ドリーム小説  二〇〇一年、三月初頭。地方都市、S市杜王町。
 例年より一週間ほど早めに咲いた桜の花。その並木道を一人の少年が歩いている。
 少年の名前は広瀬康一。彼はぶどうヶ丘高校に通っている高校二年生だ。来月の四月からは高校三年生となり、高校生活最後の一年を迎えることになる。
 康一は帰路を歩きながら、ため息を吐いていた。通学鞄からはみ出ている白い紙。その紙は学期末になると必ず手渡される成績表だ。後期の成績は目も当てられないほどの有り様で、これから家で待っている母親や姉のことを思うと気が重くて仕方ないのだ。
 どこかで寄り道でもして、気を紛らわそうかな。そう考えているときだった。入学祝いに母親からプレゼントされた携帯電話が鳴った。康一は携帯電話を取り出し、耳に当てる。
「はい、もしもし」
(康一くんか?)
「その声は、承太郎さん?」
 電話をかけてきた相手は承太郎――空条承太郎だった。彼は二年前、この杜王町で起こった不可解な事件と壮絶な戦いに力を貸してくれた一人だ。当時は海洋学者として業界にその名を轟かせていたようだが、現在では博士号を取得し、アメリカで単身生活を送っている。
 康一は二年前に起きた事件を機縁に、それ以来から今までも彼とよく連絡を取り合っている。町の様子に異変はないだろうか。そんな心配事ではなく、学校の成績はどうだろうか。好き嫌いは克服できたか。そんな他愛もない話ばかりだが、承太郎は飽きずに訊いてくる。
 しかし今回の電話の内容は、そんなとりとめのない話ではなかった。承太郎から受けた電話の内容はとても単純なものだった。
 午後三時、杜王駅前で待っていてほしい――。
 康一は承太郎の言伝通り、午後三時まで本屋で雑誌の立ち読みをしながら時間を潰した。
 間もなく約束の時間になる頃、康一は杜王駅の広場へ向かう。駅前にはまるで彫刻のオブジェのように立っている一人の男がいた。遠くからでも分かる。あの長身、あの身なり。そして特徴的なあの帽子。空条承太郎だ。
 康一は承太郎の名を呼びながら駆け寄ると、彼はおなじみの帽子のつばを掴んだ。康一は承太郎に軽く会釈をし、久しぶりに顔を見合わせた彼を見上げる。
「お久しぶりです、承太郎さん」
「ああ。久しぶりだな、康一くん」
「今日は突然どうしたんですか? 承太郎さんがわざわざ杜王町に来るだなんて……」
 途端に康一は、はっとした顔になる。
「もッ、もしかして。またこの町に新手のスタンド使いでも潜んでいるんですかッ?」
「いや、そうでは――」
「こうしちゃあいられない! 急いで仗助くんたちに知らせないと……って、あれ」
 慌てふためく康一が取り出した携帯電話。それは一瞬にして承太郎のスタンド、スタープラチナによって奪われてしまう。康一が茫然としている隙に、携帯電話は通学鞄へしまわれていく。
 承太郎は無言でかぶりを振っている。この町に二度目の恐怖が訪れたのは、どうやら康一の早とちりだったようだ。康一は後頭部を掻きながら苦笑を浮かべる。
「立ち話もあれだ。どこか店にでも入ろうか」
「え~~と。それじゃあやっぱり、あそこかな」
 康一は杜王駅の東口前広場にあるカフェ・ドゥ・マゴへ承太郎を案内した。人気のカフェテラスは偶然にも二席空いており、康一たちは席についた。
 承太郎がウエイトレスを呼び、コーヒーを頼む。彼に注文を受けるウエイトレスは頬を赤らめながら注文票にペンを走らせている。この光景ももう見慣れたものだ。
 康一はオレンジジュースを頼んだ――が、メニューの裏側に掲載されている季節のフルーツパフェの写真と偶然にも目が合ってしまった。フルーツパフェに向けられていた視線は承太郎のほうを向いてしまう。
 承太郎はこちらの意思を察したのか、フルーツパフェも一つ、とその整った口で言った。
 注文を受けたウエイトレスが去っていき、承太郎が携えている鞄からファイルを取り出す。康一は少し前かがみになってそのファイルを見た。
「それはなんですか?」
「わたしが杜王町へ来たのは他でもない。康一くんに頼みたいことがあるんだ」
「承太郎さんが僕に、ですか」
 承太郎はファイルから一枚の写真を取り出し、それを康一に向かって見せた。写真には黒髪の少年が一人だけ写っている。それは隠し撮りをしたような目線にも見える。
 康一は少年が写っている写真を手に取った。まじまじと見ると何の変哲もないただの少年に見えるが、写真の彼はどことなく知り合いの男たちに似ている、と思った。
「写真に写っている少年の名前は、汐華初流乃」承太郎が落ち着いた口調で言った。
「汐華初流乃?」
 女の子みたいな名前だな、と康一は呟く。
