ドリーム小説 01

 最近、朝になると違和感を抱くことがひとつある。
 明け方、ポッポの鳴き声がを目覚めへと誘う。家窓から顔を出すポッポを一見し、音を止める。ラジオ放送局に就職して以来、幾年も繰り返してきたこの瞬間はとうに慣れた。
 未だに慣れないといえば、現状だ。上体を起こした彼女の視界に広がっていたのは、同じくベッドで眠っている二匹のポケモン。の脚の間で寝ているイワンコ。咎められた顔を避けて腹の上で眠るエリキテル。双方、心地良さそうに寝息を立てている。
 の抱える違和感は正に、彼らの重みにあった。理由は未解明だが、エリキテルたちはそれぞれに寝床があるにも関わらず、必ずのベッドで眠るのだ。彼らの好みに合わせて購入した寝床も、今ではただの柔らかい置物になっている。寂しい朝日を浴びながらリビングで静かに主人の帰りを待っているに違いない。
 考えている間に二人が目を覚ました。を目視すると、彼らは頬へ擦り寄ってくる。
「おはよう。エリキテル、イワンコ」
 は二人を挟むように抱き寄せる。イワンコの岩飾りが良い眠気覚ましだ。
「もう、どうしてまたベッドで寝てるの。二人にはそれぞれの寝床を用意してるのに」
 エリキテルとイワンコは顔を見合わせ、何かを言い始める。諍いではないようだ。それでも彼らの会話内容はさっぱり判らない。
 問いかけも虚しく、イワンコはふわふわのベッドを雪原のごとく飛び回る。この挙動は朝食をねだるアピールだ。エリキテルも同様に腹を鳴かせている。
 本当に――騒がしくも愛しい朝だ。は朝食の準備へ取り掛かった。
 その間、ポケモンたちはソファーに座りながらテレビを観ている。画面に映っているのは牧草地で自由気ままに遊ぶウールーたち。主人公のウールーを始めとした仲間たちが日常の問題を解決しては、ポケモンバトルで悪役をやっつける――といった王道ストーリー。子供から大人まで人気を博しているテレビ番組だ。
 イワンコを迎え入れてから、二人は並んでテレビを観ることが多くなった。元来エリキテルはテレビを観るのが好きだ。こうしてが準備を進めている間も、朝のニュースや天気予報を眺めては、頭の襞を動かして電波を感じ取っている。
 立場上、エリキテルは先輩だ。イワンコに手ほどきしたいことがあるのかもしれない。
 考えている間に食事が整った。は食事をテーブルへ運び、二人を呼びかける。しかしテレビに夢中でこちらの声に気付いていない。
「二人とも、ご飯できたよ」
 先にエリキテルがやって来る。自分の前に差し出された皿に顔を突っ込み、貪りだす。
 次の瞬間、イワンコがテレビに向かって吠え出した。突然の出来事には目を剥く。
 何事かと思えば、テレビに映っているのはダンデとリザードンの姿。三日後から開催されるジムチャレンジのコマーシャルだった。例のごとく、赤いマントを謎の風で靡かせながらリザードンポーズを決めている。
 リザードンはともかく、朝からチャンピオンの面を見るのは勘弁願いたい――。
「イワンコ、これは映像よ」
 イワンコは、はっとした様子でを見やる。
「本物じゃないから」
 本物であって堪るか、という悪態を抑えながらイワンコを宥める。体を撫でてやると、彼は徐々に落ち着きを取り戻していき、朝食を頬張り始めた。
 は避けるようにチャンネルを変える。しかしどの放送局もリーグの話題で持ち切りだ。ボタンを何度押しても、映像に映し出されるのはダンデの姿。
 しばらく悩んだ末、テレビを消した。朝のニュースはアーマーガアタクシーで確認しよう。
 しかしこれが数ヶ月間続くのだ。ジムチャレンジは『チャンピオンタイム』のように数週間で終わる規模ではない。挑戦者が各地のジムを巡り、戦い、勝利し、時には敗北し。新たな壁に向かって切磋琢磨を重ねていく。の記憶が正しければ、昨年度は約三ヶ月の月日を跨いでガラル中が熱気に包まれていた。本年度はいかほど続くのか。
