ドリーム小説 11

 がダンデを連れてスタジオへ入っていくと、既にスタッフが集まっていた。壁沿いの椅子にはルージュが座っている。彼女と目が合うと、どこか大儀そうに視線を送ってきたような気がした。
 は一瞬、疑念を抱いた。しかしその理由はすぐに明らかになる。
「ああ、ダンデさんっ」
 顔馴染みに紛れて見知らぬ人物が立っている。黒縁の眼鏡を掛け、カメラを提げている若い男性だ。彼はダンデを見るや否や、を退ける勢いで歩み寄ってきた。
「はじめまして、ダンデさん。広報部の者です」
「ダンデだ」
 二人は握手を交わした。男はのことが見えないのか。こちらには目向きもせず、心酔の眼差しでチャンピオンを凝視している。
 は広報部の男を敬遠し、ルージュの元へ向かう。彼女は肩をすくめていた。
「お疲れさまです、さん」
「お疲れさま」は彼女の隣に座り、耳打ちを立てる。「ねえ。あの失礼な人、どなた?」
「わたしと同じでキャリア採用された男ですよ。広報部ではかなり有能扱いされてます」まあ、とルージュはお馴染みの紙パックジュースを飲む。「技術面にステータス全振りのせいか、今のように周りが見えていないところがありますけど」
 生い立ちはともあれ、彼女の言葉には同意してしまう。自分からぶつかってきたのにも関わらず、謝罪のひとつもなかった。恐らく、王者ダンデしか眼中になかったのだろう。
 それで、とは光景を眺めながら言う。「どうして広報部の彼がスタジオにいるの?」
「チャンピオンの写真を撮るためですって。SNSや公式サイトにアップするために」
「ああ。そういうこと」
「彼の場合はほぼ私欲の塊でしょうけどね。研修時代、のべつ幕なしにダンデさんの話を聞かされましたから。あれは相当なファンですよ」
 以前、ルージュから聞いた話を思い出す。放送局の殆んどダンデのファンであることを。もしかすると当時、彼女が想像した代表人物は広報部の彼だったのかもしれない。同期で同じキャリア採用であれば、印象に残りやすいはずだ。
「でも、ダンデさんも大変ですよね」
「大変?」
「ああいう厄介なファンにも笑顔で対応しなくちゃならないんですから」
「ルージュちゃん」で制するように口元に人差し指を添えた。「聞こえちゃうよ」
「すみません」ルージュは頬を掻いた。
 しかし、彼女の直情には一理あると思った。大勢の支持者を抱えていれば、なかにはマナーやモラルを守らぬ者も出てくるはずだ。
 以前、似たような話をネットで読んだことがある。ジムリーダーを応援するあまり、ファン同士で争いが起きたのだという。ネット上では当人に対する気持ちの比べ合いによる喧嘩だろうとも囁かれた。よくある話だ。
 は原稿に目を通しながら、時々ダンデを一瞥する。未だ広報部の男にカメラを向けられ、フラッシュを浴びている。そのままバトル同様、色んな命中率も下がってくれれば良いのに、と念を送る。
 冗談はさておき。
 チャンピオンならば、そんな人物にも隔たりなく接するだろう。温厚且つ堅実な姿勢が世間に広まっていることも相まって、彼が怒気を放つタイミングがいまいち掴めない。掴めないのはこれに限った話ではないが。
 もしも――あの男が仮に怒るとしたら、一体どんな瞬間なのだろう。
 人やポケモンを故意に痛みつける。公の場での不道徳な発言には叱咤を飛ばしそうだ。しかしそれらは常人であれば誰もが義憤を感じることだ。だって怒る。
「そういえば」ルージュが言った。「ダンデさん、数日前にワイルドエリアにいたみたいですね」
 は水を口元に運びかけていた手を止めた。
「数日前?」
「噂ですけどね。ネットの目撃情報によると誰かといっしょにいたらしいです」
 はややあってから水を口に含んだ。乾き出した喉を必死に潤す。
「でも、収録の証言通りですよね。もしかして配信に合わせて現場へ赴いたんでしょうか」
「そうかもしれないね」
「わたしはカブさんに会いたいなあ。今夜の試合、めちゃくちゃ楽しみなんですよ」