「彼はイタリア人だが、母親は日本人だ。汐華初流乃は現在、イタリアのネアポリスにいる」
 康一の知識上、ネアポリスはイタリアの中でも治安の悪い場所。そして釜戸で焼いたピザが美味しいということで有名である。最近見た国際ニュースでは、動物園から脱走した動物たちが街の中を暴れまわる、という報道があったことを思い出す。海外はやはり日本とはスケールが違うなあ、とそのときの康一は思っていた。
「それでその、汐華初流乃と僕に頼みたいことにどんな繋がりがあるっていうんです?」
「きみにネアポリスへ行ってもらい、その少年の皮膚の一部を採取してほしいんだ」
「ひッ、皮膚の一部ですか?」
 承太郎は、そうだ、と頷く。
 なんでも話を聞けば、スピードワゴン財団が彼の皮膚の一部を求めているというのだ。
 スピードワゴン財団。いまやこの世界に暮らしている者のなかで、その名を知らない者はいないだろう。アメリカのテキサス州に本部を置きながら、世界各国にその支部を設けている大きな組織。主な事業内容は薬などを開発する医療関係である、と康一は聞いているが、なぜか承太郎とも縁のある組織として知識は得ている。
「皮膚の一部って。そんなものを採ってどうするつもりなんですか? それにこの少年は……」
「その謎を調べるために皮膚が必要なんだ。心配しないでほしい。危険な人物でない」
 はあ……、と康一は情けない声を漏らす。
「だが、念のためだ。きみの身の安全のためにも、彼と直接会ったり、真正面から声をかけたりすることはなるべく避けてくれ」
「僕じゃあなく、仗助くんじゃあだめなんですか?」
「そうだ。きみのエコーズが最も適任なんだ」
 エコーズ。康一のなかに眠っていた精神が具現化したスタンドとしての能力。康一自身もそのスタンドに目覚めたのは二年前のことだ。
 承太郎のスタープラチナ。そして康一の友人である東方仗助のクレイジー・ダイヤモンド。双方圧倒的なパワーとスピードを兼ね備えているが、そんな二人のスタンドよりも自分のスタンドが適任である、と聞いて康一は決して嫌な気持ちにはならなかった。
 しかし、海外旅行には過去に一度も行ったことがなければ、イタリア語は愚か、英語もろくに話せない自分には無理のある話だと思った。それに交通費も嵩んでしまう。康一はその悩みを素直に承太郎へ打ち明けた。
「交通費のことなら心配しなくていい。旅行費を含めてわたしが全額負担するよ」
「ぜッ、全額ですか?」
 でも……、と康一は顔をしかめる。
「僕、英語も喋れなければ、イタリア語なんて一度も口にしたことがないんですよ。向こうで調査するには、誰かしらと話さないわけにいかないじゃあないですか」
「岸辺露伴、という男がいたな。彼のスタンドでイタリア語を話せるようにしてもらえばいい。彼と犬猿の仲の仗助ならば門前払いをくらうだろうが、きみになら」
 岸部露伴。週間少年誌で大人気漫画『ピンクダークの少年』を連載している、杜王町のみならず全国でも有名な漫画家だ。彼もまた、二年前に杜王町で起きた事件の関係者でもあり、スタンド能力の持ち主である。彼のスタンドであるヘブンズ・ドアーは恐ろしい能力だが、これで外来語の問題は解決だ。承太郎のアイデアに康一も合点した様子で手を叩く。
 旅行費用は全額負担、イタリア語も問題なし。この条件が揃えば康一にとっても決して悪い話ではない。
「わかりました。調査をしに行きましょう」
「ありがとう。恩に着るよ」
 いえいえ、と康一は後頭部を掻く。
「康一くんはこれから春休みだろう。予定が確保できたらすぐに連絡してくれるかい」
「はい。でも、ひとついいですか?」
「どうした?」
「この汐華初流乃って人。承太郎さんや仗助くんに少しだけ似ていませんか?」
 康一の質問に対し、承太郎は黙り込んだ。
 しまった。怒らせてしまったのだろうか。康一は慌てて釈明し、いまの話を取り消した。
 そんな二人の異様な空気を裂くように、注文していたコーヒーとオレンジジュース。そして色とりどりの果物が盛られているフルーツパフェが運ばれてくる。康一は目の前にやってきたフルーツパフェに目を輝かせ、添えられているパフェスプーンを手に取った。向かいの席では承太郎がコーヒーを飲んでいる。
 どうやら気分を損ねていないようだ。胸を撫で下ろしながら、康一はパフェを口へ運ぶ。
「それにしても、これから調査する人物をこうして写真におさめたり、年齢や名前、住んでいる場所まで特定したりできるなんて。やっぱりすごいですね、承太郎さんは」
「いや、調べたのはわたしではない」
「じゃあ、スピードワゴン財団ですか?」
 承太郎はコーヒーカップを置いた。「汐華初流乃を調査することになったきっかけは財団だが、少年の詳しい情報を調べていたのは、わたしの友人だ」
