長針が五十八分を指した時点で、はスマホを手に取った。ロック画面を解き、ラジオアイコンをタップして配信予定の番組を待つ。その間にケトルで湯を沸かし、セントラルヒーティングの電源を入れた。室内は次第に温かさを増していく。夜間の冷えは人間にもポケモンの身体にも悪い。
やがて時報が鳴った。午後九時。先日、がダンデと共に録音収録した『チャンピオンタイム』の始まる時間だ。
正直、安直なタイトルだな、と思う。しかしダンデの決め台詞ということもあり、これ以上に似合う題名はないだろう、と制作部では満場一致で決まったらしい。
『時刻は午後九時を過ぎました。パーソナリティはわたくし、がお送りします』
スマホ越しに自分の声が届く。入社当初はくすぐったくて堪らなかったが、数年も経てば次第に慣れた。寧ろ一人の聴取者として聴けば、新たな発見点もいくつか見えてくる。
『皆さんもご存知の通り、本日はスペシャルゲストをお呼びしております。既にいま、わたしの目の前で泰然しているのですが、リザードン級にオーラが熱いです』
は第一回目の原稿を取り出した。ルージュが構成した文章にくわえ、自分なりにアレンジを加えている。いまの台詞で言うと『リザードン級』がそうだ。
近年、ガラル地方で流行りはじめたカレーライス。動画投稿サイトから人気を博し、絶品の味に仕上がると、リザードン級の美味しさ、というスタンプが送られる。巷では何かを最大限に表現する際に『リザードン級』を多用する傾向にある。
『引っ張っていても仕方ありません。早速ご紹介いたします。ガラル地方最強のポケモントレーナーであり、無敵のチャンピオン。ダンデ選手です』
編集で爆発音にも似た効果音が入る。ディレクター曰く、火炎放射がイメージらしい。
ポケモンバトルの観戦中に流れる音楽を背景に、自分の控えめな笑い声が混ざる。
良かった。上手く笑えている。収録中は常にチャンピオンのフォローに神経を集中させていたため、腹の奥底が声に出ていないか不安だったのだ。
しばらくは原稿通りに事を進め、ここから先は完全なるフリートークになる。
『今回使用しているマイクは、なんとチャンピオンのために特注でご用意したものなんですよ』
『そうなんですか』
『はい。以前、他局の放送内で、あまりの声量にマイクが破損した、という話を受けて』
これは本当なのでしょうか、とが訊く。あの時は正直、苦笑していたと思う。
『そんなことも、あったかもしれません』
『あまり記憶に残っていないのでしょうか』
『壊すつもりはなかったんです。あの時は普段よりテンションが上がっていたもので』
なるほど、とが応える。『再び壊されても少々困りますが、今回の収録もぜひ、その時に負けないほどのテンションでお願いいたします。ダンデ選手の出演決定を報じてから、既にチャンピオンの登場を心待ちにしている視聴者さんがたくさんいますので』
『バトル以外でも期待に応えますよ』
『頼もしい限りです。それでは、早速始めていきましょう。タイトルコールをお願いします』
『今夜もみんなで、レッツ・チャンピオンタイム!』
再び爆発音が鳴る。ダンデがタイトルを呼号した際、視聴者に見えるはずのないリザードンポーズを決めていたのは、スタジオ内のスタッフしか知らない。いや、彼のファンであれば、きっと今でもダンデはポーズを決めているんだろうな、と分かっているやもしれない。
続いてによってスポンサーが読み上げられ、再びトークが始まる。
現実のは一度席を離れ、キッチンへ向かった。沸騰した湯で紅茶を淹れてからソファーへ座る。
良い香りに釣られたのか、先ほどまでベッドの上で眠っていたエリキテルが目を覚ました。硬直した体を伸ばし、欠伸をこぼす。やがて腹の虫が鳴り、照れくさそうに頭を掻いた。いまは夜のため、太陽光で腹を満たすことは出来ない。