 は微苦笑を作り、スマホを取り出した。証明を最小限まで下げ、検索フォームを開く。
 ダンデ ワイルドエリア 目撃情報――関連性のある単語を入力する。
 最悪のケースだけは避けたい。積み上げてきた実績が崩落する未来が一瞬だけ見えた。
 はネットニュースをつぶさに確認する。だが、話題はそこまで拡散されていない。噂は立っているようだが、人物が特定されたわけではなかった。
 どうやら一部の界隈で憶測の声が上がっているだけのようだ。は安堵の息をつく。証拠となる写真が上がっていないことも大きな要因だった。
くん」
 安心したのも束の間。プロデューサーに呼ばれ、は素早く起立する。
「何でしょうか」
「ダンデくんと写真を撮ってくれないか」
「へ?」
 は素っ頓狂な声を出した。
 ほら、とダニエルは人差し指を立てる。「ゲストが来たときはいつも写真に撮るだろう?」
「あ、ああ……」
 ようやく鎮まったはずの眩暈が再発する。視線を斜め前へずらせば、待っているのは満面の笑みを浮かべているチャンピオン・ダンデ。
、いっしょに撮ろうぜ」
 あの男、図ったな。
 は椅子の上に原稿を置いた。服の裾を直し、平静を保ちながらダンデの元へ向かう。
 この場に居合わせるプロデューサーから渡されたのは、ガラルラジオ放送局の名が印字されたフリップ。ゲストを招いた際に使用する小道具だ。
「これを持てばいいのか」ダンデが言った。
「わたしがお持ちします」
「いや、オレが持とう」
「いえ、わたしが」
 フリップを左右に振っていると、カメラを構えていた広報部の男が口を開いた。
「お二人で持てばいいんじゃないですか」
 余計なことを言わないで。は目で制す。しかし彼はこちらに全く興味がない。
 そんな発案、この男が断るはずがない。
「ナイスなアイデアだぜ!」ダンデは嬉々とした声で言った。「、いっしょに持とう」
「……分かりました」
 くたびれた顔を隠し、黒いカメラを見る。焚かれる白い閃光を浴びながら、めいっぱい笑顔を貼り付ける。上手く笑えているかどうか、今から写真を確認するのが億劫で仕方ない。チャンピオンと同じ枠に収まるなんて、考えただけで頭痛が増していく。
 ひと通り撮り終え、広報部の男は満足げにスタジオを後にした。カメラから解放されたは心を落ち着かせる暇もなく、収録ブースへ向かう。
 モンスターボールからエリキテルを出す。今日は彼にカフボックス操作の任が下りている。
「エリキテル、今日もお願いね」
 エリキテルは誇らしげに胸を叩いた。
「チャンピオン。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 ダンデはリザードンを繰り出す。リザードンはと目が合うと、小さく鳴いた。
 ダンデが着席したことを確認してから、は向かいの席へ腰を沈める。サブスタジオでは音響調整を行っている。収録開始まで残り数分というところだ。
 は原稿を読み直し、蛍光ペンでなぞった部分を入念に確認する。前回に引き続き、今回も寄せられた質問にダンデが答えてもらう流れから始まる。
 送られてきたメールをひとつにまとめ、間違いがないかチェックを入れる。時々、誤字脱字があったり、一度読むだけでは文脈がいまいち捉えきれない文章があったりする。視聴者のメッセージは一語一句そのまま読み上げなければならない。いかに噛まず、分かりやすく伝えられるかどうかが大きな鍵となる。
 ふと、熱い視線を感じた。無論、一人しかいない。
「チャンピオン」は紙面から顔を上げた。「そんなに見られたら穴が開いてしまいます」
 ダンデは腕組みをしながら笑みを浮かべていた。
は本当に仕事熱心だな」
「ありがとうございます」
「風邪で休んだこととかないだろう」
「ありませんね」は即答した。「先日もお話したとおり、この仕事は自己管理が――」
 重要、と言いかけては咄嗟に手で口を塞ぐ。収録ブースとはいえ、ワイルドエリアでの一件をみなの前で話すなんて自殺行為だ。
