ドリーム小説 05

 収録後のミーティングを終え、はディレクターと共にフロアを移動していた。スタッフ同士が談話する際に利用されるスペースだ。丸いテーブルに設置された椅子に腰を下ろし、互いに向かい合う。
「これを見てくれるかい」
 ダニエルは脇に抱えていたファイルを取り出した。数枚に綴じられた書類が入っている。
「拝読いたします」
 は受け取り、中身を確認する。文面にはスパイクタウンのジムリーダー、ネズとの録音収録ついて記されていた。彼と座談するのはまだ先の話だ。このタイミングで名が挙がるということは、追加で新しい要素を織り交ぜたいのだろう。過去の経験からして、はダニエルの考えを何となく読み取ることができた。
 ひと通り読み終えてからダニエルに目を戻す。彼は顎下で手を組んでにこにこしていた。
「今しがたプロデューサーが立案したんだ」
「公開放送、ですか」
「アプリケーション運営会社との兼ね合いで録音収録であることに変わりはないんだけどね。ネズさんはシンガーソングライターとしても大活躍している方だ。彼の場合はスタッフが集まるスタジオではなく、よりファンの聴衆を引きつけやすい場所でやるべきだと考えた。くんの意見を聞きたいと思ってね」
 内心、上司が決めたことならば自分はそれに従うまでだ、とは思った。だがこうして意見を求められた手前、適当な返事はできない。
 は考え込むように紙面へ目を落とす。立案したばかりとは思えないほど、概要が適切にまとまっている。ネズ本人へのアプローチも忘れていない。彼は音楽以外にも、地元愛に溢れる人物だ。楽曲だけでなく、地元の宣伝に繋がる企画が詰まっている。
 仮にこれが正式に通れば、公開放送はにとって初めての経験になる。新たなステップへ進む好機でもあるため、無碍に扱えない。
「理想的だと思います。ネズ選手の魅力を伝えるのであれば、公開放送が最適でしょう」
「ルージュちゃんも同じこと言っていたよ。きみたちは本当に意見が合いやすいね」
「そうですか」は思わず微笑する。「ちなみに収録場所は既に決まっているのですか?」
「本来ならネズさんの故郷であるスパイクタウンでとも思ったんだが、その……」ダニエルは身を乗り出し、声を抑えた。「あそこは施設が整っていないんだ」
「なるほど」に釣られて小声になる。
「候補としてはシュートシティ駅構内。公開放送に使われるスタジオがあるんだ。そこでなら大勢のファンを集めることができるし、ネズさんの許可さえ下りれば、彼の生歌も披露してもらおうと考えている」
 生歌か。の脳内でネズの楽曲が流れる。歌詞はまだ完璧に覚えきれていない。
「ジムチャレンジのスケジューリングは問題ないのでしょうか。挑戦者との試合とか……」
 ダニエルはスマホを見やった。「昼間の時点で二個のバッジを集めている人が最速だ。移動やポケモンの鍛錬を考えれば、収録日までには余裕があるよ」
「それなら安心ですね」は頷いた。
「まずはリーグへ各書申請をして、ネズさんとも交渉しないとね。我々が勝手に盛り上がっているだけで、まだ全部が決まったわけじゃないから」
「お力添えできることがあれば仰ってください。わたしも番組を盛り上げる一員ですので」
「ありがとう。その時はまた相談するよ」ダニエルは資料を手に持ち、立ち上がった。
 は起立し、ダニエルの後ろ姿を見送った。手元に残った書類をまとめて鞄へしまう。帰宅の準備を済ませてからエレベーターへ乗り込んだ。エントランス到着までの間、ネズとの収録について考える。
 まさか公開放送になるとは思わなかった。生の視線と声を浴びながら収録する緊張と高揚の五分五分の感情。それがの胸中をゆっくりと占めていく。
 エレベーターが降下していくなか、の脳内でひとつの案が浮かんだ。
 特別な収録形式であれば、正式な顔合わせやリハーサルの前に一度、ネズの元へ赴くべきだ。はネズを見たことはあっても、向こうがこちらを認知している可能性は極めて低い。彼の対話術を侮るわけではないが、円滑に収録を進めるためにも事前調査は不可欠だ。