 ふと、戸棚に置かれた白い封筒が目に入った。中身は無論、決勝戦の観戦チケット。ダンデから手渡された代物だが、は未だに悩んでいた。
 行くか――行かないか。
 感謝を述べた手前、ダンデの厚意を踏みにじるわけにもいかない。何より彼は自分の戦う様ではなく、リザードンを含めたスタジアムでしか味わえない熱気や興奮を唱えていた。ガラルを背負う立場としては何ら違和感ない唱導だ。誘うには十分な理由だった。
 しかしは正直、乗り気じゃない。ダンデと彼女の考えには明らかに相違があるからだ。
 他にも気になることがある。バトルの申し込みだ。
 ダンデは何故、経験が皆無に等しい人間にバトルを望んだのか。最強を謳われる彼であれば、自分と同等、あるいは世界の強者と戦いたいはずだ。
 何より――当時のチャンピオンの口振りから予想すれば、彼のなかでは既に『自分たちがポケモンバトルをする理由』が見つかっているようだった。
 根暗な人間はそれを高みの見物と呼んでいる。最も本人は気付いていないだろう。の虫の居所を悪くさせていることも恐らく知らない。
 これに関しては仕方がない。彼にはこちらの事情を一切教えていないのだから。ダンデの奇矯な振る舞いはカイリキーの腕を持ってしても数え切れない。収録を終えた現在でも、解放感に安堵する暇さえ与えてくれない。必ず何かを残して去っていく。正に置き土産だ。
 分かっている。考えても無駄だと分かってはいる。それでも考察せずにはいられない。
 分からないことは何でも調べてきた。答えが見つかれば、知識や経験として蓄えてきた。それが身に合った歩き方であるからだ。
 ただ、ダンデは違う。どれにも当てはまらない。答えがない。見つからない。扉を開いてしまえば最後、永遠に出口が見えない迷路のような男なのだ。
 はっとして時計を見やる。間もなくアーマーガアタクシーが到着する頃だ。は最後のひと口を放り込み、出かける準備を進めた。
 今は分からないままでもいい――思考を一旦遮断し、観戦チケットを心の奥へしまった。

『ついにガラル地方の祭典、ジムチャレンジが開催されます。開会式に先立ちまして、シュートスタジアムでは連戦無敗の記録を伸ばし続ける無敵のチャンピオン・ダンデ選手とチャンピオンが好敵手だと認める、ガラル地方最強のジムリーダー・キバナ選手によるエキシビションマッチが催されました。当番組では本大会に伴い、各地で戦いを繰り広げるトレーナーたちをピックアップしていきます。お聴き逃しなく』
 続いては天気予報です、とはディレクターから手渡された書類を読み上げる。ガラルが普段より熱気に包まれているだけで、やることは変わらない。正しい情報を汲み取り、伝え、そして終わりまでミスすることなくやり遂げる。
 やがてサブスタジオでダニエルの手が挙がった。指折りに放送終了を数えている。は彼の合図を横目で確認しながら、番組を終了させた。
 ふう、と息をつき、水分補給を行う。これで今日の収録は終わりだ。カフボックスを操作したエリキテルにも木の実を与え、収録ブースを後にする。
 間もなくスタッフが集まってきた。挨拶を交わし、引き続きスタジオで業務を行う者たちは共に打ち合わせを始めている。は素早く帰宅の準備を進めた。
さん、お疲れさまです」
 ロッカーの前で声を掛けてきたのはルージュだった。は軽く手を挙げて応える。
「あのう、さん」
「どうかした?」
「随分と前の話になりますが、わたしの代わりに仕事を引き受けてくれたじゃないですか」
 ああ、とは呟く。そういえばそんなこともあったな、と懐かしい思いに駆られる。
「そのお礼をしたいんです。よかったら今夜、飲みに行きませんか。勿論、わたしが奢ります」
「ルージュちゃんと?」
「難しいのであれば、日を改めますが……」
「違うの」は慌てて釈明した。「ルージュちゃんから飲みに誘われるとは思わなくて」
「まあ、わたしは仕事とポケモンとカブさん以外、興味ないって感じですもんね」
「そこまでは言ってないけど」