 横目でサブスタジオを確認する。どうやらこちらの会話は聞こえていないようだ。
「どうした?」
 視線をダンデへ戻し、は手を解放する。
 この男には先手を打っておくべきだ。何か大きな間違いが起きてしまう前に。
「チャンピオン。ひとつお願いがあります」
「お願い?」
「極めて重要なことです」
「何でも聞くぜ」
「それでは少しだけ耳をお貸しださい」
 ダンデは不思議そうな面をしてから、前のめりになった。後ろ髪が胸元へ流れる。
 は周りに人の視線がないかを確認し、口元に手を添えてそっと囁く。
「確認なのですが、わたしとワイルドエリアへ行ったことをどなたかにお話しましたか?」
「いや、してないぜ」
「このまま誰にも言わないでもらえませんか」
「秘密ってことか?」
「そうです」は力強く頷いた。
 やがて収録ブースにADがやって来る。はダンデから離れ、反発しあうように彼も姿勢を正した。
さん、ダンデさん。そろそろお願いします」
「分かりました」
 彼女はスタジオへ戻り際、再度振り返った。
「あのう」
「何か?」
「先ほどお二人で何か話してましたか?」
 この子、勘が鋭い。はひやりと頬に汗を流す。
「原稿についてに話を聞いていたんですよ」最初に機転を利かせたのはダンデだ。「収録前に確認しておきたいところがあったんだ」
 そうだよな、と目配せを受ける。は頷いた。
「そうでしたか」
 彼女は合点した様子で扉を閉めた。どうやら難を逃れられたようだ。ほっと胸を撫でる。
 透明ガラスを挟んで、ディレクターから無言の合図が送られる。はサインを送った。
 ヘッドフォンを装着し、ダンデを見据える。
『ありがとうございます』
 声には出さず、口の動きだけで伝える。
 彼は何も言わなかった。ただ、口元に人差し指を添えて悪戯をした子供のように笑った。
 どうやら自分は、図らずとも彼を喜ばせてしまうようなことを発案してしまったようだ。

「それじゃあ、ここは編集で直しておくよ」
「よろしくお願いします」
 はダニエルに一揖し、スタジオを後にした。廊下を抜けた先にある広間へ向かう。パーソナリティが私物や貴重品を入れるためのロッカーが配列している。のものには目印としてエリキテルのステッカーが貼っている。イワンコも追加すべきだろうか。
 コートを取り出し、鞄を肩にかける。最後に施錠がしっかりと行われているか確認する。
 は局内の壁掛け時計を見た。時刻は午後五時。本日は夕方以降の収録がないため、通常よりも早めの退勤となる。帰りにイワンコを預けているトリミングサロンへ寄らねばならない。
「エリキテル、イワンコを迎えに行こう」
 体調の違和感のことも踏まえ、イワンコを引き取ったら寄り道せずに家へ帰り、ゆっくり風呂で温まろう。エリキテルにもブラシを入れてあげなければ。
 そんな風に考えながらエレベーターへ向かう途中、異様な光景が視界に飛び込んできた。誰よりも早くスタジオを出たルージュが部屋の一角でノートパソコンと奮闘している。それも何やら書類と画面を交互に見比べながら、キーを打ち込んでいる様だった。
「ルージュちゃん、どうしたの」
 見兼ねてが声を掛ける。彼女に気付いたルージュが「さん」と涙声で呟く。
「実は今夜中にこの文書をパソコンに打ち込まなくちゃならなくて……」
 は提示された紙の束を眺める。見る限り、構成作家の彼女の作業ではない。
「これってルージュちゃんの仕事?」
「他の部署が人手不足みたいで」ルージュは弱った様子で額に手を当てた。「今日は用事があったから一秒でも早く帰りたかったんですけど……」
「あっ」
 は思い出した。今夜はエンジンシティのジムリーダー、カブによるポケモンバトルが予定されている。ルージュは収録開始前から彼の試合を楽しみにしていた。
 ルージュには日頃から大いに世話になっている。仕事ぶりは勿論のこと、収録への意気込みには同じ熱を感じるところがある。何より、局内での友人が皆無に等しいにとって、彼女は数少ない話し相手だ。