「エリキテル、お腹空いた?」
肯定とばかりにエリキテルは喉を鳴らす。
「ポフレと木の実があるけど、どっちがいい?」は彼の前に二択を差し出す。「木の実はバウタウンの市場で買ったからきっと美味しいと思うよ」
エリキテルは未だに悩んでいるようだ。
「あなたの本音を当ててあげようか」
彼の大きな目で、じっと見つめられる。
「どっちも食べたいんでしょ」
思いを如実に汲み取れたのか、エリキテルは尻尾をぶんぶんっと振りながら頷いた。もう何年もずっといっしょにいるのだ。訊かずとも解っている。
は、ふっと笑う。「でも半分ずつね。一気に食べちゃうとお腹がびっくりしちゃうから」
は盛り付けた皿をテーブルへ置いた。エリキテルはグラエナの如く貪り始める。そんなに慌てて食べなくても、他に盗る者は誰もいないのに。
『ダンデ選手といえば、無敵と呼ばれるに相応しい実力をお持ちです。ポケモンバトルの最中は興奮で感情が昂っていると思いますが、試合前はいつもどのような心境ですか』
『良い質問ですね』
考えたのはルージュちゃんなんだけどな、と録音した声に向かって思わず横槍を入れる。
『試合前は手持ちのポケモンはもちろん、オレを含めた全てのトレーナーが楽しめる試合を想像しています。しかしポケモンバトルの面白いところは、想像ができても予想がつかないところだ。相手がどんな攻撃を繰り出すのか、対して自分たちはどう対処するのか。スタジアムに一歩足を踏み入れれば、そこは正に別世界なんです』
『誰よりも多く、フィールドの芝生を踏んできたチャンピオンならではの考えですね』
『さんは公式戦を含め、ポケモンバトルを間近で観たことはありますか?』
痒い呼び方には思わず身震いする。
さん。さん。さん。一度だけではなく、後の対話でも何度も呼ばれる。
そう。不思議なことに彼は、収録になると人が変わったように口調が狂い出した。悪い言い方をすれば、状況に応じて他人への態度を変えているのだ。これまで多くのメディアに出演しているのだから、当然といえば当然の対応ともいえる。
しかし、ここで思い出すのはダンデとのファーストコンタクトだ。彼はを呼び捨てにするだけには飽き足らず、出端から友達口調で接してきた。頂点に君臨する王者といえども、初対面の相手に敬語抜きで話すには少々馴れ馴れしすぎやしないだろうか。
「ああ、だめだめ」
は思考を遮断する。自分の悪い癖だ。自身の尺度を他人へ宛がってはならない。
それでは、とダンデが切り出す。『さんはポケモンバトルを観たことはあっても、公式戦を生で観戦したことはないんですね』
『行きたいのは山々なのですが、いかんせんチケットの倍率が凄まじくて』
上手い嘘の吐き方は、話の内容に一つの事実を混ぜることだ、と研修の対話術で習った。
『オレの試合はすぐに完売しますからね』
『ズバッと言いますね』
この男の凄いところは、言葉に自信しか含まれていないところだ。くわえて、発言に嫌味を感じさせない能力は最早天性の域に達している、とは思う。
『チャンピオンパワーで何とかなりませんか?』
『オレの望みが叶うなら、ガラルに暮らすみんなでポケモンバトルをしたいくらいです』
『とんでもない規模になりますね』は笑う。
『その時はさんにも参加してもらいますよ』
『わたしも……ですか?』
もちろん、とダンデが熱を込めて答える。『オレの願いはガラル地方のポケモントレーナー、みんなで強くなることですから』
男女の笑い声が飛ぶ。当人以外から見れば、仲睦まじい光景が浮かぶだろう。
は傍にあったクッションを抱えた。そのまま横に倒れ、真っ白な天井を見上げる。
――自分がポケモンバトルはしないことを、彼にしっかり伝えたはずなのに。
