暗闇の中で水が滴る音を聞いた。それは流れる川のように穏やかで心地良いものだった。
火照る額に冷たいタオルが載せられる。絶妙な温度に思わずは重たい瞼を開いた。
暖色の灯りに照らされているポケモンのポスター。時刻になると家の窓からポッポが出てくるからくり時計。棚に飾られたぬいぐるみたち。見慣れた自室だ。
頭上に影ができた。母の顔だった。彼女は手に持っている耐熱皿をテーブルへ置き、木製のスプーンで中身を掬い上げる。この匂いはクリームチキンスープだ。
は上体を起こし、口を開けた。優しく流し込まれる病人食。よく噛んでから飲み込む。
「美味しい?」
「うん」は頷いた。
良かった、と母は朗笑した。「最近急に寒くなってきたからね。きっと疲れが出たのよ」
「母さん、お仕事は」
「抜けてきたよ。娘が大変なときに仕事なんてやっていられないわ」母はスプーンを動かしながら、思い出したように、そうだ、と言った。「今日はお父さんも早く帰って来られるんだって。お見舞いにケーキを買っていくから、ってさっきメールが来たの。貴女が大好きな駅前のケーキ屋さんって言ってた」
「そうなんだ」
「明日はお休みだし、ゆっくり寝てなさい」
はゆっくりと時間をかけて皿を空にした。母の言いつけを守り、ベッドへ横になる。
母のお陰で少しだけ体力を取り戻せた。このまま寝ていれば、明日にはポケモンたちと庭で遊べるだろう。早く新しい遊具で追いかけっこをしたい。
翌朝の慰みを心に秘め、は静かに目を閉じた。
夢から覚めたとき、の視界に広がったのは白い天井。そして見慣れない部屋だった。
ここはいったい何処だ。わたしはあの後、彼らから逃れることに成功したのだろうか。
腕に違和感を覚え、そっと視線をずらす。括りつけられた点滴の管。注射針の跡だろうか。粘着性のガーゼが貼られている。ベッドの傍には医療機器と思われる鉄の塊。には到底理解できない数値や波模様が並んでいる。
病院だろうか。は上体を起こし、周囲を見渡す。
木賊色のカーテン。赤い壁紙。床に広がるアンノーン模様の分厚い絨毯。病人が運び込まれる場所にしては似つかわしくない空間だった。
ここには過去に一度だけ、訪れたことがある。ラジオ放送局への入社試験を受ける前夜、願掛けの思いで泊まった部屋だ。
ホテルロンド・ロゼ。ガラル地方でも随一を誇る高級ホテル。シュートシティに一号店を構える宿泊施設だ。
ぼうっと記憶を遡っていると、尻尾に灯る炎が近づいてくる。リザードンだ。彼は大きな頭をの頬に優しく擦り付けた。まるで労わるような仕草だ。
もしかすると、目が覚めるまで見守ってくれていたのかもしれない。
「ありがとう、リザードン」
彼はひとつ鳴くと、その場に座り込んだ。
自然と頭に浮かび上がるのは、もう一人の存在。リザードンが此処にいるのならば、それは同時にあの男も同じ空間にいることを意味する。
だが、ダンデの気配は感じられない。注意深く観察しても、彼の姿は見当たらなかった。
はひとまず安堵の息を漏らした。弱る様子を目撃されただけではなく、気が緩みきっている寝顔まで見られていたのかと思うと、内心ぞっとする。
結局、彼に負けてしまったのだろう。自分がベッドの上にいることが紛れもない答えだ。
どんな方法で運ばれたのか。考える前にも先に、の頭にひとつの閃光が走った。
「そうだ。エリキテルとイワンコ――」
きっと腹を空かせているに違いない。エリキテルにもブラシを掛ける予定だったのに。
サイドテーブルに置かれた鞄を開き、彼らの様子をうかがう。だが、モンスターボールが出てこない。中身をひっくり返しても見慣れた球体が転がってこない。
は血の気が引いていく感覚を覚えた。気を失っていたとはいえ、大切なポケモンをみすみす失くしてしまうなど、トレーナー以前に人間失格だ。
何かの拍子で落としてしまったのだろうか。は慌てて点滴の管を外そうとした。
その時だ。リザードンが目先に立ち塞がった。どうやら邪魔をしたいわけではなさそうだ。彼の瞳には注意を喚起する色が宿っている。
「もしかして、何か知ってるの?」
が問うと、リザードンはサイドテーブルへ目配せする。そこには一枚の紙切れがあった。中を開くと、数字が記されている。電話番号だ。ここに答え待っているということだろうか。
はスマホを取り出し、焦る思いと比例する速さで番号を打ち込む。
だが、通話ボタンに親指をかざそうとしたところで、第六感が小さな悲鳴を上げた。
――この番号は、いったい誰に繋がる?