 は受け取ったままの書類を抱いた。「これはわたしが引き受けてあげる」
「えっ」ルージュは目を丸くさせてから、でも、と呟く。「いいんですか……?」
「ただ、三十分だけ待ってもらえないかな。行かなくちゃならないところがあるの」
「もちろんです」彼女は胸の前で指を組んだ。「さんがアルセウスに見えてきました」
「大袈裟ね」は一笑する。
「それじゃあわたし、さんが戻ってくるまで打ち込んでおきます」
「ありがとう。すぐに戻ってくるからね」
 はエリキテルを連れてトリミングサロンへ駆け出した。イワンコはすっかり綺麗になり、会えなかった寂しさの分だけ岩肌で頬擦りを受ける。
 モンスターボールに二匹をしまい、ラジオ局へとんぼ返りする。その間、約二十分。
「お待たせ、ルージュちゃん」
「平気です。こちらこそ急がせてしまってすみません」ルージュは頭を下げた。
「それじゃあ、あとはわたしに任せて」は胸に手を添えた。「気をつけて帰るんだよ」
「ありがとうございます。お礼、準備しておきます」
 ルージュから引き継ぎを受け、彼女を見送った。
 は上着を脱ぎ、腕まくりをしてパソコンの前に座った。打ち込み作業は得意なほうだ。何より、ルージュが途中まで打ち込んだお陰で時間も掛からなさそうだ。
「エリキテルとイワンコに悪いことしちゃったな」
 呟くと、鞄の中でモンスターボールが揺れた。大丈夫だ、と言ってくれたのだろうか。
 は彼らに感謝の意を囁き、キーボードと書類を交互ににらみ合う。広間に設置されているテレビ音を背景に、次々と文字を打ち込んでいく。
 正直なところ、明日の原稿もチェックしたい。夕方から始まる生配信に向けて必要なネタを決めねばならないし、ポケモンにまつわるクイズも考えなくてはならない。
 ポケモンクイズは一年前に開始された参加型のミニコーナーだ。問題は毎回、が考案している。夕方は若年層の視聴者が多く、ポケモンの知識を蓄えながらも楽しめるものはなにか、という議題に対して導き出された答えがそれだ。回答者の中から当選者を決め、ぬいぐるみや文房具セットを度々プレゼントしている。
 こういうときにカイリキーやガメノデスのような腕が欲しいな、と心底思う。複数の腕を駆使すれば、作業効率は抜群に上がるはずだ。
「あっ」
 そうだ。今回はガメノデスにまつわる問題にしよう。は思い付いたネタを書き残す。
 しかし、やけに仕事がはかどる。今までの自分はいったい何に悩まされていたのだろうか。
『今夜九時からは、無敵の王者ダンデ選手による番組独占インタビューです!』
 早押しクイズのようにテレビから答えが返ってくる。は震える頭を咄嗟におさえた。
 可能であればこのまま忘れておきたかった。お陰で全ての動きが停止してしまった。彼は『力を吸い取る』でも使えるのだろうか。草タイプは柄に合わないが、王者なのだから何でも駆使できるに違いない。
 三度目の収録を終えた今、はこの上ない開放感に胸を膨らませていた。
 チャンピオンと顔を合わせる機会は残りわずか。今回の企画が終了すれば、この先しばらくは彼と仕事を共にすることはない。彼の突拍子のない言動で困惑することもない。全てが風化し、平穏な日常が戻ってくるに違いない。
 残り一回。残り一回。残り一回。脳内でキレイハナが明るいダンスを踊り始める。
 収録最終日は美味しいワインでも買って帰ろう。エリキテルやイワンコにも贅沢をさせてあげよう。三人で菓子を食べながら盛り上がろう。
 が溜め込んだ思いを糧にし、最終的にキーボードを打つ手を止めたのは午後九時を過ぎた頃だった。慌しくスタッフが通り過ぎていく中、は天井を仰いだ。照明が目に眩しい。
 帰る支度をし、パソコンを持って現場へ向かう。ルージュから聞いたとおり、スタッフは目の下に隈を作っていた。来月から始まるジムチャレンジに向け、休む暇もなく働いているのだという。