 は苦笑する。だが、内心その通りだと思った。
 放送局に身を置いてから、後輩に食事を誘われるケースはこれが初めてだ。複雑且つ緻密なスケジュールを有する放送局で働く身としては、休憩のタイミングを合わせるだけで精一杯だ。
 何より構成作家のルージュは常に激務を強いられている。キャリア採用されたこともあり、プロデューサーを挟んでの会議や打ち合わせにも度々参加している。それでも彼女は一度も弱音を吐いたことはないし、常に目の前の仕事に一直線だ。
 そんなルージュの誘いを断る理由など、元来見つかるはずがない。は笑顔で頷いた。
「今夜は何も予定ないから安心して」
「本当ですか。良かったです」
「でも奢ってもらっちゃっていいの?」
「勿論です。さんへのお礼の場なんですから」
 何だか似たようなやり取りを誰かと交わしたような気がするが、は思考を払った。
「それじゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
「任せてください」ルージュは微笑んだ。「それじゃあ早速行きましょう。準備してきますね」
 数分も経たない間にルージュは戻ってきた。どうやら既に店を決めているようだ。
 彼女に連れられ、シュートシティ内のパブを訪れる。出迎えてくれたのはゴチルゼルだ。テーブル席へ案内され、酒と料理を注文する。はなるべく翌日に響かないようにアルコールの弱いものを頼んだ。ルージュは何を飲むだろう、と一瞥していると彼女は出鼻からテキーラのショットグラスを指した。は思わずあんぐりと口が開きそうになるのを抑えた。
「どうかしましたか?」
 ルージュは運ばれてきたグラスを平気な顔で飲んでいる。想像通りといえば、想像通りだ。は何でもない、と言いながら酒を含んだ。
 物珍しそうに店内を見渡す。食事を運ぶスタッフは人間とポケモンが五分五分。酒瓶が陳列するカウンター席では、ローブシンがコンクリート柱ではなくシェーカーを振っている。傍に立っているのは彼のトレーナーだろうか。二人の動きは見事にシンクロしていた。
「あ、すみませんっ。乾杯し忘れちゃいました」
「大丈夫、気にしないで」
「申し訳ないです。喉が渇いちゃって」
 喉を潤すためにテキーラを含んだ人間は初めて見た。は改めて圧倒される。
 間もなく注文した料理が運ばれてきた。先ほどのゴチルゼルだ。サイコキネシスを使い、注文の品をテーブルへ綺麗に並べていく。誰がどれを注文したか、的確な配置だった。さすがはエスパータイプ。彼女の超能力を持ってすれば雑作もないことなのだろう。
さんのそれ、美味しそうですね」
「分け合いっこしようか」
「ありがとうございます」ルージュは皿を寄せた。「良かったらさんも取ってください」
「実はわたしもちょっと狙ってた」
 思わず顔を見合って笑い出す。こんな風に同僚と食事が出来る日が来るとは思わなかった。翌朝の準備に追われたり、ポケモンとの時間を確保したり。何より最近まではとある人物の影響でてんてこ舞いだっため、休息をとる思考さえ浮かばなかった。
 次からは自分からルージュを誘ってみよう。彼女とはもう少し仲を深めたい。
 意気揚々と酒と料理を注文する。食後のデザートも少し気になる。腹を空けておこう。
 が料理を口へ運ぼうとしたときだ。手前で「あっ、そういえば」とルージュが言った。
「カブさんの観戦チケット、確保できたんですっ」
「そうなの?」も思わず声色を明らめる。
「家族も抽選に参加していたみたいで。わたしを驚かせたかったみたいです」
 見てください、とルージュはスマホの画面を見せてきた。デジタル式のチケットだ。コードを端末にかざせば入場できる仕組みになっている。概要には確かに『エンジンシティ』と記されている。カブのポケモンバトルを観るならば間違いない場所だ。
「まさに僥倖でした。久しぶりにお父さんから電話が掛かってきたので何事かと思ったら、まさかカブさんの観戦チケットが当選した報せだったなんて」