「へえ、そうなんですか」
「彼女もわたしたちと同じ日本人だ。確か、きみとそこまで年齢も変わらなかったはずだ」
 承太郎の口から出た、彼女、という単語に、康一はオレンジジュースを吹き出した。
「えッ。女性なんですか!?」
「それがなにか問題なのか?」
「い、いやあ。承太郎さんの口からまさか女性の存在が出てくるなんて思わなくって……」
 聞くところによれば、その友人である女性は、イタリアでは情報屋をしているのだという。映画や小説のみで存在していたと思っていた職業に、康一は二重で驚く。
 そして康一は汐華初流乃の写真以外にも、ファイルには数枚の写真があることに気づく。
「承太郎さん、その写真は?」
「ああ、これか」承太郎はファイルから写真を取り出し、テーブルに並べて見せた。
 残りの写真は女性と男性が写っている。女性のほうはどこか汐華初流乃に似ている気もする。
 康一は女性が写っている写真を手に取った。「あの、この方は汐華初流乃の母親ですか?」
「そうだ。名前は……汐華
「へえ、さんか。ずいぶんと綺麗な人だなあ」
 母親の名を告げたとき、承太郎の様子に僅かな変化があったことも知らず、康一は承太郎の奢りだとはいえ、人の金で食べるフルーツパフェはやっぱり美味いな、と思いながらパフェスプーンを進めた。
 やがて康一は承太郎からの依頼通り、イタリアのネアポリスへと渡った。国際空港に到着したのは、依頼を受けた二週間後の三月二十九日。康一は空港に到着したその瞬間から、事件に巻き込まれてしまう。
 汐華初流乃――いや、ジョルノ・ジョバァーナという一人の少年によって、今後の話は急転する。

 *

「ジョルノ・ジョバァーナって男さ」
「あんたが探しているのはジョルノ・ジョバァーナだ」
「ジョルノ・ジョバァーナ?」
 三月二十九日、カポディキーノ空港。ブローノ・ブチャラティはポルポからの指令を受け、ネアポリスの玄関口のひとつでもある国際空港へ来ていた。なんでも、空港を仕切っていた涙目のルカが意識不明の重体で見つかったというのだ。ポルポから説明を受けたように空港へ行けば、人気を避けるような場所でルカが変死体になって倒れていた。
 ブチャラティは空港の周りを巡回している警備員を捕まえ、辺りの様子を訊き出した。
 そのとき出てきた名前が、これだ。
 ジョルノ・ジョバァーナ。そのジョルノ・ジョバァーナが涙目のルカを重体まで追い込んだ者であれば、ブチャラティはその男を始末しなければならない。いかなる状況下であっても、組織からの命令は絶対だ。
「そのジョルノ・ジョバァーナとやらが、いまどこへ向かっているのか知ってるかい」
 ブチャラティは警備員に一枚の札を渡しながら訊いた。
「ジョルノならタクシーのアルバイトを終わらせて、学生寮へ戻ってくる頃じゃあねーか」
「学生寮だって? やつはいくつだ」
「確か十五かそこらだ。ああ、無免許なのに注意しないのか、なんてやぼなことは訊くなよォ」
 警備員がポケットをいじりながら言う。
「ということでお兄さん、わたしはこれで」
「ディ・モールトグラッツェ」
 警備員に別れを告げ、ブチャラティはジョルノ・ジョバァーナという男を追いかけた。
 涙目のルカのことは、以前からあまり気に食わない男だとは思っていた。だからあの男が重体だろうか変死体だろうが、どんな状態であっても気には留めない。ナランチャは思わず口に出してしまっていたが、ああいう男はやはり短命な運命にあるのだろうか。
 ネアポリス駅中央口まで出たブチャラティは、警備員の情報をたよりに地下鉄へ向かった。この辺りに存在する学生寮は限られている。すぐに見つかるだろう
 地下鉄を乗り継ぎ、次はケーブルカーへ向かう。そこで自分と同じようにケーブルカーへ乗り込もうとしている金髪頭の少年を見つけた。
 あいつがジョルノ・ジョバァーナか。下の毛が生えてきたばかりのガキじゃあねーか。
 そう。このときまでブチャラティは、正直彼をただの餓鬼だと見くびっていた。
 しかしそのジョルノ・ジョバァーナこそが、ブチャラティが望んでいた黄金のような夢を抱いている、あるべき指導者だった。ブチャラティが彼の偉大な夢に気付くまでには、彼と一戦を交える必要があった。
 ブチャラティはジョルノを追いつめるため、ケーブルカーに乗り込もうとしたが、窓に映りこんだ襟元のハートのブローチを見て、一度歩みを止めた。
「これは外しておこう」
 ブチャラティはブローチをスーツの内ポケットへしまい、代わりに一枚の硬貨を取り出しながら、ケーブルカーへと乗り込んだのだった。

to be continued...