 企画書に記してあったように、スパイクタウンの魅力を伝える責務もある。はガラル地方を旅して回ったことはない。無論、スパイクタウンも同様だ。ネズが愛する町を目と肌で感じる必要もある。
 とはいえ、全てが可決したわけではない。上層部がリーグとの交渉を成立するまでは、依然ネズの楽曲を聴き続けよう。
 ワイヤレスイヤフォンを装着し、アプリケーションを開いてタイトルをタップする。
 慣れないジャンルと言ったが、は聴き減りしないネズの歌を気に入りつつある。これまで無意味に敬遠していた自分を叱咤したのはつい昨日のことだ。
 そうだ――敬遠で思い出した。は立ち止まり、鞄から一枚の名刺を取り出す。旧友のマクワからリーグカードとは別に渡された代物。相談事があれば、彼がジムを構えるキルクスタウンへ来るように言われたのだ。
 は鞄の中で眠るイワンコを一瞥する。
「次の休み、わたしといっしょに行こうね」
 エリキテルも連れて行こう。キルクスタウンは雪の町。きっと喜ぶに違いない。
 仕事もポケモンも両立してみせる。決意を固めた直後、ネズのシャウトが木霊した。

 一週間に一度の終日休みがやって来た。は事前にマクワが待つジムへ連絡を入れ、キルクスタウンへ向かうための身支度を進めていた。
 雪が降り積もる街では防寒服が欠かせない。エリキテルたちにもポケモン用に作られた毛糸の帽子やマフラーをつける。数日前、ブティックで購入したものだ。
「すごく似合ってるよ、二人とも」
 二人は互いの格好を見合っている。イワンコは岩飾りがあるため、マフラーは巻いていない。エリキテルは襞を刺激しないように穴の空いた帽子を被っている。
 そのままポケモンたちを連れて外へ出た。家の前にはアーマーガアタクシーが停まっている。予め呼び出しておいたのだ。車内へ乗り込み、運転手に目的地を伝える。キルクスタウンまでは三十分ほどで着く、と言われ直に出発した。
 到着までの間、は今後座談するジムリーダーの情報を収集する。タブレットに保存した記事を読み返しては別の記事を見比べる。内容に相違はないか、彼らが共に戦ったポケモンは何だったか。どんな技が決め手だったか。可能な限り知識を蓄えていく。
 ふと、ポケモンの様子が気になり、タブレットから目を離した。エリキテルは顔面を窓に押し付けて景色を眺めている。彼は普段と変わりない。
 その一方でイワンコは初めて体験する乗り物に少々緊張しているようだ。不安そうに声を漏らしては、自慢の尻尾を腹部まで丸めている。
「おいで」は膝上をぽんっと叩いた。
 イワンコは促されるまま、の膝上に乗った。そのままとぐろを巻くように座り込む。不安を取り除くように毛並みに沿って体を撫でる。
「これから行くところは雪が積もってるんだよ」
 雪とは何だ、と言うばかりにイワンコは首を傾げる。それもまた可愛らしく見えた。
「わたしが口で説明するよりも、イワンコの目で確かめたほうがいいかもね」
 僅かにイワンコの尻尾が揺れた。どうやら少しは気を紛らわせたようだ。表情からも不安の色が払拭されたように見える。
 雪の見物もいいが、当初の目的はイワンコの気持ちを明確にすることにある。彼がポケモンバトルに興味を抱いているのか。それともただテレビに映ったチャンピオンとリザードンの真似事をしているだけなのか。ジムリーダーであり岩タイプの使い手であるマクワなら、有力な情報を握っているに違いない。
 タブレットの画面をスクロールさせながら、は遠い昔のことを思い出した。放送局へ就職するために、各所へ履歴書を送り続けていた頃だ。
 は親元を離れ、エンジンシティの古いアパルトメントで生活していた。パーソナリティを目指すため、勉学に励むためでもあった。応募条件に達してからは各所の放送局へ履歴書を送り、審査を重ねていた。
 しかし競争率が高く、且つ採用率が低いパーソナリティ枠を獲得する道のりは険しかった。書類選考は通るものの、最後の面接で決まって不採用の判子を押されてしまう。最初はめげずにアピールし続けたが、挑戦が二桁目になったところで徐々に心が折れていった。