「やっぱりあの人、人の話聞いてない」
つまりは言い方を変えれば、自分の夢のために他人を巻き込みたいだけだ。現場では適当に相槌を打ったが、あの調子だと自分にとって都合の良いことだけを覚え、他のことは綺麗さっぱり忘れているに違いない。
第一印象は文字通り、一度きり。最初に抱いた印象はそう易々とは崩れない。
自分も気をつけよう。戒めを胸に刻みつけたとき、鞄の中で仕事用のスマホが震えた。寝転んだ状態で鞄を引き寄せ、画面をタップする。丸く縁取られたアイコンに映るのはワタシラガ。記憶が正しければ、恐らく――彼女のポケモンだ。
「もしもし、です」
『こんばんは、さん。わたし、ルージュです』
いま大丈夫ですか、と彼女は職場と変わらぬ声色で訊いてくる。は、もちろん、と答えた。
『さん。いま配信聴いてますか』
「うん。ルージュちゃんもでしょう」
『ご明察です』彼女は笑いをこぼした。『いま駅前のカフェにいるんですけど、わたしの目利きが正しければ、店内の三割が聴いてると思いますよ』
もの凄い観察眼だ。は思わず舌を巻く。同時にチャンピオンが目当てだとしても、第三者が自分のトークに耳を傾けている事実に胸が熱くなった。
『リスナーも通常の倍以上。影響力は絶大ですね』
「さすがは無敵のチャンピオン、ね」
片方のスマホでは依然として配信が続いている。時計を見れば、間もなく四十分。終了まで残り十五分といったところだ。
コメント欄は滝登りの勢いで流れていく。ひとつひとつは確認できないが、チャンピオンにまつわる単語が並んでいることだけは判る。
は配信を聴きながら、ずっと考えていたことがある。恐らく聴取者の殆どはチャンピオンを目当てに配信を聴きに来ている。彼の相手を務めるパーソナリティとしては、トークを盛り上げるために使える手段は何でも取り入れるべきだとも考えている。
だからこそ、今のままでは何か足りない、と思う。ダンデのトーク力は申し分ない。ファンであれば、本人が話しているだけで十分満足しているはずだ。
しかし彼を一際光らせる『何かが』が足りない。
ふと、は先日のことを思い出した。大空から舞い降りてきた王者。彼の傍で佇むのは、最強の名に恥じない猛火を持つリザードン。
そうだ、とは呟いた。「リザードン」
『え?』
「あっ」
無意識だった。手遅れながらも口を覆い隠す。
『リザードンがどうかしたんですか?』
「ええと……」
今更隠し立てしても遅い。は必死に脳内で伝えたいことを整理する。
「番組を盛り上げるためには、彼……チャンピオンのリザードンも必要なんじゃないかな」
『ポケモンを配信に参加させるんですか?』
「例えばだけど」は立ち上がり、ワークデスクへ向かう。紙とペンを取り出し、更に情報を整理するために絵を描きくわえる。「言葉だけで成り立つラジオでは、ポケモンとの直接なコミュニケーションは不可能。だから会話に参加することは難しい。けど、存在を視聴者に示すことは十分可能だと思うの。タイトルコールの後に鳴き声を入れたり、視聴者プレゼントでポケモンのグッズを用意したり」
はデスクを眺める。不本意ながらもチャンピオンのために集めた資料。彼の特集が掲載されている雑誌の表紙には、いつだってリザードンが映っている。
「チャンピオンの相棒であるリザードンも、番組としてもっと取り上げるべきだと思う――」
などと、着想をルージュに投げたところで意味はない。彼女は構成作家ではあるものの、最終的に承諾を決めるのは上層部の者たちだ。これから彼らに連絡を取るにしても、恐らく今は激務に追われているだろう。
だが、面白くなる自信は――ある。
『さんって時々、編成部の人みたいなことを言いますよね』
「え?」