はスマホの電源を落とした。目をつけたのは室内に設置されている据え置きの電話。本来はフロントへ連絡するためのものだが、外線も繋がるはずだ。はメモを片手に再度、番号を打ち込んだ。
やがてロトムの鳴き声にも似た呼出音が鳴り出す。は無意識に目を泳がせていた。
しかし、いくら待っても相手は出ない。それどころか留守電にも繋がらない。は怪訝そうに受話器を見てから通話を切った。
これからどうするべきか、と一考したとき、部屋の扉が控えめに叩かれた。
「さん、起きてますか?」
届いたのは女性の声だ。は平静を保ちながら「起きてます」と答える。
ややあって扉から白衣を身に纏った女性が現れた。医師と思わせる気を放っている。彼女の傍にはエルレイドが立っていた。
「わたしはホテル専属の医師よ。気分はどう?」
「随分と良くなりました。ありがとうございます」はベッドの上で深く頭を下げた。
「そう」医師は満足げに微笑んだ。「念のため熱を測らせてもらうわ。エルレイド、お願い」
エルレイドは一歩前へ出ると、目を閉じた。エルレイドには他者の感情をキャッチする器官が備わっているというが、触れずとも人間の体温が判るのだろうか。は何かをされている感覚さえ覚えない。
赤い瞳が剥かれると、エルレイドは一度鳴いた。どうやら異常は見られなかったようだ。
安心したのも束の間。医師は携えているファイルを勢いよく見せ付けてきた。
「さん」
「は、はい」
「貴女、この数値がお判りかしら?」
は思わず顔を引きつらせる。「も、申し訳ありません。医療には精通していなくって」
「ストレス値よ」医師は顔を離した。紙を捲り、長い髪を耳にかける。「貴女が倒れた原因は全部ストレス。心痛、心労って言えば分かる?」
「分かります」は頷いた。
「貴女、確かラジオ局の人よね。大変な仕事なのは分かるけど、息抜きもしなきゃだめよ」
返す言葉もなければ、釈明の意も見つからない。はただ、彼女の叱咤に頷き続けた。
「でも、まあ。リザードンがあなたを運んできたときは正直驚いちゃった」
「リザードンがわたしを?」
「そうよ。ホテルの前に止まっているところを職員が見つけたの。賢くて優しい子ね」何だか見覚えのあるリザードンだけど、と医師は付け足す。
彼女の証言を聞いて、は黙考する。リザードンがここまで運んでくれたのであれば、チャンピオンはいま何処で何をしているのだろうか。医師の様子から見ても、彼を目撃したとは考えにくい。ガラルで最も有名な男を見かければ、口にせずにはいられないはずだ。
「ストレス緩和のために、エルレイドから癒しの波動を受けてもらうわ。人によっては睡眠作用を起こすことがあるけど、害はないから安心してちょうだい」
「分かりました」あの、とはリザードンを一瞥する。「リザードンにもお願いします。きっとわたしを運んで疲れているでしょうから」
「分かったわ。サービスしてあげる」
「ありがとうございます」
は再び横になった。やがて淡い光に包まれる。名の通り、癒しの力で降り積もった思いが徐々に緩和されていく。チルットの真綿に乗っているようだ。
リザードンも同等の治癒を受けている。彼の回復は一瞬で終わったが、は安定値に達するまで時間を有した。終わる頃には作用が働き、再び眠りについていた。
二度目の覚醒は短針が零を回った頃。リザードンがむくりと起き、も目を覚ました。
部屋の明かりは消えていた。代わりにベッドサイドのランプが点灯している。先ほどの医師が気を利かせてくれたのだろうか。暖色が目に優しい。
医師の診断とエルレイドの癒しの波動のお陰か、体調はすっかり元通りになった。心なしかデスクワークで弱っていた腰痛も治っている。
はベッドから身を出し、スリッパを履いた。私服に着替えて身なりを整える。