 家賃や生活費はアルバイトと貯金でまかなっていた。しかし砕ける寸前のの心はどんな方法をもってしても癒えることはなかった。
 とある日の朝。気晴らしのためにはアーマーガアタクシーへ乗り込んだ。どこか気分転換ができる場所へ連れて行ってほしい、と運転手に懇談すると、連れて来られた場所はキルクスタウンだった。ポケモン専用の戦治湯を初め、各所で掘り出された天然温泉と煌びやかなホテルで有名な雪国の町だ。テレビや雑誌で見たことはあっても、温泉は未体験だった。
 そして温泉は自宅のバスルームとは比べ物にならないほど心地が良かった。
 極東の地、ホウエン地方では温泉を模した菓子が有名だと、外国の観光本に記してあったことを思い出す。他にもアローラ地方にはポケモンの疲れと心癒す『ぽかぽかリゾート』という温泉が完備された島国もある。ラジオパーソナリティになれば、そんな各地の温泉について話す機会もあるのだろうか。
 今だけでも忘れていたかった灰色の靄を思い出し、は溜め息を吐いた。
 ポケモンの知識を得ても、見聞を繰り返しても、目指す夢は険しく狭き門。どんなに強く願っても、気持ちを同じくした同志は五万といる。自負していた能力も周囲と比べればほんの些細な差だった。
 向いていない――とは思わなかった。自分にはこの道しかないと確信さえ得ていた。
 何故自分が選ばれなかったのか。今日は悔やみながらも立ち止まって考える日だ。は風呂上がりのミックスオレを想像しながら温泉を出た。
 その後は町の名所を巡行した。スマホにおさめられる場所は撮影し、ポケモンが浸かっている温泉は眺めるだけで十分だった。元々温泉での撮影は禁止だが。
 やがてひらけた場所へ出た。目の前に佇んでいたのは大きなジムスタジアム。その頃はジムチャレンジが閉幕して間もなかったため、閑散としていた。
 せっかくだから記念に写真でも撮ろうかな、とスマホを取り出そうとしたときだった。突然ジムスタジアムの自動扉から怒声が飛んできた。は驚いてスマホを落としてしまう。拾っている間に身格好の似ている二人組が諍いを始めた。
「マクワ! 特訓は終わっちゃいないよ」
「止めないでくれ。自分は岩タイプを極めたんだ」
「いまは何を極めるかの話をしてんじゃない。あんたの根性のなさに対して怒ってるんだ」
「そうやって自分の意見ばかり押し付けないでもらいたいね」男性は前髪を払った。
 周囲など気にせず、二人は怒声を上げ続ける。は忍び足で付近のベンチへ座った。
「とにかく今日はもうジムには戻らない。夕食も自分でとるからどうぞご心配なく」
「あたしの飯以上に美味いもんがあるか」
「夕食くらい自分で作れる」
「野菜も食べるんだよ!」
「ああ、もう。分かってる!」
 子供じゃないんだから、と言って男性は走り去った。彼の後ろ姿を見て、口喧嘩相手の女性は物言いたげに口を開いたが、すぐに頬を膨らました。
 静寂が戻ったのも束の間。湯冷めしたはくしゃみを溢してしまった。必然的にふくよかな体形をした女性と目が合い、は気まずそうに頬を掻く。
「やだあ、恥ずかしいところ見られちゃったねえ」
 女性はを咎めるどころか、どこか楽しそうに笑った。は思わず唖然となる。
「こんな場所で喧嘩なんかするもんじゃなかったよ」
「いえ」はかぶりを振った。「こちらこそ、不本意だったとはいえ申し訳ありません」
「あんたが謝ることないよ」
 女性はにこりと笑い、へ歩み寄った。そのまま空いている隣へ腰を下ろす。
「あんた、観光客かい。それとも出場時期を間違えたおっちょこちょいな挑戦者?」
「いえ、観光客です。あれ、違うかも?」
 元来観光のために訪れたわけではなかったため、は曖昧な回答をしてしまった。
「変なことを言う子だね」女性は可笑しそうに笑った。「嫌なもんを見せちゃって悪かったね。お詫びと言ってはなんだけど、これを受け取って」
 手渡されたのはリーグカードだった。右上にはジムリーダーの証が印字されている。
 ――ジムリーダー?