『そういうのに頭を悩ませるのって大体が編成部じゃないですか。どうしたら番組が面白くなるか、とか、聞き飽きないようにするにはどうしたらいいか、とか』
言われてみればそうだ、と思った。
『でも、とても良い案だと思います。話が通れば次回の収録からパワーアップもできますし、単純にリスナーも喜ぶんじゃないでしょうか』
敏腕なキャリアウーマンに褒められて悪い気はしなかった。寧ろ気持ちが良い。
『わたし、これから局へ向かうのでプロデューサーたちに伝えておきますよ。もちろん、さんが立案したことを付け加えて』
「こっ、これから出勤するの?」
『感化されちゃったんですよ』席を立ったのか、椅子を引く音が聞こえた。『わたしもリザードン級に燃えてきちゃいました」
「そっか」は頬を緩ませた。「でも、オーバーワークは厳禁だからね。最近肌寒くなってきたから、自己管理はしっかり行うこと」
『お気遣いありがとうございます。用件を伝えたらすぐに帰りますので』
「分かった。どうもありがとう」
それではまた明日、と言われて通話は切れた。
はスマホを置き、やがてルージュとの電話で掻き消されていた配信へ耳を傾ける。
『――ダンデ選手、今回は就任以来のラジオ収録とのことでした。いかがでしたか』
『それはもちろん、とても楽しかったですよ』
ありきたりな言葉だが、確かにチャンピオンは終始、収録を楽しんでいるように見えた。
『次回はリスナーの皆さまから寄せられたメッセージや質問に答えていただきます』
『何でも答えます』声だけでは認識できないが、ここでは胸を張るように腕組みをしている。
『今回のスペシャルゲストはダンデ選手。パーソナリティはでお送りしました。また次回の配信でお会いしましょう。それではさようなら』
配信が終われば、自然と天気予報へ変わる。どうやら無事に第一回目は終えられたようだ。
ネットの反応も気になるが、先ほどの会話ですっかり喉が渇いてしまった。無性にサイコソーダーを飲みたい欲が襲い掛かってくる。しかし、明日も大切な収録を控えている。今夜は何とかミックスオレで我慢しよう。
はソファーで丸くなっているエリキテルを一見してから、コートを羽織って外へ出た。雪こそ降ってはいないが、地面には微かに白い粉が積もっている。両手に息を吹きかけながら付近の自動販売機へ向かう。
間もなく目標物が見えてきたとき、向かい側から誰かが近づいてきた。
恐らく仕事終わりの会社員だろうな、と考えていた矢先、の足はぴたりと止まった。
「お」
「わ」
同時に発せられた異なる一文字。互いの口から漏れた白い息がゆっくり空へ消えていく。
何故。どうして。何故。どうして。脳内で疑義を挟むも、状況はまるで一変しない。
「じゃないか」
声の主は嬉々とした様子で口を開いた。
「奇遇だな。こんなところで会えるなんて」
暗がりから現れたのはダンデだった。へんぴな場所とも限らず、相変わらず特徴的なマントを羽織っている。彼の背後にはリザードンも立っており、尾の炎が主人の行き先を照らすように燃えている。見ているだけで身も心も温まりそうな炎だ。
は開いたままの口を塞ぎ、軽く咳払いをする。
「どうも……こんばんは」は会釈する。「何故、チャンピオンたちがここに?」
まさか帰路ではあるまいな、とは遠くに建つ自宅へ気づかれないように視線を送った。
実は、とダンデが口を開く。「駅へ向かおうとしたんだが、道を間違えてしまったらしい」
「間違えた」
「その通りだ」
「それはつまり……」
ダンデは、ははは、と軽く笑う。笑っている場合ではないと思うが、突っ込むのは止めた。
本当に――この男は野生ポケモンのごとく現れる。そして何かとタイミングが悪い。
「、どっちが駅なのか判るか?」
「向こう」と言いかけては黙った。果たして指だけで示して、無事にたどり着けるのか?
