩落とし、遠吠え、とっておき。なかなか良い技を覚えてますね」
「元々バトルをするためにゲットしたわけではなかったので、わたしも初めて知りました」
「念のため、覚えておくべきでしょう。技はバトルのみで使うものではありませんから」
「分かりました」は深く頷いた。
マクワはセキタンザンを繰り出した。辺りの空気が一瞬にて熱くなる。
イワンコは瞬時に身構えた。が自宅で見てきた姿勢とは違う。目の前に現れたセキタンザンに対して明らかに闘争心を燃やしている。
「相手を誘え、セキタンザン」
マクワの指示でセキタンザンが動く。頭上に複数の大岩を生み出した。岩石封じだ。
イワンコは岩石が降りかかってくる前に避け、セキタンザンへ体当たりする。しかし見た目以上に強固な巨躯を持つセキタンザンはびくともしない。イワンコは一度距離をとり、相手の出方を窺っている。
続いて先にセキタンザンが動いた。離れているイワンコへ向かってタールショットを浴びせる。イワンコは避けようとしたが足を滑らせ、黒い液体を被ってしまった。タールショットは相手の素早さを下げつつ、弱点に炎タイプが加わる変化技だ。岩タイプのイワンコでも今の状態で炎技を食らえば、効果は抜群になる。
イワンコはぶるぶるっと液体を払い落とし、岩落としを繰り出す。攻撃の一部が見事に命中し、セキタンダンは後ずさる。素早さを下げられても、イワンコの敏捷は未だセキタンザンを超えているようだ。
好機を掴んだ様子でイワンコは岩落としを繰り返す。相手のかく乱を狙っているのか。セキタンザンの周りを駆け回っている。
その時だ。マクワがついに指示を出した。ヒートスタンプを唱えた彼に対し、セキタンザンは素早く動き回るイワンコに狙いを定め、片腕を振り上げた。ヒートスタンプは重量差があるほど威力が高まる技だ。尚且つ、イワンコは先ほどのタールショットで炎に弱い。当たれば大ダメージは避けられない。
「イワンコ!」が前に出た。「避けて!」
イワンコはの言葉に反応した。しかしそこに僅かな隙が生まれた。体勢を立て直したことにより、セキタンザンの攻撃が一瞬早まったのだ。
炎を帯びた黒腕がイワンコの小さな体を殴りつける。重さに比例した大打撃を食らい、イワンコは遠くへ吹き飛ばされる。勢いのまま地面に叩きつけられ、フィールド内に苦い音が響き渡った。
はイワンコを案じ、急いで駆け寄った。触れる前にイワンコはむくりと立ち上がる。
「イワンコ、大丈夫っ?」
イワンコは平気そうに応えた。それでもやはり攻撃が堪えたのか、少しふらついている。
少し休んだほうが良いのではないか。は乞うようにマクワたちを見やるが、彼らは攻撃の手を緩めることはない。先ほどのダメージを物ともせず果敢に挑み続けるイワンコを迎え撃ち、激しい攻防戦を繰り広げる。
マクワは言った。イワンコに負荷がかからないように調節する、と。はその言葉を信じている。だからこそ止められない。彼がどの程度までイワンコの力量を把握しているのか、素人目のには判らないからだ。
ただ分かるのは、マクワは決して悪意を持ってイワンコを責め立てているわけではない。故意に痛み付けているわけではない。力量を判断できないからこそ、バトルで彼を知ろうとしている。イワンコのバトルへの思いがどれほどのものなのかを。
やがてイワンコがセキタンザンの返り討ちに合い、の元まで飛んできた。整えた毛並みもすっかり崩れてしまい、は回復道具を取り出そうとした。
「さん」
彼女を止める如く、マクワの声が飛んできた。これまでとは声色が違う。岩の如く重く、険しい色を含んでいるように聞こえた。ライトに反射して、サングラスが光っている。
「回復の前にお聞きしたいことがあります」
何だろう、とはマクワを見やる。
「貴女はポケモンと共に戦えますか」
「え?」
彼の真意が読み取れず、思わず聞き返す。マクワはその場から離れずに続ける。
「そうしてイワンコに駆け寄ったのは彼の傷を確かめるためですか。他に理由は?」