 は、はっとした。受け取ったカードと目の前にいる女性を交互に照らし合わせる。何故ジムから出てきた時点で気付かなかったのか。彼女はキルクスタウンのジムリーダーを務める氷タイプ使いのメロンだ。時間差で戸惑いと驚きが同時に襲い掛かり、は打ち上げられたコイキングのごとく口を動かす。
 その様子にメロンはまた笑った。「もしかして、今更あたしのことに気がついたのかい」
 は急いで立ち上がり、頭を下げた。「気付かなかったとはいえ、ジムリーダーの話を立ち聞きするなど卑劣な行為でした。申し訳ありませんっ」
「急にかしこまっちゃってどうしたんだい。気にしてないから早く頭を上げな」
 は姿勢を戻し、メロンに一揖してからベンチに腰を掛けた。少しだけ頬が熱い。
「あの、追いかけなくていいんですか?」
「追いかける?」
 さっきの人です、とは視線で追う。
 メロンは、ああ、と頬杖をついた。「ああなったら放っておくのが一番。無理に引っ張ってきても意味がないからね。それともあんたが説得してくれる?」
「えっ」
「あはは」メロンは丸い口を開けて笑った。「からかい甲斐のある子だねえ。悪くない」
 メロンは立ち上がった。も起立する。
「あたしはトレーニングがあるから行くよ。この町は冷えるから風邪ひかないようにね」
「お気遣いありがとうございます」
 それじゃあね、とメロンは片目を瞑り、軽く手を振りながらジムスタジアム内へ戻った。
 は彼女の後ろ姿を見届けてから、手元に残されたリーグカードへ目を落とした。角度を変えると結晶のごとく輝きを放っている。はこのとき初めて、トレーナーと呼ばれる人物からリーグカードをもらった。
 受け取ったリーグカードをしまい、スマホで地図を開く。町の南部にブティックがある。丁度給料も入ったところだ。気に入る服があれば購入しよう。
 そんな風に考えながら目的地を目指していると、道端で落し物を見かけた。
 サングラスだ。雪が被っていないところを見れば、落としてから間もないようだ。
 ふと、は過去の映像を振り返った。記憶が正しければ、このサングラスは先ほどメロンと諍いを交わしていた男性が首襟に下げていたものだ。拾い上げて辺りを見渡すも、本人らしき陰は見られない。怒りのあまり落としたことに気付いていなのだろうか。
 サングラスを片手に歩いていると、階段下のベンチでうな垂れている人物がいた。
 先ほどの男性だ。雪だるまを作る愛らしいユキハミに見向きもせず、頭を抱えている。
 見るからに他人を拒むオーラが漂っていた。しかしこのままサングラスを持ち去るわけにもいかず、は相手の顔色を窺いながら、慎重な足取りで歩み寄った。
 相手は物音に敏感なのか。すぐに気がつき、垂れていた前髪を素早くかき上げた。
「何か?」男性の声は柔らかかった。
「あの」はサングラスを差し出した。「このサングラス、貴方のものではありませんか?」
「あっ」
 男性は掛けているはずのないサングラスを直す仕草を取った。やがて苦笑を浮かべる。
「ご親切に届けに来てくれたんですね。ありがとうございます。それはぼくのです」
「良かったです。割れてはないみたいですけど、念のため確認していただけますか」
 は男性にサングラスを手渡した。彼は表面にざっと目を通し、ゆっくりと頷いた。
「問題ありません」
 良かった、とは胸を撫で下ろした。
「貴女は――ジム前にいましたね。今日は観光ですか。それともジムチャレンジの出場時期を間違えたおっちょこちょいな挑戦者ですか?」
 メロンと似たようなことを訊いてきた男性に対し、は耐え切れずふふっと笑った。
 案の定、男性は渋面をへ向けた。
「何かおかしなことでも言いましたか?」
「ごめんなさい。何でもないんです」
 はあ、と男性は不服そうに言った後、頬を掻いた。「不本意だったとはいえ、お恥ずかしいところを見せてしまいましたね。こちらこそ失礼しました」
「そんなことは」はかぶりを振った。
「立ったままでは何です。どうぞお掛けください」
 男性は立ち上がり、ベンチを促した。は頷き、腰を下ろす。ややあって彼はの隣へ座った。ひとつひとつの動作が丁寧だな、と思った。
「マクワといいます」
「わたしはです。今日はその……気分転換を兼ねてこの町へやってきました」
「気分転換?」
 問われた後、は初対面の人物に対して使う言葉じゃなかったな、と少し後悔した。
「人生があまり上手いように進んでない――って何だか余計大袈裟になっちゃった」
「ははは」マクワは一笑した。「普段通りの話し方でいいですよ。そのほうがぼくも楽です」
「それならマクワさんも」
