ドリーム小説 13

 はホテルロンド・ロゼを後にし、シュートシティ駅前のポケモンセンターへ向かった。
 エリキテルとイワンコのことは昨夜、ダンデから話を聞いた。何処のポケモンセンターに預けたのか、と問えば彼は、ホテルを真っ直ぐ進んだ先にあった、と答えた。故には駅前に向かったのだと判った。
 だが、一つだけ気がかりがある。ダンデが預けたモンスターボールをが受け取ることは可能だろうか。元来エリキテルはのポケモンだが、受け渡しは別の人物。一般人ならまだしも相手はチャンピオンだ。変な誤解が生まれないといいが。
 目的地に到着する。は小走りでカウンターへ向かう。ジョーイは笑顔で会釈した。
「ポケモンセンターへようこそ」
と申します。昨夜こちらにエリキテルとイワンコを預けたと思うのですが」
「チャンピオンから伺っております。ただいま連れて参りますね。お待ちください」
 数分後、モンスターボールが返却される。は念のため、彼らを外へ繰り出した。光に包まれて現したエリキテルとイワンコ。最後に見たときと変わらず、優しい目でこちらを見上げている。健気な振る舞いには思わず目を震わせる。
「エリキテル、イワンコ。おかえりなさい」
 二人は元気よく応えた。ジョーイから厚い世話を受けたのか、心なしか声が明るい。
「ジョーイさん、ありがとうございます」
「またいつでもご利用ください」
 はエリキテルをモンスターボールへしまい、ポケモンセンターを後にする。
 チャンピオンについて言及されると身構えていたが、ジョーイは泰然な態度だった。もしかすると彼とは顔見知りなのだろうか。
 冷静に振り返ってみれば、昨夜のダンデは普段よりも振る舞いが軽かった。ホテルへ直接運んだのはリザードン。傍で見守る役も彼だった。その間の行動と理由は判明している。
 だというのに、胸に残るこの違和感は何だ。
 は深く考えず、思考を振り払った。真意が見つかっても、チャンピオンにはまだまだ未知な部分が多い。それらは最後の収録でできる限り解明していけばいい。
 は紙切れを取り出す。恐らくはダンデが書き残した電話番号。あのままホテルのごみ箱へ捨てるわけにも行かず、個人情報を守るために持ってきた。
 こちらから連絡する予定は今のところない。持っておいても損得はないが、念のため保管しておくべきだ。情報漏洩の恐ろしさは放送局に勤めるになら分かる。
 シュートシティ広場の時計は正午を指していた。辺りは会社員で溢れている。どこで昼食をとろうか。今夜は残業だろう。喜ぶ者もいれば、嘆く者もいる。
 夕方の生配信まで残り五時間。ミーティングまでは三時間。一度帰宅し、改めて準備を整えても良い時間ではある。だがアーマーガアタクシーの運賃と往復時間を考えれば、このままシュートシティ近辺で買い物をしたり、散歩をしたりしたほうが良さそうだ。
 エリキテルたちにも長い間、窮屈な思いをさせてしまった。公園で日向ぼっこでもしよう。
 そんな風に考えたときだった。鞄の中でスマホが震えた。仕事用が鳴っているようだ。は公園へ向かいながらスマホを耳に当てる。
です」
くん、お疲れさま。ダニエルです』
「お疲れさまです。何かありましたか?」
『緊急の用事ではないんだが、くんに是非お願いしたいことがあって電話をしたんだ。きみ以上に適任な人はいないと思ってね』
「わたしに、ですか?」
 何だろうか。気になって思わず足を止めてしまう。
『チャンピオン――ダンデくんの収録は次回で最後になる。長期にわたって番組を担当したゲストには花束を用意しているだろう? 彼にも用意すべきだと思うんだ』
「花束、ですか」
 は過去の収録を思い返していた。数年前、ナックルシティユニバーシティの生徒をゲストに呼んだときのことだ。入学までの経緯。卒業までの目標。ポケモントレーナーを目指す上で大切なものは何か。ガラル地方の未来に向けて、どんなことを成し遂げたいか。数名の生徒にインタビューし、半年に渡って続いた企画だ。