エリキテルとイワンコが心配で気が気じゃない。もしも自分が倒れた際にモンスターボールを落としたのであれば、彼と遭遇した場所に手がかりが残されているはずだ。一刻も早く彼らを見つけたい。
手鏡を見ながら口紅を縁取っていると、リザードンが角飾りを動かした。
「どうしたの?」
彼は扉の先を黙視している。外に何かいるのだろうか。は足音を立てずに近付く。
「」
覗き窓に目をつける前に名を呼ばれた。予想しなかった声に心臓が跳ね上がる。思わず施錠されているかどうか確認する。二重鍵は正常に作動していた。
「ダンデだ」
厚い扉に静かに手を添え、はそっと呟く。
「チャンピオンですか?」
とんっと外側から扉を小さく叩かれる。恐らくはチャンピオンの指先だろう。
「そこにいるのか」
「はい。リザードンといっしょにいます」
「良かった」
表情は判らない。けれど、彼の声色からは安心という文字が滲み出ているように感じた。
「具合はもう良いのか」
「はい。ホテルのお医者さんとエルレイドが治してくれました。もうすっかり元通りです」
「そうか」
扉越しに息を叩かれる。相手の顔が見えないせいなのか、は歯切れよく言えた。
「念のため、明日の朝まで部屋をとっておいた。の都合に合わせて、ここで休んでくれ」
既にそこまで手を回してくれたのか。想像を超える気配りの早さには驚く。他に気になることといえば宿泊料だ。気軽に泊まれる金額でないことをは知っている。だが、恐らくこの件をダンデに問いただせば、以前のように拒まれる未来が見える。彼のことを考えれば、黙って厚意を受ける他ない。
「チャンピオンのお気遣いに感謝します」
「気にしないでくれ」
「あの、チャンピオンがリザードンに言ったのですか。わたしをここまで運ぶように」
「ああ。オレが頼んだ」
彼の返答はさっぱりとしたものだった。特に深い意味が含まれているようにも聞こえない。
「チャンピオンは今までどちらへ?」
「オレはポケモンセンターへ行っていたんだ。きみのエリキテルたちを預けるために」
「えっ」
はいつの間にか俯いていたのか。恋焦がれていた名を挙げられ、咄嗟に頭を上げた。
「を運ぶ前、鞄からモンスターボールが落ちたんだ。きみのことだ。エリキテルたちにも心配をかけまいと振る舞うに違いない。だったら今夜はポケモンセンターで休ませたほうが良いと考えた」
「そうだったんですか……」
まさか。ダンデがここまで気を配ってくれていたとは。目を覚ましてから彼の存在を警戒していた自分が醜く思えてくる。は奥歯を噛んだ。
「モンスターボールが無くて慌てただろう。伝える順番が逆になってすまない」
「そんな」はかぶりを振った。「ありがとうございます。とても助かりました」
はここに至るまでの経緯を思い返す。もしもあの場で倒れていたら、今頃ポケモンたちは底冷えする夜のなか、身を震わせていただろう。ダンデとリザードンがやって来なければ、高熱に魘されたままだっただろう。
それなのに――わたしはどうだ。自分のことしか考えていなかった。ポケモンのことを考えれば、彼らの厚意を甘んじで受け入れるべきだった。万全の体勢で仕事を向かえるのであれば、頑迷さなど捨てていれば良かった。
ごめんなさい。ポケモンセンターで眠るエリキテルたちに謝罪の念を必死に送る。
そして何より。夜遅くまで自分の身を案じてくれた彼らに感謝の言葉を伝えるべきだ。つまらない意地など張らず、今回だけは真っ直ぐに。
「チャンピオン、リザードン」
「どうした?」
は一度、視線をリザードンへ移す。やがて目線を戻した。扉越しに黄金色を見る。
「ありがとうございます。わたしたちを見つけて出してくれて。心から感謝しています」
嘘も偽りもない。本当の気持ち。は胸の奥で何か重いものが取れたような気がした。