「ぼくは誰にでもこうなんです」
 それじゃあ、とは頷いた。「お言葉に甘えますね。あっ、やっぱりすぐには難しいな」
 とマクワは顔を見合わせ、笑い合った。
 そこから打ち解けるまでに時間はかからなかった。がキルクスタウンに初めて来たことを話せば、マクワは観光名所を次々とリストアップした。野生のポケモンを観察できる場所からガイドブックには掲載されていないところまで。彼は身なりに気を遣っているようで、町のブティックは訪れるべきだ、と念を押された。
 は彼が思い悩んでいる理由を読み図ろうと考えていた。しかし思い留まった。
 マクワも同じだったからだ。彼はが唱えた人生の難しさについて言及することもなければ、詮索を入れる真似もしてこなかった。彼なりの気遣いなのか、優しさなのかは判らない。ただこの時は灰色の靄を忘れるべきだと悟った。
 やがてマクワから、岩タイプ主としたジムリーダーを目指している、と告げられた。先ほどの諍いはジムコーチであるメロンとの意見の食い違いだ、とも話した。場面に遭遇したへ謝罪を込めての説明だった。
 話題が止んだところでの電子腕時計が鳴った。短針が十二を指している。正午だ。午後からはが欠かさず聴いているラジオ番組がある。付近のカフェスペースで紅茶でも飲みながら聴取したいところだ。
「話し込んじゃってごめんなさい」が言った。
「構いませんよ。貴女と話していたら、引き摺っていたものが磨り減ったような気がします。寒いなかお付き合いいただき、ありがとうございました」マクワはサングラスを掛けた。「ぼくはそろそろ行きます。サングラスを届けてくれたお礼はまたいずれ」
「ジムへ戻るの?」
「戻りませんよ」マクワは怪訝そうに言った。
「愚問だったね」は思わず苦笑する。「本当は自己紹介も兼ねて名刺か何か渡したいんだけど、お恥ずかしいことにまだ定職に就いてなくて……」
「気にしないでください」
「月並みなことしか言えないけど、マクワくんのことを応援してるからね」
「ありがとうございます。次にリーグカードを渡すときはジムリーダーになったときです」
「わたしも名刺を渡せるように頑張らなきゃ」
「ぼくも陰ながら応援しています」
 それじゃあ、と言ってマクワと別れた。
 自分たちが口にした予言は、結果的に実現することになった。それが先日の収録だった。数年ぶりに会ったマクワは当時の物腰は変わらずとも、実力と威厳を兼ね備えた人物まで登りつめていた。
 メロンがマクワにジムの看板を譲った経緯は分からない。噂によれば、彼女は今でもコーチを担いながら日々鍛錬に励んでいるという。
 放送局へ身を置いてから判明したことがある。それは合点がいくものばかりだった。
 メロンとマクワは親子関係だった。氷タイプを極める前者と岩タイプを目指す後者。母親としては息子にジムを継がせたいが、マクワとは想念に相違がある。一時は町を分けてのポケモンバトルにまで勃発し、見出しの一面を飾った事例もあった。
 何より笑顔や仕草、言葉選びがよく似ていた。サングラスの裏の目は母親そっくりだった。
 彼らからもらったリーグカードを取り出す。照らし合わせれば一目瞭然だった。
 血は争えない。は昔のこと想起しながら、タブレットの電源を落とした。彼女の口から漏れた息が窓に吹きかかり、白い靄が浮かび上がる。
『お客さま、キルクスタウン上空に到着いたしました。ジム前にお停めしますか』
「お願いします」
 アーマーガアタクシーが停まり、は結露を浴びた車体のドアを開いた。ひゅうっと冷気が吹きかかり、思わず両腕で身を抱き締めてしまう。エリキテルとイワンコを下ろし、運転手に運賃を支払った。飛び立つアーマーガアに別れを告げ、目の前に立つジムを仰視する。
 ふうっと息をつけば、白い緊張が宙に浮かぶ。
 昔とは心境がまるで違う。仕事のためなら何処でも足を伸ばすだが、ジムへ足を踏み入れたことは一度もない。バトルに疎い自分には永遠に訪れるはずのない場所だと思っていた。
 踏み止まっていると、足元にぬくもりを感じた。目を落とせばエリキテルとイワンコがいた。青い目を開きながらじっとを見つめている。
 は膝を折り、二人を抱き締めた。
 わたしには二人がいる。二人にはわたしがいる。
「ありがとう、二人とも」
 エリキテルたちは元気よく応えた。彼らの声が何ものにも代え難い鼓舞に聞こえた。
 は立ち上がり、深呼吸をした。
 まだ見ぬ世界へ行こう――ポケモンたちと共に一歩踏み出し、ジムの自動扉を潜った。


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