 彼らが卒業と共にラジオを離れる際、一人ひとりに花束を渡したことが今でも懐かしい。後から届いた手紙に寄れば、現在はジムトレーナーや教師に就いた者が多いのだという。時々、すれ違っては軽く挨拶を交わすときがある。
「何故、わたしに?」
『ダンデくんと一番関わったのはくんだからね』それに、とダニエルは続ける。『わたしが選ぶよりもきみのセンスに任せたほうが良い、とルージュちゃんに言われてしまったよ』 
 ルージュは上司だろうか誰だろうか手厳しい。は悟られないように苦笑した。
『引き受けてくれるだろうか』
「はい。お任せください」はスマホを肩で支えながら、手帳を取り出した。「花屋の指定はございますか。他にも何かあれば仰ってください」
『そうだなあ』ダニエルは電話先で一考する。『ダンデくんとリザードンをイメージした花束とかどうかな』
「素敵ですね。その線でいきましょう」
 は必要な要素をメモにまとめる。
「夕方の生放送までに準備をしておきます。当日もわたしが受け取りに行きますね」
『ありがとう。よろしく頼んだよ』
「それでは失礼します」
 は通話を切った。予定は変更となったが、花を選ぶことは苦じゃない。シュートシティには何軒もの花屋があるが、なかでも気に入っている店がある。
 駅前から数十分歩いたところにそれはある。先ほどが向かおうとした公園が目の前にあり、近くには川が流れている。
 店先に若い男性が立っている。細身で垂れた目が印象的だ。傍には彼のポケモンであるインテレオンが佇んでいる。黒いエプロン姿がよく似合っている。
 彼らはに気付くと、穏やかな様子で手を振ってきた。もすかさず応える。
さんじゃないですか。お久しぶりです」
「こんにちは、コリーさん。インテレオンも」
 インテレオンは目を細めた。どうやら二人とも変わりはないようだ。
「今日はいかがされましたか。ご予約ですか」
「はい。予約をお願いします」
 分かりました、とコリーは頷いた。
 彼は仕事の得意先だ。ナックルシティユニバーシティの一件を含め、ゲストや相手先へ花束を贈る際は決まってこの店を選んでいる。
 インテレオンはコリーの相棒。聞いた話に寄れば、幼少期からの大親友。最初に相棒となったメッソンの頃からずっと一緒だ、と話す笑顔が懐かしい。
「二人とも、出ておいで」
 はエリキテルたちを出した。エリキテルは彼らと顔見知りだ。イワンコは初めて会うであろうインテレオンに興味を示している。
「へえ、イワンコですか」コリーが言った。「ガラルでは珍しいですね。おいでおいで」
「最近ゲットしたんです。何故か自分からモンスターボールに入っちゃって」
「自分から? 珍しいことも起きるものですね。まあ、ポケモンはそういうところがあるから面白くて可愛らしいんですけど。あ、こいつ男の子だなあ」
 コリーはひとしきりエリキテルたちと戯れ、改めて業務を再開する。ポケモンたちは彼ら同士で店の脇で遊んでいる。インテレオンが良い遊び相手のようだ。
「ご予算や花束のイメージはお決まりですか」
「予算はいくらでも構いません。ええと……」
 の頭上に浮かんだのはダンデとリザードン。しかし彼らをイメージした花束、と伝えるのはどこか気まずい。仕事といえ、相手がチャンピオンなら尚更だ。
「ちょっと待ってくださいね」
「構いませんよ。良ければ店内を自由にご覧ください。何か良い案が思い浮かぶかも」
「そういたします」
 は店内へ入った。相変わらず様々な種類の花が並んでいる。香りで少し酔いそうだ。
 正面の棚に陳列されているのはギフト用だろうか。リボンが巻かれたバスケットに花が生けられている。他にも美しいアレンジメントが並んでいるが、今回のイメージにはそぐわない。
 は腕を組み、華々しい花たちと対峙する。着想を広げるためとはいえ、これだけたくさんの種類があると返って熟考してしまう。
 今回は相手がチャンピオンとリザードンだ。中途半端な決断は下せない。ダニエルから受けた依頼がこれだけ難解になるとは思わなかった。
 黙考していると、隣からふふっと笑う声が聞こえた。無論、コリーによるものだった。