はイワンコを一見する。彼は傷だらけのままセキタンザンを見つめている。身を削られてもまだ戦いたいという思いが如実に表れている。
「こちらの攻撃が当たりそうになったとき、さんはイワンコに指示を出した。貴女の声に反応して、イワンコは僅かに体勢を変えることができました。もしも貴女が声を上げていなければ、イワンコは恐らく急所に当たっていたはずでしょう」
問いに対し、は一考する。しかし曖昧な答えしか出せず、黙り込んでしまう。
「ポケモンバトルは野生同士の戦いとは違います。戦況や相手の出方を読み取るトレーナーと我々を信頼してくれるポケモンと協力して初めて発揮される力がある。例えイワンコが戦いを強く望んでも、トレーナーの声がなくては勝てる勝負も勝てません」
「トレーナーの、わたしの声……」
「そうです」マクワは強く頷きかけた。「ポケモンがぼくたちに力を貸してくれるように、ぼくたちも彼らに力を与えることができる。戦うイワンコを見てさんは自らの意思でフィールドに立ちました。どうか恐れずにそのまま彼の隣に立ってあげてください」
は足元を見た。無我夢中だったとはいえ、自分の意思で踏み出したフィールド。片手には咄嗟に取り出した回復用のスプレー。鏡で確認せずとも判る。いまの自分は見せかけだけでもバトルトレーナーとして存在できているのだと。
視界にイワンコが飛び込んできた。くわえて後を追いかけてきたのか。エリキテルもイワンコの傍に立ち、澄んだ瞳でを見つめている。それはジムに入る前に三人で一歩踏み出した時と同じ表情だった。
いっしょに進んだはずなのに、わたしだけがずっと扉の前で足踏みをしている――。
「イワンコ、エリキテル」は片膝をついた。「あなたたちを先へ行かせて、トレーナーのわたしが後ろで立ち止まってちゃ駄目だよね」
ごめんなさい、とイワンコたちの頭を撫で、は二人を交互に見つめる。
「時間はかかるかもしれない。途中で諦めそうになるかもしれない。それでもわたしはあなたたちの思いに応えてあげたい。今度こそ」
はイワンコたちの前に手のひらを差し出した。
「こんな未熟なわたしだけど、あなたたちの傍で戦うことを許してくれるかな」
すかさずエリキテルが手を置いた。果たして真意を汲み取ってくれたのだろうか。それでも躊躇わず重ねてくれた小さな手はとてもたのもしく見えた。
イワンコはすぐに手を出さず、重ねられた手をじっと見ていた。何か考えがあるようだ。は催促を入れずに彼の答えを静かに待ち続ける。
その間、はワイルドエリアで初めて彼と目が合ったときのことを想起させていた。あの頃はまだ生まれたての赤子のように小さかったが、今では随分と大きくなった。自分で進む道を定め、立ち止まっているを文字通りここまで引っ張ってきた。
そしてイワンコとの出会いを繋げたのは、あの男だ。
出会いの機縁を作り出した人物が思い浮かんだ直後、イワンコは前足をとエリキテルが重ねている手へ載せた。そして小さくも勇ましい声で鳴いた。
「ありがとう」は深く頷いて立ち上がった。「わたしたちもいっしょに戦おう」
イワンコはの言葉に応え、再びセキタンザンと向かい合った。戦いに参加しないエリキテルは彼女らの背後へ回り、頭の襞を広げて声援を送る構えをとる。
も深呼吸をし、こちらの様子を静かに見守ってくれていたマクワたちを見据える。
そのときだ。バトルフィールドに砂煙が舞い上がり、は思わず顔面を片腕で覆った。判然しつつある視界のなかで彼女はありえないものを目にする。
ダンデとリザードンの姿が見えた。紫色の髪を靡かせ、静かにを見つめている。リザードンは地に足を付け、大きな翼を広げていた。
は声に出さずに彼らを呼んだ。ダンデは帽子のつばを掴み、脱帽の仕草をとる。
が瞬きした刹那。鮮明になった世界にいたのは紛う方なきマクワたちだった。幻覚とも呼べる現象には戸惑いつつも、静かに固唾をのむ。
「さん」
は、はっとする。
「大丈夫ですか?」
マクワの声で平静さを取り戻し、平気です、と伝えてから彼らと向かい合う。
「答えが出たようですね」