しかし、ダンデから返事はない。
当然だと思った。今さら感恩を込めたところで、何が返ってくるのだろう。例え寛厚な彼でも今回の一件で懲りたに違いない。それならそれで本望だった。
「」
「はい」
「の顔が見たい」
「え?」
突然、ドアノブがひとりでに動いた。
「ここを開けてくれないか」
「いけませんっ」は咄嗟にドアノブを抑えた。
「何故だ」
心なしか彼は焦っているようだった。だが、それはも同じだった。
「元通りになったとはいえ、まだ完治したわけではありません」それに、とは続ける。「大切な時期の前にチャンピオンへ風邪が移ったら大変です」
向こう側で小さな笑い声が聞こえた。「オレは生まれてこの方、風邪をひいたことはないぜ」
そうでしょうね、とは胸中で呟く。張り合うつもりはないが、自分も彼と同じだ。子供の頃に一度だけ体調を崩しただけで、以降は健康そのものだった。
こんな風に倒れたのは生まれて初めてだ。経験したことのない病をまだ受け入れられない。
「分かった。なら、このままでいい」
ふと、覗き窓から漏れ出す光が消えた。同時に扉へもたれかかるような気配を感じる。チャンピオンが背中を預けているのだろうか。
「もう少しだけきみの傍にいたい」
「分かりました」
はドアノブからゆっくりと手を離した。扉に背を預け、少しだけもたれかかる。
「リザードン、傍でを温めてやってくれ」
ダンデの指示を受け、リザードンが寄り添う。足元でとぐろを巻くように座り込んだ。備え付けの暖炉よりも温かく、優しい光がの頬を照らす。
「あの、チャンピオン」
「ん?」
「気付いていたんですか。わたしの体調のこと」
ダンデは物思いにふけるように、そうだな、と呟く。そして「気付いていた」と答えた。
「いつからですか」
「いつからだろうな」
「答えになっていません」
「すまない」ダンデは一笑した。「ただ、普段より覇気がないなとは思っていた。慣れないワイルドエリアへ連れ出した後だったから、懸念はしていた」
「そうだったんですね」でも、とは続ける。「わたしとしては、悟られるような素振りを人前でとった覚えはありません。それなのに何故?」
これもやはり、ポケモンや人間を見る目に長けている観察眼からだろうか。もしくは、エルレイドのように感情に敏感なポケモンでも連れているのだろうか。は様々な思考を並べる。ダンデならばどれもあり得るな、と思った。
ややあってダンデが「が」と言った。
「も言ったじゃないか」
「何をですか?」
「わたしから目を離さないでください」
それは収録初日、初めてダンテと会った際に釘を刺す思いで放った言葉だ。しかしあくまで局内で迷わないように、という意味を込めたものだ。何も収録期間中は自分を観察していろ、という要求は微塵も含まれていない。
まさか――この瞬間から、は積もりに積もった疑念の砂が流れ落ちる感覚を覚えた。
「それにオレたちはずっと一緒にいたんだ。きみのことを気遣うのは当然だろう」
彼らしい考え方だと思った。
「同じことを言うようだが、オレはきみから目が離せない。だから疑問に思うことはない」
それは、とが呟く。「わたしがチャンピオンにそうお願いしたからですか」
「そうだな」ダンデは息を吐いた。「きみに頼まれれば、オレは全力で応えるだけだ」
たった今、流れ落ちた疑念の砂が底をついた。それはまるで長い砂時計のようにも思えた。
は手のひらを額に当てて俯く。直後に湧き上がってきたのは嗤笑だ。過去に出した覚えのない奇妙な笑い。それを抑え込む為、額に当てた手を滑らせて口を塞いだ。扉越しとはいえ、相手に怪しい笑声を聞かれてしまえば新たな誤解を生みかねない。
ああ、なんだ。そういうことだったのか。