 憂鬱な内部事情を知ったところで、は放送局ビルを後にする。夜風が寒い。モンスターボールに入っている二人は大丈夫だろうか。
 アーマーガアタクシーで帰ろうと思ったが、近場の乗り場には停まっていなかった。ここから次に近い場所といえば、シュートシティ駅前だ。
 ぐらり。突然、の視界が歪んだ。咄嗟に壁に手をついて身を支える。
 やはり――朝から調子がおかしい。
 体調に違和感を覚えたのは、ワイルドエリアへ行ってから二日後。天候に負けたのかとも考えたが、ガラル地方で生まれ、暮らしてきたは一度も気温差にやられたことはない。それどこからか、風邪をひいた経験は一度きり。昔から強健な体が取り柄だった。
 恐らく、慣れない作業続きで疲れが出たのかもしれない。明日は夕方からの収録だ。原稿を読むのは明日にして、今日は一刻も早く休もう。
 冷たい向かい風を受けながら、アーマーガアタクシーを求めて歩く。暗がりで見難いが、遠方の街灯にはジムチャレンジの旗が下がっていた。建物にはダンデとリザードンと思えるシルエットが印象的の垂れ幕があちこちに掲示されている。
 ああ、そうか。企画が終了しても、彼の存在はガラル地方に点在しているのか。
 思い倦ねいていると、再び頭痛に襲われる。は一瞬よろけたが、何とか持ちこたえる。
 ついには息も上がり始めた。体が熱いにも関わらず、指先は氷のように冷たい。
 もう駄目だ――。
 崩れ落ちそうになった時。背後で切るような風が吹いた。それはの体を優しく支え、尾に点る真っ赤な炎で冷えた体を温める。
 倒れかけたを支えたのはリザードンだった。そしてこの温かい色。見覚えがある。
「リザードン、よくやった」
 脳内で微かに届いた声。もはやこのような局面で聞き慣れを通り越し、聞き飽きた声。
 まさか。もしや。は霞む視界を開いていく。

 何故、いつも突然目の前に現れるのか。
 何故、仕事に追われている彼がここにいるのか。
 何故、わたしがここにいると判ったのか。
、聞こえるか」
 あなた以上に頭に響く声は聞いたことがない。
「聞こえています」途切れ途切れだが、は必死に伝える。
「それじゃあ、オレが誰か判るか」
「チャンピオンです」は抑揚をつけて答えた。
 駆けつけたダンデには未だ当惑を隠せない。意識が朦朧として、考える力が出せない。
 ここが開発区画内で良かった。人気も少なく、明かりも最小限だ。駅前でこんな場面を周囲に見られては、明日から外を出歩けなくなる。
 は自身を支えてくれたリザードンに厚く謝意を伝え、ゆっくりと立ち上がる。しかし、すぐに横へ傾いてしまう。咄嗟のところで逞しい腕に支えられた。
「まだ一人で歩いてはだめだ」
「問題ありません。自分の力で帰られます」
 イヤだ。この男に弱みを握られるなんて。は必死に抗い、ダンデの腕を退ける。
 それでも相手はこちらへ何度も手を伸ばし、めげずに引き止めようとする。凄まじい力だ。
、何のためにオレたちが来たと思っている」
「分かりません」
 分かるわけがない、あなたのことなんて。さっぱり分からない。分からないことだらけだ。誰のせいでこんなことになっていると思う。
 はぐるぐると掻き乱れる思いを全力で抑え込む。例え体が弱っていようとも、心だけは決して屈しない。断固たる思いを荒む胸に深く刻み付ける。
「明日も仕事があるんです。離してください」
「だめだ」
「離してください」
「離さない」
 このままでは埒が明かない。黙考していると、の前にリザードンが静かに立った。彼はまるで労わるような眼差しで見つめてくる。
 そんな優しい目で見られたら、断れない。
「誰にも話さない。秘密にしておく」
 最も隠しておきたかった男が何を言っているんだ。
「約束する」
 だから、と言ってダンデはの手を掴む力を一瞬だけ緩め、ゆっくりと強く握った。
「だから、オレたちに甘えろ」


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