「良かったね、ルージュちゃん」
「ありがとうございます」ルージュはスマホをしまった。「さんにもご協力いただいたので、念のためご報告させていただきました」
「律儀だなあ」
 わたしは何もしてあげられなかったのに、とは胸中で彼女への力不足を謝る。
「また力添えできることがあれば言ってね。運はないけど、わたしなりに協力するから」
「ありがとうございます。その時はまた」
「任せて」は片目を瞑って見せた。
さんは良かったんですか?」
 何が、とは止めかけていた料理を含む。
「観戦チケットですよ。どなたかの試合を観たかったのなら、わたしも協力したのに」
 は反芻するように料理を噛み砕く。ごくんっと飲み込み、口元を拭った。
「わたしは大丈夫。もしかしたら当日に仕事が入るかもしれないし、中継で満足だから」
「そうですか」
「気を遣ってくれてありがとね」
「いえ」ルージュはかぶりを振った。「ダンデさんなら何とかしてくれそうですけどね」
 は水を口元に運びかけていた手を止めた。何故、ここで彼の名が挙がるのだろう。
 動揺を悟られないように水を含み、ルージュを一見する。彼女はグラスを傾けながら、余所見をしていた。視線の先を辿れば壁掛けテレビがある。映っているのはダンデとリザードン。時々キバナとジュラルドンの姿も見える。どうやらシュートシティで行われたエキシビションマッチの様子が流れているようだ。
 全員ではないが、周囲の客たちもテレビを仰視している。さすがはガラルだけでなく、世界中が注目する大会だけある。徐々に店内で彼らの名前が囁かれ始めた。
「わたしたち、あの人と仕事してたんですよね」
「そうね」
 業務に関わる内容のため、互いに声を抑えている。
「まあ、言葉を交わしたのはさんですけど」
「原稿のこと、チャンピオンもすごく感心してた。良い質問ばかりだなって」
「本当ですか。嬉しいです」
 ルージュはが注文した料理へ手を伸ばし、失礼します、と告げてから口へ運んだ。
「初めて会ったときはオーラで圧し潰されるかな、と思いましたけど、話してみたら気さくで優しい方でした。例えるなら同級生の男の子かなあ。でも、こうしてメディアで取り上げられている様子を見てると、本当にすごい人なんだって改めて実感しました。ポケモンバトルも強いし、人柄も良いし。人気な理由も納得できます」
 ルージュは酒を含み、唇を指の腹で拭った。
「仕事もできてポケモンバトルもできて。あんなに完璧な人、なかなかいないですよ」
 まあ、カブさんを推すことに変わりないですけど、とルージュは何ともない顔で言う。
 彼女の話を聞きながらは一度、彼女の皿から料理をもらおうと考えていた。しかし駄目だった。手が上手く動かなかった。鉛を抱えるかの如く、躊躇ってしまった。
 果たして騙されているのはどちらだ。偶像か実像か。それとも存在し得ない虚像なのか。
 はテレビを仰視する。テレビの音声は店内の話し声で聞き取れない。だが、試合の様子は遠目でも判る。キバナのジュラルドンが圧されている。
 ポケモン同士の技のぶつかり合いでカメラが激しく揺さぶる。立ち込める煙からダンデの立ち姿が現れる。次の瞬間、彼の横顔でテレビの枠が埋まった。
 何て貌で戦っているんだ。
 言葉では表現しきれない相貌に、は自身の語彙力のなさを呪った。光の粒のように飛び散る汗。編集でも入れているのではないか、と疑うほどの眼光。突風で靡く髪はリザードンの大きな翼のようだ。目に映るもの全てが真新しい彼の姿だった。
 ――いいや、違う。それこそ有り得ない。
 これはなりの見解だが、彼はバトル中、決まって少年のような顔をする。遊んでいるかと思えば、全力でその瞬間を楽しんでいるように見えるときもある。テレビの向こうで戦っているチャンピオンは正にそれだ。
 しかし、何かが違う。不本意ながら、ダンデのポケモンバトルは何度も履修した。それこそ嫌になるほどにだ。だからこそ判る。彼の違いに。