いや、寧ろ何故。自分が彼を案じなければならないだろう。道に迷ったのであれば、リザードンに乗って上空から駅を探せばよいはずだ。
あと一歩だけ。それだけ進めば目的を達成できるのに。自動販売機でミックスオレを購入し、原稿を読みながら夜の楽しみを満喫するつもりだったのに。しかし、このまま目の前の男を放っておけば、恐らく朝が来るまで辺りを彷徨い続けるに違いない。こちらとしても自宅付近でうろうろされては困るし、何より家が特定されることだけは避けたい。
はそっと深呼吸をした。
「あの、チャンピオン」
ダンデの目がに結びつく。
「わたしで良ければ、駅までご案内します」
「いいのか?」ダンデは目を丸くさせた。「助かるぜ」
「ですが、先日もお伝えしたとおり――」
「きみから目を離さない、だろ?」ダンデは笑った。
そういうところは覚えているのか。はひとつ頷いてから、こちらです、と言って歩き出す。確認はしていないが、彼女の後ろをダンデは一歩分空けて着いてきている様子だった。
ここから駅まではそう遠くない。というより、迷うはずがないのだ。確かに分かれ道は存在するが、注意深く看板を見て歩けば子供でも判るはずだ。
背中に刺さるチャンピオンの視線が痛い。そう思っていると、背後から声が飛んでくる。
「さっき弟から連絡が来たんだ」ダンデが言った。「ラジオの放送、ようやく聴けたぞって」
「そうですか」
「かなり高評価だった」
彼の表情こそ見えないが、声色で判る。白い歯をこれでもかと見せて、笑っていると。チャンピオンの実弟に感嘆の言葉をもらえたのであれば、としても十分満足だった。
「そうだ」尚、ダンデが続ける。「オレのリーグカード、受け取ってくれたか?」
はい、とは答えた。「受付の彼女からいただきました。わざわざありがとうございます」
「きみからは名刺をもらったのに、オレから何もないんじゃ不公平だからな」
「お気遣いありがとうございます」
今のは若干嫌味を込めていた。言葉通り、変なところで気を遣う男だな、と思ったからだ。
「そういえば……」
今度はなんだ、とは胸中で呟く。
「今日はエリキテルを連れていないんだな」
は、しまった、と思った。トレーナーがポケモンを置いて外出する場面は限られている。
回復や治療のためにポケモンセンターに預けている場合。あるいは、わざわざ連れて歩くほどの距離ではない。つまりは家が近いことを意味する。今回は後者だが、この男の前でそんなことは口が裂けても言えない。
「エリキテルなら駅前のポケモンセンターに預けているんです。わたしもこれから彼を迎えに行くところだったものですから」
「なるほど。そういうことだったのか」
どうやら声色を聞く限り、疑ってはないようだ。は安堵の息を吐く。
それにしても――よく喋る男だ。こちらが軽く受け流しても、様々な角度から攻めてくる。
ああ、そうか。もしかすると。
チャンピオンにとって人間との対話はポケモンバトルと然程変わりないのかもしれない。想像はできても、予想はできない。現に自分がこんな時間に、こんな場所で彼に会ったことも、全く予想だにしていなかった。
やがて最寄り駅が見えてくる。電光掲示板にはナックルシティ、エンジンシティ行きの時刻が点灯している。出発までにはまだ少し余裕がありそうだ。
「チャンピオンも電車を利用するんですね」
「当たり前だろ」ダンデは困ったように笑った。「はオレを何だと思ってるんだ」
「チャンピオンは……チャンピオンのままです」
「答えになってないぜ」
貴方のことは何も分からない。知らない。ひとつも掴めない。などと言えるはずがない。
「それではわたしはここで失礼します。どうか道中お気をつけて」まあ、とリザードンを見る。「チャンピオンにこのようなことを申すのも野暮かもしれませんが」
「きみも気をつけて帰るんだぜ」
一体どの口からそんな台詞が出てくるのか。は漏れそうな溜め息をぐっと抑えた。
早く帰らなければ。きっとエリキテルが心配しているに違いない。
踵を返すと背後から「」と呼ばれる。無論、ダンデのものだ。
またか、という面持ちを隠したまま振り返る。ダンデはただ静かに微笑んでいた。
「道案内ありがとう。本当に助かった」
「いえ」
「おやすみ」
は一拍置いてから、おやすみなさい、と言った。
最後にダンデは軽く手を振り、リザードンを連れて構内へ駆けて行った。
冗談だと思っていたが、本当に電車に乗って帰るつもりだったのか。変装もせずに車内へ乗り込めば、乗客がパニックになるに違いない。騒ぎを治める駅員には同情した。
は来た道を戻り、自動販売機の端末にスマホをかざした。ミックスオレの蓋を外し、大きな一口飲む。自分でも驚くほど、喉は乾き切っていた。
おやすみなさい――あんな風に誰かと挨拶を交わしたのは、一体いつ以来だっただろう。
そんな風に昔のことを想起させながら、ふと地面に視線を落とす。微かに雪が残っているそこにはたちが歩いてきた二人と一匹の足跡が残っていた。
は好奇心で自身のブーツとダンデの足跡を重ねてみる。縦も横も全く合わない。彼の足は同じ人間とは思えないほど大きかった。
ただ、自分たちの歩幅だけは同じだった。