「どうかしましたか?」が訊いた。
「いいえ。ただ、普段と比べて随分と深く悩んでいらっしゃるから珍しいなあ、と」
 は思わず微苦笑した。自分はそこまで考え込んでいるように見えたのだろうか。
「もしかして、今回は仕事関係ではないとか?」
「仕事ですよ」は困り顔で笑う。「ただ、今回は渡す相手のイメージが沸かなくて」
「なるほど。そういうことでしたか」
 はさらに奥へ進む。そこへコリーが、例えばですけど、と言いながら紙を手に取った。
さんから見て、その方はどのように見えますか。試しに色やポケモンで例えてください」
「そうですね……」
 真っ先に思い浮かぶのはリザードンだ。チャンピオンはリザードン以外にも強力且つ頼もしい仲間がいるが、相棒といえばやはり彼一択だろう。
 色と言われると少し難しい。チャンピオンが常に身につけているマントは赤い。帽子は黒い。髪は薄明にも似た深色を纏っている。
 どれも彼らしいといえばらしい。けれど、のなかで固まった色はひとつだけ。
「白です」
「白ですか。綺麗な色ですね」
「けれど、贈り物としては適切ではありませんよね」
「冠婚葬祭に用いられる色ですから、プレゼントとしては不向きかもしれません。ですが、他の色と組み合わせれば問題ありませんよ。白は何色にも合いますから」コリーは腰に手を当て、周囲を見渡す。「そういう方向性で作りましょうか」
「はい。他に組み合わせるのであれば――」
 は他に浮かんでいた色を伝えた。
「では、その通りに作らせていただきますね」
「よろしくお願いします」は軽く頭を下げた。「受け取りは今日から七日後に伺いますね。いつも通り、ガラル放送局への領収書もお願いします」
「承知しました」
 大体のイメージを固め、は予約を済ませた。花はインテレオンと協力して厳選してもらえることになった。どんな場面でも人間とポケモンが力を合わせて事を成す光景には、心を熱くさせるものがある。
 はエリキテルとイワンコをモンスターボールへしまう。どうやら花を選んでいる間にインテレオンと友達になれたようだ。
「今日もこのままお仕事ですか?」
「はい」
「頑張ってくださいね」コリーはインテレオンを一瞥する。「彼と二人で聴いていますから」
「ありがとうございます。あっ」
 は思い出したように声を出した。他に客が来ていないかを確認し、コリーに耳打ちする。
「そういえば、以前お話ししていた片思いの件。何か進展ありましたか?」
「えっ」途端にコリーは頬を紅潮させた。
 片思いの件というのは、が以前から相談を受けていた色恋の話だ。コリーは喫茶店で出会った女性に一目惚れをし、なかなか声を掛けられずにいた。見兼ねたが彼らに少しでも関係性を持たせようと、微力ながら助言を続けていたのだ。
 どうやら彼の様子を見る限り、何かしら進展があったようだ。はインテレオンと目を合わせ、思わずにんまりと微笑んでしまう。
 それが、とコリーが口を開いた。「お陰さまで、彼女とお付き合いするようになりました」
「本当ですかっ?」
「インテレオンも協力してくれたんです。向こうも以前から僕に気が合ったみたいで」
 どこか気恥ずかしそうに微笑むコリーにも胸が熱くなる。そうか、上手くいったのか。
「おめでとうございます。良かったですね」
「この件に関しては、さんやエリキテルにも感謝しています。勿論、インテレオンにも」
「わたしは月並みなことしか言っていませんよ」
 が彼に助言したと言えば、紳士的に振る舞う、自分の意思を口に出して伝える。以上の二つ。前者は私意に近いが、結果として上手く事を運べたのなら万々歳だ。彼にこそ花を贈るべきではないだろうか。
 ふと、はインテレオンを見て思い浮かんだ。
「狙い撃ちってところでしょうか」
「狙い撃ち?」コリーが首を傾げる。
「インテレオン固有の攻撃技です。言葉通り、まさに彼女の心を射止められたんだな、と」
「さすが。言い回しがお上手ですね」