「はい」は相手に届くように声を張って答えた。「まだはっきりとバトルの本質を掴んだわけではありませんが、わたしもイワンコと戦いたいと思いました」
「曖昧なままでも十分です。大切なのはポケモンと共に力を合わせること。イワンコの思いに応えたいさんの気持ちは十分伝わってきましたよ」
「ありがとうございます」
「誘導としては上出来ですね」マクワは口角を上げ、サングラスの位置を直した。「改めてバトルを始めましょう。最初はぼくが止めに入るまでひたすら攻撃を仕掛けてください。セキタンザンは避けることなく、イワンコの技を受け止め続けます」
「大丈夫、ですか?」
「遠慮は無用です」マクワは微笑しながら頷いた。「どんどん指示を送ってください」
「分かりました」
はイワンコを一瞥する。彼も視線を感じ取ったのか、顔だけを彼女のほうへ向けた。その横顔はワイルドエリアで力添えしてくれたリザードンと酷似していた。技量に乏しい経験不足のトレーナーを見下すような目ではなく、信頼を向けた眼差し。背を預け、戦う意思を共にした者同士にしか宿らない絆の力。
背後ではエリキテルが声援を送っている。彼の期待と応援にも応えてあげたい。
「いくよ、イワンコ」
イワンコは再び前を見据えた。
「ジャンプして岩落とし!」
イワンコは上空から岩石を降らせた。マクワは宣言通り、反撃の指令を出さない。正に岩雨の如く攻撃が降りかかるにも関わらず、セキタンザンはマクワを裏切る真似はせず、全ての攻撃をその身で受け止めている。
その姿を見ては一瞬だけ躊躇った。しかしマクワたちを信じ、イワンコに指示を送り続ける。遠吠えで攻撃力を高め、体当たりを繰り返す。先ほどは微動だにしなかった巨躯が少しだけふらついた。
は目を光らせた。「イワンコ、セキタンザンの右足に向かってもう一度体当たり!」
浮いた右足へ目掛けてイワンコが小さな体で体当たりする。重心を失ったセキタンザンはそのまま尻もちをついた。重みに比例した地響きが走る。
マクワが合図の如く片手を挙げた。はイワンコを呼び止めると、彼は今までに見たことのないほど嬉々とした様子で駆け寄ってきた。はイワンコを受け止め、同時に鋭くも深い愛情表現の頬擦りを受ける。
「上手く出来ましたね」マクワはにこりと笑った。
「はいっ」
「その成功した感覚、忘れないでください」マクワは垂れている前髪を払った。「何事も最初が肝心です。ぼくなりの教え方としては、成功した快感を身体に教え込ませることから始まります。まずはさんたちに“できた”という感覚を掴んでもらいます」
「分かりました」
「次は彼と戦ってもらいましょう」
マクワは新たにガメノデスを繰り出した。は脳内で図鑑を開き、作戦を練る。
その後は双方、体力と時間に限界が来るまでポケモバトルを続けた。マクワの教え通り、とイワンコは失敗を重ねながらも、成功への光を着実に集めていった。回数をこなしていく内に立ち回りにも慣れていき、攻撃のタイミングも徐々に掴み始めていた。
しかし、人は慣れないことをすると、体のどこかで悲鳴を上げるものだ。
先に根をあげたのは攻撃を受け続けるマクワのポケモンたちではなく、のほうだった。頭と気力を使い果たしたのはもちろん、慣れない喉の使い方をし、声が枯れてしまったのだ。仕事に支障が出る前に取り止めた直後、体力が自慢なイワンコもガメノデスに威力が皆無に等しい体当たりを出したところで力尽きた。
相反してマクワは涼しい顔でポケモンたちをハイパーボールへしまったことを、地面に突っ伏していたとイワンコは知らない。ただ、彼女らを応援していたエリキテルは疲労困憊の二人を見て、どこか考え込むように頭の襞を閉じていた。
ポケモンたちの体力を回復させ、はバトルフィールドを後にした。ジムを訪れた際、最初に案内された部屋へ戻り、今回得た成果について話し合う。
「イワンコがポケモンバトルへ意欲的であることは瞭然たる事実のようですね」
「そうですね」は頷いた。「マクワくんに相談してよかったです。独断するよりもより明確にイワンコの考えを知ることができましたから」