何故、チャンピオンとも在ろう者が、初対面の人間にここまで身を削るのか。
何故、ダンデとも在ろう男が、仕事を共にするだけの女に必死になるのか。
何故、何故、何故――その理由を理解するまで、随分と回り道をしてしまったようだ。
原因は他でもない、自分自身だった。振り回していたのは彼ではない。わたしだ。まるで落語のような結末には思わずその場で蹲る。
今回の件は誰がどう捉えても、言葉が足らなかった自分の責任だ。ダンデにもリザードンにも悪いことをした。重んじてどんな罰でも受ける覚悟はできている。
何よりも、ダンデに当時の真意を伝えるべきだ。彼と最後の収録を交わす前に。
「?」
扉の向こうから寒心の声が飛んでくる。はゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫か?」
「大丈夫です。問題ありません」
答えが分かれば、もう悩むことは無い。は重苦しい足枷が外れる音を聞いた。
「チャンピオン。今回の一件も含め、何かお詫びをさせてもらえませんか」
「お詫び?」
「わたしに出来ることであれば、お応えします」
「オレたちが決めたことだ。が詫びる必要はない。そんな風に言わないでくれ」
またもチャンピオンらしい返し方だ。しかしそれではも申し訳が立たない。
「言い方を変えます。お二人に感謝しているからこそ、お礼がしたいんです」
扉の向こうで唸る声がする。もうどんな言葉を投げかけようが、困惑の色は見せない。
それなら、とダンデが言った。「最後の収録が終わったら、オレとディナーへ行こう」
「ディナーですか?」
「と二人きりでゆっくり話がしたい」
二人きり、という言葉に引っ掛かりを覚える。だが応えると言った手前、断れない。
「承知いたしました。お店の予約はこちらで確保しておきましょうか」
「いや、オレに任せてくれ」
「それではお言葉に甘えます」
言った後には「あっ」と言った。体を反転させ、乞うように扉に両手をつく。
「チャンピオン。ひとつだけお願いがあります」
「何でも言ってくれ」
「出来る限りドレスコードの必要がなく、大衆的なお店でお願いできませんか。その……理由は申し上げにくいのですが、格式高い場所はあまり得意ではなくて」
「そうか」彼は少し落胆そうに答えた。「分かった。その線で考えておこう」
「よろしくお願いします」
夜も深まってきた。そろそろダンデとリザードンを解放せねばならない。
エリキテルたちが無事にポケモンセンターにいると判明した今、不安は消え去った。このまま帰宅するのも良いが、ダンデの厚意でホテルに一泊できるのならば、今夜はここで休もう。仕事に必要な道具は全て持ってきている。翌朝になってから二人を迎えに行き、そのまま放送局へ向かっても問題はない。はとんとん拍子で物事を整理していった。
リザードンのモンスターボールを持っていないため、引き渡しは外窓からとなった。リザードンに跨ったダンデが窓辺へ身を寄せる。は風邪を移さないように窓を閉めた。
「それじゃあ、オレたちは戻るぜ」
声が篭っているが、しっかりと聞き取れる。
「はい。道中お気をつけて」
「またいつでもオレたちを頼ってくれ」
ダンデは朗笑を浮かべると、深紅のマントを靡かせながら遠くの空へ消え去った。果たして彼は迷わず戻れるのだろうか。は一瞬懸念を抱いた。
だが、いまはそれに勝る解放感に浸りたくて仕方なかった。は背中からベッドへ倒れこみ、煌びやかに飾られたシャンデリアをぼうっと眺める。そしてすぐさま、体を洗っていないことを思い出して起き上がった。
は服を脱ぎ、下着一枚になった。それは彼女に纏わりついていた不思議な空気が削ぎ落ちたような解放感にも見えた。
そんな彼女の背中を月光が照らすとき、ダンデが消え去った空に黒雲がひとつ浮かんだ。