 相手がライバルの男だからか。カメラの影響か。
 やはり違う。キバナとの戦いは誌面でも映像でも確認した。カメラは普段と変わらない。
 ならば何故だ。この違和感はどこから生まれた。彼と出会う前と今とでは何か違うのだ。
さん?」
 はっとして現実を取り戻す。目の前には不思議そうに首を傾げているルージュの顔。
「大丈夫ですか。目の色変わってますけど」
「何でもないの」は髪を耳に掛け、微苦笑した。「お水でももらおうかなって」
 は通りかかったウェイターに水を乞うた。グラスに注がれた水を含み、唇を濡らす。
「ちょっと飲みすぎちゃったのかも」
「デザートでも頼みましょうか」
「うん、賛成」
 食後のデザートを注文し、話題は再び歓談へ戻る。もっぱら仕事のことだが、ルージュのポケモンが家でどんな風に過ごしているのか。彼女のスマホに残された写真や動画を見ては、は歓喜の声をあげる。
 今度はエリキテルの写真を求められた。はスマホを取り出し、写真をスライドさせる。自分のポケモンだからこそ、尚のこと可愛らしい。最近のお気に入りは遠くから全速力で駆け寄ってくるエリキテルの動画だ。どこか間抜けな姿に頬をほころばせてしまう。
 次の写真へ移ろうとしたとき、イワンコの存在が脳裏を過ぎった。様々な事情を考えれば、彼女にも秘匿にしておくべきだろうか。何よりワイルドエリアで捕獲したことを話せば、至った経緯を問われるに違いない。
 しかし不自然に止めた指の口実が思いつかない。
 考えあぐねていると、タイミング良くスイーツが運ばれてきた。マホイップを模した可愛らしいケーキだ。しまおうとしたスマホで思わず記念撮影をする。ルージュも同様だった。
 撮影を終え、満を持してフォークを手に取る。しかしマホイップが円らな瞳で見つめている。愛らしい顔を崩すなど、にはできない。
「……これ、可愛くて食べられないね」
「崩れてしまう前にわたしは行きます」
 ルージュは無慈悲にもマホイップの顔をフォークで突き刺した。どこまでも躊躇いがない。
 自分にも彼女ほどの勢いがあれば、もう少し器用に生きられるのだろう。そんな風に思いながらひと口サイズに切ったケーキを頬張った。
 その時だった。忽然とリグレーが現れた。この挙動はテレポートだろうか。前触れもなく姿を見せたリグレーに一驚する。
 彼の無機質な風貌には見覚えがある。恐らくはダニエルが連れているリグレーだ。
「この子、ディレクターの子でしょうか」
「そうだと思う」はフォークを置いた。「わたしたちがここにいるって判ったのかな」
「まあ、エスパータイプですからね」
 そして、と二人は顔を見合わせる。
 ディレクターがリグレーを寄越すときは、急を要する事態が起こったということだ。
 はリグレーの手についている封筒を受け取った。宝石のような目を一瞥し、封を切る。出てきたのは二つ折りにされた普通紙だ。
 念のため、周囲の視線がないかを確認してから紙をテーブルへ広げて見せる。紙面にはダニエルの筆跡と思われる走り書きでこう記されていた。

『リーグからの申し出で進めていたジムリーダーとの収録企画が決まりました。プロデューサーとの選定の末、パーソナリティと構成作家はきみたち二人となります。ディレクターはわたしです。よろしくね。スケジュールを組みますので、合間を見て連絡をください。相変わらずアナログな報せ方で申し訳ない。読み終わったらリグレーに伝えてください』

 は紙面から顔を上げ、リグレーへ視線を移した。彼は読み終わった紙を手に取ると、不思議な力で文面を白紙へと変える。やがて紙を持ったまま手を控えめに振り、丸い目を細めながらテレポートした。
「すみません」
 とルージュが同時にウェイターを呼び止めた。彼は半ば戸惑いながら注文票を開く。
 二人は空になったグラスを差し出した。
「お代わり、いただけますか」

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