「お力添えできたのならよかったです」
「イワンコもセキタンザンと戦う間に強くなっていくのを感じました。もしかしたらまた、マクワさんたちに鍛えてほしいと強請るかもしれません。モンスターボールに入っている間もずっと興奮気味なようですから」は困った様子で頬を掻く。
イワンコの闘志は既に着火している。今後もポケモンバトルの映像を見ては興奮の色を示すだろうが、今回の一件を通して観るだけでは満足できないかもしれない。
「ジムチャレンジの挑戦者が来るまでの間ならば、いくらでもお付き合いいたしますよ」
「本当ですか」は声を少し明らめた。
ただ、とマクワは顔の前で人差し指を立てた。「本格的なトレーニングに入る前にひとつ、忠告しておくことがあります。自分で言うのも何ですが、ぼくの鍛錬は過酷です。根を上げてトレーナーを諦める者も少なくありません。相手が貴女たちといえども、今後は手加減をするつもりはありません。これから徐々に厳しくなりますが、それでもぼくのトレーニングを受け続ける自信はありますか」
は自然と背筋を伸ばしていた。マクワがスパルタ教育であることは了察済みだ。口外にはしないが、彼の母親は前ジムリーダーのメロン。図らずとも彼女から厳しさを受け継いでいるマクワには、優しさの裏で気高き堅忍さを兼ね備えている。今回のポケモンバトルを通してはジムリーダーとしての一面を垣間見た。
それでもの考えは固まっている。せっかく踏み出した一歩をみすみす引き返すような真似はしたくない。あとはイワンコの気持ち次第だ。
本人に聞いてみよう、とモンスターボールを手に取ろうとしたときだった。ひとりでにイワンコが姿を現し、の膝上にちょこんと座った。
もしかして、とが言った。「イワンコ、いまの話を聞いてたの?」
イワンコは頷くように鳴いた。尻尾を振り、正面に座るマクワをじっと見つめている。
恐らくはイワンコも同じ気持ちだ。は彼を一瞥してから、口を開いた。
「上辺だけの言葉ならいくらでも並べられます。ですがこれだけは言わせてください」
マクワは瞬きせずにの言葉に耳を傾けている。
「ポケモンバトルの自信は作るものではなく、ポケモンたちと共に高めていくものだと、今回のバトルを通して強く感じました。だからこそ行動で示していきます。イワンコが新しさを求めるのなら、わたしは彼の隣に立ち続けたいです」
の言葉を聞き、マクワはややあってからスマホロトムを取り出した。宙に浮かんだ画面を見ながらしばらく黙考し、やがて朗笑を浮かべた。
「さんたちにその気があるのならば、是非来週もジムへお越しください」
「え?」
「来週、ぼくの知り合いがポケモンの鍛錬を目的にキルクスジムへやって来るんですよ」
「マウワくんのお知り合いが?」
「数時間前に連絡が入っていたんです。鍛錬のためにジムを貸してもらいたい、とね」マクワはスマホロトムをしまった。「あの人ならイワンコの良い修行相手になると思います。もちろんトレーナーとして学ぶべきこともたくさん見つかりますよ」
「わたしも同席していいんでしょうか」
はもちろんのこと、イワンコにとっても願ってもない話だった。
「勿論です。共に強さを高め合いましょう」
はイワンコと顔を見合わせた。彼の既に来週に向けて意気込んでいるようだ。表情からもバトルへの意欲的な態度が窺える。
「それではご厚意に甘えて」は頭を下げた。「マクワさんたちのお世話になります」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
貴重な終日休みではあるが、仕事との兼ね合いは何とかするしかない。イワンコの思いが明確になった今、水を差すような真似は避けたい。ポケモンだけでなく、トレーナー自身のコンディションを崩さぬようにより一層気を引き締める必要がありそうだ。
ちなみに、とは言った。「お知り合いというのは具体的にどのような方ですか?」
マクワは一考する素振りをとると、にこりと笑った。
「ぼくと同じジムリーダーですよ」