「つい考えてしまうんです。こういうのを職業病っていうのかも」は思わず苦笑した。
「そういうさんも気をつけてくださいね」コリーはの顔を覗き込んだ。「いつ、誰に狙われているか分かりませんよ。貴女は人当たりが良いですし、仕事熱心な方だ。変な人に引っ掛からないか心配です。余計なお節介かもしれませんが、十分気をつけてください」
「心に留めておきます」は頷いた。
 コリーたちに別れを告げ、は花屋を後にする。ミーティング開始まで残り二時間。随分と贈り物に時間を費やしてしまったようだ。
 公園でエリキテルとイワンコを思い切り走らせてあげよう。は軽い足取りで歩き出した。

 最終収録日の前夜。は音楽をかけながらデスク周りの整理を進めていた。主にダンデにまつわる雑誌や本を片付けている。資料や参考、情報収集のために購入したものであったが、明日の仕事を終えればお役御免だ。リサイクルショップへ運ぼうかとも考えたが、あらゆる箇所をペンで書きなぐってしまっている。これでは売り物にはならない。考えた末、簡易箱に詰めてクローゼットへしまう判断に至った。
 ひと通りの片づけを終え、は汗を拭った。風呂場へ向かい、香り立つ乳白色の湯船へ身を沈める。
 ふうっと深い息をつく。
 ついに明日――チャンピオンとの繋がりに終わりの鐘を鳴らすことが出来る。
 ここまで長いようで短かった。主に収録以外での出来事が印象的だが、ワイルドエリアでの経験は間違いなくにとってプラスになるものだった。肉眼でポケモンの世界を目の当たりにし、新たな家族であるイワンコともめぐり合えることが出来た。
 チャンピオンの突拍子のない言動には何度も頭を悩まされた。思い返すと切りなく出てくる。
 初対面にも関わらず、友達口調で接してくる。
 突然、サイン入りのリーグカードを寄越してくる。
 自動販売機の前でばったり会う。
 アーマーガアタクシーからリザードンポーズを決めながら大声で名を呼んでくる。
 きみならやれる、と背中を押してくる。
 体調不良を気にかけ、駆けつけて来る。
 そして幾度となくと呼びかけてくる。
 初めて会ったとき、王者の風格に目を奪われたことは確かだった。リザードンの背に乗って舞い降りてきたダンデは、正に無敵と呼ぶに相応しい登場だった。
 だが、蓋を開けてみれば他人の言葉を読み解くのが下手で、曰くつきの方向音痴で。こうと決めたことは意地でも曲げない図太さを持っている。言い方を変えれば、強い意思、だろうか。
 唐変木なのかと油断していれば、類い稀なポテンシャルを発揮し、誰にも見えない可能性を一気に手繰り寄せる。誰もが納得する言葉を投げかけ、鼓舞して働きかける力がある。この世界が彼に夢中になる理由も、多少なりとも理解したつもりだ。
 だが、は今でも拭いきれない劣等感がある。彼に負けたくない、と心が叫んでいる。
「何でだろう」
 は白い天井に向かって問いかける。無論、返答が降って来るわけはない。返ってくるのは冷たい結露。の頬を静かに濡らす。
 ふと、ダンデと食事の約束を交わしたときに告げられた言葉が頭をよぎった。
 と二人きりでゆっくり話がしたい――。
 いったい、今さら何を話す気なのか。繰り返しになるが、彼とは収録を含め、他者が羨むほどの会話を交わしてきた。改まって話す内容は到底浮かばない。これから材料を探すにせよ、恐らく彼に全て丸め込まれてしまうだろう。
 目を離す離さないにしろ、ダンデの発言と自己解釈にはどこか交わらない点がある。仮に彼が自身の意志を持って行動しているのならば、それは一体何か。
 しかし、どれだけ考えても最終的には『絶対にあり得ない臆見』へたどり着いてしまう。
 そんな。まさか。は何度もかぶりを振った。彼に限ってそれだけは絶対にあり得ない。
「あり得ないのよ」
 こんな風に懊悩に苦しむのも今日が最後だ。明日の朝日を浴び、自分は希望の扉の先を行く。
 は目を閉じ、白色の海へ身を沈めた。


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